我楽多横丁

カヅキ

目覚め

 明けの白んだ東雲に煤が混じっていた。深い影を落とした群青の森から濡羽烏がハッと飛び去って、カーァ、カーァ。水分を多く含む生きた木々が焼けることで、辺りにはじっとりと重い焦がし風が吹いている。遠くからはウーッと弓のしなるような警告音が余韻を残してしんしんと響いてくるのだ。


 額に玉の汗がつぃと流れる。彼は、自分が地獄の釜を覗いているのだと思った。緋炎が龍のように踊り狂って本殿は崩されていく。そこに昨晩までの神聖さはなく、また、今日まで築いた時間の影も一片の優しさもない。


 あぁ、暑い、篤い、熱いとも嬉しかな咎火の体温。

母に抱かれて見る夢のように、ふわふわとした頭で、彼は立つことすら出来なくなり眼前の光景に目を奪われるのみとなった。


 こんなことをしたかったではなかったんに。じいやんや、皆はもう逃げたかな。こんなん、謝っても謝りきれん。

 そんなことを思いながら手の内のマッチ箱を握り潰す。代わりに、目の前に無様に転がっていた霊剣に指を置いた。


 今度の桜祭りでは、これを持って己が舞をする予定であった。そういう未来があったにも関わらず今を選んだのは、単なる我儘ではなかった気がするのだ。罰当たりにも霊剣を杖代わりに立ち歩き、本殿の大黒柱の前まで来た。

 ぱちぱちと聞こえる音は小気味良い、誉事を爺が喜ぶ拍手のようだ。弾ける火の粉は夏の花火を思い出させた。橙、黃、赤が揺れる様は渡り廊下から見えた見事な紅葉か。感覚が乱れ息苦しく震える、寒いとまで思った、冬なら皆で寄り添いあえたのに。


 ……ここでの日々は本当に楽しいものであった。


「いづくより来つる我ぞと思ふに祝詞むつかし。僻事え許さずして呪ひ給へ。かの地渡らばいかにあさましき身ならんや、いざ行かん」


 ひゅっと空に振り上げた腕がなる。そのまま躊躇いはなく、振り下ろせば、ぐんっと重い反動に小さな体は持っていかれそうになる。

 が、


 熱にやられていた霊剣の根本から、雛が殻を破るような弱い音がして、深刻な亀裂が入ってしまったのがわかった。しかし剣が折れるより早く、大黒柱の折れた本殿の方が先に限界を迎えた。爆裂音にも似た悲鳴と共に一層強く燃え盛り、ゆっくり倒壊していく。ひどく、ゆっくり、落ちていく。


『馬鹿だね。とどのつまり、結局君もだったのさ』


 ふ、と誰かが耳たぶに唇をつけるようにして囁いた気がした。そこに誰もいるはずなどない。やァ、知るものか。



 生きていたら、また会おうとも。























 草の匂いを感じる。

 さぁっと涼やかな風が体を駆け抜ける感覚と共に、一茶茶賀丸いっさちゃがまるは目を覚ました。


 ……ここは?


 風が草木を揺らす音、遠くから聞こえる鳥の鳴き声。背中をくすぐる若草達。そして視界一面に広がる、暖かな陽射しに、雲ひとつもない澄み切った青空。それだけが未だ微睡む少年の理解する景色だった。

 見覚えのない光景に疑問を覚え、何かを知ろうと体をよじる。仰向けに寝転がった体を横に倒すと、青臭い雑草が鼻孔をくすぐり、ふいに笑い声が零れる。


 夢を見ていた気がする。

 燃え盛る炎の中、大切なものを失う夢を。いや、この状況とどちらが夢で現実なのか。茶賀丸にはとうに、わからなくなってしまっていた。

 そこで彼は、自分が右手に何かを握りしめてることに気づいた。そろりと指を離すと、掌には陽射しを浴びて一層輝く剣の鍔が姿を見せた。

 同時に理解した。あれは、夢であって夢じゃない。


 逃れようのない己自身の『罪』なのだ、と。


 その事実を幼くも聡明な彼は、理解してしまった。

 ちくり、ちくり。心に突き刺さる音が聞こえる。あの日からそう月日は経っていないが、幾度となくその針は突き刺さり彼を苛めてきた。その度に痛みは酷くなり、なおいっそ心は暗闇の奥底へと沈んで行く。

 しょうがない、これが自分の罰だ。幼さ故にそう言い聞かせ、聡明さ故に抵抗しない彼を嘲笑うかのように。今もそれは、彼の意識を深く沈めようとしていた。


 その時だった。


 「おはようございます。一茶茶賀丸くん」


 凛と響き渡る声が、茶賀丸を呼んだ。

 瞬間、彼の心は震え、暗闇に沈みかけた意識は、はっとすくいあげられた。

 茶賀丸は勢いよく起き上がり、意識は声の方向へと吸い寄せられた。


 美しい少女が微笑んでいた。


 草原の上に背筋を伸ばし正座する彼女は、艶のある薄桃色の髪をなびかせ、菫色の瞳を細めながら慈愛の表情をこちらに向けていた。雪のように白い肌だが、頰はほんのり赤みがさしている。

