第14話 勇者の所在と世界の終わり

 驚愕の事実に茫然自失するワシに、シューベルとミーシャが心配そうな目を向けていた。


「親父。疲れてるんじゃないか。長い間、歩いたからな」

「そうですね。帰って休むことにしましょう」


 ――クラインが死んでいる……そしてサフィアノが滅んでいるじゃと……!


 その後、魂が抜けたようにフラフラと歩きながら帰途につく。「少し横になりたい」と言い繕って自分の部屋に入るや、ワシは日記を取り出し、食い入るように読み始めた。


 開いたページは帝国暦千九年、魔王復活の年である。しかし、そこに記載されていた日記の内容はワシの知る史実とは異なっていた。




『帝国暦千九年七月二十五日 魔王復活と同時に起きた大天災により、人類の三分の一が死に絶えたという。学者が言うには、これ程までの被害が起きたのは、言い伝えにある勇者が世に現れなかった為、魔王の魔力が暴走した結果らしい。魔王軍の殺戮は今この時も続いている。ああ……神よ。我らを救い給え』



『帝国暦千九年八月十八日 テロゼアンを筆頭にして結成された有志討伐連合が魔王軍との戦いで敗北した。テロゼアンは死去、そしてグリフォンクローのメンバーも全員殺されたと聞く。悔しい悔しい。何も出来ない自分が腹立たしい』



『帝国暦千九年八月二十五日 遂にこの大陸まで魔王の手が迫ってきた。危急の折、クラインがヘルアーク家に伝わる禁呪を発動するという話を聞いた。成功すれば半径五十キロを強力な結界で包むことが出来るのだ』



『帝国暦千九年八月二十九日 何者にも脅かされぬ最強の結界・エタナトロキア発動にはクラインの命が必要だった。事実を知った後で必死に説得したが、クラインはにこやかに笑った。「お前はミーシャと一緒に幸せに暮らせ」――それがクラインの最後の言葉だった。クラインに眠りの魔法を掛けられ、気付いた時には既に町は透明の壁に覆われていた……』



 ごとり、と分厚い日記を落としてしまう。ワシの手は小刻みに震えていた。


 こ、これがこの世界の現状! しかし何故じゃ! 何故、勇者は現れなかった! まさかこの世に生を受けなかったとでもいうのか?


