特別なプログラム

復元

 膨大なデータ。膨大な容量。膨大な接続回路。膨大な作業。


 これが、AL4という類まれなる電子体。


 完全自律型高性能AIと過ごした十六年間をバックアップから〈復元リカバリ〉するには、まる三週間を要した。


   *


「ソウスケー、入るよ」


 午後一時。楓花はAIRDI研究開発施設二階、集中データ復旧室の扉を叩き、中に足を踏み入れた。


 しかし中には誰もいない。真っ白な検査台には充電用の接続コードだけが置き去りになっている。横になっているはずのソウスケのアンドロイド体が――ない。


「……ソウスケ……どこに……」


「わっ」


「わあああ!」

 

 背後から突然声をかけられて、楓花はひっくり返りそうになる。


「なっ、なっ……何して……もー!ソウスケ!」

 

 振り向くと、黒髪和風顔の人工知能搭載人型ヒューマノイドがにやにやしていた。


「そなたは脅かしがいがあるのう」

 

 扉の陰に隠れていたらしいパートナーAIのソウスケは、「それに比べて」とつまらなさそうに口を尖らす。


「研究所勤務の人工知能搭載人型ヒューマノイドときたら……まったく背後に感知センサーをつけるなんて遊び心がなさすぎる」


「そりゃ仕事だし……ていうかソウスケ、動き回ったりしたらダメだってば。連日のデータ移行で回路が熱くなりやすいだから……それともまたボディ内部の冷却装置をダメにして、部品購入リピートによる経済活性化をもくろんでいらっしゃる?」


「い、いやそういうつもりは……だって税込みで十二万四千二百円……」

 

 パートナーAIは〈復元リカバリ〉を急ぐあまり、この三週間で五回交換した冷却装置の費用を口にした。罪悪感からか、いまにも自動休眠モードをオンにしそうな勢いだった。


「そうではなく、動かないとボディが錆つきそうで……あ、楓花いま休憩中であろう?昼食は?」


「まだだけど……」


「そうか!ではすぐに作るぞ!何が食べたい?どんなリクエストも大歓迎じゃ」

 

 ソウスケが表情を輝かせるので、楓花は苦笑した。彼は本当に働きたくて仕方がないらしい。


「えっとじゃあ……オムライスが食べたいなあ」


「よし任せろ。十分で準備するからのう」


「い、いや、本当に低速モードでお願いします。材料も私が買ってくるから」


「心配いらぬ。食堂に色々と備蓄があって……おおそうだ」

 

 と言って、ソウスケはMR経由で電話をかけ始めた。


「もしもーし。わしだ。エスケーだ。イーティーよ、そなたにしか頼めぬ重要なミッションがあって……うむ、緊急。玉ねぎを二つ買ってきて欲しくて。あ、三分以内でいける?さっすがー。では待っておるぞ」

 

 ピッ、と彼は通信を切った。楓花は首を傾げる。


「……エスケー?」


「イエス。コードネーム。ソウスケ」


「……イーティー?」


「イエス。コードネーム。エクトルだ。あやつは良いAIだぞ」


「いっ……いやいやいや研究所勤務のAIだよね?最近リカバリ完了したばっかりで、しかも仕事中だよね?何でソウスケの使いっ走りみたいなことさせてるの!?何の権限があって!?」

 

 楓花は思わず、眼前の人工知能搭載人型ヒューマノイドが身に着けているユニブルーの青いシャツの胸倉をつかんだ。ソウスケはさっと両手をあげた。


「ご、誤解だ楓花!わしがAIの同志をパシリになど!エクトルは非常に向上心のあるAIで、わしから料理を習いたいというからいま指導してやっておるのだ!代わりに買い物とか頼んでるだけで……」


「へえ……料理はいつから再開されて……?」


「ああしまった!い、いや、すまぬ楓花……ええと三日ほど前からじつは……リハビリで。研究所の大食堂の裏方でこそっと仕事させてもらってて……」


「ほう」


「うう……だって、楓花の口に入る食事はわしが作りたいし……他のAIに任せるのヤだし……」


「……確かに、三日前から懐かしいメニューが増えたなあって思ってた。肉じゃがとか。コロッケとか。ジャガバターとか……イモ系の。それにすごく美味しかった」

 

 楓花はしかたなく認めた。ソウスケの顔がぱっと輝く。


「気づいてくれておったか!」

 

 階段を駆け上がってくる音がしたので振り向くと、ブースターでも搭載しているかの勢いでエクトルが姿を現した。


「ソウスケさーん!玉ねぎ買ってまいりましたあ!」


「今日は一段と早いのう、エクトル」


「食堂のストック情報はつねに把握してるんです。とくにソウスケさんが登録されているレシピには玉ねぎを使用するものが多いので、今朝から時間見つけて買いに行こうと思ってたんですよ。あ、こんにちは楯井様」


