『捧げ物は嘘』

 ユーリアはあり得ない光景に言葉を失った。白い光が突然ユーリアの後ろから現れたのだ。

 驚くユーリアのことは気にせず、光はゆらゆらと二人に近づいてくる。

『楽しい娘だった。それがこうも静かになってしまうとはな……』

 声を聴けばその感情は何となく伝わってくる。ユーリアには、光が悲しんでいるのがわかった。


 光はルトラのそばに来ると、見下ろすようにじっと動かずに沈黙する。一瞬だけ、ユーリアはすべてを忘れてそのまばゆい光に目を奪われた。

 美しい……。まるで巨大な宝石が砕け散り、花火のように広がって輝いているかのような光だった。

 ユーリアは、これがルトラの言っていた白い光のことだとすぐに理解する。そして、ルトラが言っていたような、狸が光に化けたような低次元の存在でもないということを……。


「た、助けてください」

 ユーリアは思わず光に助けを求めていた。目の前の存在ならルトラを助けられる。そんな確信めいた考えが、ユーリアにその言葉を言わせていた。

『助けろか……。だがルトラの生命はすでに尽きてしまっている。傷を負っている程度ならそれを癒せばよいが、死んでしまっていてはそうはいかない』

「分かっています。分かった上で助けてくださいと言っているんです」

 ユーリアはルトラの手をぎゅっと握った。

「あなたならルトラを助けられる。お願いです。私は何でもするから、どうかルトラを助けて」

 助けられるはずだ。目の前の存在が、ユーリアが思っている通りの存在なら、ルトラを生き返らせることができるはず。だからユーリアは必死に助けを求めた。


『今、森の中で一匹の虫が死んだ』

「は……はい?」

 光は突然脈絡のないことを言い始める。

「そして一羽の鳥が死んだ。さらに川の中で一匹の魚も息絶えた。それだけではない。森の中では呼吸をするように、毎瞬何かしらの命が失われている。その生き物たちを放置し、この娘だけを生き返らせるのは不公平だろう?」

「ルトラは……ルトラはまだ十五歳です。あまりに若い……」

『だからなんだ? 他の生き物たちに比べれば十分長く生きたといえるはずだ。十五で死ぬのが哀れに思うのは、人間たちの驕りだ』

 そんな言い方はひどい。ユーリアは一瞬そう考えたが、口に出す前に考え直した。

 目の前の存在にとって、今あげた命たちは平等なのだ。自分たちは人間だから、人間の命は特別に感じられる。しかし、この光にとってはどの命も特別ではなく、同じものに見えているのだろう。


『それとも何か、この娘の命を私が救わなければならない理由でもあるのか?』

 そんなもの思いつくはずがない。かわいそうだから助けてくれではだめなのか? それは人を生き返らせてほしいと願うに足りない動機なのか?

 ……足りないのだろう。死とは等しく悲しいものだ。悲しみに大小の違いはある。だが、それだけで生き返らせるとなれば、すべての生き物を生き返らせなければならなくなる。

「……」

 ユーリアはルトラの手を握ったままその顔に視線を落とす。苦しむ間もなかったのだろう。ルトラの表情は苦悶に満ちたものではなかった。森に入りさえしなければ……立ち入り禁止区域に入りさえしなければこんなことには……。


 ……ルトラはなぜ森の中に入ったのだろう? 村でルトラの姿を見つけられなかった時から思っていたことだ。ルトラは森に入るときは間隔をあける。それがなぜ今回はこんなに短い間隔で森の中に? しかも、立ち入り禁止区域に入るなんてことをしたんだろう?

 そして、なぜ目の前の光はわざわざ『生き返らせる理由』があるのかと聞いてきたんだ? 生き返らせるつもりがさらさらないなら、無条件にユーリアの願いを切り捨ててしまえばいいはずなのに……。

 それに森の入り口からここまで響いていたあの鈴の音……。あれはルトラが鳴らしたもののはずはないし、もしかしたら目の前の光は……。


「ルトラは……ルトラはなぜ森の中に入ったのです? ルトラは普通は森の中に入るときは間隔を空けます。それが何でこんな短期間に二度も?」

『私がそれを知るわけがないだろう?』

「いいえ、あなたは知っているはずです。ルトラはおしゃべりだから、森に入る理由を話したはず」

『それは確かに聞いている。奇跡を探していたのだろう?』

 ユーリアは頷いた。


「そうです。ルトラは奇跡を探していました。そして森の中であなたという奇跡を見つけて、喜んで村に帰ったのです。でも、だれもルトラの話を信じませんでした。私から見ても、ルトラ自身がそのせいで自分の体験した奇跡は本当だったのかと疑問に思っている風に見えました。だからルトラは、もう一度森の中に入って確かめようとしたんじゃありませんか?」

