第3章 めぐりあい異世界(1)


「ここか?」

「ここみたいだね」

 

 任務に従ってやって来たのは、かなり立派なホテルだった。


 玄関にホテルマンが揃っているし、ひっきりなしに高級車が乗り付けているし。

 どう見ても、俺みたいな人間には縁のない場所だった。


「何だよ、このビル。金持ちかよ」

「異世界ではこれくらいの豪華なホテル……というかお城、良く見るけどね」

「おっ異世界自慢か」

「痛い痛い痛い」


 異世界に行けない俺に対して自慢しているとしか思えない史雄の態度に、思わずヘッドロックをかける。

 と、隼瀬が俺のことを小突いて来る。


「こんな所で、そんなアホみたいなことをしないで下さい。見られています」

「いや、一応、ホテル側には話を通してあるんだよな? そうでないと俺達、単なる不審者じゃないか」

「通してありますけど、今のままでも十分不審者です」

「そうか」

 

 そういうものなのか。

 一応、着慣れないスーツなんか着て来ているのだけどな。

 

 そう言う隼瀬も、こういった場所には慣れていないようで、緊張した表情を浮かべている。


「何ですかその眼は」

「眼にまで文句を言うなよ」

「いいえ、ろくでもないことを考えている眼でした」

「ごめんなさい」


 ともあれ、こんな所でぐだぐだしていたら、本格的に不審者になってしまう。

 俺達は委員会から任務を任されて、正式にここに招かれた人間なのだ。

 もっと堂々と、正面突破で行こう。


「よし。じゃあ、行くか」


 目の前にそびえ立つ超高級ホテル。

 それは果たして、俺にとっての幸福となるのか、それとも。


   ◆    ◆    ◆         


「かなり厳重だな」

「予想はしてたけど、物々しい雰囲気だね。まあ、いくら厳重でも、異世界からの侵略には無力なんだけどさ」

「まあな」

「でも、ちょっと怖いよ。何か、拳銃とか持っていそうなんだけど」

「異世界の魔法じみた連中には効かないだろ」

「僕達が間違って撃たれたらどうしようね」

「ポチでも盾にするか」


 俺の言葉に、史雄の持つバッグに入れられていたポチが反応する。

 不満があるのか、もの凄い勢いで震えている。

 バッグがしたらいけない動きをし始める。


「目立つなって、ポチ」

「そうだよポチ、後で唐揚げを買ってあげるからね」

 

 史雄の言葉に、途端に大人しくなるポチだった。

 え、こいつ唐揚げなんて食うの?


「しかし、本当に物々しいな」


 ホテルの中は、随分と張り詰めた雰囲気だった。

 案内されたフロアのあちこちに、SPと思しき面々が立っている。

 

 一応、俺達については知らされているらしく、邪魔をすることはない。

 しかし、剣呑な視線をこちらに向けて来ている。

 

 こいつら、俺達とは別枠で用意された、上月ライラの元々の護衛なのだろう。

 しかし史雄の言う通り、そんなものは異世界の連中にとっては無意味だ。

 何しろ、魔法陣を通じて、どこにでも現れる連中なのだから。

 

 異世界召喚の問題を知っている人間は、確かにいる。

 それでも、異世界からの侵略者に対応する準備が完璧に整っているとは言い難い。

 まだまだ現世界の人間は、異世界について知らないことの方が多いのだ。

 だからこそ、専門家である俺達が、何とかしなくてはならない。


 そうこうしている内に、目的の部屋の前に辿り着いた。


「さて、このドアの向こうに、護衛対象の上月ライラがいるみたいだな」

「ききき緊張して来たよ僕は」

「もう部屋の外で待ってろよ」


 そんなに震えていたら役に立たないだろ。


「いや、どうしても入るよ! そうしないと一生後悔する! ここで退いたら、今まで僕を支えてくれた多くの人々に合わせる顔がないからね!!」

「勇者みたいなこと言うよなお前」


 実際に勇者だったんだから始末に負えない。

 とにかく、俺達は仕事をしに来たのだ。

 遠慮がちにコンコンとノックをすると、「どうぞ」という女性の声が返って来る。


 そっとドアを開けて。

 一瞬、見惚れた。


「………」

 

 そこにいたのは、こちらを向いて微笑む、一人の女性。

 芸能人というものを、生憎これまでに見たことはなかった。

 そういう類のものに、昔から興味も無かった。

 

