#3-2


 もうすぐ目的の民家というところで人影を見つけ、森川は一瞬身構えた。


 顔を携帯電話の明かりに照らしたその人物、こちらを見るなり声を掛けてきた。


「あんたでしょ? 随分遅かったじゃない!」


 知らない女だった。驚く隙も与えられず、大きな袋と着火器を手渡される。


「はい、これね。後は知らないから」


 そう言って女は足早に去って行った。残された森川が袋を開けると、中には液体の入った小さなポリタンクが入れられており、ボロ布も何枚か入っていた。これで家に火を付けろというのか。


(……やるしかない)


 低い塀に囲まれた敷地の入口に立ち、窓に明かりが灯っていないことを確認する。


 まずは下調べからだ。よく燃えそうな箇所を確認するため、敷地へと足を踏み入れなければならない。日頃嗜んでいるサバイバルよろしく身を低くし、ピッタリと壁に張り付いて辺りを警戒した。……よし今だ、ゴーゴーゴー!


 玄関の前に出た時、パッと明かりがついた。


(ヤベッ!)


 防犯センサーだ!


『誰だそこにいるのはっ!?』


 声とともに玄関の明りが灯され、中から怖そうな親父が出て来てしまった。

 森川はさっさと逃げればよいものを、驚いて右往左往してしまっている。


「あ……あの……」

「なんなんだあんたっ!? こんな時間に! 警察呼ぶぞ!」

「違うんです! ……申し訳ありませんが、田中さんのお宅はどちらでしょう?」

「はぁ!?」

「実は友人宅へ泊ってたんですが、何分慣れない土地で迷ってしまって……」


 人間は追い詰められると逆に冷静になれる時がある。一瞬ドキリとした森川だが、咄嗟に出まかせの言い訳が口から出ていた。


「うちは田中じゃないし、ここいらの家にそんな苗字はないよ!」

「じゃあもっと向こうの住宅地でしょうか。夜分遅くにすみませんでした」

「人騒がせなっ!」


 ペコペコ頭を下げながら、森川は逃げるようにその場を後にする。



(クソッタレがっ!)


 さっきと態度はうって変わって、道へ唾を吐く森川。


『どこ行くの? 田中さんちじゃないでしょうね?』


 声のした高い塀の上、見上げると例の女がいた。どうやって登ったのか足を組んで塀に腰かけ、その目が白くギラついて光っている。こいつは本当に人間かと疑ったが今更どうでもよく、それどころではない。


 女は猫のように、しなやかに飛び降りると森川の前に立つ。


「あーらら、失敗しちゃったね。どうするつもり?」


「防犯ライトがあるなんて聞いてない! 金は返すから財布を返してくれ、今日の事は誰にも言わない、俺にはもう無理だ!」


「諦めるの?」

「もう向こうには警戒されてる! とにかくこれ以上は無理だ!」

「無理無理言われても、今夜中にして貰わないと困るのよね」

「無理なモンは無理だ!」


 完全に腰が引けて無理一点張りの男に、女は溜息をつく。


「じゃさ、内臓売ろっか」

「……あ?」


「無理なんだもん、仕方ないよね。こっちも準備に使ったお金が必要だし、あんたも欲しいでしょ? いい医者紹介するから今すぐ行きましょ、抵抗したら殺すよ?」


 女はもう人でないことを隠さなかった。光る眼で詰め寄り、伸びた爪をチラつかせてきたのだ。これには流石に四十間際の男でも肝を潰し、焦り出す。


「ま、まてまてっ! わかったやる、やるよ! いい方法がある! 今思いついたっ!」


 出まかせでないことを証明するため、携帯電話を取り出すと掛け始めた。


「流石に一人じゃ無理だ、協力者を呼ぶ。起きていればいいんだが……」

「ふぅん? まぁいいけど」


 やっと爪を仕舞い、引き下がる女にホッとする。そしてひたすら友人が電話に出ることを祈った。


(……頼む! 出てくれっ……!)


 待つこと数十秒、ようやく繋がった。電話に出たのはサバイバル仲間だ。


──もしもーし、なんすかこんな時間?

「あっ倉田かっ! 済まんな、詳しく言えんが仕事がある。三十分で一万……いや、三万でどうだ? 今すぐ車を出してくれ!」


──何言ってんすか? ……酔ってるなら切りますよ? 俺明日忙しいんすよ。

「頼む! 人助けと思って車を出してくれ! 運転だけしてくれればいいから!」


──よくわかんないっすけど、車出せばいいんですね? すぐ帰りますよ?

