第2章 異世界はつらいよ(3)


 あれは、いつのことだったか。


「そうだね、リーダーである君にはちゃんと伝えておくべきかも知れないね」

 

 そう言って、委員長は重い口を開いた。


 まあ正確に言うと、重い口を酒で強引に開かせた、といった感じなのだが。

 事情を知ってそうな委員長にアタックを掛けてみたところ、あっさり白状した。

 やはり酒の力は偉大だ。


 委員長は、まるで噂好きのおばさんのように、にこやかな口調で話し始める。

 もしかして誰かにこれを伝えたかったのかも知れない。


「彼女にはね……お兄さんがいるんだよ」

「はぁ」

「いや、いた、と言うべきなのかも知れないね。今はもう、いないのだから」

「それって、まさか」

「違う違う。この世にいない、という意味ではないよ。この世界にいない、ということさ。彼女のお兄さんは異世界に召喚されてしまったきり、帰って来ないんだ」


 そういうことは、稀にある。

 異世界召喚というシステムが抱える、闇の一つ。

 それは、召喚されて異世界に向かった人間が、戻って来るという保証がない、という点である。


 多くの場合、召喚された人間はそれぞれの目的を達成し、それをもってこちらの世界に戻って来る。

 そうでなくても、元の世界にどうしても戻りたい、と言えば、よほどのことが無い限りは戻してくれる。


 強制的にやらせても、効率が落ちるだけだから。

 それならば、やる気のある人間を召喚し直した方が、異世界側にとっても得だ。


 しかし、異世界召喚とは、どうしたって危険を伴うもの。

 現世界と異世界を渡るという、とんでもないことをやっているのだという事実を、しばしば忘れそうになるけれど。


 この、異世界召喚というシステムは、明らかに人知を超えている。

 誰がこんなことを始めたのか。

 どういう仕組みで為されているのか。

 失敗することはるのか。

 何もかも、分かっていない。


 だからこそ、当然、事故は起こる。

 想像もしないような事態が、起こったりするのだ。


「彼女のお兄さんの事は、我々でも良く把握していてね。というか、彼は、かつての我々の仲間だったんだよ。今のように組織として成り立ってはいない頃の話なのだけどねぇ」

「そう、だったんですか」

「だから、妹である歩理君のことも知っていた。兄の失踪を、家族に伝えたのも私だからね。それからしばらく経ったある日、彼女の方からコンタクトがあった」

 

 委員長は、遠くを見るような目をした。


「彼女は、真剣な目で、こう言ったよ」


「私から兄を奪った異世界を、異世界への召喚を、私は絶対に許せない。

 だから、私に出来ることを、させて下さい。

 兄のような悲劇が、二度と起こらないように。私が、止めます」


 それが、隼瀬歩理という少女の原点か。


 自分の兄が、異世界から戻って来ないということから始まった、隼瀬歩理の物語。

 ならば、そこにどんな感情があるのかも、想像がつく。


 兄が、異世界召喚によって奪われたからこそ。

 異世界召喚というシステム、そして異世界そのものを、嫌悪しているのだろう。

 

 隼瀬がこの「異世界行けない委員会」に所属しているのも、ごく自然な話だ。

 自分の兄のように、異世界に流出するトラブルを防ぐ。

 その為に、異世界との争いの最前線に身を置こうとする。


 俺や、史雄のような特殊な例に比べれば、実に真っ当な理由だ。

 だから、そんな彼女からすれば、俺はきっとどうかしているのだと思う。

 異世界に行きたいという願い自体、理解出来ない筈だ。


 しかし。

 そんな事情があったとして、俺の願いや生き方が変わることは決してない。


 俺は、他の誰が何を思おうとも、何を言おうとも、異世界に行きたい。

 異世界に行きたくて行きたくて、仕方がないのだ。そこが変わることはない。

 

 だから、理解しろとは言わないまでも、

 出来ればそっとしておいてほしいところなんだけど。

 

 隼瀬は、チラシを手にしたまま告げる。


「先輩。異世界からやって来る侵略者を撃滅するための大事なお仕事なんですから、真面目にやらなくてはいけませんよ」

「やる気だなオイ!!」


 臨戦態勢じゃないですか!!

