第5話燃えるカルバの街(最終章)
「マリアか……」
一陣の風が舞った後、そこには黒髪の少女が控えていた。ここに来るまでは頭巾でもかぶっていたのだろうか、肩まで伸びた黒髪はどことなく湿気を帯びていた。それでもそんなことを気にした様子もなく、少女は騎士の後ろで畏まっていた。
黒地に赤のラインがほんの少しアクセントになった様な忍び装束を着ている少女。
その出で立ち、立ち振る舞いから、先の
「はっ、アルフレド様。マリア・テレモア、ただいま帰還いたしました。全てアルフレド様のご指示通りです。予定通り、例の奴以外は全て片付けました」
ゆっくりと近づき、恭しく報告している。
「そうか。ご苦労。しかし、ミヤハがまだだな……。やはり少しずれたか……。奴め、いらぬことをしてくれる……」
アルフレドからは、特に感情が込められてはいなかった。ただ単に、何か思案している様子だった。
しかし、マリアは、まるで自分が責められたかのように恥じ入っていた。
「申し訳ございません。早急に調べ、つれてまいります……」
「いい。直に来るだろう。グレイシアからは何も報告がない……」
まるで意に介していないかのように、アルフレドは炎の街を眺めていた。
それは多少のアクシデントがあったにしても、結果は分かっているという自信の表れなのかもしれない。
しかし、マリアの方はそうでもなかった。
「ですが、このような場所にいつまでもアルフレド様をお待たせする――」
「多少ずれても、ここに連れてくるのは間違いない。心配するな。俺には未来が見えている。マリアにはいつも気苦労をかけてすまないな」
恥じ入るマリアの言葉をさえぎるかのように、アルフレドは後ろに控えるマリアを振り返っていた。
穏やかな、そして優しさに満ち溢れた口調。
その声とその気遣いを聞けば、部下は大いに奮い立つ事だろう。
「はっ!」
そしてそれは、マリアも例外ではなかった。いや、実際十分すぎる効果があるのかもしれない。
短く返答を返したマリアは、体の血を一気に沸騰させたかのようだった。
伏せた顔は黒髪で隠されている。しかし、その間から漏れ見える顔は赤く染まっていた。まるでそれは、彼女の黒髪の中に少しある、染め残した赤髪のように印象深いものだった。
――だが、アルフレドは違っていた。
口調とは裏腹に、その顔は無表情のままだった。
そしてゆっくりと、体を街に向けていた。
まるでマリアがそこにいることを忘れたかのように、アルフレドの視線は再び街に注がれている。
しかし、時折炎で焦がされた空を見上げるように、小さく頭を動かしていた。
黒煙が空を覆っており、いつもの空はそこにない。星々の煌めきも、今は全く見えなかった。
にもかかわらず、アルフレドはその動きをやめなかった。その動きに、いったいどんな意味があるのかは、おそらくアルフレドにしかわからないだろう。しかし、少なくとも涙を流しているわけではなかった。
ただ、いつまでも見続けているかのように思えた瞬間、アルフレドの顔がわずかに右の暗闇に向けられていた。その場所は光が差し込まないため、闇と闇が交わっている。
しかも今も進行中だといわんばかりに、やや遅れて周囲よりも深い漆黒の闇が姿を現していた。
それが大きくなると共に、中から賢者風の少女が、ゆっくりと闇の穴から姿を現していた。
高位の魔術師のみが使える魔法である
「お待たせしましたわ、アルフレド様。グレイシア・ミトス、ただいま戻りましたわ。任務は全て予定通りですわ。逃げた者たちも、全て狩り終わりましたわ。街の門は破壊し、ゴーレムたちを配置していますので、これ以上の逃亡はありませんわ。もっとも、すでに炎の結界をはってありますので、あの者以外は逃げることもできませんわ」
賢者のローブを着たグレイシア。
風になびく金色の長い髪を落ち着かせることもせず、告げると同時に跪いていた。
自信に満ち溢れたその声は、自分の仕事を誇らしげに語っている。それは間違いなく、街の炎を操っていた少女だった。
「そうか……。では、奴の追跡もできているな、グレイシア」
「もちろんですわ、アルフレド様。シアに抜かりはございませんわ。あの女癖の悪い司祭は、まさか自分の体内に式神を埋め込まれたことなど、知りもしないでしょう。そして、その者に命を助けられたと思っていますわ。本当におめでたい、いやらしい司祭ですわ」
「そうか。さすがだな」
にっこりと笑うグレイシアの顔を一瞥し、アルフレドは小さく頷くと、そのまま炎を見つめ直していた。
自らの報告を終えた満足感なのだろう。グレイシアはそのまま立ち上がると、誇らしげな表情でマリアの隣へと歩いていった。
ただ、歩きながら周囲を見回したとき、徐々に不快感が顔に出ていた。
「マリアさん? まさか? まだですの? もしかして、また?」
「聞くな、グレイシア……。あいつめ、帰ったら……。それはそうと、メイルの芝居はなかなかのものだったぞ」
「あの子は女優の卵だそうですわ。帰ったら、そう伝えておきますわ。それよりも……。こんな所にアルフレド様をいつまでも待たせ続けるなんて、どうしましょうか!」
