第15話 夫婦の決意
「……皆さん。遂にこの日がやって来ました。クライン様が命を賭して作られた結界が魔王に破壊されようとしているのです」
ひび割れた空の下、町長は悲壮感溢れる表情でそう告げた。今、広場にはワシとミーシャ、そして町中の人々が集まり、町長を囲んでいた。
「本来ならこの町は、とうに滅びていたのです。にも拘わらず、二十年もの長きに渡り、人生を楽しむ猶予を与えられた私達は何と幸せであったことでしょうか」
しくしくと泣く声があちらこちらから聞こえ始める。ワシの隣で赤ん坊を抱いた女性が堪えきれなくなったように、その場に泣き崩れた。
「ああ! 私は死んでも構いません! でも、生まれたばかりのこの子が憐れで……!」
町長は歯を食い縛りながら言う。
「大変に辛いことです。しかし、それでもこれ以上は望んではいけない。かつてサファイアに住む人々はこの思いを二十年前に味わって死んでいったのです。私達は今まで充分、幸せに暮らせた。だから感謝しなくてはなりません。神に……そしてクライン様に……」
町長は胸を張り、無理矢理に笑顔を繕った。
「結界の完全崩壊まで、しばし時間はあるでしょう。各自思い残すことのないよう、家族や大切な人達と過ごしてください」
町長の話が終わるとワシとミーシャは広場を出て無言で歩いた。しばらくしてからミーシャが独りごちるように言う。
「町長の仰る通り、本当にこの町に住む者は幸福だったと思います。もちろん私も含めて」
「ミーシャ……」
「アナタとシューベルと一緒にこの年まで心穏やかに暮らせて、私の人生は本当に満ち足りていました」
突然、ミーシャはワシの手を握りしめて、真剣な顔をした。
「一つだけお願いがあります。あの子を、シューベルを責めないでやってください。口には出しませんが、シューベルはあの時からずっと、世界が滅んだのは自分のせいではないかと悩み続けているのです」
「責めるものか。シューベルは何も悪くない」
「アナタも知っての通り、私は勇者を生む運命の家系に育ちました。しかしながら私には何の力もありません。子であるシューベルに勇者の力が発現しなかったのも、ひとえに私が無能であるせいでしょう」
ワシは頭を大きく横に振る。
「違う、違うんじゃ。悪いのはワシなんじゃ」
「……アナタ?」
「すまん、ミーシャ。ワシと一緒にならなければ、お前は天から真の勇者を授かっておった。そしてサフィアノは救われたのじゃ」
「まさか、そのような、」
「いいや、ワシには分かる! 全てはワシのせいなのじゃ!」
「も、もうこの話はよしましょう」
ミーシャは気まずくなった空気を打ち消すように優しく微笑んだ。
「家に帰ったら腕によりを掛けて、アナタの大好きな野菜のシチューを作りますね……」
とぼとぼと歩いて、これ以上ないくらいに塞いだ気分で家に着き……そしてワシは驚いてしまう。家の中は家具や調度品が散乱し、荒らされていたからだ。
「ご、強盗か?」
これから町が滅びると知って自暴自棄になり、悪事を働く者がいたのだろうか。しかし、散らかった居間の片隅にはシューベルがうずくまっている。
「シューベル……もしやこれはお前が……」
するとシューベルは情けない笑みを浮かべた。
「は、ははは……すまねえ。物に当たるなんてよ。二十年経って、ちょっとは成長したと思ったのに……やっぱりダメだ。いざとなれば死ぬのが怖くて仕方ねえ」
ワシはミーシャに無言で頷いた後、震えるシューベルに近寄る。
「お前だけじゃない。誰だって死ぬのは怖い。当然じゃ」
「死にたくねえ。死にたくねえよ、親父……」
憐れに泣くシューベルの肩を抱いた。とても勇者の血を引くとは思えない貧相な体つきの息子が、ただただ不憫だった。
「許してくれ、シューベル……」
「何で親父が謝るんだよ」
過去に戻れば、この最悪な現実を変えることは出来る。だがそうなれば、シューベルは生まれなかったことになる。
――ワシの身勝手でサフィアノは滅んだ。そしてワシは次に息子の人生も無かったことにしようとしておるのか……。
心に迷いが生じた時、台所の方から硝子の割れる音が響いた。シューベルが顔色を変えて叫ぶ。
