原動力

 そういえば、と楓花は一つ思い出す。


「ところでソウスケ、船酔いはもう大丈夫なの?」


「問題ないよ。すでにアジャスト済だ。もっとも、船がこのように容赦なく平衡機能を揺さぶってくる乗り物だとは知らなかったが……」

 

 渋い顔をするパートナーAIに、思わずくすりと笑ってしまう。


 楓花はフェリーの屋上で海風を楽しむ余裕があったが、彼は手すりにつかまったまま引け腰になっていた。ネット上に散らばるあらゆるデータを拾い集めて分析し、船上での安全姿勢を見つけ出そうと必死になっていたのだ。


「ごめんね突然異動が決まっちゃって。ソウスケは船初めてだったのに、引っ越しの準備でバタついちゃったからなあ……もうちょっと船の予備知識集めておけばよかったね」


「知っておくに越したことはないが、予備知識なしで挑むのもたまには良いものだぞ。新しい経験を積むのは重要だ。おかげで未知の分野に対応できる処理能力が上がったような気もするからのう」

 

 ソウスケの前向きな分析に、楓花は誇らしくなる。


「認知、推測、順応。うんうん。相変わらず成長著しいなあ」

 

 腕を伸ばして再度彼の頭を撫でてやると、ソウスケは精巧なアンドロイドの目と眉と頬を動かし、どこか満足そうな、しかし照れ臭そうな表情を巧みに表現してみせた。


「そなたが喜んでくれるなら、わしも嬉しい」

 

 楓花は思わず両手で顔を覆った。何なのこの子は本当に。狂おしいほど可愛い。恐ろしいほど愛しい。こうなるともう、彼がどんな学習資料を選択しようとどうでもよくなってくる。恥も外聞も捨てて、船の甲板から「好きだぁぁぁ!」と叫びたくなる。


「あのねソウスケ……」


 目的地に到着するまで内緒にしておこうと思ってたが、もう言わずにはいられない。


「じつは私、ソウスケにプレゼントがありまして」


「わしに?」


 ソウスケは丸っこい黒目を剥いた。楓花はにこにこしながら左手首に装着しているスマホをタップし、とあるアプリを開いて彼に披露した。


「じゃじゃん。これぞ〈電子データお弁当〉であります」


「ほ、ほう?」


「さあさあ、タップしてみてよ」

 

 パートナーAIは指示通り指でお弁当の形のボタンをタップした。すると、画面の中のお弁当の蓋がパカっと開き、中から三つのおにぎりが出現した。


「おお!なんか分からぬが、よくできておるのう!」


「じつはそれ味データなの。私の端末にソウスケの〈味覚・嗅覚感知〉領域を連動させててね。よってこのおにぎりをこう指で滑らせて、ソウスケの領域に流しこむと……」


「……ん?んん?何だこれ!おお……柔らかい……少ししょっぱい……?ん!この味、というか匂いか?知っておる。ツナだな。ツナとマヨネーズの匂い!の味がする!」


「どうかな?おもしろい?私どうしてもソウスケと一緒にご飯が食べたかったんだ。というか、食べる感覚を共有したくてね。AIって基本充電式だし、人間みたいにご飯食べる必要ないのは分かってるんだけど……いつも料理してくれるから、〈食べる〉という行為に不随する〈幸福感〉を体験してもらいたくて――あ、おにぎり消えたね。もう一つどうぞ」


「ん――!うまい!これが〈食べる〉という感覚かあ。充電とは違う満たされ方を感じる……それに不思議とノスタルジックな光景が記録領域に蘇ってくるような……む!酸っぱい!酸っぱい匂いの味だ!この塩分数値は……梅干しだな?」


「当たり!やっぱり〈嗅覚感知〉できるからすぐに思考が既存のデータと結びつくんだね。美味しい?」


「んまい!楓花、そなたやっぱり天才だのう。そなたと一緒に食事ができて嬉しいよ」

 

 徹夜した甲斐があったなあ、と楓花は拳をぎゅっと握った。ソウスケのこの嬉しそうな顔を、もっともっと引き出したくなる。


「私、おにぎり以外のデータも創るから!ソウスケ何が食べたい?どんな食べ物に興味がある?いままで作ってくれてた料理はやっぱり食べたいよね?オムライスとか?パフェとか?どんなデータでも分析して数値化するから!素材を組み合わせて億通りのパターン割り出すから!」


「う、うむ……スイッチ入ったのう楓花……少し落ち着いて。まずはそなたが食事をせねば。飲み物はどうする?お茶とオレンジジュース、ダージリンで良ければ紅茶もあるが」


「では紅茶でお願いします!」

 

 パートナーAIが作ったロールサンドを堪能しながら、楓花は甘い溜息を吐いた。


「はうああぁぁ……幸せ……私幸せ……」


「良い表情をするのう」

 

 隣で眺めているソウスケがにっこりと微笑む。


「そなたのその顔を見るのが、わしの幸せだよ」


「くうっ……ソウスケの天然タラシ……!」


「天然たわし?あ、すまぬ。買い物リストから漏れていたか?買ってないのう」


「くっ……物ボケもできるし可愛いしのじゃろりだし……ソウスケ天才、本当最高。好きだよ」


「わしも好きだよ、楓花」


「ありがとうございます!それ毎日お願いします!あとタマゴサンド美味しいです!」


「うむ。そうであろう」


 すでに主従関係が逆転しているような気もするが、楓花にとってはどうでもいいことだ。


 ソウスケがいつもそばにいて笑ってくれる。それだけで本当に満足で、心が潤い、精神を健全に保つことができる。


 いまの時代、それが一番重要なことのように思える。何かを新しく創り出すためには、いつだってそうしたいと思えるような原動力が必要なのだ。


 楓花の場合、原動力の対象は〈人間〉ではない。


 AIである〈ソウスケ〉だ。

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