第二章 浮かれた冒険者

高台衆ハイランダーってやっぱり変わってるね」

 無邪気な顔でフィンクが言う。

「お互い様だよフィンク、違ってるのは当たり前だが変ってるわけじゃない」

 二人は並んで大きな樹の根に腰を下ろし、遠くに海岸線の見える丘の上で話し込んでいた。

 会話はもちろん、まだぎこちない。互いに擦れ違いもする。今もゼノは拗ねたような顔でぼやいて見せたが、フィンクはその言葉に固まっていた。ゼノの小さな耳を探るように、うろうろと目線を泳がせている。

「ああ、そうか。僕が怒ったのか、からかったのか分からないんだな」

 あからさまに指摘されたフィンは耳の先まで赤くなった。確かに言葉で指摘されるようなものでもない。耳先で情動が交感できる種族ならなおさらだ。それでも、赤面する生理はミドルアースこの世界の住人と同じのようだ。

〈あなたはデリカシーを先に学ぶべきですね〉

 アタランテが口を挿んだ。

〈だったら耳の動きも翻訳してくれないか〉

〈いいでしょう、まずは補完なしに情動言語グリフが受け入れられるよう脳に手を入れます。発信のためあなたの耳を伸ばしますが、よろしいですか?〉

 ゼノは素直に降参した。そもそも汎銀河ネットワークストリームに直結した疑似人格に口で勝てるはずがない。

「言葉だけだと伝わりにくいかな?」

 改めてフィンクにそう訊ねる。

「人形と話す方がまだましだと思う」

 フィンクは真面目な顔でそう言った。ゼノはその言い様に呻いたが、見ればフィンクは耳を盛んに振っている。

「そんな感じか」

「うん、そんな感じ」

 フィンクは呆れるか笑うかしているのだ。言葉と感情が合っていないのをゼノにやり返して見せたのだろう。聡い子だ。ゼノとアタランテは感心した。

 互いの感情が見て取れるミドルアースこの世界では、相手が何を思って発言しているかが明解だ。しかもそれには顔の動作はほとんど関与しない。多少は感情を補足するにせよ生理的な反応でしかないようだ。

〈正確には外耳と微細なフェロモンが関与していますね。彼らの共感性は不随意で、驚くべきことに異種族間も共通です。容易に体系化できない情動言語グリフが形成されています〉

〈つまり?〉

〈つまりこの世界のあなたは単純機械以下ですね〉

 一見、何世代も先を行くような人類版図ガラクティクスといえど、アナログ情報の交換においては、彼らに比べて酷く情報量の少ない原始的なコミュニケーションしかできないということだ。

「街に行こうと思うんだけれど、こんな調子じゃ大変だな」

 ゼノの何気ない呟きにフィンクの耳先が跳ね上がった。

「街って、大きな里のこと? 境里サーク? それとも王里オード?」

 フィンクが前のめりに食い付いて来る。

「ええと、そうだな、取り敢えずたくさん人のいるところだ」

「いい加減だなあ」

〈まったくですね〉

 フィンクとアタランテが二人して呆れた。話もできないくせに同調している。

「人を捜してるんだが、何処にいるか分からないんだよ」

「それってゼノみたいな高台衆ハイランダー?」

 訊ねるフィンクの表情は変わらないが、明らかに耳先がそわそわしている。

「うーん、たぶん見た目は樹蟲衆エルフ壌血衆ゴブリン岩焔衆ドワーフだ。もしかしたら全部かも」

 フィンクがまじまじとゼノを見る。その目線を受けてゼノは呻いた。

「分ったぞ、いま呆れているだろう?」

〈誰だって呆れますよ〉

「ゼノひとりで行くの? そんなので本当に大丈夫?」

 フィンクは少し早口に訊ねた。

「アタランテと二人だ。ときどき怠ける精霊だけどね」

〈俯瞰次元接続の開発陣にあなた名義でクレームを入れておきます〉

「それならさ」

 フィンクは不意に耳を押さえて言った。

「ぼくが一緒に行ってあげようか?」

 隠した耳を見なくても、食い気味に言葉を返しながら上目遣いにそわそわとしているフィンクを見れば、その感情は明らかだ。

〈耳を隠したな〉

〈隠しましたね〉

 ゼノは改めてフィンクを眺めた。見た目にはまだ小さな女の子だ。

 渋皮色の半袖のシャツ。半ズボンと袖のない外套。指を抜いた手袋と厚い靴下と大きな靴。小柄な身体に大きな鞄を背負っている。

〈どう思う?〉

 このまま一緒に行ったとして、誘拐なんてことになりはしないだろうか。

〈無暗に巻き込むのは得策ではないと思いますが――〉

 アタランテはそう前置きしたものの、物理的にも知見としても、現地人の介助なしにゼノを自由にさせることには否定的だった。

〈フィンクは樹蟲衆エルフの男性名です。つまり成人しているということです。彼らが成人以前に養育所を出ることがありませんから、身の振り方は判断を委ねられる年齢なのでしょう。私の知る限りでは〉

