第5章 異世界に一番近い男(1)
「……ここだ」
消えた流華達を追って、俺達が辿り着いたのは、ホテルから僅かに離れた路地。
並んでいるのは、シャッターを下ろした商店街跡地。
かつてはそれなりに繁盛していたようだが、今ではすっかり見る影も無い。
ホテルのあった繁華街から、僅かに逸れただけだというのに、まるで様子が違う。
人通りも少なく。落書きが消されることもなくあちこちに残っている。
ほとんど廃墟のような有様だった。
「街中に、こんな場所があるなんて知りませんでした」
「良く知っているね、こんな場所を」
「ああ、昔、この辺りを流華と探検したことがあったんだよ。あの頃からして、寂れていると思ったもんだが、今じゃ余計に酷いな」
流華と共に歩いた街角。
子供の頃の、大事な思い出。
しかし今は、そんな感傷に浸っている場合ではない。
そんな寂れた通りから、更に細い通りへと歩を進めて行く。
通りの両側には、一応民家らしきものが並んでいるが、人の気配は全く無い。
夜中に出来る限り近寄りたくないような、そんな場所だ。
やがて、人一人がどうにか通れるか、というくらいの狭さの路地へと入り。
そこから更に角を曲がれば、もう表通りからは全く確認できないようなデッドスポットとなる。
そのまましばらく進んで、俺の目の前に現れた、一つの建物。
それを見た瞬間に、思い出が蘇る。
「まだ、残っているなんてな……」
時の流れから取り残されたかのような、寂れた倉庫。
壁には茶色い錆が無数に浮かび、窓ガラスの類はほとんど割れてしまっている。
周囲のアスファルトもひび割れ、雑草が伸び放題だ。
完全なる廃墟。
誰も人が寄り付かないような、そんな終わった場所に。
「ここに、いるんですか?」
「ああ、俺の想像が確かならな」
「先輩の想像って、この世で一番信用したらいけないものだと思いますけど」
「言葉が悪いな!!」
「シッ! 敵がいるかも知れないんですから、黙っていて下さい」
「この野郎……」
イラッと来るな、この後輩。
でも言っていることはその通りだ。
万が一のことを考えて、声を潜める。
「別に勘で言っている訳じゃないからな。流華が、人目を避けて移動するとしたら、ここしかないんだ。異世界にずっといたアイツの土地勘で動ける範囲は、そう広くないからな」
「それで、こんな廃墟なのかい」
「俺の記憶の中では、もうちょっとマシだったけどな。まあ、俺が覚えていたくらいだから、流華だって覚えているだろうさ。この、秘密の倉庫の事をな」
「秘密、ですか」
「それはもう、毎日のようにここで遊んだものだ。そうだな、あの頃流行っていたのは何だったか……」
「今忙しいので、思い出話は壁にでも向かって話していてください」
「だからお前言葉が悪いって!!」
「シッ、静かに!!」
本当に口が悪いな、この後輩。
俺、どんだけ嫌われているんだよ。
とまあ、そんな会話をしながらも、息を潜め、忍び足で倉庫に近づいて行く。
幸い、伸び放題になっている雑草が、俺達の足音をすっかり消してくれている。
やがて、近づくにつれて、俺達の耳に人の声が届く。
それは間違いなく、廃墟の倉庫の中から聞こえて来るもので。
「中にいるな」
「住み込んだ浮浪者とかの可能性は」
「そうだったら、適当に謝って逃げるさ」
「良いですけど」
