第52話イタコラム帝国
「うん、うん。なるほど、なるほどですわ。そういう事だったのですわね」
馬の首の動きに合わせるように、グレイシアが大きく頷いている。
だが、次の瞬間。大きく目を見開き、まるで何かが覚醒したかのようなグレイシアがそこにいた。
「では、その後はどうなったのですの? それがとっても気になりますわ!」
鼻息荒く、隣にいるマリアに向けて興味の視線を投げかけている。
「前を見ろ。推して知るべしだろう? 私に何もかも言わせるな。大体のことを察してくれ」
ため息をつくマリアの視線の先には、馬上の人となっているアルフレドの姿があった。
その両脇には、片時も離れない雰囲気で、轡を並べるもの達がいた。
アルフレドの左側にいるのは、金色の長い髪を持つ少女。
その姿はテラス神の巡礼用衣装に似た服装を身に着けており、不慣れな様子で馬を操っている。
そして右側にいるのが、短くも青い髪の少女。
同じくテラス神の巡礼用衣装に似た服装は変わらないが、こちらは少しだけましな様子で馬を操っていた。
エレニアとイリアが、それぞれアルフレドの隣で――それぞれの技量に応じて――馬を必死に操っている。
「エレニア姫様は大変お怒りだったそうですよ。いきなり浮気されたと」
後ろから、マリアとグレイシアの間に入り込むように、プトゼンサが続けていた。
「だから、アルフレド様はどうお答えでしたの? とっても気になりますわ!」
すでに好奇心の塊と化したグレイシア。その瞳はマリアのため息をさらに深くさせていた。
「いいか、他言は無用だぞ。あの場にいたのは私だけだ。もし、お前が知ったとわかれば、私が話したことになる」
恐らくいつかは口を割る。グレイシアの勢いに、マリアはそう判断したに違いない。
グレイシアの好奇の瞳は、今まさにマリアを飲み込もうとしていた。
「いいえ。ご心配なく、マリアさん。いざとなれば、
「お前の結界の中だぞ?」
グレイシアの言葉を遮るマリアの言葉に、目を点にするグレイシア。
今、グレイシアの中では、果てなき矛盾の戦いが繰り広げられているのだろう。
――すなわち、完璧に遮断する結界を自負する自分の仕事と、それすらも超えることが出来るという自負との戦い。
それを目の前にして、自身の思考が止まったに違いない。
果てなき矛盾。やがてそれは、グレイシアをして、第三の答えを導き出していた。
「この日を想定して、シアだけはのぞける工夫を――」
「いくらお前でも、それは確実に死ぬなグレイシア。これまでの付き合いだ。せめて私がその首を落としてやろう」
「新参者のわたくしでもそう思うです。アルフレド様はそういう事には厳しいですよね。それはご自身も対してもそうですが……。もし、本当にそんな手抜きのようなことすれば、きっと容赦しないでしょうね。一度は敵の立場でしたから、余計にわかります。アルフレド様は認めたものには己をかけて守りますが、それ以外は石ころですよね」
「当たり前だ。他人に厳しいだけではない。己に最も厳しいのだ。だが、同時に我々のことを常に気にかけてくださる。未来を見据えておられる方だ。そもそも失敗するようなことは任せることがない。それがアルフレド様という方だ。だから、我々は安心して忠誠を尽くす事が出来るのだ。だが、たしかに失態は恐ろしくもある。目的にもよるが、失敗を重ねると捨てられる。どれだけ有能だろうが、将来問題になると判断されれば、捨てられる。過去にそういう例はいくつもある。プトゼンサも気を付けることだな」
「シアの仕事は完璧ですわ! ばれた時は、マリアさんのおしゃべりのせいにしますから、よろしいですわ!」
「お前、黙っておくという選択肢はないのか? まあ、いい。プトゼンサ、夜道に気を付けたくなかったら、今すぐ耳をふさげ」
「ええっ!? わたくしはそんなあつかいなのですか? ひどくないですか?」
「そうだ」
「そうですわね」
間髪を入れず、息の合った二人の声。
その雰囲気を見てそれ以上いう事がなかったのだろう。プトゼンサは馬を少しだけ遅らせていく。
そして空気の流れを操作する魔法を展開し、二人の周囲の声を聞こえないようにしていた。
「不幸な犠牲者がでないためのです。でも、マリアさん。わたくしにお話になったこと、すっかり忘れているのですね。まあ、あの時は興奮してらしたので、仕方がないのでしょうか……」
マリアの感心したような視線に、そうつぶやくプトゼンサ。
その瞬間、グレイシアの魔法が発動する。
それは瞬く間に広がって、マリアとグレイシアのみを取り込むように、暗黒の結界となっていた。
*
「それで? それで? どうなりましたの?」
もはや遠慮はしない感じで、グレイシアはマリアに催促をしている。マリアはため息で応えながら――だが、自らも一人で抱え込むには荷が重かったかのだろう――、おもむろに言葉を紡いでいた。
