2047年3月5日 調査報告1

 遊馬史郎あすましろうの視界の右上で、家の形をしたアイコンが緑色に点灯した。両耳に装着している〈クロスリング〉がバーチャル側からの信号を受信し、パートナーAIの帰還を知らせたのだ。


「やあ、お帰りカインド。ミッション完了の連絡をさっき受けたところだ。ご苦労だった」


《お心遣い恐れいります、マスター》


 クロスリングを通して、パートナーAIであるカインドの穏やかな声が返ってきた。


《今日も残業ですか?》


「ん。まあメンバーを二人も出張に行かせてるし……俺のほうは例の件の火消しもあるし……政府公認とはいえ、情報操作って犯罪だよな?」


《その辺りのご判断は、マスターの裁量にお任せします》


「おお……抉ってくれるな。もっとも、世間には黙ってたほうがいいに決まってるさ、こんなこと」

 

 午後十一時を過ぎた研究室で、遊馬は一人現実空間に投影されているスクリーンに目を向けた。手を伸ばしてスクリーン上の三つの電子データに触れると、選択された矩形データの縁が淡く輝き、手の動きに合わせて移動する――六十センチ幅のスクリーン端に追いやった〈処理済〉フォルダの中へ。

 

 遊馬が勤める人工知能研究開発所、Artificial Intelligence Research and Development Institutions、通称〈AIRDIアイルディ〉は二〇三五年に新型人工島に設立された。圧倒的な供給量と高速伝達を誇る火星エネルギー発見以降、AI開発以外の分野の発展も目覚ましく、いまも次々と新しい技術が確立されている。


 AIRDI敷地内に展開されているMR――〈複合現実〉もその一つだ。


 二〇四〇年頃から試験的に導入され始めたMR技術は、限定された領域内においてほとんど問題なく仮想空間と現実空間を繋ぎつつある。


 クロスリングや電子繊維等の感知センサー付き装身具を装着することによって、電子端末でしか操作できなかったことを、現実空間で実行できるようになる――まるで〈魔法〉のように。


 とはいえ、四十代半ばに差し掛かってみると、遊馬は昔のような順応性が多少薄れていることを自覚せざるを得ない。果たして急速に変化していく時代についていけるのかと一抹の不安を覚えないこともないが、そこは時代に後れをとらず進化し続けているAIが助けてくれるだろう。


「ところで、調査の進捗はどうだ?」


《先ほど完了いたしました。調査データを転送しても?》


「頼む」

 

 現実の視野が映しているデジタルスクリーンの中央に、調査報告データが転送された。感知センサー付きの手袋で軽くタップすると、調査報告の文章データと、不随する資料、画像が一緒に映し出される。

 

 調査対象者は楯井楓花たていふうか

 二十六歳女性。

 本土第六区出身の、小さな研究所に勤めるAIプログラマーだ。

 

 彼女の研究論文である〈楯井たていシステム〉を目にしたときの衝撃は、いまも忘れられない。


 彼女が構築した〈楯井システム〉は、AI実装型の新しいセキュリティシステム。

 

 仕組みはシンプルかつ明確な印象だった。


 まず、ネットを介してAIが取り入れるすべての情報とソフトウェアを防御システムが内包する。そしてAIの構成プログラムに新たな知識情報として上書きされる前に、取り入れた情報性質を即時分析、AIのプログラム元にどのような影響を与えるものかを識別し、排除するか通過させるかを判断する。その判断軸をAIに委ねているのが特徴的だ。


 もっとも、〈楯井システム〉の着目すべき点は複合的な防御層にある。


 システムは内部インストールされた全情報を永続的に統括する。ようするに、大元となるAIがすべてのシステム権限を握ることになるため、一度通過させた〈未知〉のプログラムが想定外の動きをした場合、強制的にそのプログラムを〈停止〉、または〈除去〉することが可能なのだ。


 つまり、AIが高機能であればあるほど情報分析精度が増し、セキュリティシステムとしての完成度が上がる。


 まるで人間の生きた白血球のようなシステムだと遊馬は思った。実際、〈楯井システム〉は人間が持つ免疫システムから着想を得たのだと聞いている。


 AIRDIでは現在、AIを守るためのセキュリティシステムの構築が急務だった。人工知能とはいえ電子体――コンピュータウイルスに感染してしまうと、正常な出力を阻害されてしまう。彼女が構築したシステムはまさにこの時代が求めているものだ。


〈楯井システム〉が世間に認知されていなかったのは、彼女が知名度の低い研究所に在籍していることが大きいと遊馬は判断した。そこで開発者本人に直接コンタクトをとり、彼女の同意を得てから政府に推薦状を書いた。


 AIRDIの研究開発部長という肩書は功を奏した。推薦状を提出してから一週間もかからないうちに、政府から〈仮容認〉が下りたのだ。


 しかし、AIRDIへの正規雇用には厳しい条件がある。


 採用予定者の経歴調査は、その前段階に当たる。

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