 幸せの極地から、一気に奈落へと突き落とされたような気分で足下がふらつく。その時だった。


「……大変なことになってるな、ドルク」

「シェリル!?」


 シェリルは珍しく真剣な表情で窓際にちょこんと腰掛けている。


「お前さんも現状を……?」

「ああ、ノームの仲間から聞いたよ。どうやら無事なのは世界中でこの町だけらしいぜ」

「何という……何ということじゃ……」


 今まで過去を変えたことで貧乏になったり、病気を患ったりした。しかし今回のは度合いが違う。蒼白とするワシに、だがシェリルはニカッと笑う。


「たいしたことねえよ、ドルク!」


 そうしてシェリルは窓際から不思議なキノコを引き摺り出した。


「どうせ、どっかの過去を変えたことでこうなっちまったんだ! そこを上手くもう一度変えりゃあ良いだけだぜ!」

「う、うむ! そうじゃ! そうじゃな!」


 普段、口が悪く傍若無人なシェリルが、この時ばかりは頼もしく思えた。ワシは気合いを入れる為、自分の顔を両手で叩いた。


「災害の元凶は勇者が現れなかったということじゃ。おそらくワシが過去を変えた時、細かい分岐が起こり、それが勇者不在の遠因となったのじゃろう」


 しかしワシの推測にシェリルは首を捻る。


「うーん。そんな小難しい話じゃねえんじゃねえか?」

「どういうことじゃ?」

「男と女がヤりゃあガキは生まれる。勇者が生まれなかったんなら、勇者の親がヤらなかっただけの話だろ」

「そ、そりゃあそうじゃが……そんな身も蓋もない言い方って……!」

「ドルク。勇者の親って誰なんだ?」

「ふむ。勇者の出自は謎とされておる。ただ、王族の血を引いてるという噂はあったのう」

「王族……王族か……」


 少し考えていたシェリルは、やがて何かに気付いたように小さな目を大きく開いた。


「な、なぁ、ドルク!! ミーシャって若い頃、王様に誘われてたんだよな!?」

「そんな話もあったかのう」


 ワシと付き合わなかった元の現実で、ミーシャは王から誘いを受けていた。しかし、その後、ミーシャは王族にならなかった。なのでワシは一時的な王の気まぐれか、もしくは冗談だと思っていたのだが、


「なら、考えられるのは一つしかねえ!! 勇者の母親、それがミーシャだ!!」

「な、な、何じゃと!! ミーシャが勇者の家系だというのか!! そんなバカな!!」

「勇者は王の隠し子だったんだよ! それで世間に公に出来なかった! これで勇者の出生が謎なのも納得がいくだろ?」

「確かに……! いや、しかし……!」

「決まりだって! 要はミーシャが王とヤらずにドルクとなんかヤっちまったから、勇者を孕めなかったんだよ!」

「!! じゃからその言い方、やめてくれん!?」


 ――じゃ、じゃが、本当にシェリルの推理が正しいならば……!


「ワシが自分の幸せを求めたばかりに、世界を救う勇者様が生まれなかった……? ワシが勇者の存在を消してしまった……?」


 そうして世界は滅んだ……。海より深い後悔と真っ暗な絶望感がワシを包む。だが、


「それはまぁ別にいーじゃん」


 シェリルが他人事のように言うので、腰が抜ける程ビックリする。


「全然、良いことないじゃろ!!」

「い、いや『勇者の存在を消した』とか言ってっからさ。そんな悲観しなくても魂は一つだぜ」

「どういう意味じゃ?」

「人間はこういう話に疎いんだよな。ノームの間じゃあ常識なのに。……いいか。いくら親が変われど、生まれてくる筈の魂が生まれないなんてことはねえ。体って器が変わっただけで、勇者になる筈の魂は別の生を受けてる筈だ。だからそこは気に病む必要はねえよ」

