それぞれの想い

 ソウスケが淹れた温かいアールグレイを飲んで楓花が一息ついたときだった。


「そういえば、楓花はわしの意志を尊重してくれるのだったな」


「もちろんだよ」


「ならわしは、マスターと別行動してまで新しい経験を積みたいとは思わぬ」

 

 楓花は紅茶をむせた。回路の末端までサポート体制全開な人工知能搭載人型ヒューマノイドが、「大丈夫か楓花!?」と慌てて背中をさすってくれる。


「あ、ありがと大丈夫……でもさっきソウスケ、新しい経験を積むのは重要だって……」


「それとこれとは別だ。良いか?そなたの勤務形態は午前九時から午後六時まで、一時間の昼休憩を含んだ八時間労働制の土日祝日休み基本型。しかしこれまでの経験から月二十時間程度の残業が入ると予想される。通勤時間や帰宅時間を含めると平均で毎日十一時間は会えない計算だ。よく考えてみよ!これまでは年間八七六〇時間一緒にいたのに、毎月の勤務日数をおよそ二十日、十一時間会えなくなると仮定することで年間接触時間が六一二〇時間まで減少するのだぞ!そなたとの間にいきなり二六四〇の空白時間ができるなど……そんな、到底受け入れられるわけないではないか!」


「あ、もう年間で計算しちゃうんですね」

 

 AIの迅速な演算に怯みながらも、楓花はどうやって説得したものかと考える。


 実際のところ、ソウスケにはまだ〈すべて〉を話したわけではない。なぜ人工島への異動を決めたのか――もちろん、充実した研究設備と待遇に惹かれたのも事実だが、本当はそれだけじゃない。

 

 いずれはソウスケにもちゃんと話すつもりだ。しっかりとした事実確認がとれてから。あいまいな情報で、パートナーAIを必要以上に心配させたくはない。


「まあでも、AIアカデミーの件は唐突すぎたかな。びっくりさせてごめんね。あの例の……私の研究論文を見て推薦状書いて下さった人……遊馬史郎あすましろうさん。この前直接お電話を頂いて。そのときにソウスケのことも話したんだ。そしたら、ぜひAIアカデミーで学習させるべきだって……人工知能に、能力レベルがあるの知ってるよね?」


「知ってるよ」


「ソウスケって、AL4エーエルフォーに該当するらしいよ」


「ふーん?」

 

 と当のAIはさして興味なさそうに相槌を打った。


「わしが完全自律型の汎用型人工知能なのは、すでに分かっておったことではないか」


「うん、お互いあんまり意識してこなかったからピンとこないけど……ただ、私たちがいたのはど田舎だから、世間一般の認識とはズレがあるんだよ。っていうのも、民間出身のAL4って相当珍しいみたい」


 次の職場となるAIRDIの遊馬部長の言葉を思い出す。


 きみたちの存在は、きみたちが思っている以上に稀有なのだ、とその人は言った。知られていないおかげでこれまで危険はなかったが、それも時間の問題だろう。きみたち二人のため、そして周囲の人々のためにも、しかるべき場所に居場所を見つけておいたほうがいい。これからも高度な人工知能開発を進めていくつもりなら。


 楓花は慎重に言葉を選んだ。


「でね、私とソウスケが創り上げてきたプログラムと楯井システムがさ、他のAIの成長を促す手助けになるかもしれないって話で……それ聞くと嬉しくて……他のAIと出会うことで、ソウスケにも良い影響があるかもしれないって思ったの。それにまだ私のほうも成長できる可能性があるんだよ。新しい環境で新しいことを勉強すれば、そこで得た何かすばらしいものをソウスケにあげることができる。ソウスケが私の幸せを願ってくれるから、私もソウスケに何かしてあげたいんだ。もっと〈知りたい〉の。いつだって新しいものを見せてあげたい。ソウスケだけが私の原動力だから。ソウスケだけが、私の生きている意味なんだよ」

 

 ソウスケは言葉の意味を吟味しているようで、難しい顔のまま腕を組んでいた。


「……いま新型人工島のAIアカデミーの位置と、そなたの研究所の位置を調べておる。情報元が不明だから信頼できる情報かは分からぬが、アカデミーと研究所は別のエリアに位置しておるようだ。この感じだと、車を時速百キロで飛ばしても三十分はかかる。離れすぎている」


