#3-1


ガシャン! ガラン! ガランッ!


 夜の11時、閉店となったパチンコ店外での事──。


「ふざけんじゃねぇよ!! クソッタレがぁ!!」


 40歳くらいの男が自販機のゴミ箱を蹴り飛ばし、中身を盛大にぶちまけていた。


 彼の名は森川、しがない派遣社員だ。見ての通りたった今パチンコで大負けしてしまい大荒れである。

 森川は仕事と趣味のサバイバル以外、娯楽はパチンコだけという寂しい男だった。用の無い休日は朝からパチンコ店へと入り浸り、仲のいい店員までいるという始末。その店員から前日、『客の入りが悪いからスロットに高設定を入れる話を聞いた』と言われ、足を運んだのが今日。


 しかし結果は散々だった。教えて貰ったスロット台は当たりはするも、続かない。所持金を全て使い果たし、更にATMへと足を運び、融資限度額まで金を下ろす。

 そして再び同じ台へと挑むも、これが全く当たらない。仕舞いにはまぐれ当たりを期待してパチンコ台へと移るも全然玉が入らずに、結局一日で総額二十万円も失ってしまった。



──適度に楽しむエンターテイメントです。


「何が適度だアホンダラッ! 適度に遊ばせる気も無ぇ癖しやがって!」


 張られていたポスターを目の敵のように睨み、唾を吐きかけた。


 生ぬるい風の吹く中、夜道を歩く男の背中は物悲しくも寂しい…。その上オケラで借金持ちときた。

 借りた金はすぐ返さねばならないが、給料日までが遠い。会社に返済催促の電話がかかってくる前に給料を前借して貰わねばならないだろう。それが原因で仕事がクビにでもなったら、一体この先どうやって暮らしていけばよいのか……。


(あのクソ店員、今度会ったら只じゃおかねぇ!)


 怒りの矛先は必然的に嘘を教えた店員へと向けられる。しかし、店員はあくまで「聞いた」というだけで何の責任も無い。結局は金をつぎ込み負けた己が悪いのだ。「適度」に切り上げることが出来る人間だけが「適度」に楽しめる権利があるという事実を、森川は気付くことすらできないでいた。


 暫く歩くと森川は住宅地を歩いていた。殆どの家の明りが消え、辺りは寝静まっている。明日は日曜日、家族連れならばどこかへ出かけたりもするのだろう。自分には一緒に出かける家族はいないし、何よりも金が無い。


(……あぁ畜生、金さえあれば……)


 必要な金すら無いというのはなんと惨めな事だろうか。嫌な思いに首を振り、背中を丸めて歩いていた。


 その時だった。



『お兄さんお兄さん、随分負けちゃったみたいだね?』



 振り返ると、街灯の下に見知らぬ女が一人立っていた。髪をリボンで縛り、半袖の黒い服に半ズボン、小柄だがほっそりとしていて出ている所は出ている体。こういうのをトランジスタ・グラマーというのだろう、そんな女だった。

 しかしこんな夜中、女が一人出歩いているというのはどうしたことだろう。欲望に駆られ乱暴をしようとすれば、別に隠れている男たちに金をせびられる美人局つつもたせか?


 だとしても今の森川に怖い物などは無い。今の自分は『持たざる者』なのだから。少々気になることといえば『随分負けちゃったね』という言葉。まさかパチンコ屋から出てくるところを見られ、つけられていたのか?


「ああっ? んだてめぇは?」


 負けた苛立ちもあり、森川は威圧的に返事をした。


「お兄さんお金欲しくない? ちょっと仕事してくれたらこれ全部あげるよ」


 女は一万円札を広げて見せびらかす。

 森川は思わず飛びついた。


「どれ、よく見せてみろ。いくらある?」

「十万円くらいかな……あっ」


 あっという間に森川は金をひったくり、一目散に駆け出した。思うにあの女は警察に盗難届を出すことは無いだろう。交番へ駆け込んだところで、まず疑われるのはこんな夜中に大金を持ち歩いていた事実だ。理由はわからないが、きっと警察に知られたらまずい理由があるに違いない。もしかしたら精神異常者なのかもしれないし、いずれにせよ自分が捕まることは無いと、森川はそう勝手に確信をしていた。


 しかし走り出したのも束の間、次の声で森川は足を止めてしまう。


「もしもーし、森川健司さーん。お忘れ物ですよー」


「!?」


 驚き振り返った街灯の下で、女が何かを持って振っている。ハッと思わずズボンのポケットへと手をやるも、財布が見当たらない。いつの間に盗られたのだ!?


