第30話出陣(前編)

「それでは、エレニア姫。聖騎士団出陣します。我らの不在の間は、トルコールが警護の指揮をとりますので、何かあればトルコールの指示に従ってください。魔王教は壊滅させましたが、遠征の時を狙って何者かが王都を襲撃するかもしれません。もっとも、そんな未来は見ておりませんが、何かが変化しているかもしれません」

椅子に座るエレニアを前に跪いたアルフレド。そう告げるや否や、黙って頭を下げていた。


マリアとグレイシアとミヤハは、黙ったままアルフレドの後ろに控えている。

その姿を悲しそうに見つめるエレニア。

ただ、黙ったままではいけないと思ったのだろう。何かを考えているようだった。


「そう言えば、アルフレドから報告を聞くのも久しぶりですね。最近は訪ねてきてくれる人も少なく、マリアとライラしか私の相手をしてくださいませんから。アルフレドは、私のことなど忘れたのかと思いました。そうそう、ついこの間もライラが嬉しそうに話していきましたよ。聖騎士団の通信用魔道具をもらったと……。『これでいつでもアルフレド様とお話しできる』ですって……。私には下さらないのに、部外者のライラには渡すのですね。聖騎士団員になれなかったとも言っていましたのに……。ねえ、アルフレド。誰かほかに持っていない人を忘れてはいませんか? ねえ、どう思う? マリア?」

アルフレドに向けて話していたが、最後にその矛先をマリアに向けたエレニア。しかし、その視線はマリアには向けていなかった。


「聖騎士団は常に姫様と共にあります。いつ、いかなる時も姫様のためにあります。まして、姫様を忘れることなどございません。この私の騎士としての誇りにかけて誓います」

徹頭徹尾自らの姿勢を変えることなく、アルフレドは淡々とした口調で答えていた。

自らは答える必要がないと判断したのだろう。マリアは黙ってかしこまっている。


「では、私も戦場にまいります。ノマヤお兄様も、カルタお兄様も出陣すると聞いております。この私が聖騎士団と共に参戦しても問題ないですわ。危険はもとより承知です。でも、アルフレドがいるのだから大丈夫ですわね」

立ち上がり、決意の表情でアルフレドを見下ろすエレニア。その並々ならぬ意気込みは、これまで見せたことの無いものだった。


「国王陛下がお隠れになりそうな時、姫様がそばにいなくては悲しむでしょう」

それでもアルフレドの答えは、淡々としたものだった。


その態度というよりも、その言葉にいらだちを感じたのだろう。エレニアはアルフレドに詰め寄ってきた。


「アルフレド。事実を捻じ曲げて伝えても、人に想いは届きません。私にそう教えたのは、あなたではなかったかしら? お父様が悲しむ? そんなことはあるはずないでしょう。もし、仮に娘としての情があったとしても、今のお父様は私の事すら忘れてしまっています。あれだけ可愛がっていた妹のアンネストのことも、忘れてしまったお父様です。ほとんど会えない私のことなど……」

詰め寄った勢いは、アルフレドの前で徐々に衰え、最後には自らの言葉に押しつぶされたエレニア。

長い金色の髪が流れるように、エレニアの表情を隠していた。


「国王陛下はエレニア姫のことを忘れられませんよ。ご自分が見初め、唯一愛した女性の娘ですから。しかも、姫様は母上様によく似ています。国王という立場のため、姫様には十分な事が出来ないと私に言われたのは国王陛下です。そして、私に姫様のことを託されたのは、ほかならぬ国王陛下です」

いつになく強い口調で、アルフレドはそのままの姿勢でその言葉を伝えていた。


――エレニアの戸惑う視線が、跪くアルフレドをとらえていた。


「……嘘です。嘘です、アルフレド……。そのような話は聞いたことがありません……」

声にならない声をあげ、二、三歩よろめくように後ずさったエレニア。紡ぎだしたその言葉は、やっとの思いで出てきたようだった。


「真実です。隠してきた真実です。このことは、私と国王陛下しか知りません。イタコラム王国のただ一人の真の勇者であるこのアルフレド・ロランス。その私を姫様のそばに置く理由は何だと思いますか? 国宝である守護者の鎧と聖なる盾を下賜されたのは、聖騎士団を作る時です。その意味はどういう事だと考えますか? そこに、国王陛下の気持ちがあると思いませんか?」

