もふもふさんと私

鹿奈 しかな

もふもふさんと私

 昔から、私の傍には「もふもふさん」がいた。


 もふもふさんとはなにか。もし誰かにこのことを話したとして、まっさきに問われるのはそれだろう。しかし私はその答えを持っていない。本当に「もふもふさん」としか呼べない存在なのだ。


 あえて説明しろと言われたらこうなる。ちょっと大きい猫ほどの大きさで、体の造形がわからないくらいの長毛が全身から生えている。あと、体と同じくらいの大きさの、これもまたふっくらとした毛に覆われた尻尾を持っている。

 わかるのはこれくらいだ。親しい友人はおろか、親にさえ見えない。なのでこれがなんの動物なのかを尋ねることすらできやしない。気になって動物図鑑を見てみても、似た様な動物なんていやしない。


 もし私が過去に犬や猫を飼っていたのならば、それが化けて出たものだと自分を納得させることもできたかもしれない。しかし生憎なことに、我が家はペットを飼ったことがないのだ。

 いったいどこからきたのだろう、こいつは。足元でゆったりと尻尾を振っている……あるいは、ゆっくりと頭を巡らせて周囲を窺っている……もふもふさんを見て、私はときどきそんなことを考える。だが、結局こいつを見てるとどうでもよくなってしまうのだ。


 だってこいつはなんにもしない。


 本当になにもしないのだ。たまに私の足の間をのろのろと潜って遊ぶくらいで、普段は少し離れた場所にいる。以前、妖怪辞典なる本で見かけた『すねこすり』なる妖怪を見た時はもしや? と思ったのだが、別にすねをこするのが好きなわけでもないらしい。


 触ろうとすると、すすす、と離れていってしまう。そして微妙に手の届かない位置でじいっとこちらを眺めている……いや、目なんてわからないのだけど、見ているのだと思う。それくらいなものだ。

 でも油断していると、私の足の上に陣取っていたり、あまつさえ肩の上に乗っていたりすることもある。どうやらもふもふさんには重さというものがないらしく、私はいつもその長毛のやわらかな感覚でこいつの気まぐれに気づかされるのだ。


 そして、とにかくこいつは私がなにをするにもついてくる。唯一の例外はあの夏の日のときくらいだろうか──うだる様な暑さで、不意に背中に乗られてしまった時に口に出してしまったのだ。


「暑苦しいなあ」


 それは他の人に聞こえないほどの小さな呟きだったし、もし聞かれても特に疑問を抱かれなかっただろう。

 でも、もふもふさんはしっかり聞いていた。その日、もふもふさんは私の側からいなくなってしまったのだ。


 その事実に気づいたとき、私は最初『ふん、せいせいしたな』と強がったのだと思う。だけど時が経つにつれてだんだんと寂しくなってきた──おかしな話だけれど、ある意味親よりもずっと長く一緒にいる存在だったのだ。それが消えてしまった。私は怖くなった。


 だから、日が暮れるまで町を彷徨い、もふもふさんを探した。もちろん、声なんてあげるわけにはいかない。私はあいつの本当の名前を知らないんだし、そもそも他の人に聞かれて興味を持たれたら困ってしまう。だから、ひたすら歩き回った。

 それでもあいつは見つからなくて、夕日が沈み始めるころには私は半泣きになっていたと思う。ぐずぐずと鼻を鳴らし、後悔と悲しみで胸をいっぱいにしながら帰路に着いた。


 そうしたらどうだ。家について、玄関を開けてみたらすぐそこにもふもふさんは鎮座していた。

 私はなんて言ったらいいかわからなくて、言葉に詰まってしまって……それでも、これだけは絞り出したと思う。


「ごめんなさい」


 もふもふさんは何も言わなかった。昔から無口なのだ。ただ、ゆっくりと大きな尻尾を振ってみせた──あるいは、首を横に振ってみせたのかもしれない。

 結局のところ、どちらでもよかった。もふもふさんはまた私の傍に戻ってきたし、その日からいなくなったことは一度もない。


 こうして私が部屋でぼんやりしている間にも、私の眼前に当然の様に鎮座している。

 風もないのに長毛をそよがせるもふもふさんを見て、私はふと語りかけた。


「散歩に行こうか」


 もふもふさんはなんの音も出さず、ただ尻尾を振ってみせた。 

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もふもふさんと私 鹿奈 しかな @shikana

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