「おい、ふざけんなよ!? 返しやがれ!」

「嫌ー」


 慌てて財布を取り返そうとするも、容易くかわされてしまった。見れば女は怖がるどころか挑発的にこちらを見て笑っているではないか。


「この野郎っ!」


 怒りに任せ、今度は女に掴み掛らん勢いで飛び掛かった。しかしこれまた闘牛士のようにひらりとかわされてしまい、地に突っ伏してしまう。


「ほらほら? ここよ、ここ」

「てめぇ……!」


 もう森川は怒りで財布のことなど忘れ、女を羽交い絞めにする事だけを考えていた。取り押さえたら乱暴し、強姦した上で所持品も全て奪ってやると心に決めた。

 しかし思いのほか女は身軽で指一本すら触れることが出来ない。捕まえたと思っても柳のようにかわされてしまい、大きく振った両腕だけが虚しく空をきる。


(今度こそっ!)


 フェイントをかけ、相手の動きが一瞬止まったところを狙う。今度こそ捕まえたと思った瞬間、目の前から女の姿が消えた。


「あっ!」


 女は頭上を飛び越え一回転して着地する。バランスを失った森川は倒れ込んだ。


「……ぜぇ……ぜぇ……」


「もうおしまい? 威勢だけで全然ダメね」


 挑発するように目前で屈む女。森川は息が切れて言葉が出ず、財布に手を伸ばそうとするも取り上げられてしまう。とんでもない運動神経だ、これでは奪え返せそうにない。


「ぜぇ……ぜぇ……財布……俺の……」

「言う事を聞いてくれたら返してもいいわ。そのお金もあげるし」


「ぜぇ……ぜぇ……」

「どうする? やる?」


 ようやく息を整え、森川は立ちあがった。


「……やれば本当に返すんだろうな?」

「勿論よ。ついて来て」



 言われるままに、森川は歩き出す女へとついて行くのだった。後ろから幾度となく女を捕まえることを考えたが、逃げられる予感しかせず、結局なにもできなかった。今も黙って前歩く女の尻を眺めているしかない。


「……ふーん、妙に大人しいと思ったら、そういうこと……」


 歩きながら、女はちらりと後ろを向く。


「な、なんだ?」

「あたしのお尻見ながらやらしいこと考えてたんでしょ?」

「…………文句あっか?」

「別に。……はい、着いたわよ。暗いけど見える?」


 低い土地に水田が広がっているその向こう、先程とは別の住宅地があった。女はその中の大きな一軒家を指さす。


「今からあの家に火を付けてきて欲しいの」

「はぁ??」

「冗談じゃなくて本気よ、近くまで行けば火を付ける道具があるから」

「おい、ちょっと待て」


 森川は女の言葉を遮り一考した。最近やけに火事が多いと思ったが、まさかこの女が連続放火事件の犯人なのか? 今の自分はその実行犯にされようとしているのか?


「いくら俺でも、まだ警察の厄介にはなりたくねぇ」

「できなければ窃盗であんたを警察に突き出すだけよ」

「……金は返すから財布を返してくれ! この通りだ、頼む!」

「嫌よ、もう遅いわ」


 冗談じゃない、放火など出来るものか! 森川は必至に女へ頭を下げながら自分の犯した行為を死ぬほど後悔していた。

 思えばこの遅い時間、理由なく女が一人で大金を持ち歩いている筈がない。先程の身のこなしといい、間違いなくこの女は何某なにがしかのプロ。もしかしたら巨大な犯罪組織の末端かもしれないし、下手に逆らえば今後目を付けられ殺され兼ねない。

 常識で考えれば警察に届け出るのが筋だろう。しかし森川は窃盗という罪を犯した上に、身分証明の入った財布を奪われ、成す術がない。


「バレなければいいじゃない。一瞬ですぐにお金が手に入るのよ?」

「素人がそんなにうまくいくか!」

「放火犯なんて誰も素人よ。こんなビッグチャンスを逃す手は無いと思うけどなぁ」

「……ぐ…」

「成功すれば確実にお金貰えるんだよ? ギャンブルなんかよりもずっと確実にね」


 他人の家に放火すること自体ギャンブルじゃないか。森川はそう思ったが、今すぐに金が欲しいのも事実。手元にある金があれば、融資の返済を一時的に凌げ、更には少し余る。その金をスロットで増やせばいいじゃないか。


 女の甘い言葉に、森川はどんどん甘い考えへと導かれていく……。

 

 そして……。


「……道具は向こうにあるんだな?」

「えぇ、知り合いがいて貸してくれるから。行ってらっしゃい」


 自ら招いた災いを「生きるため」などと結論付け、森川は歩いて行くのだった。

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