 セーラー服と着物を絶妙に掛け合わせた服装には華美な装飾はなく、裾にいくにつれ、徐々に青藤色から青紫色に染められた振袖が彼女を囲うようにはためく。

 何より特徴的なのは、薄桃色の髪を二つのお団子にまとめる赤い組紐。その先端についた金の鈴が風に揺れ、ちりんちりんと涼しげに鳴っていた。


 「初めまして。ボクは空井鏡花うつろいきょうか。この『我楽多横丁がらくたよこちょう』の案内人です。よろしくね」


 そう名乗ると少女、鏡花は愛らしい笑みを深めた。

 しばらく鏡花に見惚れていた彼は、まさに『心ここに在らず』だったが、やがてくしゃりと顔を歪め、恐る恐るといった様子で彼女に問いかけた。


 「……天使様? 」


 「……えっ? 」


 「そ、それとも、女神様……? ここ、天国?俺、死んじゃった、ん……? 」


 今まで出会った人々の中で、最も天使や女神に近く、人に遠い。

 茶賀丸の「空井鏡花」という人物への第一印象は、その一言に尽きる。


 こんなにべっぴんさんがいるんは、きっと天国に違ぇない。善い子でいたら天国に行けるってじいやんはようけ言ってたけど、そんな事もなかったんべぇなぁ。いや、俺ん家は田舎の神社だったみたいだし神道?だったから、天使様とか女神様の難しい事は、よぅけわからんだけんど。

 でもほうか、俺、死んじゃったんけ。魚取りも竹馬遊びも、他にもまだまだぜぇんぶ、遊び足りんかったのぅ。


……生きたかった、なぁ。


 情けなくも溢れる沢山の後悔が彼の視界を滲ませる。

 だがそんな心配も束の間。可笑しそうくすくすと笑う彼女の声が、彼の心配を打ち消した。


 「ふふっ……いいえ。確かにここには『』はいるけれど……でも大丈夫。君は今も元気に生きてるよ」


 だから安心して、そう口元に手を添え微笑む少女を前に、茶賀丸は何だかさっきまでの自分が何だかとっても恥ずかしくも馬鹿らしくもなってしまった。それを涙ぐむ目元を強く擦ることで誤魔化した。

 だがさっきの彼女の不可思議な発言にはたと気付き、手を止めその言葉を口になぞる。


 「『神様』…? 」

 「そう、『神様』。でもお話の続きは、歩きながらにしよっか? 」


 頷いた彼女はふわりと立ち上がり、彼の視界から外れた。そうしてようやく向こうに広がる光景に目を向けた茶賀丸は、その異様な光景にただただ言葉を失くす。


 草原の向こう、遥か向こうその先には『タイムスリップした昔の世界がごちゃまぜになっていた』。

 厳密に言えはそうではないと頭で理解しながら、この時の茶賀丸はそれ以上の表現を見つけられなかった。


 まず目につくのは現代の先鋭的な都会のコンクリートのビルや革新的なガラス張りのタワー……ではなく、何層にも積み重なった木製やトタンの安っぽい建物やその中でも際立つ赤煉瓦建築。

 多くの建物にぶら下げられた大小様々な看板には、原色に近い色合いのずっしりと重みのあるフォントで、個性的な店名がびっしりと並んでいる。

 賑わいのある一本道を歩く人々の姿は、着物や浴衣などの和装か豪奢な洋装ばかりと、どう見ても現代人の格好ではない事は遠目からでも一目瞭然だ。

 路面電車が通り、人力車が走る。山のように急斜面な一本道を下った先に長い長い階段があり、その下に今自分達がいる草原が広がっていた。

 簡潔に言って江戸時代、明治時代、更には昭和時代といった一昔前の文化服装風景ごちゃ混ぜ、何でもありの奇々怪々、あまりに理解不能な世界が眼前に広がっている事に茶賀丸は驚愕した。


 声も出せず呆然とその光景を眺める彼の姿に驚く様子もなく、鏡花はこちらに笑みを向けたままだった。


 風が一層強く二人と草木の間を駆け抜けた。


 その風が新たな来訪者を歓迎しているのか、拒絶しているのか、少年は知る由もなかった。ただこれから、自分が未知の世界に足を踏み入れようとしている事だけは理解できた。

 そんな茶賀丸を横目に、微笑を浮かべた少女はスカートの裾をつまみ、恭しくお辞儀をした後こう告げた。



 「改めてようこそ。『我楽多横丁』へ! 」


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我楽多横丁 カヅキ @kadsuki_417

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