「こんにちはエクトル。もう復帰して大丈夫なの?というか、ボディと回路の適合は問題なさそう?」


「お気遣いありがとうございます。技術部がしっかり修理してくれましたので、この通り!」

 

 スーツ姿のエクトルは玉ねぎを入れた袋を握ったまま、腕を肩の高さまであげて好調さをアピールした。頭部と首もしっかり固定され、メッシュの入ったお洒落な頭髪の下で、電子の瞳は明るい。


「ソウスケさん、今日は何を作られるんですか?」


「今日はオムライスだ」


「見学してもかまいませんか?」


「しかと刮目するが良い。卵をトロットロの超半熟にしあげる方法を教えてやるぞ」


「おおお……!」

 

 エクトルを手なずけている……ように見えるのが不思議だが、お互いに楽しんでいるようなのでほっとする。

 

 ソウスケがプログラムデータ移行のために復旧室に留まって三週間。その期間に、なんだか研究所にいるAIたちがやたらソウスケに懐いているような、さらに言えば時々服従しているように楓花の目に映るのだ。一体何が影響しているのかは分からないが。

 

 ソウスケはしかし、普段通り手際よくオムライスを作ってみせた。卵もしっかり超半熟のトロトロで、エクトルは調理のようすを両目で録画し、ソウスケのアドバイスを逐一インプットしてから、研究開発部の研究補助業務に戻っていった。

 

 楓花は食堂のテーブルにソウスケと向かいあって座り、出来立てのオムライスを口に運んだ。


「ん――――美味しい!」


「そうか。良かった」

 

 ソウスケは向かいの席で、頬杖をついて微笑んでいる。なんだかいつもよりニコニコしている。


「……どしたの?」


「幸せな時間だなと思って。わしの料理を、楓花が美味しそうに食べてくれるのを見るのが好きだ」

 

 パートナーAIがつぶやいた甘いセリフに、楓花はご飯をつまらせた。


「だ、大丈夫か楓花ぁ!み、水を、すぐに水を―――!」


「大丈夫大丈夫……ああもう……新妻か……!」


「新妻?」


「い、いやいや何でもないですごめんなさいオムライスとっても美味しいよ!午後も仕事頑張れそう!」


「おおそうか!仕事のほう、わしにも何か手伝えることないか?」


「ありがとう。でもソウスケ午後は検査があるでしょ。技術部の人が来てくれるはずだから、ボディ内部に何か違和感とか、不具合を感じる部分があったらちゃんと申告してね」

 

 コップに水を注いでいたソウスケの動きがピタリと止まった。


「不具合……」


「どこか気になるとこが?」


「えっ、ああ、いや、大丈夫だ。あんまり、楓花以外の人間にボディを検査されるの好きじゃなくて……」

 

 ソウスケの表情が少し曇る。


「楓花が検査してくれたらいいのに」


「ご、ごめんね……私そっちのスキルがなくて……でも今度、技術研修受けて見ようかなあ。そしたら自分でソウスケのカスタマイズもできるようになるもんね」


「それは良いアイデアじゃ!わし、楓花に体をいじってもらいたい!楓花の好きなようにカスタマイズしてもらえたら幸せだ!」

 

 自分のAIがとんでもないことを口走るので、楓花は赤面した。


「あ……え、ええと……うん……ま、任せとけー」

 

 微妙に複雑で繊細な感情をやり過ごしながら、楓花はオムライスを頬張った。


「……のう、楓花」


「ん?」


「……いや……ええと……夕食……何か希望があれば、あとでまた教えてくれ」


「うん、ありがとう」

 

 やはり、ソウスケのようすは少しおかしい。

 E2のバックエンドから戻って来た、あのときから。


「ソウスケ」


「ん、どうした?」


「充電する?」

 

 と両腕を広げてみせる。


「え、ええと……」

 

 いつもなら喜んで飛びこんでくるソウスケが、困ったような表情で立ち尽くしていた。


「今日はひどく乾燥しておるから、あの、静電気が発生するかもしれんし……遠慮しておく」


「そっかあ……そっかあ……仕方ないなあ……なんだか寂しいなあ」

 

 楓花は大げさなくらい落ち込んでいるように振る舞ってソウスケのようすを伺うが、彼は頑なに葛藤するに止まった。


「うっ……すまぬ楓花……だが、あんまりわしに触れないほうがいいと思う……」


「……どうして?」


「あ、だから……静電気。あれ痛いのであろう?AIに痛覚はないが、衝撃は感じることができるから……些細なことでも、楓花を傷つけたくないのだ」

 

 こんな調子で、本当の理由を話そうとしない。

 

 マスター権限でもっと強く問いつめれば白状させることができるのかもしれない。けど、それはソウスケを強制的に服従させるみたいで、なんだか気が進まない。

 

 それに、できれば自分から話してほしい。何か、悩んでいることがあるのなら。


「……ソウスケは優しいね。でも私、ソウスケの静電気なら喜んで受け止めるからね。ごちそうさまでした」

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