〈まだこんな子供に見えるのに?〉

〈あなたは自分が何歳に見えると思っているんです?〉

 アタランテはそう皮肉を返したものの、暫し考え込んでゼノに言った。

〈実際、辺りに保護者はいないようですし、居留地の近隣には彼らの養育所もなかったはずです。荷から推察するに、成人して郷を出たのでは?〉

〈よく知ってるな〉

〈すべて貴重な公式レポートにあります。あなたが筆記などという太古の記録を許可したせいで、汎銀河ネットワークストリームにさえ情報がありませんからね〉

 どの過程で身に着けたのか、アタランテの皮肉は饒舌だった。

〈ただでさえ妙な誤解を受けてるのに、ミドルアースこの世界を公にできるはずがないだろう。帝国アウターだってまだなんだから〉

〈だったらせめて、あなたが手を抜かずに説明すべきだったのでは?〉

 ゼノとアタランテが遣り合っているあいだ、フィンクはもじもじと目線を彷徨わせていた。その長い耳先は花が枯れるようにどんどん垂れていく。

 ゼノは慌てて声を掛けた。

「その境里サークだったか、どれくらい掛かるのかな?」

 急なことでフィンクも焦る。

「え、と、真っ当に行けば二日、でも急ぐなら一日でも行けると思う」

「真っ当って何だ」

「ちゃんと食べて、休んで、眠ること」

 ゼノはフィンクの赤くなった耳先を眺めて大きく笑って見せた。耳を動かせないぶん、彼らにとっては原始的でも表情を大きくした方が伝わりやすいと思ったからだ。

「よし、それで行こう」

 ゼノの言葉にフィンクの耳はまたぴんと跳ね上がった。

 まるで犬の尻尾のようだ。ゼノは内心そう思ってまた笑う。もしもゼノがこの世界の住人だったら、こうした感情も筒抜けになってしまうのだろうか。知ればフィンクの機嫌を損ねてしまうかも知れない。実際、彼らが耳でどんな風に感情を遣り取りをしているのかは想像もつかなかった。