「あぁそうだ、例の物は車に積んであるか? あれも持って来てくれ、頼んだぞ」


 森川は電話を切ると、なんとか首が繋がりホッとする。問題は倉田が本当にここへ来てくれるかどうかだが……。


「同じ趣味の仲間だ。あと二十分もすれば来てくれるだろう」

「随分若そうな声だったけど信用できるの?」

「あぁ。金さえ出せば大抵のことはしてくれる奴だ」


 そして森川は少しでも女を信用させるため、今からする計画について話し出した。


「……成る程ね。でもそれだけじゃ心配ね、おまじないしてあげる」

「???」


 女は森川の右手をとり、手の平に指で字を書き始めた。こそばゆく怪訝に思っていると、今度はその手を胸へと押し当てたではないか。


「っ!」


 不意に伝わってくる柔らかい感触……。

 次に女は硬直している森川の顔を覗き込んだ。


「…………」


 白く光っていた眼が緋色の変わる様子を、森川はじっと見ていた。


「……はい、終わったわよ」


 言われ離された手に感触が残る。それと同時に右手が火のように熱くなっているのを感じた。よくわからないが、これならやれるという気まで起こって来たのだ。


 それから暫くして、一台の軽トラックがこちらへと近づいて来た。


「あれがそうなんじゃない? 成功したらボーナスあげるからがんばってね」


 そう言って森川の財布に紙幣を入れながら去って行く。


『おーい、森川さん? どしたんすか?』

「おうっ。ここだ、ここだ」


 もうこうなったら引き返せない。軽トラックの荷台にポリタンクを積むと、自らも荷台へと乗り込む。助手席へ座れと促す倉田に対し、森川は指示を出して運転席へと押し戻した。


(よし、持ってきたな……)


 荷台に幌がかけられて積まれていた物、それはハンティング用のボウガンだった。ゆっくりと進む車の荷台で、森川は素早く布を矢の先に丸め、ポリタンクの液体へと浸していく。


 指示された通り、倉田は例の大きな家の付近で更にスピードを落とした。


(よし……見てろよ!)


 森川は布に火を付け、ボウガンを構える。

 家の裏出に狙いを定めると引き金を引いたのだ!


(おっ!)


 矢が見事命中し、その瞬間信じられない勢いで燃え出したではないか! すかさず次の矢を装填し、火を付け放つ! 今度は家の側部へ命中し、また炎を上げだした!


(よしいいぞ! 行けっ!)


 合図に森川が車窓を叩いた途端、軽トラックは狂ったようにスピードを上げて走り出した。荷台から落ちないように身を屈めていると、後ろから爆音が轟き聞こえる。恐らく家庭用のガスボンベに引火したのだろう。


(……やった……俺はやったぞ ……遂にやっちまったんだ……!)


 幌で姿を隠しながら、森川は揺れる荷台でひたすらじっとしていた。


 少しして、軽トラックはスピードを落とし止まってしまった。恐る恐る幌を取って顔を出すと、そこは辺りに民家の無い水田のど真ん中。荷台から降りて運転席を覗き込むと、ハンドルを握りしめて硬直した倉田の顔があった。


「おう、よくやってくれた!」


 窓を叩いて労うも倉田は微動だにしない。

 やがて、運転席の窓は開けられた。


「……森川さん、あんた、何やったんだ?」

「見た通りだ。誰にも言うなよ? ほれ、礼金だ」


 そう言いつつ一万円札数枚を渡そうとする。差し出された方は受け取ろうとせず、森川を睨むと声を荒上げた。


「ふざけるなよ!? あんた何したかわかってんのか!? あれ誰の家だよっ!?」


「知らん」

「なっ……」


 驚き倉田は言葉を失う。あの家の人間が悪事を働いていたとか、恨みがあったとかならばまだ話は分かる。しかし目の前のこの人間は、誰の家かもわからないところへ火を放ったのだ。

 倉田も十代の頃は結構やんちゃをした。見知らぬ連中と大勢で暴力沙汰を起こした事もあったし、それが原因で警察に補導された事もある。だがそれらは何らかの理由あってのことだ。


 ……それを、目の前のこの人は……。


「……森川さん、悪いが一人で帰ってくれよ」

「なんだと?」

「もうあんたとは付き合えない、連絡もしないでくれ」


 倉田は窓を閉め、軽トラックを走らせ行ってしまった。


 それを眺め、立ち尽くしているところへ声が掛かる。


「おつかれさま。はい、約束のご褒美」


 気付けば女がすぐ横にいて財布を手渡してきた。森川は黙って受け取ると、視線を変えず独り言のように口を開く。


「……なぁあんた、放火を依頼することはできるのか?」


 森川の言葉に、女はニコリと微笑んだ。


「勿論よ。今すぐがいいでしょ?」

「あぁ、それも大至急でだ」


 そう言って振り向く森川の顔は、女同様に不敵な笑みを浮かべているのだった。

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