第16話 ドルクの法則

「地面が震えてるぜ! 何て魔力だよ!」


 シェリルがワシの肩越しに叫ぶ。巨大かつ漆黒のオーラが魔王の体から溢れていた。まるで何匹もの黒蛇のように枝分かれして、うねっている。


 魔王はワシに歩みながら腰の鞘に手を当て、自身のオーラと同じ黒き大剣を抜いた。


「げっ! 剣で攻撃してくるつもりだぜ! 大丈夫か、ドルク?」

「お前さんは此処に入っておれ」


 まだ、ずいぶんと距離はある。しかしワシは小さなシェリルを摑むと、胸元に放り込んで魔王の方に手を向けた。


「『フローズン・ウォール断絶氷壁』」


 途端、地中からせり上がるようにして、魔王とワシとの間に巨大かつ頑強な氷の壁が出現する。


「ほう。瞬時にそれ程の魔法を扱うのか。だが……」


 氷越しに魔王が剣を振り払うのが見えた。同時に激烈な破砕音。バーサーカーの攻撃もドラゴンの炎すら遮断する氷の壁が、いともたやすく斬り砕かれてしまった。


「ドルク!!」


 焦ったシェリルの声が聞こえた次の瞬間。氷の壁を破壊した魔王は既にワシの眼前だった。


 ――な、何という素早さじゃ……!


「死ね。老いぼれ」


 凄まじい膂力を持って、ワシの首を薙ぎ払おうと迫った魔王の剣は、だが喉元に当たった刹那、弾かれ、ただ甲高い音だけが辺りに響く。


「何だ……?」


 解せぬ、といった表情で睨む魔王。ワシは少し離れて距離を取った後、ぼそりと呟く。


「ワシの体に氷結魔法『パーマフロスト・バリア永久凍壁陣』を展開しておる。先程のフローズン・ウォールはこの魔法の為の時間稼ぎじゃよ」


 シェリルが胸元からひょっこりと興奮した顔を見せた。


「魔王のあの強力な一撃を弾いたぜ!! すげえな!!」

「パーマフロスト・バリアは超上級氷結魔法。自身の持つ魔力の十分の九を使うことで全ての物理攻撃を無効化する近代魔法理論のたまものじゃ」

「物理攻撃の無効化だって!! いやぁ流石だな、魔法理論……って、ちょっと待て!! 今なんつった!? 魔力を十分の九、使うだと!? それじゃあお前、」

「うむ。ワシの魔力はほとんど残っておらん。これからは魔力を使わず、どうにか魔王の攻撃を凌ぐしかあるまい」

「そ、そんなんで大丈夫なのかよ……!」


 シェリルの心配も、もっともである。物理攻撃に対する完全防御が出来るとはいえ、殆どの魔力を費やし、攻撃手段が無くなってしまうこの魔法は、一対一の戦いにおいて絶対に使用するべきではない。それでも、魔王のあの攻撃を防ぐには使うしかなかった。そうでなければワシとシェリルは今頃、塵になっていただろう。


 ワシとシェリルの会話を聞いていたのだろう。魔王が口元を僅かに歪めて笑った。


「面白い。ならば、全力でその完全なる防御とやらを打ち砕いてやろう」

「くるぞ! ドルク!」

 

 またもや、あっという間に距離を詰められた後、漆黒の大剣をワシに叩き付けるように連打する。目にもとまらぬ素早さと強大な力でワシは滅多打ちにされた。


「ひいいいいっ!!」


 胸元でシェリルが悲鳴を上げている。しかし鳴り響くのは耳をつんざく甲高い音のみ。氷のバリアに全身を包まれたワシは微動だにしなかった。やがて魔王が諦めたように剣を下ろす。


「我が剣技が全く通じんとはな。メフィスタスの言う通り、やはり貴様は今すぐ息の根を止めねばならんようだ」

「お前さんの言った通り、ワシは老いぼれじゃ。放っておいてくれたら、そのうち自然と死ぬんじゃがのう」


「フン」と鼻を鳴らすと魔王は、大剣を腰の鞘に仕舞う。


「魔力のほぼ全てを物理防御に費やした貴様に、我が闇の魔法を凌げるか?」


 次に魔王はワシに片手を向けた。呪詛のような古代言語を発する度、魔王のオーラが増大していく。見ているだけで、今から放とうとしている魔王の魔法がどれほど威力があるか想像が付いてしまう。


