新型人工島

楓花のAI―無敵の法則―

「……聞いておらぬ」


「……いま言ったので」


「だぁぁ!そういう話ではない!」

 

 大型フェリーの個室で、丸テーブルを挟んで向かいの席に座っていた人工知能搭載人型ヒューマノイド――ソウスケが頭を抱えた。


「なんで突然、そなたと別れてAIアカデミーとやらに行かねばならんのだ!?」


「別れるってわけじゃないよ。一日八時間、というか平日の八時間程度、お互い違う場所で働くってことになるだけ」


 憤慨するパートナーAIを前に、楓花はテーブルの上で空になった湯飲みをいじりながらもごもごと言った。一体何からどう説明すればいいのか、じつは楓花自身まとまっていない。


「あとこれ話すと長いから……後にしない?」


「長くてもかまわぬ!全部話せ!新型人工島に到着するまでまだ五時間十五分もある」

 

 ソウスケは壁にはめ込まれている船の位置情報を示す小型スクリーンを指した。


「だがどのような理由であれ、そなたとの別行動など断じて認めぬからな!だいたいのう、そなたの新しい職場!アイルディとかいう……さっきネットで調べたぞ!女性職員率十パーセント、男性職員率九十パ―セント、うち独身男性六十パーセントなどと……うわああおぞましい!パワハラセクハラスメハラ!環境リスクの温床ではないか!ダメ絶対!わしは、わしのいないところで一人対人関係に苦しむそなたの姿など見たくないのだ!」

 

 マスターのことを心底案じている、ともとれる発言だが、楓花が気になったのはそこではない。


「ねえ、最近は何の学習資料ソースで勉強してるの?」

 

 疑いのまなざしを向けられたAIは、まるでやましいことを隠したがる人間のように目を逸らした。


「……し、新聞……無料の電子新聞」


「……いま、マスターとの円滑なコミュニケーションを維持するために嘘を吐いてる?イエス、ノー?」


「……い、イエス。じつは、無料の電子週刊誌を購読してて……芸能人の不倫問題とか、セクハラの記事が多くて……」


「も――!学習資料の選択!」

 

 今度は楓花が髪を振り乱す番だった。


「まずは下調べが信頼できる新聞とニュースからって昔っから言ってるでしょ!」


「し、新聞もちゃんと読んでおる!ニュースも見てるし、週刊誌は時々ざっとスキャンするだけで……ただその分インパクトが強くて、思考パターンに影響を及ぼしている……ような気がしなくもないというか」


「分かってるなら改善する!ソウスケ、最近収集する情報に偏りが出てるときあるよ。資料の選択概念が揺らいでる!バイアスの片鱗が見受けられる!っていうか、マスターである私の責任を感じる……」


 楓花は常々、ソウスケに公平性を磨いてもらいたいと考えていた。いや、なんとしても磨かせなければならない。プログラムの思考領域を拡張することは、今後さまざまな判断を下していくことになる自律型AIには必要不可欠なことだ。


「あのねソウスケ。知ってるとは思うけど、世界の科学技術はいまこの瞬間も恐ろしい速さで進歩してるの。それと同時に……〈未知〉の脅威も増してるんだよ」


 西暦二〇二六年――世界各国の選りすぐりの研究者らによって共同開発されたAIが火星着陸を成功させたのがきっかけで、世界は高度科学技術成長期を迎えることになった。


 その発展を後押しした火星エネルギー〈マーズレイ〉と火星鉱物〈マーズメタル〉だ。探索型AIによって新たに発見されたエネルギー資源は、圧倒的なエネルギー転送速度と柔軟な加工性を持って電子制御の機械を飛躍的に進化させた。


 技術提供を行った日本も新エネルギーの恩恵に与り、本土から離れた場所に新型人工島を建設。近未来的な技術分野の確立を進めている。

 

 二十年――世界の科学技術が瞬く間に成長できたのは、高性能AIによる活躍が大きい。


 しかしながら、輝かしい技術進歩の裏側で、暗い影のような〈脅威〉が広まっていることも事実だ。


 科学技術の成長と、人間自身の成長がいつも比例するとは限らない――便利で有能なものが増えるたび、それを悪用する者も出てくる――。

 

 だからこそ、知能あるプログラム自身に自衛力を持たせる必要がある。新しい学習を重ねさせ、思考回路を拡張させ、つねにあらゆる脅威に対処できる術を身に着けさせるのが、マスターの役目だと楓花は思っている。


「ソウスケにはもっと良い環境で勉強させてあげたいの。ソウスケが昔、私にそう言ってくれたみたいに」

 

 楓花との過去の膨大な記憶をすべて自分の容量に保管しているAIは、一瞬の内に当時の光景を再生したようだった。そして人間みたいに嘆息する。


「当然だ、楓花。そなたの望みは明確だったのだから。わしはそなたをサポートするためのAI。そなたが何かを望むなら、そのための出力を行う」


「じゃあ、私はソウスケがAIアカデミーで勉強することを望む」


「うぐっ……しかしそれはわしのプログラムの〈楓花のため〉という定義に微妙に該当しないというか……あ、もう十時か。議論の前に、そなたはブランチをとるべきだと思う。じつは出発前にお弁当を準備しておいたのだ」