 どうやら爆弾なんぞ使ったせいで、妙にテンションが上がっているっぽい。


 普段よりも上気した様子で、俺の事を急かして来る。

 こんな後輩の前で、下手に異世界に行こうとしたら、どんな目に遭わされるんだ。


「いや、侵略者って、そこまでじゃないだろ」

「いいえ大事な人材を連れて行く悪の枢軸です」

「枢軸かどうか分かんないだろ」

「では、言い換えます。悪の帝国と。ああ、悪の、は要りませんよね。帝国を潰しましょう」

「真っ当に頑張っている世の帝国の人に謝れよ」


 世の中にそんなに帝国があるとは思えないんだけど。

 そして帝国という言葉に若干悪いイメージがあるのも確かなんだけど。


「特に最近では、くだらない理由で異世界に召喚することが増えていますからね。そんなの、許せません」

「それはまあ……確かにその通りだけど」

「自分達でやるべきことは、自分たちでやるべきなんです」

「当たり前の事だよな、それ」

「当たり前のことを、異世界が無視するのなら、止めるだけです」

「……ああ」


 頑なな態度。

 異世界というものを、心底嫌っているような、そんな態度。

 

 ちっとも歩み寄れる気がしなかった。

 まあ、俺としても異世界に行くことについては譲れないし、別に急いで分かり合うこともない。


 ただ、つい言ってしまった。

 隼瀬の、苛烈な生き方について。

 そんなことではいずれ限界が来てしまうだろうと、そんなお節介も込めて。


「お前は本当に、異世界が嫌いないんだな」


 その、何気ない言葉に。

 俺が想像していたような反応は、なかった。


「……え?」

「……え?」


 隼瀬は、同意するのでも、あるいは怒るのでもなく。

 ただ、戸惑っていた。


 俺が投げかけた言葉の意味が、良く分からないというように。

 普段は見せないような驚きの表情を浮かべていて。

 想像していなかったものを見てしまったから、こっちも戸惑ってしまう。

 

 しかし、次の瞬間、そんな表情は消え去っていた。

 代わりにあったのは、いつも通りの、氷のような後輩の顔で。


「当たり前でしょう。異世界なんて勝手なものを、気にいる方がどうかしています」

「ああ、そうだな」

「撃滅すべきです」

「お前、撃滅って言葉が好きだよな。何なの? 蛮族なの?」

「ほら、とにかくちゃんと仕事をして下さい」

「分かった分かった」


 まあ、どうあれ、仕事は真面目にやるしかない。

 そこに俺が異世界に行く為のチャンスがあるというのなら、少なくとも仕事を真剣にやっている振りをしなければいけない。

 

 隼瀬には悪いことをしているとは思うけれど、俺はそうするしかない。

 ただ、思うことがある。


 隼瀬は確かに、異世界を嫌っているのだろうけど。

 何かしらの事情が、そこにはあるような気がした。


 何しろ、反応があまりにも極端なのだ。

 単に、兄を奪われた、というだけでは説明がつかないような、何かがあるのではと、そんな風に考えてしまうのだ。

 

 まあ、そんな余分なことを考えている暇はあまりないようで。


「あ、そうです、こんな無意味な話をしている場合ではありません。委員長が呼んでいます。チラシの確認が終わったら、すぐに次の仕事があるそうですから」

「げっ」


 マジかよ。

 チラシ作成を終え、ハードなトレーニングをこなして、ついでに後輩のことについて柄でもなく考えて。

 その上、まだ仕事をしろというのか。

 

 さすがに忙し過ぎるんじゃないだろうか。

 俺達の仕事、表に出せるような真っ当なものではないけれど、これは出る所に出るべきなのでは。


 こんなことでは、俺自身の目的にちっとも辿り着かないし。

 しかし、従うしかないのが、勤め人の辛いところである。


   ◆    ◆    ◆         


「……それで、何なんだよ。次の仕事ってのはさ」


 いざ委員長の部屋と向かう途中、隼瀬に問いながらも、これから自分が何をさせられるのかを予想し、考える。


 何しろ、俺達のやるべき仕事は、多岐に渡っている。

 その中には、『これ本当に異世界の問題に必要か?』というような、妙なものも含まれているのだ。


 例えば、異世界召喚の嫌がらせの為に、異世界がいかに危険で恐ろしい場所であるのかを喧伝する仕事だ。

 昨日のチラシ作りもこれに当たる。


 とにかく、異世界という場所が危ないということをひたすらに煽り立て、いざ召喚されそうになっても自ら拒否するように仕向けるのである。


 または、異世界に召喚されそうな人間を探す為の、地道な聞き込みなどもある。

 そんなことでターゲットが見つかるのかどうかさっぱり分からないんだけど、刑事のように聞き込みをして回る羽目になったりもした。

 得に何の成果も得られなかった。そらそうだ。


 あるいは、異世界に対して直接嫌がらせが出来る方法を考えたり、実行したり。

 魔法陣に粗大ゴミを放り込んでみるとか、召喚されそうな人物をあらかじめ誘拐して召喚できないようにしておくとか、人としてどうかと思うようなことが目白押し。


 総じて、ろくでもないことばかりである。


 だから、何が俺達を待っているのか、さっぱり分からない。

 正直、とんでもないことを言い渡されることも、覚悟しておくべきかもしれない。

 

