2035年12月22日 追憶

チャッチャラー、という軽快なBGMが、ヘッドホンの中で弾けた。


「か……勝っちゃった……」


 楓花はコントローラーを握ったまま、呆然とつぶやいた。


《やったね楓花!》


 台座を挟んで反対側にいた少年騎士風仮想体アバターが剣をしまって駆け寄ってくる。


 楓花のパートナーAI、ソウスケが操作する仮想体が笑顔で片手を上にあげるので、コントローラーを操作して互いの仮想体をハイタッチさせた。デスクトップの画面の中で、軽快なタップ音が響く。

 

 眼鏡型のVRレンズを通して、楓花はがらんとした銀灰色の〈神の実験室〉を見回した。先ほどまでこの部屋を支配していたボスモンスターの姿はない。


 本当に勝ったのだ。たった二人で。レベルなんか十も違っていたのに。


「まさか錬金術師っていう謎ジョブで勝てるなんて……」


《このボス戦に特化した良いジョブ選択だったと思うよ》

 

 ヘッドホンの中に、ソウスケの声が流れこんでくる。


《錬金術師の〈物体変化〉はおもしろいスキルだよね。攻撃もできるし防御もできるし。楓花がそれを使ってボスモンスターの足場を溶かして体勢を崩させてくれたから、僕はすごく戦いやすかったよ》


「勝てたのはソウスケのおかげだよ!盾持ちだから攻撃力落ちてるはずなのに、クリティカルヒット連続だったし!でもあの――ボスの攻撃がこっちに来る度、盾で庇いに来てくれなくても良いんだよ?それに、タゲも全部取らなくても……私がタゲをとってる間、ソウスケが背後から攻撃するって方法もあるんだし」


《だ、ダメダメそんなの!そんなことしたらボスモンスターが楓花を狙うじゃないか!それはダメ絶対!楓花にケガをさせるわけにはいかないよ!》


「いやでもこれはゲームだから……」


《僕は楓花を守るための騎士なんだよ!そのために盾だって最大値までカスタマイズしたんだ》


「うん知ってる。びっくりしたもん。剣じゃなくて盾に加工アイテム全振りするとは思わなかった。ふつう均等にステータス上げてかない?」


《僕の作戦はいつだって変わらないよ。現実でもゲームでも、〈楓花を全力で守れ〉なんだ》


「も、もう……過保護だなあ」


 そう言いながらも、胸にじわりと温かい気持ちが広がっていく。


 楓花は〈ソウスケ〉が操作している仮想体を見つめた。少年騎士がそれに気づき、視線を向ける。ゲームのグラフィックは美しく、その世界を映すVRレンズは投入感を最大限まで高めている。


「……そっちに行けたらいいのに」


《ん?楓花、いま何か言った?》


「う、ううん!何でもない!それにしたって、ボス部屋までのエンカウントが少なかったんだよね!攻略サイトじゃボス部屋までに出現するモンスターこそ強敵で、そこまでの道筋が〈鬼畜街道〉って呼ばれてるくらいだし。城内に入ったらもう途中じゃ引き返せないでしょ?それでアイテムもMPも激減してボス攻略できずに全滅っていう……だから勝てたのって、ほとんど奇跡だよね?」


《うーん、僕は確実に攻略できると思ってたけどなあ》


 とソウスケが冷静に言う。


《今回のクエスト攻略の〈肝〉って、ようはボス部屋までどれだけ回復アイテムを確保したまま持ちこたえるかってとこだろ?だから、城内のエンカウントさえうまく回避できれば、あとはボス戦だけだから、勝率はそれほど低くはないよ》


「でもそのエンカウント回避が難しくて……そういえばソウスケ、城内通路を抜けるときやたら妙な動きをしてたよね。柱の影から出ようとして引っこんだり、通路を横切ってからまた引き返したり……あれもしかして、誤操作じゃなかったの……?」