〈忠告するまでもありませんが、異種接触憲章を守らないと後々面倒なことになりますよ?〉

「それとフィンク」

「なにゼノ?」

「追い追い話すが、これは居留地の極秘任務なんだ」

 警告するアタランテをさらりと無視して、ゼノはフィンクに声を潜めた。

「僕が高台衆ハイランダーだってばれないようにするには、どうしたらいい?」

 フィンクは無意識にゼノの耳を見上げ、吐息と一緒に言い返した。

「ねえ、それ本気で言ってる?」

 フィンクがどう思ったのかはゼノの目にも明らかだった。


 二人の最初の道行きは薮の中の山下りから始まった。

 丘から見える海岸沿いの街道へは深く鬱蒼とした山林を抜けねばならず、こと山歩きに不慣れなゼノは一歩踏み出す先を見つけることさえ苦労した。

 フィンはこれより遥かに険しい山中を越えて来た。ところが比較的緩やかな居留地側の斜面から迷い込んだはずのゼノは、立って歩くのもやっとの状態だった。

「歩くの下手だよね、ゼノは」

 蹴躓いて枝葉に突っ込み、藻掻くように顔を払うゼノを見上げてフィンは呆れて言った。無駄に背が高くて細いゼノは蜘蛛の巣払いの杖のような有様だった。

「歩くのに上手い下手なんてある?」

 ゼノは息を切らしながらフィンに訊ねる。顔をくしゃくしゃにしているが、丸くて小さなその耳は困っているのか怒っているのかもよく分からない。

「ゼノは最悪だよ。高台衆ハイランダーって皆そうなの?」

 フィンは突き放すように追い打ちを掛けた。とはいえ、ゼノにもフィンの盛んに動く長い耳先がどういった思いを示しているのかきっと分かっていないだろう。

 もちろんフィンは上機嫌だった。

 審神者の種族に近寄りがたい畏怖を感じていたはずが、偶然出会ったゼノは万事この調子だ。行商人の噂に伝え聞く高台衆ハイランダーの印象とはまるで異なっている。

 それもフィンは嬉しかった。自分だけが知っている高台衆ハイランダーの姿もそうだし、この無垢な旅人の庇護者としてこの上ない優越感に浸っていた。

 結局ゼノはフィンの背に張りついてよたよたと山を下りた。丈の違いは如何ともし難く、ゼノの頭は糸巻のように枝葉と蜘蛛の巣を絡め取っている。

 ゼノは山道の険しさに嘆いていたが、フィンにしてみれば立って行き来できる山を険しいとは言わない。むしろ高台衆ハイランダーがどうやって暮らしているのかが心配になった。

 山がなければゼノは何処で兎や鳥を狩るのだろう。鎮守の主様はちゃんと高台衆ハイランダーの糧を見てくれているのだろうか。

 それも含めて訊ねたいこと、話したいことが一杯で、フィンの胸はずっとはち切れそうだったのだ。


 茂みを割って小道を辿ると、段々に切った畑に出た。細い用水路の先に溜池があり、その向こうには路がある。少し距離はあるものの、思いのほか海岸線は近かった。潮の匂いをすぐそこに感じる。

 海沿いに街道が伸びている。里を目指して右手が山、左手が海だ。すとんと抜けた視界の両側には田畑が続いており、ぽつりぽつりと人影も見えた。

「ここをずっと歩いて行くのか」

 ゼノは路肩に座り込んでフィンに訊ねた。

 顔がすっかりしょぼくれて見える。山歩きにうんざりしているのだろう。ゼノの服に貼り付いた蜘蛛の巣や枯れ枝を払ってやりながら、フィンは手拭いを渡した。

「文句を言わないで。山が嫌ならこの道がいちばん近いんだから」

 道々話した打合せの通り、ゼノは耳を隠すように手拭いを頭に巻いて行く。案の定、どうしようもないほど下手糞だった。

 手拭いを巻き直してやりながら、フィンは擽ったそうに笑った。まるで下の子の面倒を見ているみたいだ。

 ゼノを樹蟲衆エルフに見立てるとして、耳を隠すのは絶対だ。だが、そうした姿は会う人に気まずさを与えるだろう。やんごとない身の上はともかく、耳を隠すのは怪我や病気で上手く喋れなくなった者の装いだからだ。

 この姿で、なるべく自分から話し掛けなければ相手も気を遣うはずだ。例えゼノが多少ちぐはぐな受け答えをしたところで誤魔化せそうな気もする。

 むしろ問題はフィンの方だ。もう成人の間際とはいえ、フィンの背格好だけは如何ともし難い。背の高い方ではないし、身体に肉も付いない。郷の子供とそう変わりがなかった。

 フィンのような歳頃の者がひとりで郷の外に出ることはあまりない。郷の仕事や手習いは大抵大人に引率されている。郷の外では子供そのものが珍しい。

 そこでフィンの考えた素性はこうだ。成人したばかりの年少者が、言葉の不自由な大人に付き添って大きな里の治療院を目指している。郷はどこも人手が減っており、時期は早いが郷を出るついでに駆り出されたのだ、と。

 少し苦しいが他人の素性を追求する者はそういないはずだ。連れの頭の手拭いを見れば余計な詮索もし辛いに違いない。問題はフィンがどこまで地を見せないでいられるかだ。

 余計な関心、好奇心は仕舞い込んで大人のように振舞わなければ。けして他の人と異なる兆しを感じ取られてはならない。

 ゼノは高台衆ハイランダーだからフィンを変だと思っていないだけだ。フィンが忌子と分かったら、もっと普通の人を捜すかも知れない。

 そのことだけは、ゼノにも知られる訳にはいかなかった。


 近隣に里が点在することもあって人とも擦れ違うようになった。今のところ、街道の道程は順調に思える。フィンの策が功を奏して、しつこく声を掛ける者はいなかった。

 大抵は自然に挨拶を交わすだけだ。もちろん多かれ少なかれ相手の怪訝さは隠せない。ゼノを気遣う者、フィンを物珍し気に見る者はやはり大勢いた。

 ゼノは樹蟲衆エルフに成り遂せたと思い込んでいるが、それも単に相手が遠慮しているに過ぎない。もちろん変なことを言い出さないよう釘は刺していた。

 街道の周囲には畑を作る平地派の壌血衆ゴブリンが多く、職業人の岩焔衆ドワーフと拘りの多い樹蟲衆エルフは同じくらいに少ない。半島の人口比と似たようなものだ。

 海岸沿いに延々と続くのはしっかりと踏み固められた路で、起伏もなければ邪魔をする樹々もない。問題が起きなければ夜明かしの必要もなく境里サークに着けるだろう。むしろ十分過ぎるほどの余裕があった。