「うわあああああああっ!! 魔王だ!! 魔王が攻めてきたんだ!!」
頭を抱えて、ガタガタと震えるシューベル。立ち上がって台所に向かおうとするワシにミーシャが心配そうな眼差しを向けた。
「アナタ……」
「心配ない。様子を見てくるだけじゃ。お前はシューベルと此処にいなさい」
ミーシャを諭して居間を出ると、胸元からシェリルがひょいと顔を出す。
「魔物か? もう結界が破られちまったのか?」
「その可能性はあるのう」
そろりと台所の扉を開く。割られた窓と散乱した硝子の破片。しかし台所には何もない。
「いや! いるぜ、ドルク! 天井だ!」
シェリルに言われて見上げると、天井の隅に一羽の鳥がぶら下がっている。一見、鷹のような巨大鳥……しかしその頭部は人間の頭蓋骨だった。
「うわっ! 気持ち悪りぃ魔物だな!」
ワシ達に気付くと、ドクロ鳥は素早く台所を飛び回った。旋回しつつ、攻撃の隙を窺っている。
「は、速ぇぞ! ドルク!」
「心配はいらん」
ワシは手を自分の頭上にかざす。
「冥界より来たりし氷の槍よ、敵を貫け。『
ワシの手の平から出た数本の氷の槍は、素早く飛び回るドクロ鳥に向かう。ひらりひらりと身をかわすが、氷の槍は方向転換してその後を追った。やがて追いつき、頭蓋を貫通する。
「すげえ! 避けてもどこまでも追っていくんだな!」
「うむ。そういう風に魔力を調整した」
だが、頭部を砕かれながらもドクロ鳥はケタケタと笑い、人語を喋った。
「けけけけけ! じきに結界は完全に崩壊する! 今度こそ人類は終焉を迎える! けけけけけけけけけ……!」
けたたましい笑い声と共にドクロ鳥は灰になって消失する。
「結界が崩壊する、じゃと……」
ドクロ鳥の言ったことが気になり、窓の外を見たワシは戦慄する。空には蜘蛛の巣のように無数のヒビが出現していた。今にも空が崩れて落ちてきそうである。
「ドルク! 今、アタシはキノコを持ってねえ! 早く裏山に行かなきゃヤバいぜ! 魔王が攻め込んできたら時空魔法で過去に戻るどころじゃなくなっちまう!」
「そうじゃな。じゃが、その前にシェリル……最後にもう一度確認じゃ。あの話は本当なんじゃな?」
「あの話?」
「シューベルのことじゃ。『肉体は変わっても魂は同じ』という話じゃよ」
「ああ。元の世界に戻せば、シューベルの魂は真の勇者の魂になる。間違いねえよ」
「そうか……」
そして勇者は魔王と相打ち、世界救済と引き替えにその若い命を散らすことになる。だが、それでも……
――たとえ命が朽ち果てようが、ワシの子ではなく世界を救う真の勇者として生きた方が、きっとシューベルは幸せの筈じゃ……。
ワシは覚悟を決める。そして割れた窓を魔法で直すと、ミーシャとシューベルのいる居間に向かった。
「……アナタ。さっきの音は一体?」
「小さな魔物が家にいた。じゃが、もう大丈夫。始末したからの」
「そ、そうですか。よかった……」
「シューベルは?」
「部屋に閉じこもっています」
「それでいい。ミーシャ、お前もシューベルと一緒にいてやるといい。壊された台所の窓は氷結魔法で修復し、家の周りにも簡単な結界を張っておいた。クラインには遠く及ばんが、中級レベルの魔物の侵入は防げるじゃろう」
言いながら玄関に向かうと、背後からミーシャが話し掛けてくる。
「アナタ……アナタは今から人々を救いに行かれるのですね……」
ぎくりとしてワシはミーシャを振り返った。
「何故そう思う?」
「ドラゴンから私を救ってくれた時と同じ、決意に満ちた目をしていらっしゃいますから」
そしてミーシャはワシに近寄り、手を握ってきた。
「アナタは今まで何度も奇跡を起こされました」
ミーシャは、まるで全てが分かっているかのように言う。
「どうか世界を救ってください。この世界は間違っています」
「ミーシャ……!」
ワシはミーシャの小柄な体をきつく抱きしめる。
「ありがとう。お前はワシには過ぎた嫁じゃった」
「何を仰いますか。お礼の言うのは私の方です。アナタと一緒に過ごせた日々は私にとって何ものにも変えられない宝物でした」
