第2話燃えるカルバの街(マリアの章)
数人の足音が、水路の中に響いていた。
特別な光源はなかったが、水路の底がほのかに光を放っている。恐らく、その光源はあらかじめ仕込んであったものなのだろう。先頭を行く男は、それを手掛かりにして入り組んだ水路の中を進んでいた。
それは男たちにとって希望の光のようなものなのかもしれない。だが、それに照らされている男たちの顔は、皆一様に硬く、暗かった。
そこにいる男の数は、全部で五人。
戦士風の三人と司祭風の一人、そして少し遅れて、盗賊風の男がいた。
男たちは何度も四本の地下水路が十字に交わっている所を色々な方向に進んでいく。
何度目になるかわからない十字路をすぎ、そこから一つの水路に入ったところで立ち止まっていた。
乱れた息を整えるように、壁に背を預ける男たち。
ただ、盗賊風の男だけは、十字路の壁を背にして元来た水路の方を警戒し続けていた。
――それは、ほんのひと時の休息。
それを分かっているかのように、一人の男が整えきれない息のまま口を開いていた。
「アメドイン様、ここまでくればひとまず安心です。この緊急地下避難水路の光を辿って行けば、出口までいけます。今は逃げることのみを考えてください。あの
その言葉は自分に言い聞かせたかったに違いない。
自然とお互いに頷きあった男たちは、先ほど言葉を告げた先に視線を集めていた。
――だが、その男はいまだに考え事をしているようだった。
「うむ……。だが、やはり彼女たちを置いてはいけぬ……。戻って――」
絞り出すように告げた言葉を遮って、男たちは我先にと反論し始めていた。
「あの者たちは、魔王様に身を捧げた者たちです。アメドイン司祭様が逃げるために死ねたら本望のはずです!」
「そうです。特に新入りのメイルが隙をつき、捨て身で
懸命な表情と必死な声。
圧倒されたアメドイン司祭は、驚きをもって男たちを見回していた。
――沈黙が闇の中で自分を主張し始める。
「……そうだな。メイルの信仰に感謝しよう。彼女のような信者がいて、魔王様もさぞお喜びだろう」
観念したかのような表情を見せるアメドイン司祭。
それを見ていた男たちは、地下水路の暗がりの中でもわかるほど、誰もが安堵の色を浮かべていた。
「静かに!」
その時、小さく抑えた鋭い声が、司祭たちに向けて飛んでいた。
*
「し! 静かに! くそ! やっぱりダメだったか……。しかし、まさか? 一人……、一人か……?」
静かに、物音をたてないように警戒していた男はそうつぶやきながら、他の者たちの所に戻ってきた。
「アメドイン様……。早くお逃げください。まだ距離がありますが、確実にこちらに向かってきています」
「うむ」
迷うそぶりもなく、間髪入れずに帰ってきた言葉は、男の警告が効いたからだろう。
再び隊列を組むようにして、静かに行動を開始していた。
盗賊風の男にそのまま
――重苦しい空気が、一行を包み込んでいる。
自分達の痕跡を消すために、歩きながら水路の発光物を破壊していた盗賊風の男。時折立ち止まっては、じっと暗闇の方を見続けていた。それが何度続いたことだろう。
やがて盗賊風の男は、安堵のため息をつきながら元来た水路の暗闇につぶやいていた。
「しかし、本当に化け物だ。あの
そう言った瞬間、それまでの注意が台無しになるような大きな水音が響いていた。
「おい! そんな大きな音をたてたら、見つかるだろ!」
司祭たち三人が、二人の男たちに非難の視線を向けていた。
――誰もがその答えとして謝罪の言葉を予測していたのだろう。
しかし、その謝罪は彼らの予想とは少し違っていた。
「すまない。最初から見つけている」
それは先ほどまでの男の声ではなく、間違いなく女の声だった。いったい何が起きたのか考える暇もなく、女は冷ややかに続けていた。
「落とされた礼は、落として返す。首と命。どちらがお好みか? さっきの男には聞くのを忘れたので、仕方なく首にしておいたよ」
普段なら、快活で心地よい声なのかもしれない。しかし、今この瞬間に聞こえたのは、感情が一切感じられない、背筋が凍るほど冷たい声だった。
しかも、もう隠す気もないのだろう。
わざわざ規則正しい水音を響かせながら、歩いてくる。暗闇の中、徐々に赤い線が浮かび上がってきた。
黒い忍び装束に少しだけ入っている赤いラインが、水底からの光に映し出されている。頭巾をかぶっているから定かではないが、声と背の低さから少女だと思われる。
持っている苦無からは、先ほどの男のものなのだろう。赤い血が滴り落ちていた。
――ポタリと一滴。その音はやけに大きな音のように聞こえていた。
「アメドイン様! お逃げください! ここからはまっすぐ行けば出口のはずです! ここは我々が食い止めます!」
堰を切ったかのように、一人の男が
それと同時に、司祭は言われたとおりに走り出す。
気合の声が地下水路いっぱいに響いたと思った瞬間、大きな水音が三つ上がっていた。
脱兎のごとく駆けだしていた司祭も、急に静かになったことに驚いたのだろう。
走りながらも、後ろを振り返ろうとしていた。
「我々のことは気にせず!」
「司祭様、一刻も早く!」
「早く! お逃げを!」
「早く!」
下水道には、四人の声が順番に響いていた。その声に後押しされるかのように、司祭は今度こそ、わき目もふらずに駆け出していく。
どんどん遠ざかる、水を舞い散らせる足音。
それは場違いなものであったといわんばかりに、地下水路は静寂を取り戻していた。
*
再び静まり返った地下水路で、ゆっくりと頭巾を外す
「しまった。一人、死人が口を出してしまったか……。そう言えば、男の声は久しぶりだった。まあ、これで任務完了……だな。さて……。後は任せたぞ、グレイシア。ああ、アルフレド様。このマリア、今よりおそばに参ります!」
肩まで伸びた黒髪が、頬にかかるのを無造作に振り払う
司祭の逃げた方をしばらく見つめていたかと思うと、踵を返して闇の中へと消えていく。
――来た時よりも唐突に、そこには闇だけが取り残されていた。
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