旅立ち 4
道は悪路が続いた。ダラスから熱帯雨林を抜ける唯一の道のはずだが、王都からお達しがあり、近年は行き来が禁止されていたためだという。植物動物が豊富なため、昼間は凶悪な動物に襲われる心配があまりないのが唯一の救いだった。
雲が広がる前になんとか野営に適した場所にたどり着くことが出来た。といっても周辺は蔦だらけであり、天幕を広げるのはまたひと苦労だった。
周辺を見てきたターニャが戻ってくる頃、雨が降り始めた。ダラスの町で経験したよりもずっと一粒一粒が大きい。こうなるともうほぼ視界は利かず、外での煮炊きも勿論できない。天幕の内側でじっとしているほかなさそうだった。
ノアはまたしてもはじで膝を抱えていた。天幕に激しく打ちつける音に包まれて、滝の裏側にいるような気がした。エルザが隣に座る。
「話していい?」
ノアは問うように見つめ返した。エルザは肩をすくめる。
「ご覧の通り。話し相手がいないの」
王子は寝ているのか、外を向いて横になっている。ターニャは外を向いて剣や弓矢の手入れを、鳥使いは鳥の毛並みを梳いているようだ。
ノアはこくりと頷いた。
「仲間の一行が若すぎるというのも考えものね。人と人のふれあいの大切さというものをちっともわかっていないんだから」
これ見よがしに大きなため息をつくエルザに、ノアは思わず微笑んでしまった。それを見てエルザも嬉しそうにしている。内緒話のようにノアの耳元に口を近づける。
「でもね、分っているの。みんな表に上手く出せないだけで、本当は分かり合いたいのよ。みんな根は良い子なのを私は知っているわ」
「…エルザはみんなのお母さんみたい」
思わずこぼれるようにノアは言った。
「そうよ。私は皆のお母さんなのよ。そしてあなたのお母さんでもある」
エルザは嬉しそうに周りを見わたした。
「私のお母さんはどんな人だったんだろう。思い出せないの」
「思い出したいの?」
ノアは少し考えてから首を振る。
「何か急いでしなきゃいけないことがあるのがわかるの。こうしているうちに手遅れになるのかもしれない。でも思い出せないの。思い出すのが怖いような気もするの」
エルザはそっとノアの頭を撫でた。
「大丈夫。人間はね、全てが自分の意志なのよ。思い出せないのなら思い出したくない理由があるの。そんなときには思い出さなくていいのよ。必要なことなら、準備が整ったときにきちんとわかるからね」
ふいに涙が出てきそうになってノアは驚いた。気付かれないようにそっとまばたきをする。
こんな人に育てられたら自分は違う人間になれていただろうか。
何も思い出せないのに、自分は駄目な人間なのだという思いだけは残っている。きっとなにかひどいことをしたのだろう。この焦りは、それを取り戻すためのものなのだろうか。だとしたら一刻も早く思い出さねばならない。
しかし、エルザが隣にいてくれる今はこのままぬるま湯につかっていたかった。
「しかし今日の進みは散々だったわね。数年でこの道がこんなになっているとはね」
ノアは思い切って聞いてみた。
「他にも王都を目指している人たちがいるの?」
「ああ、昼間の話ね。私たちと同じような人がいるのよ。中継都市アルー、西の草原のウィンザ、山岳地帯のコルト。この三箇所からね」
エルザは荷物を開けると折りたたんだ地図を取り出した。
中心に書かれているのは王都トリシア。その南西にアルーがある。
「アルーは王都とその南の大都市テノン、そして私たちのダラス、それから西のウィンザをつなぐ王道にあるの。中継都市として商人の貿易が盛んな土地です。トリシアに次いで栄えているのは間違いなくアルーでしょうね。」
明快な話し方に、エルザは王子の家庭教師も兼ねていたらしいと思い出した。
次はアルーを西に通り過ぎ、ウィンザと書かれた部分を指差す。
「ウィンザは最も土地柄に恵まれた場所で、自然の神に愛された花の都と呼ばれている街。最後のコルトはここ」
エルザの指は大きく動いてトリシアの遥か上を差した。
「最北の街ね。ダラス様のおじい様の時代に起こった内戦で、最後の戦いの場所になった都市よ。距離としてはダラスと同じくらいトリシアから離れている場所」
「それぞれの街から王都を目指して旅をしているのね」
エルザは頷いた。その表情からは何も読み取れない。ターニャの「最後の思い出」という言葉を思い出す。そしてそれを聞いたエルザの動揺。どこまで踏み込んでいいのだろうか。
決して好奇心だけではない、自分だけ知らいことで傷付ける発言をしないよう知っておかねば、と言い訳のように考え、そっとエルザを窺った。
「王都に何があるの?なぜ向かうの?」
「先王が最近亡くなったの。その葬儀に駆けつけるのよ」
それがなぜ「最後の思い出」なのか。何気ない風に答えたエルザに食い下がることはできなかった。
ターニャがちらりと視線を寄越したのを感じた。
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