密林の村モリーブ 1

 モリーブは密林の中にある唯一の村だった。豊かな水と果実に恵まれながら他にないのは、毎夕の大雨と自然の強力な繁殖力のせいだろう。

 一行は軽く朝食を済ませると、荷車に荷物をまとめ、再び出発した。

 昨日と何ひとつ変わらない、むっとした酷い暑さだった。荷車を押しながら滝のように汗が流れ落ちる。

 ふとノアの華奢な背中が王子の目に入った。昨夜はほとんど眠れていないようなのが心配だった。エルザと自分だってどこまで体力がもつか不安がある。今夜はきちんとした宿で休めるだろうことが救いだった。

 とは言え歩けど歩けど村は見えてこない。うんざりしながらまた泥濘にはまった車輪を持ち上げていると、急にターニャが森に入っていき、小さな動物を抱きかかえてきた。

 よく見ると小さな女の子だった。一行は驚き、ターニャを囲む。

「迷子かしら。お腹が空いて動けなくなったみたい」

 女の子は抵抗もせず抱きかかえられている。叫ぶ気力も残っていないようだった。

 エルザが抱き取ると、そっと荷車に置いた。水袋といくつかの葉を取り出すと、手早くコップに注いだ。

「飲んで。元気が出るから。大丈夫よ」

 女の子はおとなしく飲み始めた。

「モリーブの村の子?」

 コップを両手で抱えて頷いた。

「私たちもちょうど行くところなの。乗せて行ってあげるからね」


 眠っていた女の子が荷車から弾けるように飛び降り、振り向くこともなく駆け出して行った。

「短い同行だったわね。村が近いのかしら」

 先頭を歩いていた鳥使いの肩に、鳥が降り立った。鳥使いは小さく頷くと呟いた。

「この先だ」

 蔦を切り裂いて荷車を押し通す。今までと何も変わらない風景だったが、鳥使いにつられて頭上を見上げた。

 荷車を引くエルザとノアも顔を上げる。

 木の上高くに家々があった。とても人間の力では登れないような高さの枝にしがみつくようにして、緑の大きな葉でできた家々がへばりついていた。それが見渡す限りの木それぞれについているのだ。家々をつなぐように細い糸が張り巡らされているのは、連絡用だろうか。

「大雨からの水没を防ぐ知恵ね」

 ノアはぽかんと上を見続けている。

「それにしてもなぜ誰もいないのかしら」

 確かに見える限りでも10は家があるというのに地上に降りている人はいない。皆家の中にこもっているのか、どこかへ出かけているのか。

「ダラスの一行である!宿を乞いたい!」

 王子は声を張り上げたが、反応はない。やはり全員で狩にでもいっているのだろうか。エルザを見やると難しそうな顔をしていた。

「おかしいわね。まあ仕方ないわ。ここで誰かが戻るのを待ちましょう」

 それぞれが荷車を囲むように座ると、見わたす限り一番高くにある家からはしごがするすると下りてきた。小さな老人が危なげなく慣れた足取りで降りてくると、こちらに近付き、自分はモリーブの長であると名乗った。

「まことに申し訳ございません。この村は今ほぼ全員が流行り病に侵されており、宿どころかなんのもてなしも差し上げられません。先を急ぐ旅でありましょうから、ここは通り過ぎていただきたい」

 王子は内心落胆してしまった。体は思った以上に疲弊していた。やっとたどり着いた村で宿どころか一食の施しさえ受けられないとは。しかし流行り病ならば仕方ない。むしろ早々に立ち去るべきである。

 そこに進みでたのはエルザだった。

「わたくしは医術師です。なにかお役に立てるかもしれません。どなたか症状を見せてはいただけませんか」

「皆さまのお手を煩わせるには及びません。時が経てば治るものゆえ」

 長は焦ったように首を振ると、慇懃に後ずさり、はしごを上った。はしごはまたするすると巻き上げられていった。

 王子は呆然としてしまった。長老の態度にぴんとくるものがあったのだ。

「あーあ、だから嫌だったのよ、こんな一行につくなんて」

 ターニャのため息混じりの声に、自分の中の怒りが一気に沸騰するのを感じた。抑えることが出来なかった。

「どこの息が掛かっている?!アルーか、ウィンザか!」

 大声で叫ぶが返事もなく、人が出てくる気配すらない。

 肩に手が置かれ振り向くと、エルザが首を振っていた。悔しさに言葉も出なかった。

「行きましょう」

 どうすることもできなかった。

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