第13話 満ち足りた生活


「こちらのサンドイッチには、アナタのお好きな卵を挟んであります。あちらにはお野菜を……」

「うむうむ。うまいのう」


 降り注ぐ暖かい日差しの中、広場の草むらに敷いたゴザの上でミーシャに手渡されたサンドイッチを頬張る。世界中のどんな高価な食べ物もこれには勝るまいと本気で思った。


 隣では息子のシューベルが、両手に黒革の手袋を付けたまま、サンドイッチを無言でもぐもぐと食べている。最初は薪割りの為かと思ったが、いつも外さないところを見ると火傷のあとでもあるのかも知れない。あまり詮索するのも気が引けるので聞かないことにした。それにしても初めて出会った時は無精ヒゲでだらしない感じだったが、過去を変えた今ではなかなかに見栄えの良い中年男性である。ワシは親しげに息子の肩を叩く。


「シューベルもすまんの。せっかくの休日に」

「本当だよ」


 少し不満げな顔をしているが、年老いた親の道楽に付き合ってくれる良い息子だ。昔はギャンブルにハマっていたが見事に更正してくれた。いや……あれはこの世界では無かったことになっているのか。


 あの時のことを思い出しながらシューベルを眺めていると、少し照れくさそうに頰を掻いた。


「まぁ出来るうちに親孝行しとかないとな」

「ホッホッホ。そうかそうか」


 ちなみに今日はシェリルは自分の住処に帰っている。『家族水入らずで楽しめよ』とシェリルなりに気を遣ってくれたようだが……言われなくてもそうするわい。ワシの上司なのか、アイツは全く!


「……アナタ、どうしたのです? ニコニコとして」

「いやいや」


 それでもワシの顔は綻んでいたらしい。実際のところ、シェリルには感謝している。最初、無理矢理キノコを口に詰め込まれた時は一体どうなることかと思ったが、そもそも時空魔法が発現できたのはシェリルのお陰である。それからもシェリルの協力があったからこそ、幾度かの過去改変を経てようやくワシはこの素晴らしい現実に辿り着けた。そう――思い描いた理想の人生に。


 もちろんワシにはミーシャやシューベルと共に長い歳月を過ごした記憶はない。だが、満ち足りた家族の記憶は今後少しずつ積み重なっていくだろう。


 ――愛する妻もいて、子供もいて、健康で裕福。ああ、幸せじゃ。ワシがこんな幸福になって良いんじゃろうか。


 ふと、周りを見渡せは広場には同じような家族連れが多いことに気付く。ワシらのように笑顔で穏やかな時間を過ごしているようだ。しかし……平日だというのに、この広場にはこんなに人がいたろうか。いや、おそらく今までは気付かなかったのだろう。もしくは見て見ぬ振りをしていたのかも知れない。自分が持っていない幸福を持っている他人を直視したくなかったのかも……。


 ――はて。それにしても何か……。


 前にこの広場に来た時に感じた違和感。それは依然としてワシの心の中にあった。それが何なのか今度こそゆっくり考えてみようとした時、


「おお、ドルクさん。いいですなあ。家族で団欒ですか」


 またしてもワシは町長に話し掛けられてしまう。以前も確か町長に邪魔された記憶があるが今回、小太りの町長の隣には同じくふっくらとした体型の柔和そうな女性がいた。


「私も家内と散歩なんですよ」


 二人で頭を下げてきたので、ワシとミーシャも同じように挨拶した。町長の奥さんが微笑む。


「仲むつまじいことで羨ましいですわ」


 するとミーシャも笑顔を見せる。

 

「この時間を大切にせねばと思いまして」

「そうですか。町の者、皆、同じ気持ちですよ。限られた時間を精一杯楽しんで生きなければ損ですものね」


 奥さんの言葉に町長もミーシャも頷く。軽く会釈すると、町長夫妻は寄り添うようにして歩いて行った。ワシは晴れた空を見上げながら独りごちるように言う。

 

「こんな日が続けば良いのう。一日でも長く」

「アナタ……」


 ミーシャもワシも既に老境。後何年生きられるか分からない。それでもワシは今此処にある幸せを噛み締めていた。


 ふとミーシャが手を重ねてきた。しわがれた手だが優しい暖かみがある。


「私も本当にそう思います。この幸せがずっと続けば良いと……」


 そしてミーシャはワシの目を見詰めてきた。


「本当にありがとうございます。アナタに添い遂げてから、私はずっと分不相応な幸せを味わっております」

「何を言うか」

「もしも……もしもアナタに出会えなければ、私などとっくにいなかったような……そんな気がするのです」

「ミーシャ……」


 ワシが過去を変えなければ、ミーシャは土砂崩れに巻き込まれて帰らぬ人となっていた。ミーシャがそのことを知っている訳がない。それでもひょっとすると魂の何処かで感じているのだろうか。


