第17話 愛ゆえに
ワシの手から発せられた閃光に、術者であるワシ自身の目も眩む。町に被害が及ばぬように魔王とその周囲にいる魔物達に向けてアトミック・ブラスターを放ったつもりだった。それでも目を開いた瞬間、驚愕してしまう。辺りは一面、焦土と化していた。直撃を喰らった魔王の配下達は一瞬で気化したのだろう。骨や肉片さえも見当たらない。
シェリルが胸元から目を擦りながら顔を出す。
「し、信じらんねえ! あの一瞬でこんな! 魔王の魔法より凄まじいじゃねえかよ……!」
「う、うむ」
頷きながら、ワシはごくりと唾を飲み込む。神によって創造された物を完全に消失させることで生まれる超弩級たる力。発動は計算通りだったが、実際に目の当たりにすると体が震えてしまう。
――やはり、この理論を世間に公表しなくて正解じゃったわい。
「でも何で結婚指輪なんだ?」
「
「世界そのものが滅びちまうのかよ! とんでもねえ魔法だな!」
「シェリル。それより今は急がねばならん。すぐにこの場から離れるのじゃ」
「え! けど、魔王の姿は何処にも見当たらねえぜ? 流石に今ので塵になったんじゃねえか?」
「アトミック・ブラスターがどれ程、威力があろうが、勇者以外は魔王にトドメを刺すことは出来ん。しばらくすれば復活する筈じゃ。それに町にはまだ魔王軍の残党が残っておる……」
傷む腕を押さえながら、ワシは老体に鞭打ちつつ、出来る限り急いで裏山に向かったのだった。
山を登り、草むらを掻き分け、不思議なキノコの群生する場所に辿り着くと、シェリルはホッと一息吐いた。ワシはキノコを一つ毟ると懐に入れる。
「どうにか間に合ったな! 早く食って眠って過去に戻ろうぜ!」
「うむ。出来れば家に帰りたいが……その暇は無さそうじゃの」
「何でだ?」
ガシャガシャと何かが歩く音が近付いてきていた。木の陰に隠れて、ワシとシェリルはそれを見る。何と角のある巨大なスケルトンが辺りを徘徊していた。
「お、おい……ありゃあ、もしかして……!」
「しっ」
喋らぬようにと、人差し指を口に当てて諭す。息を殺すワシとシェリルの視線の先、スケルトンは怨嗟に満ちた声を出した。
「何処に逃げた……! 許さぬ……! 死よりも辛い苦痛を味わわせてやる……!」
シェリルは小さな体を震わせる。
「ま、ま、間違いねえ! 魔王だ! 骨になっても追ってきやがった!」
「あれは復活……というんじゃろうか。それにしても凄まじい執念じゃのう」
「だ、だがまぁ、いざとなりゃあもう一回さっきの強力な魔法で、」
「駄目じゃ。エターナルデリート・ウィズもカウンター・キャストも僅かながら魔力を使う。もうワシの魔力は時空魔法に使う分しか残っておらん。どうにか隠れてやり過ごすしかあるまい」
「マジかよ……!」
木の陰にジッと身を隠すが、魔王はぐるぐると辺りを動き回っている。
「おい! 全然、いなくなんねえぞ!」
「ワシらの気配を近くに感じておるのかも知れんの。居場所の特定はまだ出来んようじゃが」
「ドルク! お前、もう此処でキノコ食って寝ちまえよ! んで、すぐに時空魔法を発動させちまうんだ!」
「流石にこんな所ですぐには眠れないような気がするが……」
「大丈夫だ! アタシに策がある! 心配すんな! とにかく食え!」
「わ、分かった……」
確かに、まごまごしているうちに魔王に見つけられては一巻の終わり。ワシはシェリルの言葉を信じて、キノコを食べた。いつもは飲み込んだ瞬間、すぐに眠気が来るのにやはり緊張状態のせいか眠くならない。
「効きが悪い。困ったのう」
「なぁ、ドルク。もう氷の完全防御魔法は解除してるんだよな?」
「うむ」
するとシェリルはワシの頭に上にトコトコとよじ登ってきた。「はあああああ……!」とシェリルが大きく息を吐き出すのが聞こえる。
――ま、まさか……!!