「『アポカリプシー・エンド黒の終焉』」


 魔王の両手から黒き炎の固まりが放出された。ぐぉん、と唸りを上げながらワシに向かう途中、ドクロのように変化し、大きな口を開けてワシを呑み込もうとする。


「こ、今度こそダメだあっ!!」


 シェリルが絶望の叫び声を上げる。だが、ワシは迫り来るドクロに両手をかざしていた。ワシを呑み込もうとした巨大なドクロは、目の前で方向をぐるりと転換。魔王の方へと立ち戻る。


 凄まじい速度で返ってきた自らの闇魔法。魔王はマントを翻して防御するが、到達するやワシとシェリルがあわや吹き飛ばされる程の衝撃波が発生する。魔王の背後にいた数十匹の魔物が一斉に黒き炎に包まれた。


「ま、魔王の魔法を跳ね返したぜ! 今のはまさか!」

「うむ。カウンター・キャスト反撃魔法じゃ」

「テロゼアンとの円闘で使ったやつか! けど、どうしてあんな強力な魔法がまだ使えたんだ? 魔力はほとんど残ってねえんだろ?」

「カウンター・キャストは相手の魔力を利用する。故にワシが使用する魔力はほんの少しなのじゃ」

「そっか! 便利だな、カウンター・キャストって!」

「その代わりに研ぎ澄まされた集中力が必要じゃがの。一秒の半分程のタイミングを間違えれば、相手の魔法の直撃を喰らって一巻の終わりじゃ」

「う、うわ……簡単じゃねえんだな……」


 それでもどうにかカウンター・キャストは成功した。ワシは跳ね返した闇の魔法が与えた惨状を見やる。黒い炎の海の中では、のたうち回り、息絶えていく悪魔達の姿があった。


「全く何て魔法じゃ。あんなものが直撃したらと思うとゾッとするわい」


 地獄絵図のような光景。しかし、悠然と炎の海の中、佇む者がいる。跳ね返された魔法で部下の半数を失いつつも、魔王は平然と体を覆っていたマントを元に戻した。どうやら全くの無傷のようだ。


「先程から見たこともない不可思議な魔法を使うな。……良いだろう。貴様を勇者クラスの難敵と認め、全力を持って排除しよう」


 魔王の体が大きく震える。地鳴りのような音が響き、それと同時に体が膨張する。まとっていた鎧を突き破り、現れたのは漆黒の鋼の如き肉体。体長が先程までの二倍近くに膨れ上がる。それだけではない。反り返るような悪魔の角に、裂けた口から覗く牙。魔王は今、人型から凶悪なデーモンの姿へと変貌を遂げていた。


「!! ま、魔王が変化しやがったぜ!?」

「昔、読んだ魔王討伐歴程という本に載っておったのう。勇者との闘いで追い詰められた魔王は、変化して真の力を出したと言われておる」

「じゃあ、今までのは本気じゃなかったのかよ!!」


 本来の力を現した魔王は再度、腰の大剣をぬらりと抜く。


「また剣で攻撃しようとしてるぞ! なぁ、ドルク! 物理攻撃の完全防御ってまだ生きてるんだよな?」

「ああ。パーマフロスト・バリアの効果は、後しばらく大丈夫じゃ」


 ホッとした顔を見せるシェリル。だが魔王の赤く光る目を見た途端、ワシの背筋に冷たいものが走った。魔王の禍々しいオーラが体から腕を伝い、剣に集約されていく。


「これは……いかんのう」

「えっ!?」


 ワシが身構えるより早く、魔王は剣を振り払う。


「『ソードオブ・アポカリプシー終黒滅明剣』!」


 剣から放たれた黒き衝撃波がワシの元に疾走する。完全なる物理防御を果たす超上級氷結魔法パーマフロスト・バリア――だが魔法を帯びた剣となると話は別だ。それも魔王の強力な闇魔法と剣技が合わさるとなれば……。


