幕間
第20話幕間(王女とマリア)
「マリア、報告は分かりました。それで、おに――。いえ、何でもありません。それで、アルフレドは今どこにいるのです?」
きらびやかに彩られた室内。豪華な調度品に囲まれた部屋にもかかわらず、その一角はやけに地味なものだった。
余分なものが一切ない。
ただ、天蓋付のベッドとテーブルとイスが三つあるだけの空間だった。
しかも、その周囲はまるで別の空間にあるかのように、豪華な部屋とは明らかに何かで区切られている。
その中で、椅子に腰掛けたエレニアがマリアに向けて優しく問いかけていた。
「いかにエレニア様といえども、聖騎士団は現在機密行動中です。なにとぞ、ご容赦ください」
片膝をつき、頭を下げたままの姿勢で、マリアはそう告げていた。
「そんなことはわかっています。だから、ここで話を聞いているのです。ここはグレイシアの用意した結界の中です。ここなら、見られることも聞かれることもないはずです。トマルイ兄様もここは手出しできないのでしょう? だから言うのですマリア」
若干苛立った表情を見せたエレニアに対して、マリアは黙ってうつむいたままだった。その姿に一瞬表情を変えたエレニアも、自分の感情を制していた。
「いいでしょう。では、質問を変えます。聖騎士団は、誰に剣を捧げているのですか?」
エレニアの口調は、優しく優雅なものに変わっていた。表情すら、先ほどとは別人のものだった。万人をいつくしむような、そんなほほ笑みをたたえている。
「はい、エレニア様。我が聖騎士団の剣は聖王女であらせられるエレニア・モカ・イタコラム様とイタコラム王国のためにあります。しかし――」
「ねえ、マリア。アルフレドが言ってはならないと言いましたか?」
「いえ、そのようなことはありません」
エレニアの問いかけに、マリアは即答していた。その一瞬の躊躇もない答えに、エレニアは満足そうに頷いていた。
「では、聖王女の名において命じます。聖騎士団副団長、マリア・テレモア。聖騎士団の行動のうち、アルフレドの予定行動を報告なさい」
すっくと椅子から立ち上がり、エレニアは先ほどまでとうって変わって高圧的な態度を見せている。
その態度と声の調子に、マリアは思わず顔をあげたのだろう。
通常なら不敬と咎められるものに違いない。でも、この場所にそれを言うものはいなかった。
エレニアはただ、マリアの眼をまっすぐに見つめている。
――お互いが、お互いを見つめる状況。いつまでも続くような緊張感。
しかし、それを破ったのはマリアの方だった。
やがて諦めたように小さく息を吐き出すマリア。
もう一度頭を下げると、はっきりとした口調で話し始めた。
「アルフレド様は、魔王教徒の本拠地を壊滅させた後、グレイシアと共に国境の街アマルディカ近郊に向かっております。今頃は到着し、ある人物と接触している事と思います」
「ある人物とは誰? アマルディカはロパル領とムニマルカ領の境の街。まさか、ノマヤ兄様ではありませんよね? トマルイ兄様はまた王都においでですし……」
「いえ、そうではありません。ただ、この事は重要機密事項です。くれぐれも他言なきようにお願いします」
「わかっております。アルフレドのすることです。間違いがあるはずがありません。だけど、知っておきたいのです。マリアならこの気持ちがわかるでしょう? この時期にジーマイル王国の使者がやってきました。トマルイ兄様も王都に来ているのに、ノマヤ兄様はロパルに留まっています。そして、トマルイ兄様の側近であるムニマルカ竜騎士団長ゲルニカ・ロドスのジーマイル王国侵攻発言はいまだに撤回されておりません。しかも、そのゲルニカ団長は王都にいないようなのです。一体どうなっているの? 大陸の北西部では、ハボニ王国が侵攻を始めたという噂もあります。古の魔王が復活し、始まりの四十八人が魔王を倒してから五百年。世界は混乱し、多くの国々が滅んだと聞いています。でも、少なくとも今は平和な世の中です。やっと平和な時代が長く続いたとも聞いています。それなのに、ここ数年魔王教徒の活動が活発化したという報告が続いています。王城で今聞くのは、そんな暗い話ばかりです。あれほど壮健だったお父様も、意識がはっきりしている時間が少なくなってきています。こんな時期に、アルフレドとノマヤ兄様は一体何をしているのです! 私は不安なのです!」
エレニアの想いをのせた拳は、テーブルの小さな悲鳴となっていた。
それでもマリアは黙ってうつむいている。
おそらく何も聞いてないという意志表示なのだろう。
そのマリアの態度に、淑女らしからぬ態度を自ら恥じ入ったのかもしれない。
ゆっくりと椅子に腰掛けて、視線を逸らせたエレニアは、小さく息を吐いていた。
その憂いの瞳には一体何があるというのか。
それを分かるすべはない。
ただ、いつの間にか顔をあげたマリアの口元は、ほんの少しだけ開きかけていた。
――だが、瞬く間に表情を変えたマリアの口から出たのは、エレニアの求めるものではなかった。
「アルフレド様のなさることに間違いはございません。大丈夫です。ご心配も無用かと思います」
何か言いかけたのを飲み込んだのだろう。マリアはうつむき、ただそれだけを答えていた。
「そう……。マリア……。あなたまで、もう昔のマリアではないのですね……。もう、いいです。さがりなさい」
テーブルに肘をつき、自らの頭を支えるようにエレニアは手を組んでいた。
その言葉のあと、その様子をじっと見つめたマリアも、ゆっくりと腰をあげていた。
エレニアはもう身動き一つせず――まるで祈りをささげるかのように――、自らの顔の前で手を組んだままだった。
――ほんの一瞬、マリアの瞳に陰りが見えた。
「…………。これは私の独り言です。ジーマイル王国が誇る真の勇者、ハロルド・カイン。かの者はアルフレド様が最も警戒している男です。私もその実力を見ておきたかったですが、今回はグレイシアに委ねました」
その言葉の意味を理解したエレニアが立ち上がった時には、マリアはすでに礼をして部屋から出る所だった。
閉じられた扉に手を伸ばすエレニア。だが、その開いた口から言葉が紡がれることは無かった。
ただ、その瞳だけはじっと何かを待っているようだった。
――だが、扉は再び開くことは無かった。エレニアのそばには静寂のみが付き従っている。
「おにいさま、キョウおにいさま。モカには何も教えてくれないのですか……。おにいさまはいったい何を見ているのですか……」
茫然と立ち尽くすエレニアからこぼれた言葉。それは誰に言う言葉でもないのだろう。
しかし、その問いの答えを持つ者はここにはいない。
マリアの消えた扉をいつまでも見つめていたエレニアは――フラフラとベッドの方に歩いた後――、そのままそこに身を投げ出していた。
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