「なるほど……うん? 待て! なら、この現実では勇者の魂は……ま、まさか……!」

「ああ。お前の息子、シューベルに受け継がれたって考えるのが妥当だろうな」

「そんな!! ありえんじゃろ!! 第一、ワシの日記にはそんなこと一言も書いとらんかったぞ!!」

「誰かに見られるのを恐れたんだろ。だから日記に書かなかった。そして周囲にも息子が勇者であることを隠した。そんなところじゃねえか」

「も、もし……もしも本当にシューベルが勇者だとしたら、どうして世界を救わなかったんじゃ!?」

「問題はそこだな。本人に聞きゃあ話は早いぜ」



 ……ワシはシェリルを胸元に隠して部屋を出た。心の何処かで、シェリルの推理が外れていて欲しいと願いつつ、シューベルの部屋に向かう。


 コンコンとノックする。寝ていたのだろうか、髪の毛を乱した息子が眠そうな眼を擦りながら出てくる。


「どうした親父。体の調子は治ったか?」

「……シューベル。少しだけ良いか?」

「良いけど。入れよ」


 だがワシは部屋に入らず、シューベルの手を取った。いつも黒皮の手袋をはめているその手を。そして有無を言わさず、手袋を剥ぎ取る。その瞬間……絶句した。


 シューベルの右手の甲に、星を象った勇者の紋章があったからだ。


「ほ、本当にお前が……勇者じゃったのか……!」


 ワシが呟くと、シューベルは呆れたような顔で部屋の椅子に腰掛けた。


「今更なんだよ。今日はおかしいぞ、親父」


 もう変に思われようが構わない。何よりワシは真実が知りたかった。


「シューベル! 教えてくれ! お前さんは勇者じゃ! なのにどうして世界を救わなかった?」 

「そんなこと、親父もお袋も知ってるだろ」

「頼む! 教えてくれ!」


 シューベルは「はあ」と大きな息を吐く。


「お袋から勇者の血は受け継いだ。だけど俺には勇者としての資質がなかった。この紋章が輝いたことは今まで一度もない。俺は偽者の勇者なんだよ」

「紋章が輝かない……?」


『魔王が復活すれば勇者の紋章は輝き、聖なる威光はサフィアノを救う』……それはワシが知っている伝承であった。


「よしてくれよ、もうこの話は。俺はそんなことを忘れて、今を楽しみたいんだ。『自分自身が満足できる、悔いのない人生を』――親父だっていつもそう言ってるだろ?」

「そ、それはそうじゃが……!」

「この町の平和は、クライン様がくれた仮初めの平和だ。結界の効力もいつかは終わる。でも、そのときまでは楽しんで生きなきゃあな」





 ……ワシはトボトボと自分の部屋に戻った。黙って話を聞いていたシェリルが、ローブの胸元から顔を出す。


「なあ。もうこうなったらドルクが魔王を倒しちまったらどうだ? 例の『進化した魔法理論』でよ?」

「何をバカな。魔王を倒すには勇者の力が絶対に必要じゃ。魔王を倒す唯一無二の存在――それが勇者が勇者たる所以なのじゃからの」

「流石のドルクも魔王には勝てねえか」


 ワシは深い溜め息を吐く。


「百万歩譲って、もし仮に倒せたとしても既に世界は滅んでおる」

「それじゃあ過去に戻ってシューベルを無理矢理、魔王戦に行かせりゃあいい! そしてドルクも一緒に付いて行ってやりゃあ、勝てるんじゃねえか?」

「ダメじゃ。シューベルは勇者の紋章が輝いたことはないと言った。高貴な王族の血とミーシャの家系の血が合わさらなければ、おそらく真の勇者にはなれんのじゃろう」

「うーん。そういうもんなのかなあ」

「この現実はあってはならない現実なんじゃ」


 ワシは椅子に座ったまま、頭を抱えた。ワシが自分の幸せだけを追い求めた結果、この悲惨な現実を生んだ。二十年前、一体どれだけの人間が魔王に殺されたことだろう。やりきれない気持ちでワシは机を拳で叩く。


「おいおい。落ち着けよ」

「全ては最初から間違っていた! ドラゴンからミーシャを守るべきではなかった! 過去は変えてはいけなかった! ワシとミーシャは結ばれるべきではなかったんじゃ!」

「ドルク……」


 しばらく無言の後、ワシは心に決めた言葉を口に出す。


「戻そう」

「も、戻すって何をだよ?」

「一番最初の過去に戻った時――つまりミーシャをドラゴンから救わなければ、全ては元通りになる筈じゃ。ワシとミーシャが付き合わなければシューベルが生まれることもないからの」

「えええっ! お前、それがどういうことか分かってんのかよ! 今まで頑張ってきたこと、何もかも無駄になるんだぜ!」

「そうじゃ。その代わり真の勇者が生まれ、世界を救ってくれる」

「待てって! えっと……そうだ! 元の現実だとミーシャは土砂崩れで死んじまうだろ! それじゃあ、あんまりじゃねえか!」

「ならば過去を全て元に戻した後、年老いたミーシャを土砂災害から救いに行く。そして、それを最後にワシは時空魔法を永遠に封印する」

「ま、マジかよ……。ドルク、お前、ホントにそれで良いのかよ?」


 シェリルが呟いたちょうどその時だった。強烈な破砕音がワシの耳朶を震わせる。シェリルも驚いて叫ぶ。


「おい!! 一体何だよ、今の音は!?」


 耳をつんざく轟音は空から聞こえた。シェリルとワシは窓を開いて、天を見上げる。


「何じゃ……アレは……!?」


 それなりに長い間、生きてきたが、それでもこんな光景を見たのは初めてだった。


 泣き出しそうな曇天には、雷が空中でそのまま制止したように巨大な黒いヒビが幾つも入っていた。

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