『私のせいでルトラは死んだとでもいうつもりか? 森に再び入ったのはルトラの意志だ。私は奇跡を見せてやったのだから、感謝こそされど、恨まれるいわれはない』

「ルトラは立ち入り禁止区域にわざと入ったりしません」

 森に一緒に入ったとき、ルトラはここに立ち入ってはいけないと理解していた。ルトラはそういうしきたりは守る性格をしている。間違って入ってしまうことはあっても、何の理由もなくわざと立ち入ったりはしない。


「あなたが、何かルトラを誘うようなことを言ったのではないですか? もしそのせいでルトラが事故にあったなら、あなたにも責任はあるはずです」

 それでも、ルトラが自らの意志でそこに立ち入ったのは間違いないだろう。逆恨みと言われればそうかもしれない。だがユーリアには、さっきの言い回しから言って、目の前の光はそういわれることを望んでいるように思えた。

『なるほど、そういわれてしまえば確かに私にも覚えがある。責任を取って何とかしてやってもいい』

 その言葉にユーリアは希望を持つ。ルトラが生き返るかもしれない。しかしすんなりとそうなりはしなかった。


『だが、何の対価もなしに助けてやるわけにはいかない』

 来た……。この展開は何となく予想できていた。目の前の存在が良いものにしろ悪いものにしろ、何かを願えば対価を要求してくることは想像できた。


「何を……捧げればいいでしょうか?」

 ユーリアはいっそうルトラの手を強く握りながらそう聞いた。

 覚悟はできている。声を奪われるか、それとも視力を失うか、もしかしたら半分くらい寿命を奪われ、それをルトラに与えろと言われるかもしれない。でも構わない。ルトラを救うためならそれくらいのもの惜しくはない。


『お前から嘘をもらおう』

「……嘘?」

 ユーリアはきょとんとする。想像していたものとは全くかけ離れたものだったから反応が遅れてしまった。

「それは、これから永遠に嘘をつくことができなくなるということですか?」

『いや、嘘をつけなくはしない。自らの意志で嘘をつかずに、真実だけを口にしてもらえばよい。それに永遠にそれをする必要はない、二日もあれば十分だろう。丸二日間嘘を贄としてささげれば、奇跡を起こしてやる』

 それは破格の条件に思えた。二日間嘘をつかなければルトラが生き返る。断る理由があるはずもなかった。

「やります」

『よし、いいだろう』

 光は満足げな声を上げた。


『では、もう村に帰れ』

「え、村に帰らなければならないのですか? このまま森の中で身をひそめていれば……」

 二日間嘘をつかなければいいというなら、誰にも会いたくはない。二日間ずっと森の中で隠れていたいくらいだった。

『それではだめだ。嘘とは人と人との間で言われるものだ。森の中の木々や動物たちに嘘を言ったところで、相手が理解できないのだから嘘にはならない。周りに人間がいて初めて嘘をつかないという状況になるのだ。別に何を話す必要もない。周りに人間がいる状況で、黙っているだけでも嘘をついてはいないということにはなる。そうだな、逆に多くの人間に対して真実を話せば、それに応じて期間を短くしてやってもいいぞ』

 それを聞いてユーリアは少し考える。一刻も早くルトラを生き返らせてあげたい。しかし、ルトラを少し早く生き返らせる対価に比べて、無意識に嘘をついてしまうリスクの方が高く思えた。どうせ村にさえいれば、二日間黙っているだけでルトラは生き返るのだ。安全策を取ろう。


「分かりました村に帰ります。でも、ルトラをこのまま放っておくのは心苦しいのですが……」

『後ろ髪をひかれる思いなのはよく分かる。しかし、死体はここに置いて行ってもらおう。村の人間に見つかると都合が悪くなってしまうのだ。幸いここに普通は人は近づかん。ルトラ自身も二日三日くらいなら森の中にこもるのはよくあったようだし、だれも探しには来ないだろう』