手信号で、メンバーに行動を指示する。
二手に分かれ、扉の両側に立ってスタンバイする。
向かい側に立った史雄と隼瀬の目を見て、タイミングを図り。
「行くぞッ!!」
息を合わせて扉を蹴り開け、一挙に内部へと飛び込んで行く。
錆びついた扉を、開けた先。
そこには、確かに俺達の目指していたものがあった。
ただ、一つ、予想外なこと。
既に、事態が終わりを迎えていたということを、除けばだが。
俺達の護衛対象、上月ライラの、その身体が。
魔法陣の向こう側に、消えて行くところ、まさにその瞬間を、目撃した。
してしまった。
「なっ!?」
扉を開いて、まず目に飛び込んで来たのは、魔法陣の放つ怪しげな光だった。
俺達を嘲笑うかのように輝く、廃墟の中においても一層強い、その光。
「しまった、遅かったか!?」
倉庫の中にいたのは、流華と、その部下と思われる数人のみ。
いきなり現れた俺達の方を、驚愕の表情で見つめている。
ただ、それでも、彼らが行っていた作業は、既に完了していた。
驚いたからといって、それで手を止めるような無能ではなかったということだ。
倉庫の中央の床に、冗談のように描かれている魔法陣。
そこに、今まさに、上月さんの身体が吸い込まれていく瞬間を見た。
「……!」
それでも事態は、止まることを許さない。
俺達の突入に気付いて、すぐに平静を取り戻した流華が、口を開こうとする。
侵入者である俺達を迎撃しようとでもしたのだろうか。
あるいは、またも失敗した俺に、何かを言おうとしたのか。
しかし、それは叶わなかった。
どこからか聞こえる、異音。
そして、空気の震える感触。
明らかに異常な、得体の知れない振動が、倉庫を包んだからだ。
「――ッ!?」
誰もこれを予期していなかったことは、それぞれの反応を見れば分かる。
誰もが、戸惑いながらも周囲を見回している。
倉庫の中の時間が一瞬、停滞する。
空間そのものを震わせるかのようなその異常の根源はどこかと、誰もが視線を彷徨わせて。
やがて、一つのものに集まる。
魔法陣。
倉庫の中央の床に描かれた、その文様が、光り輝いている。
それは、上月さんを呑みこんだその時と同じような光を放っている。
俺達の目の前で、上月さんは魔法陣に消えて行った。
全ては手遅れで、俺達の作戦は失敗した筈だった。
しかし、
次の瞬間。
バチンと、落雷でもあったかのような激しい衝撃音が響いて。
冗談のように。喜劇のように。
天上の歌姫・上月ライラの肉体が、魔法陣の中から飛び出して来たのだ。
「はぁ!?」
こちらに向けて勢い良く飛来する、上月さんの身体。
咄嗟に、俺の身体も動く。
「うわっと、危ねぇ!?」
魔法陣の異常に、正面から気付いていた分だけ、俺の方が早く反応できた。
魔法陣から飛び出てきた上月さんを、慌ててキャッチする。
意識を失っているらしい彼女の身体は想像以上に重く、危うく落としそうになるも、必死で踏ん張って体勢を保つ。
絶対に、落とす訳にはいかない。
何故って、ここで失敗でもしてみろ。
「良くやったよ鷹広!!」
「ああそうだな!!」
「無事で良かったね!!」
「それは俺の事か!? それとも上月さんか!?」
「言うまでも無いだろ!?」
そだねー。
キャッチ損ねていたら間違いなく史雄にぶん殴られていただろうな!