 しかし、一目見ただけで、彼女がそういった存在の一員、

 俺達とはランクが違う人間なのだと、否応なしに理解した。


 何しろ、雰囲気が違う。

 住む世界が違うと、分かってしまう。


 整った顔立ちは、確かに常人離れしている。

 色素の薄いその髪の毛が、風も無いのにサラサラと靡いている。

 

 そして、

 何よりも、その瞳の色に目が引かれた。


 事前に見た彼女の資料で、その人間離れした瞳について確認していた。

 てっきり、カラーコンタクトでも入れているのかと、そんな風に思っていた。

 しかし実際に見れば、それが誤りだと分かる。

 

 間違いなく、本人の瞳。

 こちらを見透かしているのか、値踏みしているのか、真っ直ぐに俺の事を見つめている瞳から、目が離せない。


 言葉が出ない。

 任務として、自分の素性を名乗らないといけないのに、声が出ない。

 こんなことは、初めての経験だった。

 

 これが、上月ライラ。

 異世界からもその美声を狙われる、天上の歌姫か。


「……あの?」

「あ、はい!!」


 そんな相手から呼びかけられ、思わず声が上ずってしまう。

 しかし、それで緊張が解けた。思考回路が元通りになる。


 といっても、他のメンバーはまだ緊張から抜け出せていないようだった。

 普段はクールな隼瀬でさえ固まっているし、史雄に至っては言わずもがなだ。

 ポチは……良く分からないけれど、ちょいと震えているな。


 とにかく、チームを代表して、俺が何かを言わないといけないらしい。

 しょうがないなぁ。


「えっと、上月ライラさん、ですよね?」

「ええ、確かにワタシが、上月ライラですとも……ええと、アナタが、ワタシを守ってくれる人、ですね?」

「……はい」

 

 若干、イントネーションに違和感がある喋り方。

 しかし、物腰は丁寧で、穏やか。

 芸能人という言葉から少なからず連想する、高慢な様子は、全く無い。


 それどころか、こちらに向けられるその声を聴いていると、妙に安らいでしまう。

 成程、これが歌姫の実力か。


「あんたが……いや、あなたが」


 言いかけて、しかしすぐに訂正する。

 失礼な態度を許されない、そんな高貴な雰囲気が、彼女にはある。

 芸能人ではなく、どこかの王女様のような気さえしてくる。

 

 普段の俺だったら、自分の都合が最優先で、依頼人とか護衛対象には適当に応対しているのだが、今は、とてもそんなことは考えられない。

 

 そんな、俺の失礼な態度を前にして、彼女はしかし微笑む。


「えっと、どういう風に説明されているのか、分かりませんけど」


 自分が、異世界から狙われている。

 これから彼女に説明しなければいけないのは、そんな荒唐無稽な話だ。


 異世界から狙われる、という話には確度があるものの、しかしそれを当人が信じているかどうかはまた別の話。

 こちらとしては、事実をそのまま説明するしかないのだが、それを素直に信じてくれる相手ばかりではない。


 そんな不安も、彼女の……上月さんの笑顔が吹き飛ばした。


「こことは異なる世界の人が、ワタシのことを探していると、そう訊いています」

「……はい、その通りです」


 どうも、あっさりと話を受け入れてくれているらしい。

 あれこれ心配しなくて良いので、こちらとしては随分と楽なのだけど。

 懐が広いな、この人。


「アナタ達が、ワタシを、護って下さると聞きました」

「えっと、任務ですので、はい。必ず護衛します。そのつもりです」

「陰ながら、主君を護る、ですか」

「……はい?」

「つまりアナタ達は、ニンジャ、ですね?」

「違います」


 断じて忍者ではないではない。


「スリケンの類は、使わないの、ですか」

「いや、そういう危なっかしいものは、使いませんし」

「ゴシキマイは?」

「使いません」


 よりにもよってマニアック寄りの忍具だな!!

 そもそも五色米は戦いの為のものじゃないし!!