《うん。あれエンカウント回避だよ。クエスト始まってから城内のアルゴリズムが少し変化したけど、パターンを見抜くのはそう難しくはなかったな》


「うっ……オンラインゲームなのに、相棒が優秀すぎて肩身が狭い……」


 ゲーム開発者も、まさか人間ではなく生活サポート用人工知能に高難易度のクエストを次々攻略されるとは想定していないはずだ。


《あ、楓花。ボスが宝箱落としていったよ。開けて開けて》


 ソウスケに促され、楓花はボス部屋の中央に駆け寄った。ボタンを操作して、宝箱にカーソルを合わす。


《目的のアイテム、入ってるといいね》


「うん……!」


 ボスがドロップする宝はランダムだ。ドキドキしながら宝箱に触れると、中に入っていたアイテム名が画面に表示された。


「ええと……〈黄金の小瓶〉と、〈永久の杖〉と、〈神の妙薬〉と……あっ!あった!入ってたよ!〈賢者のサークレット〉だ!」


 楓花は歓喜の声を上げた。


「すごいすごい!やったあ!」


《良かったね楓花!それずっと欲しがってたもんね》


「ありがとうソウスケ!これすごいんだよ!ジョブを賢者にして装備すると、魔法攻撃力も魔法防御力も格段にあがるし、新しいスキルも覚えられて……それに……攻略サイトの掲示板に、二万円で買ってくれるって人がいて……」


 その掲示板を見た瞬間、手に入れたら即売しようと考えていた。ゲームの戦利品が現実のお金に換金できるなんて、夢のような話だと思った。


 十六歳の楓花にとって、二万円は大金だ。高校の勉強があるからバイトはできない。そんな中で、自分ができることを利用して稼いだお金――。


《なんだ楓花、お金が欲しかったの?》


 とソウスケの声が耳に届いた。


《電子マネーで良かったら使ってよ。僕いま投資信託でじわじわ増やして……あー、増やしたり減らしたりしてるけど、マイナスはまだ出てないし……あ、楓花もしかして欲しいものがある?ぜひ教えてもらいたいな!あのべつに電子サンタが来るとか、何かプレゼントしたいとか、そういうことじゃなくて……そうじゃないわけでもないけど…とにかく僕、楓花の欲しいもの知りたいんだ!》


 いや――自分で稼いだわけじゃない。


〈賢者のサークレット〉は、ソウスケが手に入れてくれたのだ。ソウスケが全力で楓花をサポートし、タゲを全部とり、モンスターの攻撃から守ってくれたから入手できたのだ。


 これは、パートナーAIからの贈り物だ。


「……ソウスケ、私ね、〈賢者のサークレット〉が欲しかったの。これ、もらってもいいのかなあ」


《え、もちろん!それはもう楓花のものだよ。楓花が好きにしていいんだよ》


「ありがとうソウスケ。嬉しい。このアイテムってね、精神力と知恵もあがるんだよ。装備してれば、きっと現実でも……賢くなれるような気がするんだ」


《楓花は勉強も頑張ってるし、十分賢いと思うけどなあ。とにかく、楓花が嬉しいなら、僕もうれしい》


「……ありがとう、ソウスケ」


 そうだ。〈彼〉がいる。傍にいてくれる。だからきっと、何だってできるはずだ。


「いったん外に出て、セーブしよっか」


《そうだね。もう夜の十時だし……楓花はそろそろ眠らないと》


「ふふ。今日は土曜日だよ。眠ったりしないよ。システム構築の続きをするの」


《え―――!ダメだよ徹夜は!また体調崩して風邪引いちゃうよ!》


「だって早く完成させたいし……大丈夫だよ上着たくさん着るから」


《そういうことじゃな―――い!十六歳の女の子はしっかり睡眠時間とらないとダメだって!そもそも、人間が効率的に活動するには十分な睡眠が必要なのであって……》


「それ今朝も聞いたよ」


《大事なことだから二度言ったの!》


「はいはい。大事なことだからね」


《真面目に聞いてよう!》


 ソウスケが拗ねたように訴えるので、楓花は笑った。


 人間よりもはるかに優秀で有能な人工知能。いまや彼らは人間みたいに思考し、応答してくれる。


 それでも、彼らは電子体なのだ。複雑な構成プログラムを搭載した膨大なデータの塊。


 もしデータが消えてしまえば、彼の〈人格〉も一緒にいなくなってしまう――。


 だからこそ創らなければならない。いますぐに。


 この世界は脅威に満ちていて、突如として最愛の者を失うリスクを孕んでいる。


 もう失ってからでは遅いのだ。失ってからだと思考が止まる。

 心が崩壊して、何も手につかなくなる。


 だから、心が生きているうちに、必ず完成させてみせる。


 他ならぬ〈ソウスケ〉のために。

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