いや、それどころでは済まされない。
異世界流に、眼球を抉られていたかも知れない。
「ほら鷹広、こっちに!」
「あ、ああ」
しかし史雄も、さすがに非常事態であることを把握していた。
こういう事態においては、こいつの経験値が物を言う。
すぐに、俺を……いや上月さんを庇うような位置に移動し、流華達を睨みつける。
隼瀬とポチもまた、瞬間的に俺の前に躍り出て来る。
その手には、思い思いの武器を掲げて、臨戦態勢を取る。
そうして狭い倉庫の中、俺達チームと、流華達が向かい合った。
一度は終わってしまったと、そう覚悟して。
それでも事態は二転三転を繰り返し、
こうして振り出しに戻った。
「正直、何が何だか、だけど……」
自分の与り知らないところで動きまくっている事態に、ただ翻弄されるばかりの身ではあるものの。
それでも、今俺のやるべきことは分かっている。
もう失敗しない。
この手の中で眠る上月さんを、今度こそ護るのだ。
「何が起こった!?」
ようやく反応した流華の声は、明らかに焦っている。
無理もない。流華からすれば、多少の不確定事項はあったものの、計画通りに進んでいた筈なのだ。
上月さんの身柄を、確かに魔法陣に託した。
異世界へと送ったのだ。
それで、目的は達成されたと、そう判断してしまったことも責められまい。
そう、流華は何もしくじってはいなかった。
それなのに、どうして、こんな事態になってしまったのか。
どうして上月さんは、魔法陣から飛び出してくるなんて、そんなアクロバティックなことになったのか。
「…………」
「…………」
双方と共に、武器を構えて対峙する。
流華も、俺を……正確には俺に抱かれている上月さんの事を睨みつけている。
そう、事態は振り出しに戻ったが、決して好転した訳ではない。
再び上月さんの身柄を奪われてしまえば、全部ご破算だ。
だから、逃げるべきだ。
上月さんを連れて、ここから逃げるべきなのだ。
でも。
今ここにある魔法陣を、異世界に繋がる扉を、見逃せってのか……!?
ああ分かっているともさ。
そういうことを考えている場合じゃないって、分かっているさ。
でも仕方がないだろ!?
こんなチャンス、そうそう無いんだからな!
なんかノリに流されて、ついうっかり真面目に任務を遂行しがちな状況ではあるけれど、根本のところは自分勝手で動いているのだ!!
上月さんを吐き出したものの、魔法陣は今も消えないでいる。
ということは、まだ再利用できる可能性がある。
俺が、異世界へと行ける理由が。
だから、俺は叫ぶ。
「くそッ! 意識のない上月さんを連れたままじゃすぐに追いつかれちまう!! 下手に背中を見せるようなことは出来ない! だからこのままの体勢で対策を練るしかないんだ!! 早く逃げたいのになー! 逃げられないなー!!」
「何を言い訳しているんだよ君は」
うるさいぞ史雄。
仕方がないことなんだ、何もかも。
しかし、流華もまた、どう動くかを決めあぐねているらしく、ぐにこちらに襲い掛かって来ることはなかった。
何しろ、不確定要素が多過ぎるのだから、慎重にならざるを得ない。
「魔法陣は、確かに正常に動作している。現に、上月ライラの案内人として先に行かせた部下は、消えているから」
「ああ、みたいだな。ホテルの時と同じ光り方だ」
「鷹広の様子を見る限り、そっちの方で仕掛けたことでもないらしい。そうなると、どういうことだろう?」
「俺だって分かんねぇよ」
「分からないのに、随分と落ち着いているじゃないか」
「そう見えるかよ、おい」
流華との会話。
互いに現状を探り合う。何をすべきか、どう動くべきか、図り合う。
考える。単なる偶然で、このような妙な事態になるとは思えない。
こんな重要なタイミングで、魔法陣が誤動作を起こしただけとか、そんな都合の良い話を信じることはできない。
だから、流華が疑問に思う通り、何か原因がある筈なのだ。
それを知ることが、きっと、俺の目的に通じる筈だ。
「……答えは、簡単です」
しかし。
俺達が求めた答えを告げるのは、予想外の人物だった。
思わぬ所から、答えは来た。
「それは、ワタシの存在が、魔法陣に拒絶されたから、ですね」
静かな、しかし妙に通る声が、直ぐ近くから聞こえて来る。
「ワタシのように、異世界人と現世界人の両方の血を引く存在に関しては、魔法陣が誤動作を起こします。2つの世界の分、2人分としてカウントしてしまう……3人が同時に魔法陣を通過することは出来ない。だからこそ、ワタシを連れて魔法陣を通ることは、出来ません。通ろうとしても、弾かれてしまう訳です」
「……上月さん?」
答えを告げた、その主は。
確かに今まで、俺の腕の中で意識を失っていた筈なのに。
しかし今は、ハッキリとした視線で、こちらを見つめている、天上の歌姫。
上月ライラ、その人だった。
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