#2


(ムカつくっ! ムカつくムカつくムカつくっ!!!)


 

 貴子は酷く腹が立っていた。どれくらいかと言えば、半日で学校を早退して来た程度。早退と言うと聞こえはいいが要はサボリだ。こうなったのは仲良しグループから苛めの標的にされたことにある。



 数週間前の事、登校拒否で長らく学校を休んでいた女子生徒がクラスへ復帰した。席が近かったこともあり、何も知らない貴子はこの生徒に話しかけ、当り障りなく接し、気付けばお互い打ち解けているのだった。

 聞けば1年生の終わり頃、酷い苛めを受けていたのが不登校となった切っ掛けらしい。始めは気遣いで話し掛けていた部分もあったが、日が経つにつれ休み時間につたない話で笑い合ったりするまでに仲良くなった。世話好きの貴子は、いつも一緒につるんでいるグループに引き入れようかとまで考える。

 一体誰から苛めを受けていたのか、聞き出そうとするもそれだけは打ち明けてくれなかった。


 その数日後、突然貴子はグループから無視をされ始め、私物がゴミ箱へ捨てられる事態まで起こった。



「ちょっとどういうつもりっ! やめてくんないっ!?」


 休み時間、負けん気の強い貴子はグループのリーダーから問いただそうとした。


「なんのこと?」

「惚けないでよ! 私に何の恨みがあるの!? 友達でしょ!?」


 怒りをぶちまける貴子にリーダーの三登里子みどりこは、さも不思議そうにクラスメイトらと見合わせる。


「なに言ってるか、わかる?」

「…さあ?」

「貴子おかしいんじゃない? 行こ行こ」


「待ちなさいよ! 一体何が気に入らないわけ!?」


 引き留めようとするも、構わず教室へ入ろうとする友人たち。

 すれ違い様、三登里子の声を確かに聞いた。


──そうやってすぐ、いい子振るところでしょ。

──本当は悪い子の癖に。


 この瞬間、三登里子は完全に貴子の敵となった。登校拒否だった生徒を苛めていた張本人は、実はこの三登里子だったのである。

 苛めは日に日にエスカレートしていき、なんと登校拒否をしていた生徒にまで無視され始めたのだ。三登里子が密かに手を回し、懐柔してしまったのである。


『お願いだからもう話し掛けてこないで』


 今まで仲の良かった友人らに裏切られ、苛めの酷さを知っている筈の登校拒否生徒からも裏切られるとは……。人はここまで腐れ外道に堕ちることが出来るのかと、酷くショックを受けてしまったのだった。

 


 自宅へ戻るとさっさと着替え、街へ繰り出す支度を始める。在宅していた母親は、帰って来た娘に何も言わない。帰って来ても「あぁ、またサボりか」程度の認識で、はっきり言ってしまえば見限っていたのだ。

 難しい年頃の娘ならば、こんな親の態度を悲しんだり、腹を立てたりするものだ。しかし貴子は貴子でこれを何とも思っていないのである。必要以上の言葉が交わされない家庭は都合がいい反面、冷え切っていた。


 電車に乗り地方都市の商店街へと足を延ばす。巡回の警官に呼び止められぬよう、素早く目的のブティックへと入る。ブランド品をメインに扱っている店で、流行に目ざとい貴子もお気に入りの店なのだ。

 入っても買う目的があるわけでも無し。それでもここに訪れる理由は、オシャレな店内でブランド品を見定めている間、自分が大人の女性になった錯覚を覚えて気分が良くなるからに他ならない。それでも今日は中々気が晴れることはなかった。


(ん? 何だろこの服)


 ヒラヒラと変わった形状で吸い込まれそうなほどに黒い生地。つい目に留まった服を思わず摘まみ上げた。特別に良いとは感じなかったが、何となく気になってしまいタグを探し始める。


 ここで服を着ていたマネキンが急に貴子へと振り返ったのだ。


「キャッ!」


 小さく悲鳴を上げて床に尻餅をついてしまった。一方マネキンと思われていた女性は振り返って不思議そうに貴子を見下ろしている。


「ご、ごめんなさいっ!」


 慌てて立ち上がり頭を下げるが、向こうは尚不思議そうにこちらを見続けていた。


 少し年上で大学生だろうか。もしかすると社会人かも知れない。落ち着いた色のルージュと大胆に開けられた胸元、背は低いがスラリと伸びた細い足。そこにいたのは間違いなく大人の女性そのものの姿だ。


「え、えと素敵な服ですね。てっきり売り物かと思ってつい……」


 顔を赤らめしどろもどろに弁解する学生に、ようやく女性はにっこりと微笑む。


「ね、時間ある? ちょっとスタバろっか」


 