「アルフレド様はただ一言、『まだ成人していない』とだけもうされたのだ」
「え? なんですの? それは一体どういう事ですの? シアにわかるように説明してくださいですわ」
「エレニア様はまだ、成人の儀を迎えていないという事だ。だから、アルフレド様のおっしゃりたいことは、『婚約はしたが結婚はしていない』という意味だと思う」
「でも、それでは王権の移譲はできないですわ。シア達勇者は王になれませんもの。形の上でも結婚されて無ければ、王族にはなれませんわ」
もはやよくわからないと言った表情で、グレイシアはマリアを見つめている。
その表情に、詳しく語る気になったのだろう。マリアはゆっくりと順を追って説明しだした。
「帰還を告げた謁見の時だ、アルフレド様とエレニア女王陛下……。もうエレニア様でいいか。まあ、エレニア様が今後の事をアルフレド様に聞かれたのだ。アルフレド様はエレニア様に対して、『お望みの世界をつれてきましょう』とだけもうされたのだ。その後、一応形式を整えるためだろう。アルフレド様を王家に迎え入れる事が宣言された。茶番だな。すでに婚姻のために帰還しているのだ。だが、形式も必要なことだったのだ。その瞬間、アルフレド様の威厳は、今までと比べる事がバカらしく思えるくらい大きなものとなっていた。それを見たからなのか、元々決めてたのかは分からないが、エレニア様が突然女王を引退することを告げられて、全ての権限をアルフレド様に譲ると言われたのだ。謁見の間は一瞬にして静まり返っていたぞ。多分、打ち合わせにはない事だったのだろう。あの時のエレニア様の顔は、悪戯を成功させた時の顔だったな」
何か懐かしい思い出があるのだろう。マリアは顔をほころばしていた。だが、グレイシアの突き刺すような視線を感じ、咳払いをして話を続けていた。
「あの場での発言は、内々の話ではすまない。直ちにトルコールは口外を禁止していた。もっとも、奴の顔も笑っていたがな。だが、誰も異存などなかっただろうな。その場で、全て受け入れられていた。ただ、その時のアルフレド様は何も申されていなかった。そう考えればアルフレド様のおっしゃったことも分かる。アルフレド様以外は結婚したと認識しているが、アルフレド様は成人までは結婚にはならないとお考えなのだ。その後の礼拝堂でのことは、いわば外部に向けたパフォーマンスといったところなのだろう。だが、あの時すでに、アルフレド様は王だった。正直、皇帝を名乗られたのは私もはじめは驚いた。しかし、いずれは大陸の全ての王を従えるのだ。アルフレド様は皇帝をいつ名乗ってもおかしくはない。だから、あれはアルフレド様の宣言なのだろう。そしてあの時のアルフレド様は、全ての制約が解かれ本来の力を取り戻している――」
「そんなことは、もうどうだっていい事ですわ。アルフレド様のあの姿を見ればわかりますわ。シアがはじめて出会ったころよりも数段力が増していますわ。皇帝になられた勇者は、この世界ではいませんもの。シアが気にしているのは、そんな事ではありませんわ。結婚も婚約も成人も未成年もこの際もうどうでもいいですわ。アルフレド様とエレニア様はいずれそうなるのですわ。でも結局、あのお二人はキスをされたのです? あの式典にいたのはイリアさんですわ。当然、アルフレド様はイリアさんとなさるつもりだったのでは? たしか、その頃エレニア様は精霊界で眠らされていたのですわね? でも、黒の球体はキスの前ですわ。でも、その後に『わが妻』と宣言されてましたわ。あれは、エレニア様なのです? イリアさんなのです? あの黒い球体の中で何があったのでしょう? ああ、シアはあの場にいないことが、これほど悔しかったことはありませんわ!」
マリアの言葉を遮ってまで、グレイシアはその感情を表していた。
それを見たマリアの顔は、驚きのあと納得の表情を見せていた。
「そうだな、そういう事になるだろうな。だが、どう考えても、エレニア様で間違いないだろう。あの後、エレニア様の自室でアルフレド様が精霊界に行って帰ってくるのをこの目で見ている。そして、あの黒い球体はこちらの感覚では一瞬だったが、イリアに聞いた時はずいぶん長い間あそこにいたらしい。だが、あの娘も頑固でな、あの中のことをあまり話したがらない。ただ、アルフレド様の信頼に応えられなかったという事だけが何とかわかった。もともとあの娘は言葉が少ない。正直言って、そこまで聞き出すのにも苦労したぞ。都合が悪くなると、最近ではスライム化して逃げることを覚えたようだ。まったく、手がかかる娘だ」
ほんの少し、穏やかに告げるマリアの声。
――だが、グレイシアの感情は全く予想外の爆発を見せていた。
