受験生へ
囲会多マッキー
第1話
皆さんは数学と国語の違いを説明できますか?
恐らく同じところを説明するのは難しいでしょうが、違いを説明するのは簡単でしょう。
国語と数学の同じところは、テストの時に答えが一つしかないことです。
これはすべての教科に言えます。
そしてどちらも日常生活で1番使うものです。
数学というと難しく考えてしまうでしょう。
ここで数学の身近な例を紹介しましょう。
皆さんはスーパーマーケットで買い物をする時に同じものを2個買ったとします。
1つ298円だとするとあなたが買ったものの金額は全部で大体いくらになりますか?
という問に大体600円と答える人が多いはずです。
これも数学なのです。
これは小学生や中学生に先生がよく言うことでしょう。
「そんなの飽きるほど聞いたよ・・・」
という方もいるでしょう。
私もその1人です。
なら・・・
この時点で国語で学んだことが沢山使われているのは分かりますか?
身近過ぎて気づかないのかも知れませんが、ひらがなを読めるのは小さい頃に学んだからですよね?
そうじゃなきゃ今までの文章なんてひとつも分かるはずがありません。
ようやく本題に入りますが、
数学は答えが1つしかありません。
これは数学者の誰もが言うことでしょう。
しかし、約100年前になると数学者たちは全く異なる答えを出して「私が正解だ」と言い合っていた時代もあるのです。
つまり
数学は答えが1つしかないという概念は間違えているのかも知れません。
数学の中に2次方程式というのがあります。
これは答えが2つある方程式です。
しかし、テストになると答えは2つあるのにその2つある答えがどちらもあっていてようやく1つ丸がつくのです。
これは国語もそうでしょう。
人によって文章の捉え方は違います。
それを無理矢理ひとつの答えに使用とするのはどうなのでしょうか。
不思議と嗚咽が出てきた。しかし、私は泣けなかった。
「彼女の心情を答えよ。」
という問題が出たとします。
ある人は悲しいと思うかもしれない。
しかし、怒っているのかもしれない。
このあとの文章しだいでこの問題の答えはガラッと変わるのです。
なのに、授業では「こうだ。」と教える。
このタイプの授業はそれぞれの個性を潰してしまっている。
という言葉が心に響きました。
確かにそうなのかもしれません。ただ、受験や就職に有利になりたいのなら今はこの授業を受けるしかありません。
数学と国語は全く異なるものだと思っているでしょう。
しかし、この全く関係ないように思える教科は人の見えないところで密接に繋がっています。
受験を経験した方も、受験を経験していない方もいますが、国語と数学のようにたくさんの違いがあるように思っても実は近いものは沢山あります。
その近いものをたくさん見つけているのに気づかないのはもったいないです。
近いものはどちらかが少しだけ良いと言えます。
小さなことを見つけるのと同じように、
自分の未来の通過点も見つけて下さい。
そしてその通過点を通れるように道を作ってください。
その作った道がより良い方向であることを祈ります。
まだ早いですが、次の高校を受ける受験生の皆さん、
応援してます!
受験生へ 囲会多マッキー @makky20030217
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