最初の夜 2
ノアにとって野宿は初めての経験だった。と言ってもダラスで目覚めてからの短い記憶の中でだが。当然いくつもの天幕を用意できるはずもなく、ひとつに雑魚寝をすることになる。
ターニャは外で寝ずの番をするという。残りの4人はご飯が終わると早々にランプを消した。
ノアは眠れずにいた。
ダラスで目を覚まして以来、こんなに硬い場所で寝たことはなかった。幸い拾われたのが王子のの家だったため、生活には事欠かなく、拾われ人にしてはずいぶん立派な部屋をあてがわれていたのだ。
旅の高揚もあるのかもしれなかった。
右側からは安らかとしか言いようのない寝息が複数聞こえてくる。なぜみんな眠れるのだろう。鳥使いはともかく、王子とエルザだってこんな外では寝たことがないに違いないのに。
自分は生きる力が弱いのだと思う。疲れたときには食べたり眠ったりすべきなのにそれがむしろ出来なくなる。限界になったら眠れるのだろうか。それとも眠れないまま限界を超えて、死んでしまうのだろうか。
明日も歩くというのに、もう寝なくてはならないのに、考えれば考えるほど瞑った目の中は冴えて、意識が遠のく気配もない。早く寝なければ。早く寝たい。でも、またあの恐ろしい夢を見るのかと思うと、自分がどうしたいのかわからなくなった。
世界中で自分ひとりが目覚めているような気がして、ノアは急激な心細さに襲われた。
この世界にひとりきり。
ふと天幕の外で音がした。ターニャが薪を入れたのだろう。目を開けると火に照らされて揺れる人影が映っていた。
ノアは周りを起こさないようそっと起き上がった。
天幕を上げて外に出ると、こちらに背を向けて座っていたターニャが振り返った。
「どうかした?」
眠れないといったらまた笑われるのだろうか。答えに困って空を見上げると、夕の暗い雲はもうとっくに過ぎ去り、星空が広がっていた。降るような星空。ひとつひとつが瞬いていて恐ろしいほどだ。
「夕の大雨が塵や埃を洗い流すから、ダラスの町よりきれいに見えるのよ」
思いがけず優しい声音に驚いた。思わず顔を見ると、オレンジ色に暖かく照らされている。
「座ったら?」
ノアは引き込まれるように近付いて、腰を下ろした。人一人分空けたのは、距離感を掴みかねたからだった。自分はここにいて良いのだろうか。
「眠れないの?」
無言で頷くと、ターニャは柔らかく苦笑した。
「話し相手くらいにはなるわよ。中のやつらを起こすと悪いからもっとこっちにおいで」
話し相手と言ったって、今までほとんど話したこともないのに、いったい何を話すつもりなんだろう。それでもおずおずと隣に移動してしまったのは、初めての野宿の寂しさからか、火の暖かさからか、瞬く星のせいか、それとも。
「何も思い出せないの」
ターニャは黙って火をいじっている。
「でも毎晩夢を見るの。どこかのお城にいる夢」
思い出すと体が震えた。
厚い樹木に覆われて風は感じないが、空を囲む葉の先は静かに揺れている。時々思い出したかのように、ずっと遠くから何かの鳴き声が聞こえてくる。
「豪華な大広間に私はいて、玉座にいる誰かから呼ばれて歩いて行って…そこでいつも終わる。でもそのあとに恐ろしいことが起こることだけは分かっているの。分かっていながら逃れられない。進むしかない」
「それでこの旅についてきたのね」
ノアは頷いて、考えながらゆっくりと話した。
「でも自分でもどうしたいのか分からない。恐ろしいことが起こるのを知りながらそこに向かうなんて馬鹿なんじゃないかと思う。でも行かないといけない。このまま何も分からないまま焦っているだけよりはずっとましなはずだから」
自分を納得させながら話すようだった。いずれきっと、あのままダラスで細々と暮らすことが正解だったと思うとときが来るという確信がある。何も思い出せないのは、それほど消してしまいたい何かがあるのだと思う。でもあのまま何もしないことに耐えるよりは自分から近付きたいと思った。
「ふうん」
ターニャがじっとこちらを見つめていた。
「あんたおどおどしてて気に入らなかったんだけどさぁ」
無表情に言い放たれ、ノアはとっさにびくっと身を震わせた。その様子を見たターニャは弾けるように笑い始めた。
「最後まで聞きなさいよ。なかなか面白い子じゃない、ノア」
ノアは喜んでいいのか悲しんでいいのか分からず、薪の先で火をいじった。ターニャはやっと笑いを収めると、後ろに手をついて仰向いた。
「特別に、私がこの一行についてきた理由も教えてあげる」
思わずターニャを見つめる。瞳には星空が映ってキラキラと輝いている。結い上げられた赤い髪は焚き火の光を弾いて、もうひとつの炎のようだ。
「大切な人がいるの。守りたくて、幸せになってほしくて、私、そのために生きている」
ノアは先を促すように見つめたが、ターニャはもう何も話さなかった。
炎は暖かく舞い上がり闇を照らしていた。2人は黙ったまま夜空を見上げていた。
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