「ぐはっ……」


 硝子が砕けるような激烈な音と共にワシは弾き飛ばされ、地面を転がる。シェリルが慌てて、胸元から飛び出した。


「ど、ドルク!! 平気か!?」

「ホッホ。参ったのう。流石は魔王じゃ」

「お前、腕が……!!」


 ワシの右腕は赤黒く変色していた。せめて胸元にいるシェリルをかばおうと、パーマフロスト・バリアで防ぎきれなかった魔王の魔力を火炎魔法で相殺しようとしたのだが、上手くいかなかったようだ。


「まぁ大丈夫じゃ。スコーピオとリッチーの後遺症よりはマシじゃて」


 シェリルを安心させる為にそう言ったが、腕には激痛が走っている。火傷に加えて、骨が折れているのかも知れない。


 ワシが深手を負ったことを察知したのだろう。悪鬼の容貌となった魔王が見下すようにして言う。


「少しでも予に勝てると思ったか、人間」

「そんなことは思ってはおらんよ。魔王を倒せるのは勇者のみ。ワシに出来るのは、お前さんを食い止めることくらいじゃ」

「食い止める、か。だがそれも最早叶うまい。次にソードオブ・アポカリプシーを受ければ貴様は終わりだ」

「じゃろうな……」


 ワシはしわがれた左手の薬指に、はめられている銀の指輪を外した。ミーシャとワシとの結婚指輪である。シェリルがワシの肩によじ登ってきて、耳元で囁く。


「お、おい……! まさかそれを形見だって言って、アタシに渡すんじゃねえだろな?」

「バカなことを。ワシが死ぬなら、どのみちお前さんも巻き込まれて死ぬじゃろう。形見を渡す意味などないわい」

「うう、確かに……! ああ、遂にアタシも年貢の納め時か……!」

「いいや。まだ諦めることはない」

「ええっ!! ひょっとすると、この窮地を凌げる魔法理論があるのか!? 一体どんな法則だよ!?」

「名前はまだない。上手くいくかどうかも全く分からん」

「はぁっ!? 何だ、それ!?」

「何故ならこれはワシ自身が考えた法則じゃからの。時空魔法研究の合間に思い付いたのじゃが、平和な世の中ではまるで使い道がなかった。それにもしも発表したら悪用する魔導士もいるかも知れんと思ってな。せんかった」


 魔王がまたソードオブ・アポカリプシーの構えを取っている。先程の一撃でパーマフロスト・バリアは解除された。今のワシは単なる生身の人間。喰らえば、肉片一つ残るまい。


「今から使う魔法はカウンター・キャストと同様、ほとんど魔力を必要とせん。代わりに道具を必要とするがの」

「よ、よく分かんねえが、期待してるからな、ドルク!」


 ――果たして上手くいくか。ミーシャ……ワシに力をくれ。


 ワシは銀の指輪を見詰めながら全神経を集中させ、呪文を詠唱する。


「無から有を生む創造の神アトゥムよ。その大いなる御力を原初に戻したまえ……『エターナルデリート・ウィズ完全消失魔法』」


 するとワシの手の平の上から、ミーシャとワシの結婚指輪が忽然と消え去った。


「……それは一体何の真似だ?」


 魔王が訝しげな表情をして、シェリルは大声で叫ぶ。


「!? 何やってんだ、ドルク!! どんなすげえ魔法かと思ったら、ただ指輪を消しただけじゃねえか!!」

「創造の神は偉大なる御力をもって万物を作られた。故に地上にある全ての物には創造の神の力が宿っておる。逆に考えれば、対象となる物を完全に無に帰することが出来れば、創造の神の凄まじい力が解き放たれるのじゃ」

「全然、意味がわかんねえ!! ああ、もう終わりだ、完全に!!」


 シェリルが嘆く。しかし指輪の消えたワシの手は、眩い光を発していた。ワシにトドメを刺そうと剣を構えていた魔王が、ワシから溢れ出でた強大な力のせいで体勢を崩して唸った。


「何だ……この凄まじい魔力は……!」


 今、ワシの両手には創造の神が万物を生み出す元となる力が宿っていた。ワシは狙いを魔王に定め、その比類無き力を解き放つ。


「……『アトミック・ブラスター原子還元爆砕撃』」

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