2047年3月5日 調査報告2
政府直属の最新科学研究機関の一つである
遊馬はパートナーAIのカインドが集めてきた楯井楓花の個人情報に目を通した。
電話口の彼女自身は控えめで大人しく、真面目で誠実な印象だった。経歴を見ると、AIプログラマーだった父親を九歳で、看護師だった母親を十五歳で亡くしている。兄弟はおろか、祖父母も近しい親戚もいない境遇を察するに、かなり孤独な子供時代を過ごしたのではないだろうか。
コンピュータ演算による性格分析からはかなり内向的な性質が伺えた。そのせいか、学校で親しくしていたような友人の名前もない。代わりに人工知能研究に携わっている近くの大学や、現在所属中の研究所といった、少し年齢の離れている人々と関わっていたという記録がある。
同世代のコミュニケーションを苦手とする一方で、違う世代の人間とうまくやれる子は多い。それに内向的な性質は言い換えれば熟考型――プログラマーのようにつねに思考を働かせる類の職業は適職だ。
少し引っかかったのは、両親のいない未成年だったにも関わらず、施設で暮らした形跡がないことだ。借金はないようだが、父親逝去の翌年にかなり高額の支出記録があるのを見ると――経済的にもそれほど裕福とはいえなかっただろう。それなのにどうやって暮らしていたのだろうか。
報告書の隅に、外国暮らしの謎の〈叔父〉の存在が記述されている――。
「カインド、彼女には親戚が?」
《血縁上の親戚は確認されておりません。しかし〈叔父〉なる人物が楯井様の高校生活に介入している記録が残っておりました。ただしその人物に関する姿形は報告されておりません。メールや手紙、あと電話を使用しての接触が度々》
「それってまさか……」
《楯井様が所有している人工知能が介入していたと推測されます》
「――だよなあ。例の〈楯井システム〉も、そのパートナーAIとの共同開発だって話だし」
というのも、最初は彼女自身これを完全無敵なセキュリティシステムとして構築できると信じていたらしい。しかし〈不正プログラム〉の判断はすべてパートナーAIに委ねることになるので、AIの思考力、並びに想像力の拡張が重要になってくる。
そのパートナーAIの判断力を試すために、彼女は試験用のコンピュータウイルスを仕込んだ添付ファイル付メールを転送したことがあるという。
件名は〈緊急事態〉。
当然、まずは添付ファイルの解析を行って慎重に行動するだろうと予想していたが――彼女のパートナーAIはそれを一切行わず、ファイルを即時開封したとのことだった。彼女のAIはマスターを心底敬愛、信頼するがゆえ、そのマスターを騙って接触してくる者などいるはずがないと思い込んでいたらしい。
この実験でAIの判断軸、個性的な思考回路によっては単純な不正プログラムに感染してしまうリスクがあると判明し、そのAIの誤判断をカバーするために、二重の防御層を構築したということだった。
いずれにせよ、その複合的な防御システムは簡単に創りあげられるものではない。恐ろしいほどの時間と執念をかけて構成されている。
そして彼女の研究に協力、および助言していたと思われる人工知能――。
「カインド、彼女のパートナーAIについての見解を聞かせてくれないか?」
《これまでの調査結果から、非常に優れた知能を持つ完全自律型かと思われます。本土在住者では閲覧不可能な情報を入手している痕跡も見つけましたが、その足跡をうまく消しています。マスターの指示による実行処理の可能性もありますが、楯井楓花様の基本的人格、日常行動、交友関係から推測しても、反社会的行動を促すような人柄ではないと推測されます》
「ふむ。たしか彼女のAIも、
ОSとは〈オペレーティングシステム〉、AIの人格を形成している〈コアプログラム〉に指令と制御を加えるソフトウェアだ。いまの人工知能にはさまざまな個性があり、その際立った〈個〉を発揮するための神経回路の役割を果たしている。
代表的な人工知能ОSは〈
LA型ОSは人格形成、思考発達を促すプログラムが搭載されていて、特定の分野で突出し、期待値以上の進化を遂げる個性的なAIが生まれやすい。
もう一つのLAFC型ОSはLAの後継型で、AIに宿る個性を残しつつも、プログラムとしてより機能的、合理的な面が発揮されるように創られており、幅広い分野で活躍できる優秀な万能型に変化するのが特徴だ。
「つまり彼女のパートナーAIは、彼女の役に立ちそうな情報を独自で判断、入手し、マスターの日常生活をサポートしていた、と」