 ミーシャは微笑みを讃えたまま言う。


「もう、いつ死んでも思い残すことはありません」


 傍で聞いていたシューベルが「よしてくれ、辛気くさい」と怒った顔をした。ワシもミーシャも笑う。


「もちろん、今のは良い意味で言ったのですよ。私達が満ち足りた生活を送れるのはアナタと、そしてクライン様のお陰ですから」


 するとシューベルも真剣な顔で深く頷いた。


「確かに無事に暮らせるのは、クライン様がこの町を守ってくれているお陰だ」


 シューベルもクラインには一目置いているようだ。それはまぁそうだろう。ワシと違って、若い頃から大魔導士の名を欲しいままにしてきた天才である。


 ……ふとクラインに会いたくなった。過去に戻った時に若い頃のクラインには会っているが、現在の年老いたクラインをしばらく見ていない。


「そういえばクラインは元気かのう。何か、もうずいぶん会っておらん気がするわい」


 ミーシャが笑顔を見せる。


「これから会いに行かれますか?」

「うむ。そうじゃの」

「それではお花を買って行きましょう」

「花? そんな大した手土産はいらんよ。……そうじゃな。アイツには酒の方が良いじゃろう」

「ふふ。流石はご親友ですね。それではお酒も一緒に買いましょう」


 そうしてワシらは広場を出ることにした。






 町の酒屋で葡萄酒を買った。そのまま行こうと思ったのだが、ミーシャが花屋に立ち寄る。


「ありゃ? 結局、花も買うんじゃの?」

「まぁこれは礼儀のようなものですから」


 ミーシャらしい丁寧なことだと思った。ワシはミーシャとシューベルを連れて歩いていたが、途中でミーシャがワシの肩を軽く叩いてきた。


「アナタ、こちらですよ」

「ん?」


 ミーシャが違う道を指さしている。はて。こちらの方角にはクラインの家はなかった筈じゃが。


「なぁ、ミーシャ。クラインの家は、」

「はい?」

「い、いや何でもない」


 言いかけてハッとした。待て待て。それはワシが知っている過去の話じゃ。ワシの家も昔より大きくなっておる。ひょっとしたら過去を変えたことでクラインの住所が変わったのかも知れん。


 ワシは黙って素直にミーシャの後を歩いた。しかし歩くにつれて辺りはどんどんと寂しげになっていく。とうとう町外れまで来て、ワシの中に何とも言い難い嫌な予感が高まってきた。


 視界に入るのは縦横一列に並んでいる古びた石碑――そこは町の墓地であった。


「み、ミーシャ……! 此処は……!」


 老いぼれた心臓が高鳴り始める。ミーシャとシューベルはやがて、一際大きい石碑の前で膝を付いた。


 ワシは呼吸を荒くして、その石碑を見る。


 そこにはこう刻まれていた。




『偉大なる大魔導士クライン=ヘルアーク 此処に眠る【帝国暦九百六十年――千十年】』




 ――こ、こ、こんな……! これは何の冗談じゃ!


 ワシは我慢できずシューベルを振り返る。


「しゅ、シューベル! お前さっき『町はクラインが守っている』と言っていたではないか!」

「ああ、そうだよ。クライン様は二十年間、ずっと町を守ってくれている。亡くなってなお、クライン様の結界は健在だ」

「結……界……?」


 ミーシャが手を合わせながら言う。


「本当にありがたいことです。魔王復活の際、クライン様が命と引き替えにして張られた結界のお陰で私達は今も平和に暮らせているのですから」


 魔王から守る為の結界……!! その為にクラインは死んだと言うのか!? そ、そんな!! 勇者!! 勇者は一体何をしておったんじゃ!?


 ――あっ……。


 そうして、ワシはようやく広場で感じていた違和感に気付いた。


 勇者の像じゃ……! 過去を変える前、広場にあった勇者の像が消えておる……!


 ワシはがくりと石碑の前で膝を付く。


 な、何かが起きて勇者は現れなかったのか? それとも魔王との闘いで破れたのか? どちらにせよ……こんな現実は間違っておる!


「本当に偉大な大魔導士だよ。サフィアノの為に命を掛けて戦ったんだからな」


 シューベルが手を合わし、黙祷している。


「ダメじゃ……この現実はダメじゃ……」


 ワシはクラインの墓に訴えるように、声を振り絞る。

 

「サフィアノが平和でも、クラインが死んでいる現実など……!」

「アナタ。一体、何を仰っているのですか?」

 

 ミーシャは不思議そうな顔をワシに向けた。


「この世界サフィアノは、とっくに魔王に滅ぼされております」

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