2. 死んでない、けど
ビル地上3階の高さで身体が宙に浮いて、おまけに聞き覚えのない少女の声が聞こえてくるという異常事態。普通の人なら、これは夢かな、と思うところだろう。
しかし僕は、さっき確かに自殺しようとビルの屋上から飛び降りたのだ。
落下した時に飛び散って迷惑にならないように、眼鏡など身につけているものはすべて屋上に置いてきたし、遺書だって靴の下に敷いてきた。なにより、肌が風を切る鋭い感覚は夢では再現されにくいだろう。これまで夢を見た時も、色すらついていなかったというのに。
ああ、それとも。
実際には肉体はすでに地面に落ちていて、この浮き上がった感覚は幽体離脱した魂とか…
「んなわけないでしょ!」
「痛っ!!!」
バシィン、と突如激しい音とともに頭をひっぱたかれる感覚を覚えた。そしてまた、先ほどと同じ声。
声がした方を見上げると、一面が白だった。
(いや、白というか、白いけれど若干ケバケバした白というか…何なんだ、この光景は)
目の前に広がる、違和感を抱かずにいられない視界。
その正体を突き止めようと考えていると、今度はいきなり視界が
「ケバケバだなんて、随分と失礼なこと言ってくれるじゃないの!これはあたしの立派な羽よ、ハ、ネ!」
「はぁ…、っね!?」
そんなことよりもこの人は何者なんだどこから出てきたんだ、と思いながら生返事していると、聞き捨てならぬ単語が耳に入ってきて驚く。
(え、この女いま、羽って言ったか…)
よくよく見てみると、緩やかにウェーブのかかった柔らかそうな栗毛の少女には背中からふかふかとした白い羽が生えていた。おまけに服は、真っ白いシフォン生地のようなふわふわのワンピース。まさに西洋画の美術展なんかでよく見るような、キリスト教の世界に居る天使のような大きな羽を生やしている少女が、目の前に浮いている。浮いている…
「え、何で!? やっぱこれ夢なんじゃ…
あ、てか僕は!何で浮いてんの!?!?」
あまりの衝撃に、色々なことが頭から飛んでしまっていた。そもそも僕は自殺をしようとしていたはずなのに、なぜ浮いているのか。
あと、羽の存在に驚きすぎて忘れかけていたが、この少女は何者なんだ、それ以前に誰なんだ。そもそも人間なのか、何故こんな所にいるのか。僕なんかに話しかけて何がしたいのか。
そもそも僕は今生きているのか、死んでいるのか、それとも本当は死んでなどいなくて実は夢の中だったりするのか…。
そう、聞きたいことは、考えないといけないことは、山ほどあった。それを一気に思い出し、頭が混乱しはじめていた。
「あー、大丈夫? いったん落ち着いて、
ハイ深呼吸しましょ、吸ってー」
「すぅ…」
「吐いてーーー吐いて吐いてー」
「ふぅ〜… って長くね? いったい何を吐かせようとしてるの!?」
僕を落ち着かせようと気を遣ってくれた見知らぬ少女だったが、ツッコミどころがありすぎて調子が狂う。僕は普段、ここまで取り乱したりするタイプではなかったはずだ。
「いいから吐くー。吸うより吐く方が長い、コレ腹式呼吸の基本中の基本よ?」
「知らんがな!!!!! …で、君は一体何者なの?聞きたいこと山程あるんだけど」
初対面にも拘らず馴れ馴れしい見知らぬ少女に戸惑いながらも、深呼吸のおかげか、なんとなく落ち着いてきたような気がする僕は、まず一番気になる質問を投げてみることにした。
「あっ! …そうだったわね、申し遅れたわね、失礼したわ。あたしは天使見習いのユリア。人生を自らの手で握り潰そうとしてる罰当たりなアンタをこうして救いに来てやったのよ、
よく分からない肩書きで簡潔に自己紹介をした見知らぬ少女改めユリアが口にしたのは、紛れもなく僕の本名そのものであった。
「天使見習い…?ユリアさん、虚言癖なら仕方ないと思うけど、僕まじめに気になってるんだよね。あと、何故僕の名前を?」
「こっちだって真面目よ! まぁ、突然宙に浮いたり天使とか言われても確かに訳わかんないわよね。あたしだって最初は発狂したわよ… ちなみにアンタはまだ死んでない。宙に浮いてるのは、あたしが一時的にアンタの背中に羽を生やしてあるからよ」
「サラッと言ったけど、僕にも羽ついてるのかよ!あと何で名前知ってるかは無視!?」
別な知りたかったことは小出しに教えてくれるも、こちらが聞いたことはガッツリスルーするユリア。この人ストーカーだったらどうしよう、天使って警察に通報しても逮捕してくれるんだろうか、とぼんやり考えながら背中を触ると確かにそこにはふわふわとした羽毛のような感触が確認できた。
「まぁ神の遣いですから名前くらいはね〜、って今あたしのことストーカーとか勘違いしてなかった!?殴るわよ?」
どうやらユリアは本当に天使らしい、ということは薄々わかって来た。しかし、僕が想像していた天使像とは遥かにかけ離れた姿がそこにはあったので、いまいち信じられない、信じたくないという気持ちもあった。
「神の遣いにしては随分と物騒なこと言うんですね? それに天使って、そんな上から目線で人の事馬鹿にしたような口訊くもんなの?むしろ悪魔の方が近くないか…?」
「うるさいわね、まだ修行中の身なの!!!言ったでしょう、天使見習いだって!」
イタリアンが安くて美味しいファミレスの壁画に描かれるようなツルツルのお尻の赤ん坊のような天使や、慈悲深くて丁寧な話し方をする高貴で清らかな存在、という天使に対する僕の従来イメージはガラガラと崩れ落ちていくばかりであった。
天使という存在のイメージダウンに、僕が本来望んでいた自殺の食い止めと、このユリアという天使は、見習いとはいえいくら何でも役に立たなすぎではないか。このままでは、神に見放される日もそう遠くないのではなかろうか…。
そう思った僕は、目の前にいる自称天使見習いに向かって口を開いた。
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