0x0002 ロハス生活への憧れ
テーブルを囲んでマルティナに質問をした。どうやら彼女が一番魔法に詳しいらしい。ここでの教育がどのようなのかわからないけど、彼女は優等生みたい。天は二物を与える。そういう感じ。
マルティナ、ジネヴラ、デアドラは対面に座っており、僕の様子を見ている。取り調べを受けている気分。これというのも僕が変態のえん罪を受けたから。
僕の評価をするのは他人だけど、不当すぎだろ? ただ、この世界については僕は全く知らない。
僕の居た世界では、あなたは今日からパプア・ニューギニアに住んでもらいます、と言われたら、ネットで情報を取り出せ、最低限の生活は守られる。しかし、この世界にはネットがない。情報は人から聞くしか選択肢がない。
目の前に置かれた紅茶は一つにしてもガスで沸かされたものじゃない。魔法で沸かすと言ってたし、どうもファンタジーな世界に僕は居るらしい。
正面に座ったマルティナの胸元が気になるけれど、理性を総動員して彼女の目を見る。アイコンタクトとか、大事なんだよね、きっと。
「
「いや、正確にいうと
マルティナは理路整然と、説明してくれる。彼女は僕を変態扱いしたものの、頭脳は明晰なようだ。言葉に淀みがなく、言い直しがない。知識が整理されていることの証明だ。
何だろう。セクシーな女性インストラクターに色々説明してもらっている感じ。ちょっと冷たい感じがするけれど、背筋がゾクゾクする。癖になりそう気配……
変な性癖に目覚めるてしまうのもアレなので質問を重ねた。
「なるほど、
「マジックという言葉の意味は広い。錬金術や手品、占いも含まれる。昔は
ああ、知識が体系付けられていく内に、単語が
この世界での魔法の分類が進むにつれ、
「そうしたら、
「体系化した知識、経験の総称と言えばいいのか。魔法は科学の一種なんだろうけど。語学学者じゃないから定義はわからない」
マルティナは真面目な性格らしく、
ただ、彼女の目を見て話すのにかなりの労力を要した。マルティナの中では、僕は変態検定三種。レベルアップされたくない。
「魔法ってさ、誰が開発しているの?」
「
エルフと聞いて僕のテンションは少し上がった。
ハッカー内ではオタクが多い。
彼らは好んで意味不明な言い回しをする。指輪物語については僕もハマった時期があるので、エルフとか聞くと、ちょっと浮かれてしまうのも仕方がない。
だから、気が付けば僕は身体を乗り出していた。
「えっ、エルフ? 耳長の、長生きして、美男美女が多いとか、そういうの?」
僕の接近に危機を感じたのか正面の女性三人は椅子を後ろに下げた。
地味に辛い……
「違う、違う。彼らは文明を破棄して現在は森に住んでいる。学術名は
「ドワーフとかも居るの?」
「外国でエルフをはそう呼んでいる所もある。ここではエルフが一般的だ。話は戻るが エルフが自然科学を体系化し、実用化したのが
「ゴブリンとかコボルトとかは居るの?」
「何だそれは? 昔はそういう伝承やら童話があったようだが、そんな動物はいない」
「……そんなのファンタジーじゃない」
テンションダダ下がり。何それ、夢も希望もない。
マジックアイテムとかあるんじゃないの?
転生者が世界を救っちゃうとかいう展開はないの?
