第26話幕間(マリアとライラ前編)

「なるほどねー。これって、こういうことだったんだねー。知らなきゃただの煙だけど、知っていると意味があるんだねー」

しゃがんだまま、立ち上る煙を見上げながら、ライラの感嘆の声をあげていた。


王城の東の端にある礼拝堂。聖騎士団の詰所はそれを守るように、すぐ隣に囲うように建てられていた。

その屋上で今、マリアは狼煙のろしをあげている。


王都の中心に位置する王城は、王都では最も高い土地に建っている。当然、王都周辺で城が見えない場所はない。それと同じ高さの土地に聖騎士団の詰所の詰所があった。


三層に見えるその建物は、王宮を守る最後の城壁とほぼ同じ高さの為、王都の外からは通常見えない。

だから、ここより東で視界を妨げるものはなかった。


そして、その屋上は侵入できる場所は限られているものの、広さ的にはそれほど狭いわけではない。

しかし、フェンスに囲まれたそこは、実際よりも狭く感じられた。


――その理由は明らかだ。

様々な種類の狼煙のろしをあげる仕掛けがところ狭しと置かれている。いや、それだけでなく、他にも様々なものが並べられているからかもしれない。


ただ、それにも意味があるのかもしれない。変わった形の筒があるとはいえ、風が吹いてしまっては、まっすぐに煙は立たないだろう。

まっすぐに空へと伸びるその白い煙は、はるか先からも見えなければならないのだから。


「今回は先に出発しているからな。魔法を使わない情報伝達手段も、アルフレド様の深いお考えの一つだ」

立ち上がって、誇らしげに答えるマリアは、少し離れた王宮の方を眺めていた。心なしか、その瞳には憂いの光が混じっている。

しかし次の瞬間、マリアはそれを振り払うかのように、反対側のはるか遠くを眺めていた。

ただ、それも長くは続かなかった。

おそらく何かの気配を感じたのだろう、マリアは素早くライラを睨んでいた。


「ライラ。お前……。何を考えている……」

右手を握りしめ、足元で別の狼煙のろしの材料を加えようとしているライラに向けて尋ねるマリア。

今すぐ叩きそうになるのをこらえているのだろう。その手は小刻みに震えていた。


「ん? えっとねぇ……。あっ! ちてきこうきしん?」


――瞬間、マリアの怒声と共に、ライラの頭からは小気味よい音が聞こえてきた。


「いったーい。冗談だよー」

頭を押さえ、小さく舌を出したライラ・ライ。

その顔は放置していたら何しでかすかわからない、悪戯好きの顔だった。

案の定、まだそれを手放してはいない。


「やっていい事と悪い事の区別くらいつけろ!」

「もう、マリアは怒りんぼさんなんだからぁ」

もう一度頭をはたかれたライラは、最初よりも強くはたかれたのだろう。涙目になりながら、抗議の声をあげていた。


「誰のせいだ! 誰の!」

もう一度叩こうとするマリアに対して、ライラは両手を合わせて――材料は見事に散らかして――、片目をつぶって謝っていた。


――深いため息と共に、手を下すマリア。そして、散らばった材料を集め始めていた。


「ふふ、やっぱりマリアはかわいいわぁ」

膝についた埃をはたき落しながら、ライラはゆっくりと立ち上がっていた。


にっこりとほほ笑みながら、小首をかしげるような仕草はライラの可愛らしさを際立たせるものだろう。

しかし、その唇を少しなめるしぐさに、散らばったそれを集め終わったマリアは思わず半身を引いていた。


――ライラはますます目を細めていく。


「もういい! 行くぞ! お前といると疲れる」

そのまま踵を返し、マリアは少し離れた鳥小屋に近づくと、そこから鳥を数羽解き放っていた。


その様子をじっと見守っていたライラは、飛び立った鳥の足をじっと見つめている。


「で、それが伝書鳩というものなのね。ほんとに魔法を使わないのね。通信魔法は魔道具があればだれでもできるのに。あれ? ひょっとして聖騎士団ってお金無いの?」

飛び立った鳥を、目で追いかけながらつぶやいたライラの声は、感心したのか呆れたのかわからないようなものだった。


「そんなわけあるか! 一つのモノに頼っていては、それが無くなったときに混乱が大きくなる。色々な手段を知り、そし習得することが重要なのだ。すべてはもしもの時に最適な行動をとるための訓練だ。当然、通信魔法を使うこともある。だが、通信魔法は探知の魔法で傍受可能だ。しかも、魔道具を使ったものだと、それを奪われれば敵にも情報が漏れる恐れがある」

背中越しにライラに語りかけるマリアの声は、一点の迷いもない声だった。


「それが、アルフレド様のお考えなのね」

「当たり前だ。転生前のアルフレド様はきっと博学だったのだろう。あまり多くは語ってくださらなかったが、まちがいないと思う。ではいくぞ、栄えある聖騎士団団長室に入るのだ。ふざけた態度は今ここに捨てておけ」

一点の曇りもない表情で振り返ったマリア。

今の空のように澄みわたった瞳の奥に、殺意を少し滲ませていた。


***


「おっじゃまっしまーす」

マリアの忠告にもかかわらず、ライラの態度はいつも通りだった。


しかし、もはやその事に対してマリアは何も言わなかった。ただ、いつものように睨みつけるような視線だけはおくっている。


「うーん、なんだか……。じみ?」

意気揚々と入室し、素早く中央の応接セットのソファーに腰掛けたライラ。そのままの姿勢で顔を忙しそうに周囲に向けたあと、そう感想を告げていた。


「誰が座っていいと言った……。それに何を期待していたのか分からんが、アルフレド様が華美を好むはずなかろう……」

ため息をついた後、ライラの真正面に向かいながら、愛おしそうに部屋を見回すマリア。ただ、その視線はある一点で止まっていた。


「トルコール、アルフレド様のお許しはあるのだな?」

普段はアルフレドが使っていると思われる重厚な書斎机と椅子。それが置いてある奥に、どこかに通じている扉があった。その扉に向けて、マリアはそう尋ねていた。


――マリアの問いに、ただ扉を二度叩く音が聞こえてきた。


「ならばよし。入れ」

自らもライラの正面に腰掛けたあと、ライラを警戒するかのように見つめるマリア。その瞳は、獲物を観察する捕食者のようであった。


「マリア、こわいよ。だいじょうぶ。アタシは聖騎士団に入りたいんだよ?」


その刹那、マリアの制止の声が飛ぶ。

一度開きかけたその扉は、もう一度音を立ててしまっていた。


「どうしたの? 誰かいるんでしょ?」

扉の方に目をやりたくても、マリアの視線から逃れることのできないようで、ライラは流れ落ちる汗をそのままにマリアを見つめていた。


「そうか、ならばテストをしてやろう」

ますます深くなるマリアの瞳の奥に吸い込まれるような感覚を覚えたのだろう。

ライラは喉の音を鳴らしながら、姿勢を正すかのように、マリアから距離をとっていた。

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