第37話幕間(イタコラム王国軍本隊)
土煙を上げて、怒涛のように押し寄せる軍団があった。
ヤンガッサ平原の西の端、無人の平原を駆け抜ける騎馬の群れ。
すべて騎兵で構成されているその軍団は、通常ではありえない速度で北上している。
移動強化の軍団魔法――速度が二倍、疲労が半分という優れた魔法――の効果だろう。
遠くから見るとその一団は光り輝いて見えていた。その軍団の中央に、重騎士に守られて走る集団があった。
いずれも見事な装備を整えている。
だが、その集団の中でも衆目を集めるのは、やはり先頭を走るきらびやかな鎧の貴公子だろう。
この軍団――銀翼騎士団総勢五千の騎馬隊――を率いている、イタコラム王国第一王子、ノマヤ・ダルカ・イタコラムその人だ。
その少し後ろを――いや、ほぼ轡を並べるかのように――走っているのが銀翼騎士団団長であるタリア・ロパルだ。
その両脇を、少し遅れてカイト・マルシムとトミアル・パツルが走っており、ノマヤ王子から三馬身はなれた後ろを、二頭立ての戦闘馬車が続いていた。
それを操るグレイシア。しかもその馬車の周りには、カラスに似た黒い鳥が数多く飛んでいた。
時折、その鳥は戦闘馬車に舞い降りる。
ほんの一瞬、グレイシアをじっと見つめたあと、すぐに飛び去る黒い鳥。
それが幾度となく繰り返され、その都度グレイシアは顔に喜色を浮かべていた。
そのすぐ隣では、ミヤハがただ景色を眺めつづけている。
対照的な様子の二人。
一つの戦闘馬車で隣り合って乗っているにもかかわらず、お互いに何かを話す気配すら見せなかった。
――そして、それは何度目かの黒い鳥とのやり取りを終えた後のことだった。
突如としてこれまで以上に満面の笑みを浮かべたグレイシアが、カイトの方を向いて叫んでいた。
「カイトさん!」
グレイシアの声は魔法で強調されているのだろう。かなり速いペースで走っている騎馬の群れの中にいるにもかかわらず、その声はしっかり届いたようだった。
しかも、その呼びかけは周囲の誰もが聞いたのだろう。カイトだけでなく、ノマヤ王子とタリア、そしてトミアルまでも戦闘馬車のまわりに集まってきた。
「アルフレド様の勝ちですわ。ケラザ将軍とジーンオルミ将軍は瞬殺でしたわ」
うっとりとした表情を浮かべながら、馬車の淵にとまっている黒鳥をなでるグレイシア。それに応じるかのように、黒鳥は羽を広げていた。
「さすがだな、アルフレド殿。だが、将軍を瞬殺して大丈夫だろうか? 勝ちすぎては戦意を損ないかねない。注意してもらわねば」
「愚問ですわ、カイトさん。相手は獣人族の戦士ですわ。アルフレド様は戦士たちを憤らせることをなさったのですわ。最初に頭をつぶせば、冷静に判断するものはいなくなりますわ。激情に駆られた者たちは、たとえ罠と知っていても飛び込むのですわ。それに、獣人族は戦士の誇りを持ってますわ。仇をうたずに逃げることを選びませんわ」
「なるほど、アルフレド殿は
「だからここにシアがいるのですわ。シアの使い魔である
いつも自らの仕事に誇りを持っているグレイシア。しかし、今日に限ってはあくまで報告をしているだけのように感じられた。
しかし、それはこの場にいる者たちにはわからないことだろう。
「しかし、さすがはアルフレド殿じゃねーか。まさか、こんなのを用意してたなんてよ。この俺も、この平原は魔法的な通信手段は妨害を受けることまでは調べてたけどよ。まさか新しい手法まで封じられるとは思わなかったよ。未来が見えると便利だよな。そうだよな、カイト」
トミアルの声に、グレイシアの冷ややかな瞳が注がれる。
『自分たちは最高の仕事をしたが、それ以上の妨害があった。未来が見えるアルフレドならそれは当然のことだ』
トミアルの顔に浮かんだ笑みをグレイシアはそう理解したに違いない。その視線を感じたトミアルは、ひきつった笑顔を見せていた。
ただ、それはカイトにしても同じ意見だったのだろうが、その言葉を言う機会はカイトには与えられなかった。
「それについては、あとで直接アルフレド殿にお尋ねしたい。そういう事があることが予知できていたなら、何故前もって話しておかない。それにより、各軍団とも連絡が取れぬありさまだ。この戦術は釣りも大事だが、連携がうまくいかねば、我らのみが危機的状況に陥る可能性があるのだぞ? ひょっとして、殿下とミヤハ殿の鎧を交換することを強く勧めていたのは……。まさか本当にそういう事態になるのか!」
今まで不満を我慢していたと言いたいばかりに、タリアはグレイシアの隣まで来て睨んでいた。
通信妨害が発生した時に、銀翼騎士団に動揺が走ったのは言うまでもない。
タリアがその時に歯がゆい思いをしたことは事実だろう。それを引き起こしたのはアルフレドではないが、知っていたらそれほど動揺することはなかったと言いたいのだろう。
アルフレドが釣ってくる敵はおよそ八千。
銀翼騎士団は五千の兵力だから、もともと総数で負けている上に、相手は人間をはるかに上回る戦闘能力をもつ獣人族を主力としている。
左右からの息の合った挟撃がなく、単純に正面からぶつかったのでは、数の上で不利だと言える。