それも過去を元に戻せば、全て無かったことになる。数十年の思い出も、そしてシューベルの存在さえも……。
――しかし、やらねばならん。世界と、そしてミーシャとシューベルの魂の為にも……。
涙を流すミーシャにワシは出来るだけ明るい笑顔を見せる。
「それでは行ってくる」
「何卒……何卒……ご無事で……」
もう一度ミーシャを抱きしめた後、ワシは裏山に向かったのだった。
家を出て少し進むと、シェリルが胸元から顔を出した。ワシにジト目を向ける。
「ドルク! お前、さっき完全にアタシの存在忘れてたろ! ミーシャと抱き合った時、二人の圧で潰されるかと思ったぜ!」
「ははは。それはすまんかったのう」
ワシの気持ちは現在かなり沈んでいる。それでも普段通り元気なシェリルを見ると、ほんの少し救われた気がした。
「つーか、世界を救うとか感動的なこと言ってたけど、実際は山にキノコ採りに行くだけだけどな。どうせその後、時空魔法を発動させる為、もう一回家に戻って眠るんだろ?」
「う、うむ。まぁ言われてみればそうじゃの」
そうこうしているうちに不思議なキノコのある裏山が見えてきた。シェリルが嬉しそうな表情を見せる。
「ふう! 無事に辿り着けてよかった! 町が魔物で溢れかえってたらどうしようかと思ったぜ!」
「先程のドクロ鳥はヒビの隙間から入って来たんじゃろうな。町にはまだ小さい魔物しかいないようじゃ」
「今のうちに山に登って、キノコ採っちまおう!」
だが、その時。雷を百度落としたような激烈な音がした。あまりの轟音に「うっ!」とワシもシェリルも耳を押さえてうずくまる。
耳鳴りを感じつつも頭上を見上げると、空の一部分のヒビが裂け、真っ黒な空洞がぽっかり開いている。そしてそこから黒き光線のようなものが地上に降りてきた。
「お、おいおい……!」
シェリルが絶句する。空の裂け目から降りた光線を伝って、異形の者達がどんどんとワシの目の前に降りてくる。先程のドクロ鳥のような小物ではない。屈強なサイクロプスにデーモン、キマイラ、アンデッド……グリフォンクローとして戦った時と同じS級モンスターが数十体以上――それらは地上に降りると、何かを待つように辺りに跪く。
「う、う、う、噓だろ……!!」
小さな口から震える声を絞り出すシェリル。ワシもその光景を見て、息を呑む。最後に現れたのは黒いマントを羽織り、漆黒の鎧を着た人型の魔物だった。その者の体から発散される瘴気の如きオーラは、ワシが今まで見たどの魔物よりも禍々しい。名乗らずとも、圧倒的な気配と威圧感で分かる。
「あ奴が魔王か……!」
魔王はオルセイの町をぐるりと見渡し、ふーっと大きな息を吐いた。
「二十年……結界の完全破壊まで実に二十年だ。大魔導士クライン=ヘルアークが命をかけた禁呪がいかに強力であったことか。人間ながら驚嘆に値する」
そうして背後にいる魔の者に目を向ける。それは顔に十を超える目を持つ、異形の魔物だった。
「魔軍参謀メフィスタルよ。何故に町の中心ではなく、かような場所に予を招いたのか?」
「早急に片付けなければならぬ障害を排除する為にてございます……」
メフィスタルという魔物は長い爪のある指で、少し離れた場所にいるワシを指さした。
「あの人間から、ただならぬ気配を感じます。我ら魔族に大いなる災厄をもたらす破滅の予感を……」
「予を脅かすのは勇者のみではなかったのか?」
「仰る通り。しかしながらこの者の存在は勇者以上に危険であると、万里千年を見通す我が予言の眼が告げております。この者を一刻も早く殺さなければなりませぬ」
「一見、朽ち果てそうなただの老いぼれ。だが確かに並々ならぬ魔力を身の内から感じるな……」
魔王は手をかざして周囲の側近達を下げた。そしてワシに向かってゆっくりと歩を進めてくる。
「ど、ドルク……!」
普段あまり物怖じしないシェリルがワシの背後に隠れた。魔王の深紅の瞳がワシを見据えている。
「それでは予、自ら滅ぼしてやろう」
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