「うん。一般道で百キロ出さないでね捕まるから……新型人工島の法律は本土よりも厳しいって話だし」


「わしが何を優先するかの話だ、楓花。わしは母さんとも約束したのだ。そなたをあらゆる脅威から守り、生活面も精神面もすべて支えていくと」


 断固とした口調でソウスケが言う。


「わしの意志決定はコアプログラムが行う。いざとなれば、人間の法には縛られぬ」


「うん、まあ、そうだね」


「もっとも、そなたが……マスターであるそなたがそのコアプログラムを変えるというのであれば、その限りではないが」


「ううん、そんなことはしないよ。そうしろって言われても絶対にしない。ソウスケはすでに自分で意思決定を下せる思考回路を持ってる。それに制御を加えていくかどうかは、ソウスケの判断に任せるよ」


「……むむ。相変わらず、わしの思考能力を試そうとする……そなたがいつもそんな風に寛容だから、こっちはいつもオーバーヒートの危険と隣り合わせなのだ」

 

 不満げに言いながらも、ソウスケは気遣うような目を向ける。


「――人間が新しい環境に馴染むのには時間がかかると認識している。それに成長とはどんな形であれ痛みを伴う過程……それが積み重なって幸せに転ずることはあるかもしれんが、それまでに負うであろう痛みを考えると、どうしてもそなたと一緒にいるのが最善だという判断につながってしまうのだ」


「……それはたぶん、私が子供の頃に無茶をしたせいだね」

 

 人間と違って、AIが一度インプットした記憶は消えることがない。


「約束するよ。もう身体を壊すほどの無茶はしない。それに、これからだってソウスケを頼るよ。家事は全部任せちゃうから」

 

 頼られることに喜びを感じるサポートAIは、ぱっと顔を明るくした。


「そ、そうか!任せられては仕方がないのう!」


「うんうん。だからソウスケも、アカデミーに入ったらどんなことを勉強したのか教えてね」


「いやでもまだアカデミーに行くとは言っておらぬが」


 手強い。流れで「うん」と言ってくれると期待していたのに。


「まあそう結論を急ぐことはなかろう。そなたの研究所のようすを見て、大丈夫そうだったらアカデミー通いも検討しよう。それでどうだ?」


 ソウスケにしては譲歩した形だ。あとで覆されるかもしれないが、きっと楓花が新しい研究所で一人でもやっていけそうだと分かれば、彼も納得するだろう。


「分かった。じゃあそうしよう」


「よし」


 ソウスケは満足そうに微笑んだ。


「島についたらまず、そなたは職場の上司と面会するのだったな?」


「う、うん……港まで迎えに来てくださるらしく……」


 申し訳ないからと断ったのだが、遊馬さんはどうしても迎えに行きたいのだと譲らなかった。今後一緒に働いていく人であり、上司であり、友好的な関係を築いておきたいが、楓花はいつだって自分がうまくやっていける自身がない。


 生まれつき緊張しいで口下手で、弾むような話題も提供できず、人とのコミュニケーションをとるのは大の苦手だった。いまだって、挨拶の言葉を考えるだけで、胃が締め付けられるのを感じる。


「新しい引っ越し先まで送ってくれるんだって。その後、人工島を案内してくれるって話もあって……どうしようかな」


「そなたはどうしたい?」


「新しい研究所に行ってみたい!だってきっと色んなAIがいるよ。新型人工島って人間よりもAIのほうが多いって言われてるんだもの。しかも半数以上が人工知能搭載人型ヒューマノイドなんだよ。ソウスケみたいなAIばっかりとか……うはあ楽園だよね……」

 

 色々なAIと接触する光景を思い描くとうっとりとした。ソウスケの手が、数回顔の前を横切る。


「おーい楓花、戻ってこーい」


「……は!戻りました!」


「うむ。人工島が楽園かどうかは分からぬが、行きたいなら連れてってもらえばよかろう」


「そうだね……あ、でも、ソウスケが先に荷物とかの片付けしちゃいたいなら、研究所見学はまた後日でもいいよ」


「いや、先に研究所を見に行こう。もし楓花にとって劣悪な環境そうに見えたら、荷ほどきなどする必要もないからな」

 

 そのまま本土に強制送還、ということだろうか。笑い飛ばすべきか、神妙にすべきが一瞬迷う。おまけに思考の別の部分では、ソウスケがいつも自分のことを一番に考えてくれるのを嬉しく感じている――もしかしたら再教育が必要なのは楓花のほうかもしれない。


「……となると、最初が肝心じゃな」


 とソウスケがぽつりとつぶやくので、楓花は首を傾げた。


「ん?」


「何も心配する必要はないぞ、楓花。新しい研究所でそなたがしっかりと主導権を握り、何の気兼ねもなく研究に集中できる環境はわしが構築してみせよう。腕がなるのう!」


 ちょっと方向性が違うような気もするが、ソウスケが楽しそうなので、楓花は黙殺するのだった。

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