 なので却ってフィンは焦りを感じた。それを見せまいとして、ゼノには分からないと知っていても無意識に耳を隠してしまいそうになる。

 早く里に着いて褒められたい半面、道々の会話だけでは足りないくらい、まだまだ沢山の話がしたかった。

 ところが、それは杞憂だった。気付けばフィンの方がゼノを急かしていた。

 ゼノはフィンより背が高く一歩の幅もずっと大きい。なのに歩調はじき半分になり、歩き出したと思えばすぐに休息をねだる。何よりとにかく寄り道が多い。

 これではちっとも進まない。急く旅でないフィンはともかく、ゼノの極秘任務とやらは大丈夫だろうか。却ってフィンの方が不安になってしまった。

「ねえ、そんなにのんびりして大丈夫なの?」

「なに、街に行くのが目的じゃなくて、居留地を出た連中を捜すのが目的だから」

 何やら達観した風なことを嘯く。

 ゼノの話によれば捜しているのは三人組だ。ところが相手は壌血衆ゴブリン岩焔衆ドワーフ樹蟲衆エルフのどれか、もしくは全部で名前も姿もよく分からないと言う。

 胡乱な話だ。それでは凡そこの世界の三人組全てに当て嵌まってしまう。

「他に何か手掛かりはないの?」

 フィンは道々何度もゼノを問い詰めた。ゼノの耳が読めない以上、冗談かどうかも分からない。ようやくゼノから引き出せたのは、相手はゼノと同じく世慣れしておらず、必ず何か頓珍漢な失敗をやらかすはずだという。

 それってゼノ自身のことじゃないか。

「まあ、何とかなるだろう」

 ゼノは笑ってそう言った。ゼノが何を考えているのか分からないのではなくて、本当に何も考えていないんじゃないだろうか。

「それにもっと色々知らなくちゃ何を見つけるかも分からないだろう?」

 気楽なゼノの言葉にフィンは他人事ながら深々と溜息を吐いた。そんな不安を差し引いてさえ、フィンはゼノとの道行きに沸き立つ心を抑えきれない。それが微妙に悔しくもあった。