「死体が見つかると都合が悪い……」

 ということは、生き返らせるには体が必要ということだろうか? そう考えれば、それもそうだろうと思えた。火葬でもされてしまっては困るわけだ。

「では、せめてルトラのことを見守ってはもらえませんか?」

『よかろう。虫がつかぬように見張ってやる』

 ユーリアはその言葉を聞いて森を後にした。


 *    *    *


 ユーリアは少しふらふらした足取りで村についた。こんなざまでは、森の中で過ごすなどとてもできなかっただろう。それに、ルトラのように数日森の中で過ごすということはしたことがないから、だれか探しに来てしまうと思う。そうなればルトラの体が見つかる確率が高くなってしまう。

「部屋の中でずっと過ごせば問題ないはず」

 誰にも会わずに家の中で過ごす。周りに人間はたくさんいるから、それでも条件自体は満たすはず。確実に二日間嘘をつかないように気を付けなければ。


「よう、ユーリアじゃないか」

 そんなことを考えていた矢先に声をかけられた。ルトラが手伝っている仕事場の職人の男だった。

「こんにちは……」

「どうした? ちょっと顔色が悪いぞ。具合でも悪いのか?」

「そ……」

 そうなんです、具合が悪いから部屋で休ませて。そう答えようとしてユーリアはためらう。具合が悪いことを肯定するのは嘘になるのだろうか? ルトラのことが心配で気分は悪いが、体そのものは健康そのものだ。その状態で『具合が悪い』と答えるのは嘘になるのではないか?

 次に、答えられないと返事をしようとしてこれも戸惑う。別に答えられないというわけではない。禁止されているわけではなく、自らの意志で答えないようにしているだけだからだ。今の気持ちを率直に言葉にするなら……。

「すいません、答えたくないので家に帰ってもいいでしょうか?」

「そ、そうか。呼び止めて悪かったな」

 それだけ言って男は去って行った。

 ちょっと感じの悪い返事になってしまったが仕方ない。今度謝っておこう。


「あ、ユーリアだ。ねえねえ、まだ奇跡には出会えて無いの?」

「教えて教えて」

 今度は子供達が近づいてきた。奇跡にはまだ出会えてないよと答えようとしてこれも迷う。

 ルトラが本当に生き返ったのならそれはまさしく奇跡だ。しかし、まだ生き返ったわけではないから奇跡には出会えていない? しかし、あの光の存在自体が奇跡というなら、奇跡には出会っていることになる。迷った挙句、ユーリアは先ほどと同じ答えを出した。

「答えたくないんです。ごめんなさい」

「え……あ、そう?」

「なんかごめんね?」

 予想外の返事だったのだろう。子供たちはきょとんとしてユーリアから離れていく。

「ちょっと怖かったね」

「誰だって機嫌が悪い時はあるよ。行こうぜ」

 そんな言葉が聞こえてきて心が苦しくなった。


 その後も家に着くまでに何度か声をかけられた。そのたびにユーリアは返事を迷った。普段の何気ない会話で、人間というのはこんなに嘘に類する返事をしそうになるのかと、ユーリアは思い知らされた。

 それが嘘だとわかる冗談だって、嘘には違いない。または嘘をつくつもりがなくても、言った言葉に間違いがあればそれは嘘になってしまう。


 伝言ゲームが一つの例だと思う。最初に伝えられた言葉が、最後には全然違うものになってしまっているというあのゲーム。人間が正確に物事を話せていない証拠ではないだろうか? 多くの人間が一言一句正確に物事を口で表現するのは難しい。どこかで何かを省略したり、ニュアンスで答えたりしている。

 結局ユーリアは、ベッドの中に入るまで気を張っていなければならなかった。


 寝巻に着替えてベッドの中に入ったが、眠れるわけがない。先ず第一にルトラのことが心配だったし、明日のことが不安だった。ベッドの中でずっと過ごしているのが多分安全だ。しかし嘘がつけない。

 具合が悪いから一日寝ていたい。これがもう嘘になってしまう可能性がある。今日は誰にも会いたくないから寝かせておいてほしい。これが真実だが、そういってその通りにしてもらえるかというと……。


 一晩中悶々と考え続け、答えが出ないまま日の出の時間が来た。

 窓に近づいてカーテンを開ける。

「あと一日と数時間……。その間嘘をつきさえしなければ……」

 ユーリアのそんな願いに反して、村に声が響いた。


「ルトラが見つかったぞ!」

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