「焙烙火矢は」

「部屋の中で使えんわそんなの」


 いかんいかん、ちょっと地が出てしまった。

 というか、そんなマニアックな忍者観をぶつけてくる辺り、この人日本人じゃないだろ絶対。

 海外の陽気なセレブかなんかだろ、ちょっとおかしな日本観をお持ちの。

 そんな期待に満ちた目を向けられても、拙者は忍者じゃないでゴザル。

 

 まあ、おかげで大分キャラクターは大分掴めた。

 大事なのは、これからの話。

 彼女を護る為に、きちんと意思疎通をしておかないといけない。


「ちなみにですけど、何か狙われるような心当たり、あったりしますか」

「いいえ、特には……ああ、ワタシの美貌のせい、ですか?」

「そういう冗談が言えるなら、まあ、大丈夫でしょうね」


 おいおい、所作が完璧な上に、冗談まで言えるとか、この人凄いな。

 成程、外見の完璧さに加え、人格面もこうして優れているとなると、誰だってファンになってしまいそうだ。

 

 俺も、とりあえずシングル曲はチェックしておこうか。

 史雄に言えば、大量に貸してくれるだろう。


「では、護衛方法について説明をします」

「はい。お願いします」


 改めて、護衛のやり方について確認しておく。

 この部屋の中で、上月さんに接触して来る奴を徹底的に叩く。

 それだけだ。

 

 原始的な手段だが、過去のデータから、これが一番効果があると判明している。

 なので、俺達の役目はとにかく彼女を護り切ること。

 上手くやれば、数時間程度の付き合いとなるだろう。

 

 計画の確認が済んだところで、こちらのチームのメンバーの紹介もしておく。


 つつがなく紹介を終える隼瀬はともかく、

 緊張で何を言っているのか分からないどころか「ライラ様! はじめまして! 踏んで下さい!」みたいな顔をしている史雄はどうしたら良いんだ。

 こいつだけ部屋の外の護衛に回してもらおうか。


 そこでも、史雄の顔から何かを感じとったのか「踏みますか?」と言ってくれた上月さんは何なのか。

 聖人なのか。

 丁重にお断りしたが。


 ポチについても、一応説明だけはしておいたが、実にあっさりとその存在を受け入れてくれたのだった。

 やっぱり聖人だな。


 そこまで終われば、後は待つばかり、である。

 護衛任務とは、後手に回るもの。

 相手が動かない限りは、こちらとしても特にやることはないのだった。


 上月さんがお手洗いに立つ時は、さすがに隼瀬に任せたものの、それ以外は部屋のソファに腰掛けて、談笑をするばかりだ。


 いよいよ緊張が高まった史雄が変な顔になっていたり、

 ポチが上月さんに存分に可愛がられたり、

 とても任務中とは思えないような、穏やかな時間が過ぎて行く。

 

「上月さんは、異世界について、どう思いますか」

「素敵、ですね」

「素敵って、そんなことを言う人は珍しいですね」

「そうですか? でも、夢があって、いいじゃないですか」


 上月さんは、楽しげに微笑む。


「普通に生きていたら、出会うことのなかった出会いが、あると思いますから。それはきっと、素敵なこと、ですよ」

「……そう、ですか」


 異世界と現世界の交流。

 出会う筈のない存在との、出会い。

 

 異世界とは、全く別の論理で動いているものだ。

 現世界の常識が一切通用しない、完全に未知の存在。

 

 そんな存在に対して、

 素敵だと言える彼女の考え方は、とても珍しく、そして美しいものだと思う。

 

 俺は、どうなのだろう。


 異世界に行きたいと常に考えている俺は、異世界に何を期待しているのだろう。

 異世界に行ってから何をするのか、という事。

 そんなことは、行った後で考えれば良いと、そんな風に思っていた。


 しかし、彼女の話を聞いて、また別の考えが浮かぶ。

 何の為に異世界に行きたいのか、その理由を考える必要があるのではないかと。

 あるいは、その理由を持たないからこそ、俺は異世界に行けないのではないかと。


「……はぁ」


 益体も無い思考に落ちていた自分を引き戻す。

 全く、こんな風に別の事を考えていられるなんて、実に楽な仕事だ。

 

「このまま、楽に終われば良いけどな……」


 そんなことを言いながら。しかし。

 他でもない俺が、自分の言葉を信じていなかった。

 このまま、何事もなく終わるなんて都合の良いまま、済む筈がないと。


 その弱気な思考を、読み取ったかのように。

 一瞬の暗闇。

 突如として、部屋を照らしていた照明が消えたのだ。


「停電か!?」

「それなら、すぐに戻る筈です!!」


 隼瀬の言葉の通り、照明はすぐに復帰した。

 しかし、その時には、室内の雰囲気が、全く別のものへと変化していた。

 

 さっきまでは、いなかったはずの人影。

 侵入者が、そこにいたからだ。


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