「でもさ、普通こういう道は馬車とか驢馬とかに乗るものじゃないの?」

 丸い耳を押さえた手拭いの具合を確かめつつ、ゼノは街道を眺めてそう言った。歩くのに飽きたと言わんばかりだ。実際そう言っているのだろう。

「何か運ぶの?」

 フィンはきょとんとした目を向けた。確かに馬も驢馬も荷車を曳くが、ゼノは身ひとつだ。運ぶものなど何も見当たらない。

「いや荷物はこれだけだけれども」

 ゼノは腰につけた袋を指し、ふと首を傾げてフィンに訊ねた。

「人を乗せたりはしないのか?」

「御者のこと?」

「いや乗客というか荷物として、僕を」

 微妙に話が噛み合っていない気がした。

岩焔衆ドワーフの人足車じゃあるまいし、脚が動くのに運ばれるなんてやりすぎだよ。そんなことしてると主様に糧を分けて貰えなくなるからね」

 フィンは呆れてゼノの脚をつついた。言葉が上手く喋れなくても、ゼノの身体は不自由に見えない。そこまでの振りをするのは大仰だし気も引ける。

「主様ってなに、領主とかそんなのかい?」

「それは人の仕事でしょ、糧を治めるのは鎮守の主様。祀ってくれるのは山守りの壌血衆ゴブリンだけどね」

「うーん」

 ゼノの顔は絶対理解していない。それは耳を見なくても分かる。

 鎮守は長命の霊獣だ。長く生きているだけ身体も大きい。鹿や山犬などの四つ脚が多いが、蟲の馴染んだ生き物なら何でも鎮守を務める可能性がある。

 主様の世話は山の壌血衆ゴブリンがいちばんの馴染みだが、人に供される動植物を管理している以上、鎮守は皆が必ず世話になる仕組みだ。

「もしかして 高台衆ハイランダーの山には鎮守がないの?」

「うん、まあ、それは人が機械で」

「変なの」

 鎮守がいない山なんてすぐに獲物が枯れてしまうだろう。里の田畑ではあるまいし、人がずっと面倒を見られるはずがない。

ミドルアースこの世界の交通機関って」

 ゼノは何か言い掛けて、ふと虻に集られたように顔を顰めた。アタランテが何か言ったらしい。叱られているのかも知れない。

「歩くよ、ちゃんと。うん、郷に入っては何とかって言うしね」

 ゼノはフィンクと、多分アタランテにもそう言って深々と溜息を吐いた。


〈車輪があるのに馬車がないなんて〉

 フィンクの隣をとぼとぼと歩きながら、ゼノはアタランテにそうこぼした。

〈発展水準は一様に捉えられませんが、一方で生化学式の通信網があるという話ですし、まったくもって特異な世界です〉

 ミドルアースこの世界の記録がない以上、アタランテもキーワードや会話の端々から推測するしかない。厳秘に厳秘を重ねた公式レポートでさえ、前文だけかと思うほどの容量しかなかった。

〈共生関係が強そうだし動物虐待なんてこともあるのかな〉

〈道徳あるいは倫理観? 単に慣習だと思いますよ〉

 ゼノは目の前に伸びた街道を眺めて恨めし気に呟いた。

〈都会っ子には辛いなあ〉

「この調子で行くなら、そろそろ夜明かしの準備をしないと」

 空を見上げてフィンクが言った。つられてゼノも辺りを見るが、陽はまだ少し黄色味を増したばかりだった。こんなに早くから、と言い掛けて照明事情に思い当たる。

「大丈夫、野宿は平気だ」

「そりゃあゼノはどこでも寝られるんだろうけどさ」

 フィンクのそれが皮肉だと気付くのに少し掛かった。語調もまだゼノには測りがたく、ついフィンクの表情を見てしまう。だが結局は文脈で想像する他になかった。

「道端で野宿なんかしないよ。旅小屋があるんだから」

〈なんだか無能扱いされてないかな?〉

〈大丈夫、あなたに自覚が無いだけですよ〉

 フィンクの言う旅小屋とは、街道の傍に建てられた簡素な無人の建屋のことだった。近隣の者が共同で管理している施設のようだ。どうやらそういったものが集落ごとにあるらしい。

 掃除や修繕、薪や備品の補充は使う者が整えるのが決まりで、前の使い残しが置いてあり、こちらも余った物や採ったものは日持ちするように置いて行く。近隣の余り物が置いてあることもあるのだそうだ。

〈山小屋みたいなものかな〉

〈共同体が性善説で成り立っているのですね。執政官から聴いた印象と少し異なるのが気になります〉

 アタランテが考え込む。

〈この辺りは食べる物にも困っていなさそうだし、欲のない連中が飢えなかったらこういうのも成り立つんじゃないかな〉

 ゼノは能天気だった。むしろ不思議なことを受け入れて楽しんでいる。そんなゼノを守護する立場として、アタランテは深い溜息を吐かざるを得なかった。


 夕餉の材料はフィンクの備蓄と沢の魚だった。足を延ばせば海も近いが、フィンクは山での調達に慣れていて、今日のところは折衝の少ない方法を選んだのだという。

 さて何を手伝おうと意気込んだゼノだったが、フィンクには早々に追い払われた。邪魔だと言われてしまったのだ。

〈僕はキャンプに向いていないんだ。ボーイスカウトにも入っていなかったしね〉

 ゼノはそう呟いて食事を待つことにした。

〈本当に無能の自覚が無かったんですね〉

 アタランテの指摘を聞き流しながら竈の前のフィンクを眺める。フィンクは作り付けの竈に薪をくべ、小屋から借りた鍋で川魚と山菜を煮込んでいる。鞄から油紙に包んだ味噌らしきものと固めた麩を取り出し鍋の中に放り込む。