《おそらく》
「となると、やはり能力レベルは……」
《
AL3とは、Ability Level3、中級特化型人工知能であるMiddle Artificial General Intelligenceのことだ。現時点で開発されている人工知能の中でもスペックが高く、機械学習を行い、既存のルールやシステムに改善点を見出せば、それを開発側に自主的に提示することもできる。進化の力を秘めた発展途上のAIであることは間違いない。
そしてAL4はAbility Level4、Growing Artificial Intelligenceを指す。それは〈個〉を持つ強いAIで、汎用型人工知能と呼ばれる人類のAI技術が到達した英知の結晶だ。機械学習やディープラーニング等で、自主学習を行うのはもちろん、さらには自己判断で情報を分析し、物事や出来事を特定するための特徴量を把握する知能をも有している。
認知・感知能力に優れ、想像性に長け、推論に基づいた行動ができるため、人の手を離れることもできる自律型AI。
AL4のAIは、すでに〈人間の代わり〉を務めることも可能だと言われている。
遊馬は気持ちが高揚してくるのを感じた。
「彼女のパートナーAIがAL4だったらどうしよう。俺さ、もうわりと良いおっさんなんだけど絶対興奮するよ。だって民間出身でAL4って!この新型人工島にだってまだニ十体くらいしかいないのに、それが本土にいて、誰も気づかなかったなんてことありえるか?」
《人口減少が顕著な地方都市で、ひっそりと暮らしておられたことが幸いしたのかもしれません。しかし〈楯井システム〉に注目が集まれば、これまでと同じようにはいかなくなるでしょう。本土に公開されている情報はひどく限定的です。たとえAL4だとしても、効果的な〈
「まったくだ。早いとここっちに来てもらわないと……この調査報告書で引っかかる点があるとすれば〈叔父〉の件かなあ。これ削除して、児童養護施設に入ってたようにデータ改ざんできるか?」
《可能です。が、よろしいのですか?》
「よろしくはない。が、可能なんだろ?」
《ふふ。承知いたしました》
「心配するなカインド。罪はマスターたる俺が全部引き受けるから」
《マスターがそれほどのリスクを負っても構わないと思うほど、楯井様とそのパートナーAIが秘めた〈未知〉の可能性を期待していらっしゃる、と解釈しておきます》
「カインド、きみは最近一を聞いて十を知るようになったなあ。もしかすると本当は、奇跡の
《それは〈お世辞〉というものです、マスター。どうか人間同士のコミュニケーションを円滑にするために上手にご使用ください》
「あ、はい。承知しました。だけど俺はきみのプログラムを心から尊敬してるんだ。これはお世辞じゃないぞ」
《ありがとうございます。確固たる信頼関係を構築できているのなら光栄に思います。あれが出現してからはとくに……どんな風にAIを利用するかは、やはりマスター次第だと思いますので》
「……そうだな、カインド。本当にそうだ。だからこそ、引退しても口うるさい老獪になってやろうと思うのさ。素晴らしい可能性を見つけて、どんどん伸ばしてやらんとなあ」
遊馬がしみじみ言うと、バーチャル空間にいるパートナーAIがおかしそうに笑うのが聞こえた。
「お。珍しく笑ったな」
《立派な老獪になられたマスターに、縁側でお茶をお出しする光景が浮かびました。なんだか引退するのも悪くないような気がします》
「お、おいおい、そりゃちょいと行きすぎ……まあしかし、平穏な光景を思い描いてくれるのは嬉しいな。きみが優しいAIたる証拠だよ。だが引退は早い。早すぎる。ていうかきみほどのAIを俺の介護役にさせるなんて言い出したら、俺はたぶん人為的に寿命を短くされると思う」
《それは困りますね。もっとも、私がそんなことはさせませんが》
「うう……カインド……好きだ……男性型AIって分かってるけど好き……」
《ありがとうございます。その言葉、ぜひ奥様にも贈ってさしあげてはいかがでしょう。そうすれば、残業明けの翌日も円満なコミュニケーションがとれるかと思います》
「あ、はい、ごもっともで……いやでも恥ずかしいだろそれは……ってそれはともかく!まずは引き抜きのための最終調整だ。しっかりサポートを頼むぞ、カインド」
《承知いたしました、マスター》
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