第2章 異世界はつらいよ(1)
「……疲れた」
睡眠が足りず、昨日の疲れが抜け切れていない。
結局、チラシ作りは深夜にまで及んだのだった。
いざやってみると、思いのほか面白く感じてしまいついつい入れ込んでしまった。
キャッチーでウィットでスリリングでセンセーショナルなイラストなんか入れたりしたのが駄目だったか。
「……起きるか」
このまま、呑気に寝ていることは出来ない。
体を起こせば見える、自分の部屋。委員会から貸し与えられている部屋である。
基本的には仕事ばかりで、この部屋には寝に帰るばかりなので、家具の類はほとんど置ない。
身体を清める為のシャワーと、身体を休める為のベッドがあれば他には何も必要ないからだ。
あるのはせいぜい、
冗談で床に書いてみた、自作魔法陣とか。
以前に異世界に行った人間が書いたハウツー同人誌『私はこうして異世界に呼ばれました』とか。
異世界にいざ呼ばれた時の為の行動を予測したフローチャートとかぐらい。
どちらにしろ、あまり人様に見せたくはないものである。
「良し」
頬を叩いて、気合を入れ。
着替えて、仕度をして、部屋を出る。
今の所、出動の命令は届いていない。
命令があればすぐにでも集合し、現場に向かわなければいけないのだが、幸いにして今は何事も起こっていないらしい。
そうなると、やるべきことは決まっている。
報告書を書くのは後回し。
チラシがどうなったのかの確認も、とりあえず後回し。
そうなるとあら不思議、自分の為に使える自由時間が生まれた。
さて、自由な時間があるのなら、俺のやるべきことはただ一つ。
そう、鍛練である。
◆ ◆ ◆
「……よっし」
与えられた部屋と同じ建物内に、その施設はあった。
俺達、異世界対策チームの為にわざわざ設えられた、トレーニングルームだ。
中に入り、マットに腰を下ろし、ストレッチを開始する。
俺以外には誰もいないので、のびのびと運動が出来るし、トレーニング用の器具も使い放題。
この部屋のおかげで、いつか異世界に呼ばれた際の為の鍛錬が出来るのだ。
どんな異世界に召喚されたとしても、自分の身体だけは決して嘘を吐かない。
鍛えるだけ鍛えておく必要がある。
しかし、この部屋は、異世界召喚を防ぐ為の訓練をする場所だろうに。
正反対の野望を抱いている自分が一番熱心に利用しているのは、いかがなものか。
と、そんなことを考えながら身体を伸ばしていると、
不意に、足元に冷たい感触を感じる。
「何だ……って、ポチか」
俺の脚元にまとわりついている、名状しがたい形をした何か。
何も知らない他人が見れば、俺の脚がぶよぶよとしたピンク色の球体に呑みこまれているようにしか見えないだろう。
しかしそのピンク色は確かに生きている。
それどころか、俺と同じく異世界召喚を防ぐため日々奮闘しているチームの一員。
その名はポチ。
不定型にして甘えん坊な、異世界由来の謎生物である。
ポチは、ある異世界から、こちらの世界に捨てられたのを委員長が拾ったそうだ。
エサなど与えている内に懐いてしまったので、仕方なくチームで飼うようにしたという話だが。
「相変わらず何を考えてるんだ、あのオッサン」
どうすればこの、ピンク色のぐちゃぐちゃした何かを生物だと認識し、
あまつさえエサを与えるところまで行くのだろうか。
こういうところで底知れ無さを見せるものだから、あのオッサンは信用出来ない。
俺だって、最初はそれなりにビビったのに。
何せ、チームの為の部屋だと案内されたところに、このピンク玉が堂々と置かれていたのだ。それも、また座り心地が良さそうな、プルンとした球体状で。
そういう形のソファだと勘違いし、思い切り腰を下ろしてしまった俺を、誰が責められようか。
結局、その邂逅は、双方にとって不幸な結果に終わった。
いきなり乗って来た見知らぬ相手に驚いたポチは、俺を全力で振り落した。
俺は、いきなりソファが人類に反旗を翻したのかと本気で慌てて、ぶん殴った。
その後、滅茶苦茶大パニックになった。
まあ、そんな最悪のファーストコンタクトではあったものの、
やがて同じチームの一員として、一緒にトレーニングをする仲になったのである。
「お前、トレーニングしに来ているんだよな?」
『…………』
返事の代わりに、身体の表面を細かく振動させるポチ。
否定したい時や、不快に感じている時には、全身の色が真っ青に変化するのがポチの特性だ。
ということは、俺の質問に関しては、少なくとも否定はしていないとは思うが。
「お前、トレーニングの効果、あるのか?」
『…………』
「そもそもどこを鍛えているんだ? 筋肉どころか、骨すらないけど、何かが変わっているのか?」
『…………』
「いや、お前が良いんならそれで良いんだけどな」
ポチの考えていることは良く分からない。
いや、考えていること以外にも、分からないことがとにかく多過ぎる。
むしろ分かることの方が少ない。