マルティナはプレス機のごとく、僕の夢を粉砕した。
「当たり前だ。お前が居るこの世界は現実だ」
そうは言われましても夢見たくなるじゃない、普通。
魔法があると聞いて、中世ヨーロッパとなればちょっとアレな展開を期待しちゃうじゃん。
マルティナの説明はわかりやすかった。
でも、サンタクロースは実在しないと、知った時よりも絶望感が酷い。
マルティナの説明を聞いていると、この世界は一般的なファンタジー世界ではなく、
僕の世界とは根本的に違う。自然科学が発達するのではなく、魔法科学が発達しているのだろう。
「マルティナ、君達は魔法を探していると言ったけど、エルフから直接聞くこととかできないの?」
「無理だな。彼らは完全に森の中から出ようとはせず、目撃したということはあっても、人間とは交流する意思はないらしい」
「ふーん、エルフは森の中で隠遁生活。自給自足ってわけか」
「彼らの生態は全くわからない。とにかく、エルフはかつて構築した魔法文明を完全に放棄していて、人間はそれらを生活向上の為に魔法を復活させているのが現状だ」
どうやら、エルフは森林でロハスな生活を決め込んでいるらしい。人間とは全く接触はなく、目撃されることはあっても、ガン無視らしい。
きっとエルフ達は森の中で、こう言っているに違いない。
ファースト・ルール:ロハス・クラブのことを口にするな。
セカンド・ルール:ロハス・クラブのことを口にするな。
「でも、魔法を探してどうするの?」
「魔法ギルドを設立するのよ」
ジネヴラがここでようやく発言した。今までの問答に退屈していたのか、ちょっと声が大きかった。マルティナと比べて彼女は感情表現が豊か。素直に好感が持てる。
「ギルド?」
彼女はちょっと両手を空に上げて、背伸びをした。
「何か難しい話ばかりだったから疲れたかも。書庫に行ってみない?」
「うん」
書庫は家の奥にある大きな扉を開いた所にあった。窓はなく、暗い部屋であるはずなのに、明かりが灯されている。木組みの本棚には本がギッシリ。
後から付いてきたマルティナとデアドラの距離が遠い。心理的な距離ではない。物理的な距離が遠い。
本は装丁が古くはなっているものの、立派なものだった。希少本とかそういうのじゃないのかな?
「これを読めとおっしゃるんですか、ジネヴラさん?」
僕が一言しゃべると、ジネヴラは一歩下がった。口は笑っていたけれど。彼女も僕を変態だと思っているようだ。
はいはい。わかってた。わかってた。
「読めとは言ってないよ。見せたかっただけだし。すごいでしょ。これだけの本があるだなんて。ちょっと自慢したかったの、ええと。名前なんだったっけ。そうだ、ユウヤ」
笑いながらジネヴラは、僕を指をさして、両手でサムズアップした。You, yeahのつもりらしい。不覚にも可愛いと思ってしまった。
何だろうね、この無邪気さというか、オープンさ。見習いたいよ。
僕は感情表現とか苦手なんだよね、文化の違いなんだろうか。
ジネヴラのオープンな態度に照れた。顔が赤くなるのを隠して本を手に取る。
マジ重い。
エルフも英語使うんだ。トールキン泣くぞ、このこと知ったら。あいつエルフ語とかつくっちゃってたよな。
ページを開くと、思わず言葉を漏らしてしまった。
「こ、これは」
「どうしたの?」
言葉が続いて出てこない。何だコレ。C言語入門? どういうこと?
まずは目次。変数、条件分岐、ループにポインター、関数などなど。魔法はプログラム言語だったのか。
文明の発展過程は異なっても、こういう所で収束するんだ。僕は文明の発展過程が異なると、必然、異なった技術革新が起こり、異なった文明が発達するものだと思っていたけれど違ったようだ。
正直、かなり感動した。
でもまあ、これはこれで色々考えてしまう。要するにソフトウェア開発があったわけだ。
魔法作るのもプロジェクトがあって、デスマーチとか普通にあったんだろうな、とか考えると感慨深い。
徹夜に次ぐ徹夜でハイになっているプログラマーAがバグをちりばめる。翌日、プログラマーBが、「
ソフトウェア開発あるある。
地獄が見たいなら、ソフトウェア開発現場に行けばいい。
そりゃ、エルフもロハス・クラブ作っちゃうわけだ。納得してしまった。
「あの、これはわかるんだけれども、コンパイルとかどうするの? それと魔法にはそれぞれライブラリが必要だと思うんだけど、どうなってるの?」
「えっ、ユウヤ。これ読んでわかるの?」
ビックリしたのか、目を大きくして近づいてきた。青い瞳に僕が映っている。
「ある程度はわかるかも」
目線を本棚に戻して、並んだ本のタイトルだけを読んでゆく。Linuxとかあるんだ!