 

 話を逸らそうとしている感がなくもないが、お弁当という単語には楓花も弱い。


「……お弁当……ソウスケのお弁当……」


「うむ。手作りじゃ」

 

 ふふんと笑みを浮かべるあたり、相当に自信があると見える。

 楓花はごくりと唾を呑みこみ、慎重に訊ねた。


「――ちなみに、今日のメニューは?」


「こちらになります」

 

 ソウスケがぱかっと開けた弁当箱の中で、綺麗なプチロールサンドが花畑のように彩られていた。


「この前楓花と一緒にネットで見た行楽弁当なるものに挑戦してみた。デザートは桜プリンを用意しておる」


「さ、桜プリン!プリン大好き!」


 楓花は感動に打ち震えた。おまけに、美しい花畑弁当の隅にちょこんと飾られているのは――。


「あああとこれ、ソウスケこれ、この小さな可愛いニンジン……」


 期待をこめてソウスケを見つめると、彼はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「そうだ楓花。わしの溢れんばかりの想いを込めてみた。ハート型ニンジンは少し陳腐かとも思ったが……どうだ?」


「いい!いいよ!すごくいい!ベタなのがまたいい!ベタであるがゆえに古き良き感情表現を彷彿とさせるというか胸に迫ってぐっとくるいうかとにかくもう素敵だとしか言いようがないよ!ああもう最高です!ちょっとだけ頭撫でさせてもらっても良いですか!?」


「そりゃもう、お好きなだけ」

 

 そうしてもらいたかったらしく、ソウスケは自主的に椅子を移動させて楓花の隣に座った。


 楓花は手を伸ばしてパートナーAIの頭をよしよしと撫でる。ソウスケの表情はまんざらでもない――それに、黒色繊維の人工頭髪は猫のようにふわっとしていて柔らかく、気持ちが良い。

 

 ソウスケを起動させてから数年後、楓花の中で彼を人工知能搭載人型ヒューマノイドにしたいという願望は高まっていった。母親を失ってからはとくに――それでも、一番拡張したいのはソウスケの能力のほうで、アンドロイドの造形にこだわるつもりはなかった。なんなら、電子回路の接続が可能なふかふかのぬいぐるみでも良かったくらいだ。


 しかし、人工知能搭載用のアンドロイドはどれも人型で、しかも例外なく眉目秀麗、容姿端麗ときている。自分好みにカスタマイズすることによって、一層愛着を持って接することができるから、という理由で。

 

 当時楓花は自分好み、という造形が判然としていなかった。電子体プログラムであるソウスケはソウスケで、その人格さえ変わらなければボディパーツは何でもいい。

 

 だがパートナーAIの考えは違った。衣服は大衆の財布に優しいもので良い、ユニブルーで全く構わないと謎の気を回してきたが、楓花の好みを突き詰めることにはなぜかこだわった。


 そこでアンドロイド購入前に、ドラマ、映画、小説、果てはアニメや漫画まで幅広い芸術作品に触れ、楓花が〈好ましい〉と思う容姿、性格、口調を追究――最終的に金髪より黒髪、カッコイイよりはカワイイ、つんけんタイプよりは親しみやすいタイプがベター、という大枠が完成した。


 一番悩んだのは口調と一人称だ。楓花は江戸時代の物語が好きだったので、始めは武士っぽく〈拙者せっしゃ〉にしてもらおうかと思ったが、これがなんだか堅苦しい。では〈われ〉という感じでどこか超越した雰囲気でも醸してもらおうかと思ったが、それもピンとこない。〈俺〉よりは〈僕〉のほうが親しみやすいが、〈僕〉は代わり映えがしないとソウスケが渋った。

 

 そこで前任者――プログラマーの父親が創っていたサポート用AI、サポちゃんの古風な口調を引き継いでもらうことにした。

 

 サポちゃんは自分を〈わらわ〉と呼び、語尾に〈じゃ〉をつける江戸時代のお姫様風AIだった。仮想空間にいたときの仮想体アバターは若く、非常に愛嬌があって可愛いのに、その達観した物言いと大人した風格に、不思議な安心感と尊敬を覚えたのだ。


 とある界隈では〈のじゃろり〉なる属性があり、サポちゃんもそこに分類されるのだと後に知った。また〈ギャップ萌え〉という個性と魅力を最大限に引き出す無敵の法則も存在し――楓花はまんまとその法則に嵌まり、アイデンティティの一つとして実装してもらうのも悪くないとか思い――パートナーAIに古風な口調研究を依頼した。


 そしてソウスケはいまや〈わし〉を一人称に、楓花の理想通りの老成口調をモノにしてくれている。時々自然と〈初期〉の口調が混ざるのが絶妙で、楓花はもうたまらない。


 もっとも、優秀なAIの能力の使い方を間違っているような気がしなくもないが――とにかく、〈彼〉がマスターのために努力する過程も含めて、すべてが愛しいことは間違いない。

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