「それも、どうでもいいことですわ! 要は、イリアさんがチューしたかしないかですわ! あの様子だと、エレニア姫様はされてませんわね。となると、アルフレド様がご自身の意志で行う初めてのキスは、まだ手つかずのまま残っている可能性が――」
「みっともないから、よだれを拭け! 少しお前の頭の中が心配になってきた」
グレイシアの発言を止めるマリア。その顔には、かなり疲れが見えていた。
「あら、マリアさんは興味ありませんの? アルフレド様ご自身の意志ですわよ? 妻とかそのような形に興味はありませんわ。最初にどなたにキスをされるか。その範囲に、シアは入っていると自負しますけど、マリアさんは蚊帳の外でよろしいですの?」
よだれを拭きながら、目を細めるグレイシア。その挑戦的なまなざしを、マリアは片手で払っていた。
「そんなことか、それこそエレニア様がまだ幼い頃にすませてある。まあ、エレニア様が間違って振り向かれたための事故という見方はあるが……。ともかく、頬にするキスが、偶然振り向いたエレニア様の唇になったことは、何人も知っていること――」
鼻で笑うマリアの声を、グレイシアの絶叫が遮った。
突然その声を聞いたものは、きっと驚いたことだろう。グレイシアの馬もマリアの馬もやはり何かに怯えていた。
何かを突き破る絶叫は、二人を明るみの中に戻している。騒然となっていることから、先ほどの絶叫は他の馬にも影響を与えたに違いない。
だが、グレイシアはまったく気にしていないようだった。
マリアもまた、グレイシアに気を取られ過ぎていた。
「そうでしたわ! その手がありましたわ! うふふ。マリアさん。いい事教えてくださり、ありがとうですわ。事故ですわ。仕方がない事ですわ。シアは幸せの階段を一歩先に登らせていただきますわ」
「な!? グレイシア! お前、何を考えている! まさか! そんな子供騙しの言い訳でで、アルフレド様をたばかるか! そうはさせんぞ、グレイシア!」
もはやさっきの余裕はなくなり、マリアはグレイシアのペースに巻き込まれていた。
――だが、それも長くは続かなかった。
「危うく落馬しそうになりましたわ、グレイシア。手綱を握ってくださっていなかったら、私はそうなっていましたわね。そして、偶然聞いてしまいましたが、そのような相談は見過ごせません。前から危ぶんでいましたが、これからは片時も離れません。だから、そのようなことは考えてもむだです」
いつの間にかそばにやってきたエレニア姫が、二人を牽制するようにそう告げていた。しかし、馬を操るのに必死なのだろう、その顔は前を向いている。
「エレニア姫様、やはり馬車に乗られた方が……」
心配そうなマリアの声。その声を子ども扱いされたように感じたのだろう。思わずエレニア姫は振り返っていた。
その瞬間、バランスを崩すエレニア姫。
――誰もが落馬したと思った瞬間、逞しい腕が天に向けた腕をつかみ、そのまま自分の方に引き寄せていた。
いつの間にか下がっていたアルフレドが、エレニア姫を自らの馬にのせていた。
アルフレドの前に乗り、先ほどの権幕を無くしたエレニア姫。そしてアルフレドの後ろには、同じようにおとなしく――だが、しっかりと――、アルフレドに抱きついているイリアの姿があった。
「マリア、グレイシア。モカとイリアとプトゼンサの馬を誰かに引かせろ。まもなくロックルー王国国境だ。これより先は巨人の国、今より神速をもって砦を攻める。行け、プトゼンサ。内部に潜伏しているシスカと協力し、混乱を導け。だが、砦は壊すなよ。もう一度必要になるからな。ロックルー王国の巨人は迫害を受けている。解放し、帝国臣民に組み入れる! 帝国となり、初の遠征だ。勝つ未来は見えている。お前達で、勝利を俺の前につれてこい!」
アルフレドの勇壮な声に、それまでの雰囲気を脇にやる二人。
その真剣なまなざしは、もう全くの別人だった。
その瞬間、プトゼンサが飛翔の呪文で空を駆ける。
新しくアルフレドに与えられたハルバードが、それまでの杖の役割を果たし、しかも以前よりも力強くなっているようだった。
瞬く間に、プトゼンサの姿は彼方に小さな姿となっていく。
と同時に、グレイシアが拡声の呪文を唱えていた。
「そこには約束された勝利がある。ただ、掴み取るだけだ!」
そして、再び全軍に伝えられたアルフレドの声。
その声にこたえるかのように、イタコラム帝国全軍の瞳に強い光が宿る。
その瞳が宿すもの。
それは、アルフレドが示す未来を信じて疑わぬ、強い意志に満ち溢れていた。
「
澄みわたった大空のもと、イタコラム帝国軍の高まる士気はどこまでも高く轟いていた。
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