『嘘をつく合図』

 ルトラが見つかったぞ。

 今日に限っては絶対に聞きたくない言葉だった。ユーリアは眩暈を覚えそうになりながら、寝巻のままで外へと飛び出した。

 声がした方向を探すまでもなかった。遠目でわかるくらい、大きな人だかりが村の中にできていた。


「ルトラぁあ!」

 それはルトラの母親の声だった。ユーリアが人だかりのそばまで近づくと、悲痛な声色でルトラの母親がそう叫んでいるのが目に入った。

 ルトラがこんなに短い間隔で森に入ったのを不思議に思ったのはユーリアだけではなかったらしい。ルトラの母親が帰ってこないルトラを心配して、村人に捜索をお願いしたのだ。

 禁止区域と言ってはいても、村から大きく離れた場所ではないのだから、ルトラの死体はあっさりと見つかってしまった。


(どうしよう……)

 ユーリアは手を握りしめながら必死に思考をめぐらした。

 まだ約束の時間まで丸一日以上残っている。本来ならルトラの姿が一切見えなくてもだれも不思議がらないはずだったのに。

 だが……まだ大丈夫だ。復活にはルトラの体が必要なのだろうが、それが失われる可能性は低い。今から葬儀を始めたとしても、火葬するのは明日。ぎりぎり約束の時間を超えることができるはず。その間口を閉じて黙ってさえいれば……。


「ルトラがどうしたの?」

 ユーリアが必死に考えをめぐらしている横から、村の子供が何事かと近づいてきた。それを大人たちが遮る。

「コラ、子供を近づけるな。子供に見せていいものじゃないだろ」

 昨日は傷口が裏側になっていたからそれを見ることはなかったが、地面に横たわらされたルトラの頭は完全に割れていた。

 生き返るのだということを知らなければ、ユーリアだって絶望のあまり泣き崩れていただろう。たとえそれを知っていてもショックではあるが、今はそれ以上にルトラの体をどうやって守るかで頭がいっぱいだった。

 そんなユーリアの考えなど知るはずもないルトラの母親が叫んだ。


「もういいわ、荼毘にして!」

 その言葉に、ユーリアは頭を殴られたような衝撃を覚えた。荼毘にして……? それは葬儀は火葬にしてほしいという意味のはずもない。その意味は……。

「お、おい。荼毘にしてってお前」

「嫌なの! ルトラのこんな姿をさらしておくなんてとてもできない。汚いものみたいに子供を遠ざけられるなんて耐えられないわ」

「いや、そんなつもりじゃ。悪か……」

「責めてるんじゃないのよ。怒ってるわけでもないし、当然だと思う。だから、娘がそんな状態で置いておかれるのが我慢ならないのよ。だから、お願い。今すぐにルトラの傷を隠してあげて……」

 その言葉に、周りの大人たちは沈黙した。沈黙して、互いに頷くのがユーリアの目に映った。当たり前だ。母親がそうしてくれというのに、周りの他人たちがどうして反対できるものか。


 でも、それでは困る。ルトラの復活には体がいる。荼毘にしては……体を消滅させてしまってはダメなのだ。

「や、やめてぇえええ」

 ユーリアは後先考えずに人をかきわけ、ルトラのすぐそばで泣いていた母親を突き飛ばして、ルトラの体に覆いかぶさった。

「な、何をするのユーリア。あなたも近づいては……」

「お願いですおばさん! ルトラの体を無くさないでください!」

 その言葉に、周りの大人たちは悲しそうな表情を浮かべた。ルトラとユーリアが仲が良かったことを知らない人間など村の中にいない。


「……ユーリア、気持ちはわかるわ。でもいうことを聞いて? あなただって、ルトラのこんな姿を見ていたくはないでしょう?」

「ダメなんです。ルトラの体は絶対燃やさないでください。無くしてはダメなんです!」

 その言葉に、今度は首をかしげる人間が出てきた。体を無くしてはダメと言われても、普通は意味など分かるはずがない。

「無くしてはダメって……? なぜ体を無くしてはダメなの?」

 ルトラの母の質問に、ユーリアはもう思考がまとまらなかった。

 なぜ体が必要かだって? そんなの決まってるじゃないか。

 だって……だって……だって! だってッ!!


「だってルトラは生き返るんですから!」


 言った瞬間言わなければよかったとユーリアは後悔する。

「生き返る……ルトラが……?」

「そ……そうです。だからおばさん。ルトラを荼毘にしないでください」

 もう少しうまい言い方でごまかすべきだったとユーリアは後悔した。しかし、変にごまかして嘘をつくわけにもいかない。もう貫くほかない。

「あと一日と数時間……。それだけ待ってもらえれば、奇跡が起きてルトラは生き返れるんです。だからお願いです。それまではルトラの体を残しておいてください」

 周りの人間たちの憐れみの表情が強くなった。きっとユーリアがルトラの死を受け入れきれず、奇跡が起きて生き返るのだという妄想をしているのだと考えているのだろう。

 別にそう思われていても構わない。事実なのだから、周りがどう思おうが関係あるものか。今はとにかくルトラの体を守らなければ……。

 そんなユーリアの考えは、ルトラの母の激昂に遮られた。


「ふざけないでッ! あなたの妄想は聞きたくないわ!」

「待て、ユーリアの気持ちも……」

「私の気持ちは考えてくれないのッ!? たった一人の娘が死んで、悲しみに暮れているときに、横から生き返るんですよなんて妄想を聞かされても見なさい。弾き飛ばして、私の娘から引きはがさないだけでも理性的だと思うわよ?」