ワシのイヤな予感は当たってしまう。シェリルが気合いのこもった声で叫ぶ。
「オラッ!! くたばりやがれ、ジジィ!!」
「!? ぐはあっ!!」
脳天に強烈な衝撃が走る。シェリルの一撃とキノコの催眠効果とが重なり、ワシの意識はすぐさま失われたのだった……。
キノコが見せる白い空間でワシはシェリルに叫ぶ。
「老人に何て罰当たりなことするんじゃあっ!!」
「バカ!! そんなことより急げって!!」
「ぐ……そ、そうじゃな!!」
時空魔法さえ発現してしまえば、その時点で今ある現実は揺らぐ。だが、それまでワシとシェリルは単に裏山で眠っているだけである。魔王に見つかる前に発動を急がねばならない。
ワシはチョークを創造、素早く時の魔法陣を描く。六芒星の頂点に古代文字で書き殴るのは、帝国暦九百七十六年七の月、十日の昼過ぎだ。
「早く書けって、ホラ早く!!」
「わ、分かっておる!! 急かすでない!!」
どうにか日時を書き込む。刹那、眩い光がワシとシェリルを包んだ。
……ふと気付けば、昔懐かしい我が家である。近くにある姿見に映っているのは、不安げな表情をした若かりしワシだった。傍ではシェリルも心配そうな顔を見せている。
「な、なぁ。これでとりあえずは安心……なんだよな?」
「うむ。時空魔法は発動し、先程まで現実だった時空は揺らいでおる。分かりやすく言えば、裏山で魔王に追われていたワシらの時間は停止している筈じゃ」
「ふう! じゃあようやく一息つけるな!」
「いや。問題はむしろこれからじゃ。今からミーシャがドラゴンに襲われる。時を変える前と同じく、ミーシャに情けないところを見せるように振る舞わねばならん」
その時、ワシの耳にミーシャの叫び声が聞こえた。
「それでは行くか」
「……本当にいいんだな、ドルク?」
シェリルの言葉に少し立ち止まった。だがワシは部屋にあった杖を手に取り、静かに頷き、家を飛び出したのだった。
叫び声の先には例の如く、飼い猫を抱え、一匹の巨大なドラゴンと向かい合う若きミーシャの姿があった。ミーシャはワシが来たことを知ると、安堵した表情を見せる。
ワシは杖を持って、ドラゴンに近付く。そして凶悪で獰猛な顔を前にして、小刻みに震える演技をした。
ぱかりと大きな口を開き、ドラゴンが乱杭歯の間から耳をつんざく咆哮を発した。
「ガオオオオオオオオオオオオオ!!」
「ひいいいっ!! 何と恐ろしいっ!! もう完全に駄目じゃあああああああ!!」
半ば大げさに驚きつつ、ワシは尻餅をつく。更に杖を落として、全身をガクガクと震えさせてみた。ドラゴンの口腔に火の玉が形成されるのが見える。
「ドルク!!」
ミーシャが叫ぶ。だが、ドラゴンの灼熱の炎がワシを直撃することはない。それより早く飛来するクラインの氷の槍。ドラゴンが体を貫かれて、息絶える。
「平気か、ドルク?」
クラインがワシとミーシャに駆け寄って来る。
――よし! 今じゃ!
ワシはタイミングを見計らって下腹部に力を入れた。何とも言えぬ嫌な感触と共にワシの股が生暖かくなる。広がった恥ずかしいシミを見て、クラインが鼻をヒクヒクとさせた。
「う、うわ……小便漏らしてやがる……!」
……クラインが町の大人達から賞賛の言葉を浴びている最中。その場にくずおれているワシにミーシャが花柄のハンカチを差し出してきた。
「あのドルク……よかったら、このハンカチを使って」
だがワシはミーシャの手を振り払った。
「ワシの……いや、俺のことは放っておいてくれ」
「ご、ごめんなさい! ハンカチなんかじゃ足りないわよね! だって、すごい量だもの! ありったけの手拭いを家から、」
「うるさい、黙れ!!」
ワシが大声で叫ぶと、ミーシャの愛らしい顔が引き攣る。それでもミーシャは無理矢理、笑顔を繕った。
「このことなら気にしないで!! ドルクは私を守ろうとしてくれたんだもの!!」
「ああ、ミーシャ。お前のせいで俺はこんな恥ずかしい目に遭った。そうだ。全部、お前のせいだ」
ワシはミーシャを激しく睨む。
「これからはもう二度に俺に近寄るんじゃない」
「そん……な……」
うっすら涙の滲んだ眼を見て、心がズキリと痛む。それでもワシは辛辣な言葉を叩き付ける。
「大嫌いなんだよ!! 早くあっちに行け!!」
「ううっ……!」
泣きながら走り去るミーシャの後ろ姿をワシは黙って眺めていた。
――愛しておるよ、ミーシャ。幸せにの……。
「……はぁ。何だか切ねえなあ」
ワシの部屋でシェリルがぼやく。意識体で姿の見えないシェリルが、ワシの傍でじっと成り行きを見守っていたのは知っていた。
「これでいいんじゃ。ワシと結ばれない方がミーシャは何倍も幸せじゃからの」
「うーん。女の幸せって、そういうんじゃねえんだけどな」
「いいんじゃ……」
ワシは笑顔で繰り返した。シェリルは諦めたように溜め息を吐くが、しばらくするとワシの肩に乗ってきて、頰に小さな手を当てる。
「それにしてもまさかお漏らしまでしやがるとはな! 徹底していてある意味、格好よかったぜ!」
「ミーシャと疎遠になる為、出来るだけあの時の様子に近付けなければならんかったからの。いやしかし、怖くもないのに失禁するのは大変じゃった。魔王との戦闘より緊張したわい」
「ハッハッハ! ドルク! 誰も認めなくてもアタシはお前のこと、認めてやるぜ! 魔王だって一人で食い止めたし、ホントにお前はすげえ男だよ!」
「ホッホ。それは嬉しいのう」
シェリルと一緒に笑い合う。後は不思議なキノコの効果が切れるのをジッと待つだけである。
ふと……部屋に飾られてある父の形見の書が目に入った。
『自分自身が満足できる、悔いのない人生を』
ワシが物心つく前に亡くなった父。こういう書を書き残したということは、きっと自分の人生に満足していなかったのかも知れない。確かに素晴らしい言葉だとは思う。だがそれでも……
ワシは椅子を使って、壁に貼ってある父の書を外した。
「何してんだ、ドルク?」
筆を執って新しい紙に字を書いた。父ほど達筆ではないが、年を取ってそれなりに雰囲気のある字は書けるようになっている。書いた標語を父の書が飾られていた場所に貼り付けた。
『自分の人生より、大切な人の人生を』
シェリルがワシの書いた書を見上げて、アゴに手を当てる。
「アタシはこういうこと、したり顔で言う奴って偽善者みたいで嫌いなんだけど……流石にドルクが言うと深みがあるな」
やがて意識が朦朧としてくる。不思議なキノコの効果が切れかかっているらしい。
こうしてワシとシェリルは元の時代へ戻ったのだった。そう、世界は救われているが、ミーシャもシューベルもいない独り身の寂しい現実に……。
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