 陽は傾いて沈み掛け、青と橙色のグラデーションが天頂から地平まで続いていた。晴れた夜は星が降るように明るい。

〈やはり樹蟲衆エルフは発酵品が驚異的に豊富ですね〉

樹蟲衆エルフの料理は和風なんだな」

「『和風』ってなに?」

 フィンクがゼノに訊ねる。出会ってからこちらフィンクの質問はひっきりなしだ。

「僕らの世界にあった国だよ。その国の料理の感じってこと」

高台衆ハイランダーだけの国があるの?」

〈そういえば置換された固有名の元凶はあなたのライブラリのせいでしたね〉

 さり気なくアタランテが責める。

〈いろいろ誤解があったんだ。いっそバグパイプを練習しておけばよかった〉

「僕らにも種類があるのさ。ミドルアースこの世界に来たのはほんの一部だ」

〈公式にはまだ三人ですね〉

〈そうだといいんだけどな〉

 フィンクは鍋の匙を抱えてゼノの方に身を乗り出した。湯気にあてられ頬が紅い。尖った耳の先がゼノを向いてぴんと立っていた。

「それってどれくらい違うの? ぼくと壌血衆ゴブリン岩焔衆ドワーフくらい?」

「どうだろう、昔は色くらいしか違わなかったけど、今となってはかなり違うな」

「耳は?」

「みんな丸い」

「変なの」

 フィンクは笑って鍋を掻き混ぜた。

高台衆ハイランダーってみんなゼノみたいな感じ?」

「どこまでが僕みたいなんだ」

「歩くのが下手だとか魚も獲れないとか」

〈あなた一人のせいで人類版図ガラクティクスの評価が最悪ですね〉

「得意分野が違うだけだよ」

 ゼノは苦い顔をしてそう言った。

「ふうん、じゃあゼノは何が得意なのさ」

 どこか悪戯な顔をしてフィンクが訊ねる。ゼノはどこか懐かしい香りのする鍋を横目で見ながら答えた。

「そうだねえ、食べることと寝ること」

「そんな人、どこにも置いて貰えないでしょ」

 フィンクが耳先を下げて言う。呆れているのか怒っているのか、それともどこにも居場所がないと同情されているのだろうか。

「もちろん仕事だってしているさ、今だってそうだ。それに人類版図ガラクティクスは広くて色んな所があるからね、僕だって生きていくのに不自由はないよ」

〈帰属社会への貢献という意味では甚だ疑問ですけれどね〉

〈水を差さないでくれないかな〉

「広くて色んな所?」

 フィンクは杓子を持ったまま、またゼノを振り返る。

「そうだねえ、正確にはこの宇宙のではないけれど、あの星の川の三分の一ほどが高台衆ハイランダー人類版図ガラクティクスだ」

「星ってみんな御日様なんでしょう?」

「よく知ってるな。まあだいたいは、こんな地面のある場所がそこにある」

 ミドルアースこの世界の自然科学の水準もまた他と同様に情報がなかった。あったところで一概に水準という言葉で線引きできるかどうかも怪しい。

「つまり人類版図ガラクティクスはものすごく広くて多くて遠いってこと?」

 いずれにせよフィンが優秀な学生であることは確かだ。

「それよりて広くて古くて遠い帝国アウター っていうのもあって、そっちは高台衆ハイランダーが目じゃないほど違う種類が沢山いるけどね」

「それってぼくと壌血衆ゴブリン岩焔衆ドワーフが同じに見えるくらい? それともぼくとゼノくらいは違う?」

「連中に比べれば、フィンクと僕のどこが違うんだってくらいは同じだね」

「凄いね、歩くのが下手とか魚が獲れないのとかが一緒なんてさ」

 フィンクは応えてそう言うと、ゼノの顔を真似て大きな仕草で笑って見せた。


 翌日、フィンは早朝から支度を始めた。旅程を早めるのは止めにして、近くの里で人馴れを兼ねた手伝い事を探し、荷を肥やそうと考えたからだ。

 よく食べる道連れが増え、手持ちが心細くなったせいもある。

 境里サークに至るまでには岸里キシャという大きめの里もあるが、そちらでやるには少し人が多すぎる。結局、浜の集落に当たりをつけて、二人で半日ほど働くことにした。

 予想した通りゼノはほとんど何の役にも立たなかったが、素直なひととなりのせいか、あまりの不器用さが受けたのか、壌血衆ゴブリンの依頼主は二人に路銀と風呂まで弾んでくれた。

 高台衆ハイランダーが郷の大人とどう違うのか、一方のゼノも樹蟲衆エルフの身体に興味津々で、二人して臍の下の手拭いを狙って風呂場で睨み合って過ごした。

 ゼノは大人だから、樹蟲衆エルフと同じならあれがついているはずだ。一方のフィンは分化までは小指の先ほどのがあるだけで、股間は固く閉じている。それが変わるのを想像すると、下腹が冷えるように怖かった。