 その言葉に、ユーリアはルトラを抱きしめる腕に力を込めた。手で感じるルトラの体温が、昨日より確実に冷たい。

「見てよ。まるで私が悪者みたいね? この子は悪い私から友達のルトラを守っているつもりなのかしら?」

「落ち着け。悲しいのはおまえだけじゃない」

「悲しければ何をしてもいいの? 言っちゃなんだけど、さっきの言葉はルトラに対する冒涜だわ。……大体、私はルトラが森の中に入るのは反対だった。あなたたちは大丈夫だからとか、村のためにもなるからとか勝手なことを言って止めなかったわ。それでも私は一貫して反対だったの。そのことを棚に上げて、悲しいのはお前だけじゃないですって?」

 その言葉に、村人は口ごもる。村人がだまったのを見ると、ルトラの母はいよいよユーリアに鋭い視線を向けた。


「それに、ルトラが森の中をうろつくようになったのは、ユーリアの奇跡の話のせいじゃない! あんたがルトラを殺したようなものよッ!」


 その言葉には、村人たちも我慢できなかった。ユーリアにとびかかろうという構えを見せたルトラの母を、数人が壁になって止める。それでもルトラの母は、ユーリアのことを責めるような言葉を繰り返した。

「……ぅ」

 ユーリアは、ルトラの手を握ったまま涙に濡れていた。ルトラの母親とは、仲が悪かったわけではない。だからこそなおさら、『お前のせいで死んだ』といわれるのはつらかった。

 光に対してユーリアは、なぜルトラは森に入ったのか? 禁止区域に入ったのかと聞いた。どの口でそんな質問をしたのだろう? 答えは明快じゃないか。


 ルトラはユーリアの話を聞いて、奇跡を探して森に入ったのだ。


 ルトラの不注意があったとはいえ、何か光が誘うようなことを言ったとはいっても、おおもとの原因はユーリアにある。これ以上ない正論。ルトラの母親以外はそれを言わないが、みんな腹の中ではそう思っているはずだ。

 ユーリア自身。考えないようにはしていたが、その思考はちらちらと頭をよぎって心をえぐっていた。


『ここまでだな』


 突然な冷静な声に、ユーリアは顔を上げた。そこには、まばゆいばかりの白い光が上空に浮かんでいた。

『私の姿は、今はおまえにしか見えない。それよりも、もうルトラのことはあきらめた方が良いだろう』

「な、なぜです? ルトラの体が必要だというなら、私が身を挺して守って見せます。一日ちょっとの間……。そのくらいなら、説得すれば時間を伸ばしてくれるくらいは……」

『そうではない。お前は勘違いしている』

 光は冷静な声でそう言った。ユーリアは勘違いとは何のことかを光を見上げ続ける。


『私がルトラの死体が見つかると都合が悪いといったのは、生き返らせるのに体が必要だったからではない。復活に体などいらぬ。骨だけになろうが、灰になろうが、それこそ抹消されたとしても生き返らせること自体はたやすいことだ』

 その言葉にユーリアは気が抜けてしまう。そういえば光自身から、復活に体が必要などという言葉は一度も発せられていなかった。

「じゃあ……なんで見つかったら困るなんて……?」

『ルトラの傷口を見てみろ』

 言われてユーリアは視線を落とした。


『だれがどう見ても死んでいる。これが外傷などなく、内側だけが壊れて死んだというなら話は別だ。だが、その死体を見て、だれが仮死状態だなどと判断する? 葬儀の途中で生き返って、死んだのが勘違いだったなどと誰が考えるのだ?』

 その言葉にユーリアはハッとする。確かに、このルトラが生き返ったとしたら……。

『ルトラが生き返ったとしても化け物扱いされるだろう。子供には追い回され、大人たちからは穢れ者扱いをされる。石を投げられ、棒でもって追い回されるルトラに、居場所などない』

「私は、私はそんなことをしません。私が絶対にルトラを守って……」

『お前がルトラは生き返るといってしまったことがさらに悪い』

 光は冷静につづけた。


『お前がルトラは生き返るといった。つまり、お前が生き返らせたと皆思う。だから、住人はおまえたちは二人まとめて忌み嫌う』

「待ってください! 村の人たちはそんな人では……」

『人は理解できない出来事に直面した時、最悪の考えを膨らませてしまうことがある。ルトラが化け物扱いされるなら、お前も当然そのように扱われる。村から追い出されるだけならまだよい。下手をすれば、二人まとめて殺されてしまっても不思議はない』

「……」

 ユーリアはもう声を出さなかった。光は構わず続ける。


『今ならば、親友の死を目の前にして気が動転してしまったで皆納得する。村人たちも憐れんでくれるだろう。ルトラのことはあきらめた方が良い』

 それだけ言って光は消えてしまった。

 それと入れ替わるように、村人が一人近づいてくる。

「ユーリア、気持ちはわかる。でも、死んでしまったものは生き返れないんだ。悪い嘘を言ってしまったと謝れば、ルトラの母さんも許してくれるだろう」

 そういって村人は肩をたたいてきた。それはユーリアに謝れと……嘘をつけという合図でもあった。

 ユーリアが顔を上げると、まだ怒ったままのルトラの母と目が合った。ユーリアは口を開く。

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