にっこりと笑顔を見せたグレイシアも、すぐに真顔になっていた。
「まったくだ! しかも、はっきりとは申されなかったが、どうもまたあいつの気まぐれが起きたようだ。アルフレド様の見られた順序と、どうやら違っているらしい」
「またですの? あの子、これで何回目ですの? いくら転生してまだ日が浅いといっても、もうずいぶん経ちましたわ。やっていいことと悪いことがありますわ!」
アルフレドの後ろ、左右に跪く二人が憤慨している中、家を飛び越え、快活な声が響いてきた。
「アルフレド様! 連れてきたです! コイツです!」
くるりと空中で身をひるがえし、何か布に包んだものを小脇に抱えたまま、青髪の少年はアルフレドの前に軽やかに着地していた。
その身のこなし、その衣装。まさしく
そのまま、ゆっくりと抱えたものをアルフレドの前に置き、その布を取り外すミヤハ。
アルフレドは表情を変えずに、それをじっと見守っていた。
いつの間にか後ろの二人が立ち上がり、アルフレドのすぐ後ろでそれを見守っている。
「じゃーん! どうです! かんぺきです! 僕、アルフレド様のお役にたったです!」
誇らしげに、布をめくるミヤハ。
ミヤハが布にくるんでいたもの。
それはタリアという、まだ幼い少女だった。
年齢はおそらく六歳にも満たないだろう。気絶しているのか、その目は閉じられたままだった。
「これです! 間違いないです!」
ミヤハがおもむろにタリアをうつぶせにした時、小さなうめき声と共に、魔王斑があらわになっていた。
「なっ! ミヤハ! お前! 生きて!」
「ミヤハ君! アルフレド様の指示と違うのではなくて!」
アルフレドの後ろから、すさまじい剣幕で二人が詰め寄ろうとした時、アルフレドの両手が二人のゆく手をさえぎっていた。
二人が立ち止まったのを感じたのだろう。そのまま
「アルフレド様……」
「アルフレド様……? よろしいですの?」
「やだなぁ、二人共。僕が奪っちゃったら、アルフレド様に捧げられないです! 僕はアルフレド様に、『この娘の命を差し出します』って言ったです」
ミヤハにとって、それは当たり前のことだったのだろう。小首をかしげて二人に尋ねている姿も、全く訳が分からないという感じだった。
「アルフレド様のご指示は、『その少女を殺してこい』だったはず! 何度言えばわかる! ミヤハ・コタト! もう勘弁ならん! 二度と指示を忘れないように、その体に覚えこませてやろう!」
「そうです! マリアさんの言うとおりですわ。ミヤハ君! いいですか! ミヤハ君はアルフレド様のご覧になった未来を変えてしまったのですわ! シアも、もう勘弁できませんわ! その罪を、その身で味わいなさい!」
アルフレドの制止を忘れ、二人はミヤハの前に進んでいた。マリアが苦無を構えた瞬間、グレイシアが何かを呼びだしていた。
瞬く間に現れたその姿は、仁王像のような姿をしたゴーレムだった。
「いいですねぇ! お二人とも! では、お言葉に甘えて――」
自らの拳を打ち鳴らした音で、自らの言葉をかき消したミヤハ。
身を低く構えながら飛び掛かろうとした瞬間、小さな悲鳴が沸き起こり、やがてすぐに聞こえなくなっていた。
「グレイシア、奴らの本拠地を発見出来次第、全軍で包囲する。今度こそ逃がさん。奴だけは、絶対野放しにはできん。マリア、次の作戦まで時間が無い。偽装を含め、編成部隊と規模は任せる。ここに来なかったことを考えると、やはりルールル、センタオリヌ、コヒチャル湖方面で間違いない。必要なら、人を集めろ。最後にミヤハ、俺への心遣いは無用だ。指示通りに動け。だが、覚えておけ。次はない」
足元から剣を引き抜いた瞬間、少女の首がミヤハの方に転がっていた。
「え!?」
その言葉よりも早く、ミヤハの首筋にアルフレドの剣が当てられていた。そのまま皮膚を薄く切り裂き、アルフレドは剣を鞘におさめていた。
一歩も動けず、驚きに目を見開くミヤハ。
じんわりとにじみ出る血を止めるように、その手を首に当てていた。
「帰るぞ」
短くそう告げたアルフレドは、踵を返して街から遠ざかっていく。それに続くかのように、周囲で控えていた騎士たちが、一斉に動き出していた。
「ほら、ぼさっとしない!」
「さっさとしないと、一緒に燃やしちゃいますわよ?」
アルフレドの後を追いながら、二人はミヤハを振り返っていた。
「あっ! 待ってくださいです! アルフレド様! 今度はもっとちゃんとやるです!」
ミヤハの大きな声をかき消すように、目の前の建物が音を立てて崩れおちていた。
飛び散る炎が、次なる獲物を見つけだす。
その光景は、それまで何かに押しとめられていたような炎が、途端に牙をむいて襲い掛かってきたようにも感じられた。
しかし、そこには特に目立った建物はない。
にもかかわらず、炎は一段と激しく燃え広がっていた。
アルフレド達が立ち去った後に残ったもの。
それは、蟻塚のように積み上げられた、数多くの躯の山だった。
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