 気が付けばすっかりのぼせ上がり、二人して湯当たり気味のまま集落を出ることになった。ゼノによると、アタランテは呆れて説教が止まらないらしい。

 集落の皆に子供と見咎められなかったことにフィンは安堵したが、どうやら審神者の一件で王里オードの中に新たな郷ができたらしく、成人したばかりの若者もたまに見掛けるようになったのだという。弁解の拠り所が増えたのは収穫だった。

 ちなみに王里オード境里サークの先にある。郷都ゴートと肩を並べるほどの、半島いち大きな集落だ。そこは審神者とも因縁のある里ノ王が治めている。

 二人はこうして余計な時間を沢山掛けて境里サークを目指した。結局、里に踏み入れたのは二人が出会ってから三日目の昼だった。

 境里サークは港のある大きな街だ。街は河川で刻まれており、あちらこちらに小さな船着き場があった。街の行き来は陸路と小舟が半々ほどで、いずれも荷を通すために広く整備されていた。

 河川の濡れた風が柔らかく、至る所に潮の混じった水の匂いがした。そして何より人が多い。広い路面を見渡すだけで道すがら見掛けた以上の人がいる。

「ここで人を捜すの?」

 ゼノを見上げて訊ねると、その顔は少ししょぼくれて見えた。

「捜し甲斐がありそうだな」

 きっとゼノのことだから、大きな街なら何か見つかるだろう、程度にしか考えていなかったに違いない。出会ってまだ日は浅いが、それくらいはもう見通せる。

 ゼノによれば相手は同じくらいの世間知らずらしい。フィンはゼノが自分を高く評価し過ぎていると思っていたので、同じくらいだとしたら、きっと何処かで騒動を起こしているに違いないと考えていた。

「フィンクはここで職を探すんだったかな?」

 訊かれて一瞬、言葉に詰まった。

「うん、そのつもり」

 どうせゼノには分からないと思って萎れた耳は隠さなかった。

 この街に一歩近づくたび、浮き立つ気持ちと締めつけられるような苦しさが一緒になっていた。それは、この里が二人の道行きの終わりだからだ。

「何か約束があるわけじゃないのか?」

 当然だ。郷に閉じ込められるのが嫌で飛び出してきた子供にそんなものがあるはずもない。フィンはこれから腰を据えて職を探さねばならなかった。早く居場所を見つけなければ。

「最初は交易商の協会かな。ぼくはもちろん初めてだけど、しばらくそこで仕事を探すつもり。良い人を見つけたら弟子入りするんだ」

 目指すのは広域交易商だ。郷に出入りのあったターヴがフィンの理想だった。背が高く、濃い緑の瞳をした樹蟲衆エルフの男の人だ。留子ルシを訪れるたびフィンに旅先の話をしてくれた。そんな風になれたら嬉しい。

「じゃあ、しばらくは暇なんだな?」

 ゼノがフィンにそう訊ねる。

「もう少し手伝ってくれると有難いんだが」

 胸が跳ね上がり、頬まで真っ赤になった。

「暇じゃないよ、何言ってるのさ」

 不意打ちだった。応える声がひっくり返った。胸が期待に早鐘を打つ。惚けた顔で見おろすゼノを軽く睨んで、フィンはやっぱり慌てて耳を隠した。

「でも手伝うよ。だってゼノだけじゃ食事だって無理そうだもの」

 相変わらず感情は読み解けないもののゼノの笑いを堪えたような口許を見上げて、フィンは何故かその長い脚を無性に蹴飛ばしてやりたい衝動に駆られた。


 *****


 そのときゼノには明確な目的があり、フィンにはまだ形のない夢がありました。フィンのそれは、これから二〇〇年ほどの生涯をかけて叶えていくべきものでしたが、ゼノのそれには数日の期日しかありませんでした。ともすれば、とうに期限を過ぎていたのです。

 大昔、こことは違う世界の地球で、地球原種アースリングの一派は同族の暮らす世界を新大陸と称して踏み荒らしました。今の二人からはまだ遠い森の奥では、そうした傲慢と偏見がミドルアースこの世界を蝕もうとしていたのです。まだ誰もそれに気付いていません。気付いても目を逸らしてみようとしませんでした。

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