 安易に召喚されないよう、小学生向けの動画を撮ってWEBにアップするとか、そういうアホな任務だったらどうしようか。いや、それは若干楽しそうだけども。


 そんな風に悩んでいる俺の表情から、何かを読み取ったのか。

 横を歩いていた隼瀬が話しかけて来る。


「そんなに悩むようなことではないと思います。委員長が言うには、それなりに真っ当な仕事らしいですし」

「これまでの仕事が真っ当じゃないとでも?」

「真っ当じゃないですよね」

「まあ、そうだけど」


 少なくとも、微妙にずれている感じがするのは否めない。

 本当に異世界召喚を防ぐのに役立っているのか、ちっとも実感出来ないし。

 

 いや、そんなことは置いておいて。

 委員長が、真っ当な仕事と言っている。それは、聞き捨てならない。

 テンションが上がっていることを隠して、隼瀬に冷静に訊く。


「真っ当ってことは、実際の異世界召喚の場面に立ち合うみたいな奴なのか? チラシ作りとかではなく、ちゃんと現場に行って、異世界召喚を防ぐ、みたいな」

「そんな感じじゃないでしょうか。詳しくは委員長に聞かないと分かりませんけど」

「ふーん、面倒じゃないといいけどな」


 いかにも嫌そうな表情を浮かべて、溜め息を吐くきながら歩く。

 しかし、心の中では超ガッツポーズである。

 ただのガッツポーズではない、超ガッツポーズだ!


 もう踊り出したいくらいに、俺のテンションは高まっている。

 そう! こういう仕事こそ、俺の求めていたものなのだ!


 勿論それは、たまには異世界に関する真っ当な仕事がしたい、という真面目な理由から来るものではなく。


 俺が、他でもない俺が、異世界に行けるチャンスだから、である。

 何度でも言おう。

 異世界に行けるかもしれないから、である!


 ここまで生きてきて、散々異世界に行きたいと願っていて。

 それでも、俺が異世界に召喚されることはなかった。

 どれだけ努力しても、準備しても、召喚される兆候すらなかった。


 異世界にいつ呼ばれても良いよう、必死で体を鍛え、知識を蓄え、常に臨戦体制で待機していたのに。

 脳内でのシミュレーションも完璧で、後は召喚されるのを待つばかり、といった状態で日々を過ごしていたのに。


 しかし、召喚されない。

 どうしても、召喚して貰えない。


 いざ、魔法陣に飛び込もうとしても、必ず邪魔が入る。

 大抵の場合、それはチームの仲間によるものだった。


 ポチが飛びついて来たり、

 隼瀬が突き飛ばして来たりして、どうしても魔法陣に入れない。


 酷い時には、俺の隣にいた奴が召喚されそうになる、ということすらあった。

 もうそいつをぶん殴ってやろうかと思ったくらいだ。


 いや、よくよく記憶を辿ると、実際にぶん殴ったような気がする。

 その上で、召喚の為の魔法陣に入ろうとしたのに目の前で魔法陣は消えたのだ。

 ついでに、俺がぶん殴った奴がしれっと召喚されるという嫌なおまけつきで。


 ここまで来ると、もう俺が個人的に呪われているとしか思えない。

 異世界に行けないという、厄介な星の下に生まれたのだと。

 どうやっても、俺が呼ばれることはないのだと、諦めてしまいそうになる。

 

 だが、俺は諦めない。

 諦めてしまえば、全てが無意味になってしまう。

 

 俺は、絶対に、異世界に行くと決めたのだ。

 他の誰をも、踏み台にしてでも。呼ばれなくても行ってやるんだ。

 

 しかしそうなると、俺は何をすべきか。

 実際問題として、俺が異世界に呼ばれないというのなら。

 召喚されない理由が、まさに俺という存在にあるのなら。

 それならばもう、他の誰かが召喚される現場に割り込むしかない。

 

 他の誰かを召喚するための魔法陣に、強引に割って入るしかない。

 何度かやって、その度に邪魔が入って、失敗しているけれど。

 それでも、一番可能性が高い方策であることは間違いない。

 

 だからこそ、異世界召喚の現場に行く任務は、渡りに船なのだ。

 俺が利用出来る魔法陣があるかも知れない。

 それを使って、異世界に行けるかも知れない。


 そんな、希望に満ちた可能性が待っているのだから。

 俺は、この任務に全てを賭ける。


 異世界に行く、そのチャンスを求めて。


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