エルフにリーナスという奴が居たのは判明した。僕が主に使っているOSはKali Linux。そんなのこの世界にあるのだろうか?
概要はわかってきた。魔法はプログラムでできているらしい。でも、ハードウェアがどうなっているのか、サッパリわからない。
PealとかRubyもあるらしい。名前が同じなのが気持ち悪い。技術が一定方向に収束しているのは望ましいけれど、ここまで徹底していると意図的なものを感じる。
因果が逆転している居心地の悪さ。
疑問符がいっぱい。僕の頭は破裂しそうだ。魔法を見ないと何とも。魔法はソフトウェアで実現されているということは認識できたけど。PCを持ち歩いている訳でもない。というかコンセント自体が見当たらない。それより電気ってあるの、この世界って?
「ジネヴラ。何でもいいから魔法使ってみてくれる?」
「えっ、ここで? いいけど。そしたら光の魔法使ってみようかな。もう既に使ってしまってるけど」
「もう既に使ってる? どこで」
「ほら、この書庫に灯っている明かりあるじゃない」
「あっ、これって魔法なんだ」
「そうそう。追加で明かりを灯してみるね。正確にいうと、あれは『照明』の魔法なんだけど、『光』の魔法を見せてあげようかな」
「うん、何でもいいんだ」
「わかった。ちょっと待ってね」
ジネヴラは一歩下がって、右手を上にかざした。
「光あれ。我が名はジネヴラ。右手中において夏日の明かりを授けよ」
するとジネヴラの右手の上にあった空間が輝き始めた。まさしく魔法だ。僕の頭は忙しく回り始めた。
恐らくは『光あれ』で『光』のプログラムの呼び出しをしている。
ユーザー名が必要で、「我が名はジネヴラ」がそれにあたるのだろう。
この光を呼び出すプログラムにはパラメーターが存在し、今回のだと場所を示す『右手中』、程度を示す『夏日の明かり』がパラメーターとして与えられ実行されている。
ユーザー名だけでこの光が発生するプログラムが実行されているけれど、パスワードはなかった。もしかしたら、声紋で本人認証をしてるのかも。また、自然言語をパラメーターに置き換えることができているから、音声認識、意味解釈まで、できている。かなり高度なプラットフォームが構築されている。
僕の世界じゃ「Hey, Siri。アラームを六時にセットして」ぐらいだもんな。
魔法の詠唱は自然言語を使ったプログラムの呼び出しになるんだ。
「どうかしら。じゃ、消すわね。灯された光、名はジネヴラ。その明かりを閉ざせ」
やはり、消す時にも同じように声で消す命令を実行している。
声紋認証だったら、ジネヴラの音声を録音して再生することで、簡単にフリーライドできるよね。ハッカー脳がそう告げていた。
『光』のソースを見てみないと何とも言えない。どこかに落ちてないものか。
僕の世界ではtorブラウザでしか見れないダークウェブに色々転がっていた。
ダークウェブは隠蔽されており、膨大な情報がやり取りされている。サイトによっては手順が必要な場合もある。
Web上で検索エンジンにヒットするサイトは氷山の一角でしかない。
ダークネットは自由が基本理念。対価としてセキュリティ対策は自分でしなくちゃならない。いわばネット世界でのアンダーグラウンドだ。ドラッグ、武器まで購入できるし、盗品や銀行の口座情報までやり取りされている。
以前、ダークネットで、リリースされたばかりのiOSのソースコードが配布され、誰が先に致命的な脆弱性を探し当てるかコンテストとかもあった。主催者は匿名だったけれど、恐らくNSAだと思われた。参加者にはFSB、Aman、PLA Unit61398もいたんじゃないかな?
優勝者は僕。上院議員のiCloudに児童ポルノを突っ込んだのは、その脆弱性に使ったものだ。回りくどくなったが、こちらの世界にもダークウェブがあるんだろうか?