顔をあげ、エレニアをまっすぐに見つめるアルフレド。その強い眼差しを、エレニアは黙って見つめ返していた。

やがて、口元をおさえたエレニアの瞳が大きく広がっていく。


「そうです。国王陛下の隠された気持ち。それは姫様を守ること以外にないでしょう」

優しく頷くアルフレドと涙ぐむエレニア。二人の間には、何かしらの結びつきがあるようだった。


――いや、そこはすでに二人だけの世界となっていた。


「わかりました。アルフレド。隠されたことでしたら、最後までアルフレドの中で隠しておいてください。ただ、もう少し詳しくお話を聞きたいのですが……」

エレニアのうるむ瞳が、強い意志を感じさせる。

それを正面から見つめるアルフレドは、無言で見つめ返していた。


「マリア、グレイシア、ミヤハ。礼拝堂の一階で待機だ」

小さく振り返ったアルフレドは、短くそう三人に告げていた。


「はっ」

その言葉に、マリアは小さく返事を返して立ち上がっていた。

グレイシアは無言で頷き、不思議そうな顔で見ているミヤハの手を取って、マリアの後に続いて部屋を後にしていた。


――パタンと扉を閉める音が、部屋中にこだまする。


それはマリアなりの挨拶なのだろう。

閉める前に、もう一度アルフレドの姿を見つめ、そして小さく礼をしていた。


「さて、何が知りたいんだい? モカ?」

立ち上がり、いつになく優しく微笑むアルフレド。


それを見たエレニアの瞳からは、大粒の涙がこぼれていた。再び口元を手で押さえ、小さく震えるエレニアの姿に、アルフレドは両手を広げて待っていた。


「キョウお兄さま!」

小さな叫びと共に、涙を置き去りにしてアルフレドの胸に飛び込むエレニア。

その姿は王女という衣を身に着けていない、エレニアの真の姿だったのだろう。


アルフレドは、そのまま優しくエレニアを包み込み、エレニアのしたいようにさせているようだった。


――いつしかアルフレドは、むせび泣くエレニアの頭を優しくなでていた。


見たことのない優しさにあふれた顔がそこにある。

その腕の中で小さく震えながら『お兄さま』と呼び続けるエレニア。彼女に対するアルフレドのいとおしさが、そこからしっかりと伝わってきた。


「聞きなさい、モカ。国王陛下は……、モカの父君は、モカを大切に思ってもそれを出すことは許されなかった……。だから、モカ。お隠れになる前に、精一杯の愛情を返しておきなさい。もしかすると、モカの事も忘れているかもしれない。もう、眠られている時間の方が長いから……。でも、モカがつくせば、きっとわかってくださる。周りは色々妨害してくるだろう。特に摂政マクシマイルがモカと国王陛下を会わせようとしないかもしれない。でも、安心するんだ。そのために、トルコールを残してある。トルコールが色々やってくれる。見た目も人と違うし、言動も気味が悪いかもしれない。しかし奴は勇者でもないのに、いろいろ博識で使える男だ。ひょっとすると、奴のやることが、不思議に思えてくるかもしれない。しかし、モカが父君に気持ちを伝えるために必要なことだ。それと、これ以上俺のことは心配するな。俺が誰か知っているだろ? モカはもう忘れているかもしれないが、かつてモカが願ったことは、俺の中で誓いとなって生きている。だから、安心して待っているんだ。俺は必ずモカの所に帰ってくる。俺はモカに捧げたのは、剣だけじゃなかったのを覚えているか?」

両手でしっかりとエレニアをつかみ、己から離してしゃがみこむアルフレド。お互い眼の高さに相手をとらえた二人の視線は、互いを確かめ合うように結ばれていた。


「ああ、キョウお兄さま……。あの日の……」

「寂しい思いをさせたね、モカ……。でも、もうすぐだ……」

再びアルフレドの胸に飛び込んだエレニアの頭を、アルフレドは優しく、優しくなでていた。

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