そうなればノマヤ王子の身を危険にさらしてしまう。
その事が一番タリアを不安にさせていたのだろう。
だから余計に、ミヤハとノマヤ王子の装備を変えることについて、タリアなりに確認しておきたかったに違いない。
しかし、グレイシアはその視線をにこやかに受け止めていた。
「アルフレド様は複数の未来をご覧ですわ。でも、それはシアにも分からない事ですわ。当然、アルフレド様はこの未来の対応をご準備されたと思いますわ。使い魔三百体は大変ですのよ? おかげで寝不足ですわ。でも、同時に他の未来もご覧ですわ。ただ、それはシアでも知りませんわ。でも、仮にこのことを皆さんがお知りになれば、どうなります? それを変えようと思うでしょう? それは当然のことですわ。人は未来を知れば変えようと思うものですわ。でも、そうなれば未来が別の未来に変わるのですわ。その結果、戦いが不利になるかもしれませんわよ? それでも、言うべきだといいたいのかしら? 未来を知るのは、ただお一人でよろしいのですわ。イタコラム王国の真の勇者であるアルフレド様が導いて下さるのですわ。だから、シアはアルフレド様の指示通りに準備して、行動するだけですわ」
優雅に答えながらも、グレイシアの視線にはタリアに対して憐みの感情がこもっていた。
それをタリアは敏感に感じ取ったのだろう。忌々しそうにグレイシアを見つめている。
「ところで、グレイシア殿。先ほどから使い魔の往来が活発ですな。くどいようだが、その使い魔の情報網は双方向にはできないのですかな? できれば各軍団に伏兵の危険性を伝えたいのだが……」
今まで何度か同じやり取りを繰り返したのだろう。カイトはもう一度確認するためにグレイシアに尋ねているようだった。
「残念ながら、そこまでは無理ですわ。その事は、先ほども説明しましたわ。ただ、予備で配置してある子を伝言役にすることは可能ですわ。でも、いいのですか? その子たちはこの周囲の哨戒網を作ってますわ。それがなくなるということですわよ? 本隊の目がなくなりますわ」
グレイシアの問いかけに、カイトは目を逸らせていた。
恐らく、自分一人では判断しきれないのだろう。
確かに、左翼右翼に展開している軍団に対して、指示を出すことは重要だと言える。
今は各軍団ともに当初の予定通りに進軍を開始していることだろう。
だがこうなった以上、ヤンガッサ平原に伏兵が潜んでいる可能性は捨てきれない。
特に今はどの軍団も移動強化の魔法をかけているため、伏兵の存在は脅威だろう。
移動に専念している状況では、周囲に対しての警戒は薄くなってしまう。軍師として、カイトはそれを各軍団に告げる必要があると考えているに違いない。
グレイシアの使い魔がこの本隊の警戒の目となって補っていたという事実。
それをやめてまで、各軍団に指示を与えるべきか否か。
カイトはそのことを迷っているのだろう。
そして、もはや自分では判断できないと思ったに違いない。
ゆっくりとカイトは、ノマヤ王子に視線を投げかけていた。
「グレイシア、その予備の使い魔の配置はアルフレドの指示か?」
その視線の意味を感じ取ったノマヤ王子は、グレイシアに自らの疑問を投げかけていた。
「いえ? アルフレド様は特にはおっしゃりませんでしたわ。哨戒網を作ったのは、シアの判断ですわ」
そんなことを聞いて何になるのか?
グレイシアの返事には、そんな気持ちが見えていた。
恐らくその態度はタリアにとって我慢できないものだったのだろう。
しかし、タリアが何かを言う前に、ノマヤ王子がその言葉を抑えていた。
「ふっ、ならばカイトよ。存分に使え。アルフレドが指示してないなら、本隊は安全だろう。グレイシアとミヤハを本隊に残したアルフレドは、こうなる未来を見ていたに違いない。急げ! 時間差があるとはいえ、双方向の通信網をつくることも大事な事だ」
それだけ告げると、もう用は済んだと言わんばかりにノマヤ王子は馬を前に走らせていた。グレイシアを一瞥し、タリアがその後を追っていた。
「では、グレイシア殿、左翼右翼に伝令網を構築して頂こう。最初の伝令は、『伏兵に注意するように』だ。鳥が慌てて飛び立つような事があれば、それは伏兵の存在を示している。これぞ孫子の――」
「あー。そういえば、出陣前にアルフレド様からの伝言を忘れてましたわ。カイトさんへの伝言ですわ。『無理して固い言葉を使おうとせず、いつも通りの話し方をするがいい。そうしなければ、思考までも固くしては、見えるものが見えなくなろう』ですって。カイトさん、いつも通りの人を小ばかにした話し方がよろしいですわ」
その言葉とは裏腹に、笑顔を向けるグレイシア。
そんな顔を向けられたカイトは、複雑な表情のまま、黙って元の位置に戻っていく。
――それを静かに見送るグレイシア。
周囲に誰もいなくなったことを確認すると、さらに満面の笑みを浮かべていた。
「さっ、予備の
恍惚の笑みを浮かべたグレイシアの小さな独り言を、ミヤハは不思議そうに眺めていた。
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