 最近できたばかり、流行のコーヒーショップへと二人は足を運んだ。女性は慣れた様子でカウンターへ行き、素早くトッピングを注文する。貴子はその姿にカリスマ性を感じてしまい「なんか凄い人について来てしまったぞ」というドキドキを味わう。まさか大人の、しかも同じ女性から逆ナンをされるとは思いも寄らなかったことだ。


 外にあるガーデンテラスへ席をとると、お互い向かい合って座る。女性の注文したコーヒーは貴子が頼んだものの三倍近い大きさがあった。


 これに貴子は思わずスマホを取り出しカメラを向ける。


「写真、撮らせて貰っていいですか?」

「写真って、コーヒーの?」

「学校で流行ってるんです」

「へえ、そうなんだ」


 女性の名前は「璃子りこ」と言った。夜は飲食店で働いているらしく、朝はいつも昼まで寝ているとか。


「えー、いいなー。羨ましいです」

「接客業だし大変よ。たまにスケベな客の相手もしなきゃいけないし」

「あー。でも璃子さんなら綺麗でスタイルもいいし、仕方ないですよー」

「またまた、うまい事言っちゃって」


 そう言って笑う璃子を、貴子はまるで別次元の存在に思えてくる。


 憧れるとかこの人のようになりたいとか、そんな風には思わない。ただ璃子の大人びた雰囲気を少し自分もあやかれないものだろうか。そんなことを考えていたのだ。

 

 話ははずみ、気付けば貴子の学校の話題となっていた。不思議なもので、璃子の前ではどうでもいいようなことまで話してしまっている。尤も人間の会話の殆どは、内容なんて下らないものばかりなのかもしれないが。


 そしてつい貴子は、自分が虐めを受けていたことも打ち明けていた。


「……成る程、それは酷いわね」

「今まで自分が苛められてたのに、それを他人にするなんて…… 絶対許せない!」


 興奮気味に話す貴子。それを聞きながら、璃子はコーヒーを一口飲んだ。


「溺れる者は藁をも掴む、ってやつでしょ。溺れてる方も必死なのよ。周りに合わせないとまた苛められる側に戻るんじゃないか、ってね」


「だからって人を生贄にしたりします!? マジありえないっ!」


「そうね。でもそんな小者どうでもいいじゃん。問題は貴子ちゃんのお友達の方」

「お友達?」


「三登里子ちゃん、だっけ? グループのリーダーの子」


「あんな奴もう友達じゃないっ! 死んじゃえばいいのにっ!」


 ついつい声を張り上げ、何事かとばかりに振り向く周囲の視線を集めてしまった。璃子は口元へ指を当て、もう片方の手で軽く小突く真似をする。貴子自身は怒られた悪餓鬼のように首を縮め、顔を赤く染めながら舌を出した。


「気持ちはよく分かったわ。でもこれからどうするの?」

「できることなら本当に殺してやりたい……マジムカつく……」


 貴子は顔を曇らせ、下を向く。2年生のクラスは3年生まで一緒だ。これから先、苛めは卒業まで続くだろう。そう考えると学校へ行くのが憂鬱で、こっちが登校拒否をしてしまいそうだ。


「……マジな話、三登里子ちゃんをこっそり殺せるとしたら、どうする?」

「え……」

「私に任せてみない? ちょっとお値段張るけど、そこは勉強するからさ」


 顔を上げると、すぐ傍に璃子が詰め寄ってきていた。

 この人は一体何を言っているのだろうか。それがよくわからずにボーっとするも、強い香水の匂いを感じ、ハッと我に返させられる。


「でもどうやって? もしバレたら……」

「絶対にバレない。今までやってきてバレたことないし」

「……それ、マジですか?」

「貴子ちゃんさえ黙っていれば、絶対バレないわ。保証する」

「でも……」

「強要はしないけど一生ものよ? よく考えてみて」


 一生もの……。確かに今は青春を謳歌している大切な時期。それを他人に台無しにされてしまうなんてもってのほか。ストレスを溜め込み早くから婆になってしまっても、誰も責任など取ってはくれないのだ


「いくらですか?」


 貴子は決意し、真剣な表情で財布を取り出した。

 それを受け、黙って両手の指を広げて見せる璃子。


「十万円!? そんなに!?」

「格安よ。貴子ちゃんなら払えるでしょ?」

「わ、私まだ学生ですよ? アルバイトもしてないし……」

「……ふぅん、そう?」


 璃子は詰まらなそうに返事をし、再びコーヒーに口を付けた。先程から巨大なコーヒーは全く量が減っていない。

 そして何か考えるようにテーブルを小突き始め、何か閃いたようにニヤリとした。


「可愛いお財布、ブランド品でしょ? オークションでも五万円は下らない筈よ」


「え、あっ…はい」


 続けて再び顔を近づける。


「そのトルマリンのピアス、結構したんじゃないの? 最近の学生はお金持ちね」


「あ、こっこれは誕生日に……」


 更に璃子は詰め寄る。


「そもそもさ、なんであのお店に居たの? 学生が買い物できる店じゃないわよね? 私もよくあの店行くんだけどさ、前に貴子ちゃん買い物もしてなかったっけ?」


「っ!?」


「いるんでしょ? お父さんとお母さん以外に、お小遣いくれる人」


 貴子は思わず半笑いとなる。璃子は首を傾げ微笑み返すが、目が明らかに笑っていない。うまく言えないが、この璃子という女性からは底知れぬ恐怖を感じる。しかしそれが、今の貴子にはこの上ない信頼感を与えた。