それでも、チームの一員としての役目はしっかりこなしてくれるので、結構信頼がおける不定形だ。
その変幻自在な身体を生かして敵に飛び掛かり、瞬時に拘束してしまう。
狭いところにもするすると入って行くし、過酷な環境にも耐えられる。
良く分からない形状に反して、中々使えるやつだ。
「まあ、あんまり無理はするなよ」
『…………』
返事をするようにぴょん、と跳ねた後、ずりずりとトレーニングルームを出て行くポチだった。
まあ、本人が……人ではないけど……満足ならば良いことだ。
「っと、いたんだね、鷹広」
「おう」
ポチを入れ違いで入って来たのは、史雄だった。
俺と同じように徹夜でチラシ作りしていたせいで、とても眠そうな顔をしている。
こいつの場合、常に疲れたような顔をしているが、今回は本気で眠そうである。
いや、あるいは、何かにうんざりしているのだろうか。
「お前、そんな顔でトレーニングとか、命に係わるぞ」
「別に、トレーニングをしに来た訳じゃないよ」
そこで史雄は、声を押さえてそっと言う。
その様子からして、何となく良い予感はしなかったが、一応聞いてみれば。
「実は、またまた逃げて来たんだ」
「……またか」
「それで、いつものことだけど、ちょっと鷹広に手伝って欲しくてね」
「俺、疲れているんだけど。あんな訳の分からないチラシ作りのせいで」
「まあまあ、そう言わないでよ……僕と君との仲じゃないか」
「仲とか言うな、気色悪い。ほら、どけよ、トレーニングの邪魔だ」
「と言っている間に、さあ、来たよ! いつもみたいに、適度なトレーニングだと思って頑張れ!!」
「……ったく」
俺が舌打ちをして観念し、史雄が怯えるように身体を小さくした、その時。
俺と史雄を取り囲むように、複数の魔法陣が、一斉に展開した。
「来やがったな!」
同じような光景を、今までに何度も見ていた。
魔法陣とは、異世界へと繋がる扉のことである。
どういう原理になっているのかは良く知らないけれど、とにかく別の世界へと移動する場合には、必ずこの魔法陣を通過する必要がある。
どんな異世界であっても、この仕組みは基本的に変わらない。
だからこそ、魔法陣を通る形で、異世界からやって来るのだ。
異世界に、こちらの世界の人間を連れて行くために。
しかし、今回出現した魔法陣は、通常のものよりも随分と小さいものだった。
大きいものでもせいぜい数センチ程度のものだ。
だから、そこから人が出て来るようなことはない。
人の代わりに魔法陣から伸びて来るのは、無数の手だった。
その手の群れが狙っているのは、俺ではなく、史雄の方。
魚がエサに群がるように、伸びた手が史雄を拘束しようと、集まって来る。
その様子は、まるで生者を地獄へと引きずり込む亡者の手のようで。
以前は普通のサイズの魔法陣が現れていたのだが、史雄が必死で抵抗している内に、やり方が変わったのだ。
とにかく、人海戦術で攻めて来るようになった。
サイズが小さい魔法陣だから、とにかくどこにでも現れる。
トイレだろうが風呂だろうが、ベッドの中だろうが、おかまいなしに。
そうしていればやがて、史雄の心が折れるだろうと期待して。
「あああああああ」
史雄は、その場を動くことなく、うずくまってしまう。
このままでは、魔法陣から伸びた手に成すすべなく捕まってしまうことだろう。
俺が、何もしなければ。
要するに、俺が何かをすることを、史雄は期待しているのだ。
ほら見ろ、横目でチラチラこちらを見ていやがる。
「お前覚えてろよ!!」
「ああああ怖い怖い怖いから助けて欲しいなあ」
「余裕じゃねえか!!」
やけくそ気味に叫び、俺は無数の手に立ち向かって行く。
迫り来る手を、片手で捌きつつ、もう片手で殴りつける。
両手を掻い潜って来た相手には足で踏みつけ、また蹴り上げて行く。
落ちている鉄アレイを投げつけたりしながら、無数の手を防ぐ。
敵は全て、史雄に向けて一直線に伸びて行くだけなので、対処は何とか可能だ。
といっても、さすがに数が多い。
だから、俺も本気で立ち向かわねばならない。
ギアを上げて、心を奮い立たせて。
「オラァッ!!!」
全力で、手に向かって行く。
全くもって業腹な話だが、
史雄の言うように、実に良いトレーニングになっていると思う。
絶え間なく襲い掛かって来る手に、必死で食らいついていく。
俺にとっては、異世界に行くことも出来ないような小さな魔法陣の相手なんて、全く無意味なのに。
時間の経つのも忘れて、対処に追われ。
それでも、これが少しでも異世界行きの為になればと、必死で耐え抜いて。
「これで、ラストッ!!」
やがて全ての手を無力化した時には、魔法陣は跡形もなく消えていた。
こうして俺は今回も、異世界からの攻勢を凌ぎきったのだ。
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