それにしても、魔法は素直に僕を驚かせた。感嘆の声をあげるしかなかった。だって、プログラムで物理世界に現象を発生させることができるのだから。
「すごいな」
「ユウヤは魔法使えるの?」
「いや、どうなんだろうね」
「ちょっとやって見てよ」
興味津々らしく、ジネヴラが更に近づいてくる。
近い近い近い。
彼女の髪の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。陶然となり意識が飛びそうになる。ジネヴラはパーソナルスペースの距離は近いみたい。いい娘ではあるんだけれど。ちょっと無防備すぎないかな。
だめだ。これだと本当に変態検定で昇級してしまいそう。少し身を遠ざける。
さて、先ほどジネヴラが唱えた言葉は覚えている。あれを繰り返せばいいのかな。言おうとしたら、思ってもみなかった障害があることに気が付いた。
羞恥心がハンパない。
こちらでは当たり前かもだけど、何かちょっと恥ずかしい。
ジネヴラの視線ばかりか、マルティナ、デアドラまでこちらを注視している。心なしか距離が近づいている気がする。いい傾向だ。
これからは変態とか言わせないぞ。むしろ尊敬されたりするんじゃないかな?
「光あれ。我が名はユウヤ。右手中において夏日の明かりを授けよ」
僕の声は自信に満ち、書庫に堂々と上げられた右手に眩しいくらいの光が灯った。
ら良かったのだけれども。結論から言えば、何も起こらなかった。静まりかえった書庫。
「ま、まあ、気にすることないわよ」
ジネヴラは目線を逸らしていた。興味津々だった視線は床の方へと向けられていた。ハートにヒビが入る。時として優しい言葉は刺さるよね。
「やっぱり、ただの変態だ」
「やだ。この人、捨ててしまいたいかも……」
はーい。トゥーキック二つ頂きました。ありがとうございます。僕のハートは粉々です。
というか、本当に容赦ないよね。
「あの、ジネヴラさん。魔法実行する時に必要なソフトとかあるんでしょうか?」
何だろう。言葉が卑屈になってしまっている。
「ええと、必要なソフトって意味がちょっと」
キョトン顔したジネヴラ。どこから聞いたらいいのか見当もつかない。
魔法と呼ばれる物理的な現象を発生させるには、言葉だけでは駄目らしい。それにしても、プログラムで発動させているのか、サーバーが提供しているサービスへのアクセスにより発動させているのか。
なまじソフトウェアの知識があるだけに疑問が多くなって整理がつかない。脳内にある問題処理プロセッサは既にパンク状態。待ち行列が出来ていて、最後尾が見えない。
とりあえず、ユーザー登録が必要そうな気がしている。ジネヴラに聞いてみることにした。
「言い方が悪かったです。さっきの光の魔法を使うんだとして、事前に登録とか。魔法を使う前に何かしなくちゃいけないことってあるんでしょうか?」
段々と下手な口調に変わってきちゃってるよ。でも、知らないことは知らない。
「えーと。まずは国民登録が必要ね。パブリック魔法だから一般公開されてるの。ユウヤはその、魔法は初めて?」
ジネヴラの表情はマジで? と聞いてきていて、僕はマジでと、頷くしかない。ていうか、パブリック魔法とか、一般公開とか言われましても。何なの?
この世界での常識は僕から完全に欠落している。幼い頃から学習をしなくてはならない課程をすっ飛ばして、僕はここに居るわけだ。途方に暮れるのが当然。
背中に視線を感じるので、振り返ったらマルティナとデアドラが今にでも唾を吐きかけてきそうな顔をしている。魔法の知識が無いことが知れたことで、僕の扱いは更に悪化しそう。
ロハス・クラブに入りたい。エルフを見かけたら無視されるのだとしても、こう言おう。
ファースト・ルール:ロハス・クラブのことを口にするな。
セカンド・ルール:ロハス・クラブのことを口にするな。
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