 あくまでもそれは、この場限定の話ではあるが……。


「……十万円、でしたよね」


 気付けば貴子は財布を開き、紙幣を数えていた。


「特別に八万円でいいわ。今流行りの学割ってことで」


 笑えない冗談に黙って並べられる一万円札。それを璃子は素早く攫い、慣れた様子で数え始めた。しっかり八枚あることを確認すると、持っていたポーチへと入れる。


 そして立ち上がると貴子の後ろへ立ち、抱きかかえるように両肩を撫でた。


「貴女はとてもいい買い物をしたわ。約束通り、誰にも喋っちゃダメよ?」


「…はい」

「月曜日までに何とかしとくわ、コーヒーも奢ってあげる。じゃあねー」


 璃子はコーヒーショップを出て行った。貴子も気付き慌てて続くが、もう璃子の姿は見えなかった。



 家に帰って来て、璃子に三登里子の住所を教えなかったことに気が付く。


「もしかして私……騙された?」


 何という事だ、詐欺に遭ってしまったのか!

 腹立たしさを感じ、ベッドへ飛び乗りジタバタするも、すぐにそれは治まった。


 八万円、世の中からすれば大金かもしれないが、自分の場合ねだればまた手に入る金額だ。欲しい物が当分お預けになるだけ、たったそれだけのことなのだ。

 高い勉強代だったが仕方ない。それよりかはやってくるであろう、次の月曜日の方が遥かに心配だったのだ。

 

 土曜日、遅く起きた貴子は全てを忘れるように遊び惚けた。小遣いをくれる人から連絡があったが、具合が悪いと言って早めに電話を切り上げた。


 日曜日、夕飯時に茶の間で『それ』を知った。


「これ、あんたの同級生の家の方じゃないの?」

「え?」


 TVを見ていた母親から何気なく言われ見ると、火災が起きている現場の様子だった。同じ県の同じ市内だが、暗くてどの辺りかはよくわからない。


(まさか……)


 その夜、貴子は頭の中で様々な心配が過ぎり、中々寝付けなかった。


 そして、運命の月曜日がやって来た。


 貴子がいつものように学校へ行くと、クラスは三登里子の話題で持ち切りとなっていた。他のクラスからも態々様子を見に来る生徒が居るくらいである。


 やがてチャイムが鳴り担任の教師が入って来た。

 そして昨晩、三登里子の家が全焼し、一家全員が焼け死んだことを告げる。


 それからの貴子は誰からも苛めを受けなくなった。リーダーが不在となった仲良しグループは自然消滅したようだ。というのも、理由は死んだ三登里子にある。

 警察の調べによると、火事は放火と断定されたものの三登里子の遺体だけ見当たらなかったらしい。焼け跡の遺留品状況からみるに、家に居たのは確かだがどうしても見つからず、捜査も暗礁に乗り上げているとのことだ。1年生の時に苛めをしていたことも手伝って「三登里子は悪魔の子だった」などという気味の悪い噂まで流れた。



 ある日の休み時間のこと。貴子は元仲良しグループだった二人から呼び止められ、廊下に出た。何事かと思っていると、二人揃って突然頭を下げて来たのだ。


「……貴子、今までごめんね」

「私たち、今まで三登里子に強要されてたの……マジごめん、傷ついたよね……」


 申し訳なさそうに頭を下げられ、貴子はまんざらでもない。


「……ま、私の心は海より広いし? 今回だけは許してしんぜよう!」


「ほんと!? 貴子やさしー! 大好きっ!」

「タカピーマジ女神っ! 愛してるぅ~!」


 二人から抱き付かれる貴子。この調子なら他の面々もすぐ頭を下げてくるだろう。あぁそうだ、いっそこのまま自分がグループのリーダーになってしまえばいい。


 そう考えると、心の底から欲望がふつふつと沸き起こって来る。二人の肩を抱え、教室で本を読んでいる一人の女子生徒へと目を向けた。あれ以来、彼女とは口をきいていない。今まで何事も無かったかのように振る舞うその姿勢に、酷く腹が立った。


「ところでさ。前から思ってたんだけどあいつ、チョー気に入らなくね?」

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