異世界.アンダーグラウンド ー GrayHacker in DarkWeb ー
綾川知也
0x0000 Hello World
0x0001 モーニングコヒーよりキツい現実
明るい日差しに目が覚めた。
膜のかかった意識はとりとめもなく、木組みの吹き抜けになっている天井を見上げた時に思い浮かべたのは、まだ大学に通っていた頃に、泊まったログハウスだった。
鼻で息をしても、木々の匂いが心地よく、肺まで浄化されそうだ。くたびれ果ててた頭の芯が癒やされている。緩やかな雰囲気。体は起きるのを拒否していた。全力睡眠体勢。
かなり疲れているのだろう。そりゃそうだ。七日七晩の徹夜でプログラミングした後だもの。七日で天地創造をした神様の気分も今ならわかる。
「ほっといてくれ」
偉業を成し遂げたばかりの神様に声をかけると、彼はきっとそう言うに違いない。僕がまさにそんな状態だ。
手足は重くて動く気にはなれない。まだ、寝たりていないらしい。僕は惰眠を貪るべく、枕に顔を埋めて寝ることにした。すると不思議なもので、意識の底が、ノロノロと記憶をほじくり始めた。脳から出る信号が意識を通過せずに言葉を発した。
「そういや…僕」
そこで僕じゃない僕が登場した。
僕じゃない僕。ハッキングしてる時なんかで出てくるアレだ。
あれは確か夜中だった。
ゲラゲラゲラ。俺って、スゲー。
みたいなの。僕じゃない僕とはそれだ。
僕はうごめきだした僕じゃない僕は好きにさせておき、眠ることに専念する。
暖かく柔らかな日差しが気持ちいい。ウッディーの香りは皮膚から染みこみ、疲れを解きほぐしてくれる。
ずっとこのままで居たい。こわばった筋肉がほぐれてゆき、疲れ切ったシナプスもあくびをしている。小鳥のさえずりが遠くから聞こえてきた。穏やかで、僕の意識は眠りへと潜り込んでゆく。ああ、ここは安全だ。
でも、全力睡眠体勢であるにも関わらず、僕の意識は
「あれ? 僕って死んだんじゃなかったっけ?」
シーツをめくり、僕は起き上がった。そうだ。そのはずだ。僕は死んだはずだ。
最後の記憶はこうだ。
僕は七日七晩の徹夜でプログラムをして、それをアップロードをした後、PCやクラウドに分散保存しているデータを完全消去して自殺した。
四十階あるタワーマンションの一室。閑散としたコンクリートに囲まれて、なにもない空洞のような部屋だった。生活感もあったものじゃなく、ゴキブリだっていやしない。アローンチェアが死刑執行台。そこで自殺はおごそかに実行された。
自殺方法は一酸化炭素中毒。
eBeyで購入した暖炉はパワフルで、効率的に一酸化炭素を吐き出してくれ、密閉した室内を一気に一酸化炭素で埋め尽くした。
一酸化炭素中毒というのは、実はあんまりキレイな死に方じゃない。事前にかなり調べたもので、死ぬ前には頭痛や吐き気がする
らしかったというのは、自分が体験したのとは違ったからだ。
まあ、自殺したのが、七日七晩の徹夜作業の後だったし、変なドラッグもやっていたから、色々と苦しむであろう要素が多過ぎたのは否定しない。とりあえず、バッドトリップの一番ヒドいのと比較して、マシと言える程度には苦しんだ。あれだけ準備したのに、苦しんで死ぬというのは想定外すぎた。
本当、死ぬかと思ったし、実際に僕は死んだはず。
一酸化炭素中毒というのは実にスローな死に方だ。意識はあるのに身体が動かせなくなってしまって、段々と意識が
すると、どうやってか知らないけれど、アイツは平気な顔をして僕の前に立っていた。
暖炉の中で揺れる炎のこちら側にアイツは立っていた。
スーツはモード系らしくラベルは狭い。黒地にウィンドペンのシャドー柄で、黒のネクタイはやり過ぎ感がした。
無地の白シャツはいいけど、ネクタイは暖色系のニットウール辺りが妥当かも。とか、やっぱりどうでもいいことを考えていた。
薄れる意識の中で、アイツを見るとニコニコと笑っていやがった。そして、笑えない意味でのI’m dyingな僕に向かってこう言った。
「お疲れ様でしたw」
そうじゃねえだろ。他に色々言うことあるんじゃねえのか、この
ドアが開く音がして、僕の意識は現実世界に引き戻される。
少なくとも東京ではないどこかに僕は居る。事態はサッパリ理解できないけれど。
「あっ、目を覚ました!」
快活な女性の声がした。英語だけれども、かなり訛りがある。イギリス英語でもない。何だろう。英語であって英語でないような。ちょっと発音が違う。
ハッカーフォーラムじゃ色んな国籍の奴がいたから、英語については問題ない。
まあ、いいか。どうやら僕は英語圏に居るらしい。
それにしても――
自殺したのは東京だった。今置かれた状況を整理しなくちゃ。ベッドの上から見回す限り、部屋の間取りもしっかりしており、ログハウスではなく、木組みの家なのだということが次第にわかってきた。
コンクリートだの合成樹脂といったものは目に付かない。窓からは山の稜線が見えていて、針葉樹林を中心とした森になっている。見渡すとコンセントもなければ、天井に蛍光灯や電球もない。かなり田舎な所に僕は居るらしい。
目の前にいる女の子の長髪は見事な赤色で朝日に輝いていた。年齢は僕よりちょっと年下で二十半ばだろう。化粧っ気はないものの、眉はハッキリ。鼻筋もスッキリしていて、綺麗な女の子だった。どうやら、僕は彼女に助けてもらったようだ。
でも、看護婦ではなさそう。彼女が着ている服は、赤いケープに黒のスカート、格子のエプロンはウェールズの民族衣装に似ていた。
なんだろう。この状況。
「ちょっと、マルティナ、デアドラ! この人、起きたわよ! 早く! 早く!」
赤毛の娘は青い目をしてて活発そうだった。声には覇気があり、何というか元気一杯。彼女は僕の所に駆け寄ってきて挨拶をした。
「初めまして、私はジネヴラ」
僕が居るのはスコットランド?
ハッキングチームで同名の娘をサイバーストーキングしている奴がいた。彼の口癖はいつもこうだった。「イングランド人はクソだ」
あいつスコットランド人だったからな。話題も注意して選ばないとヤバそう。
「やあ、ジネヴラ。僕を助けてくれたの?」
僕の挨拶は軽く無視された。ジネヴラの呼びかけに応じて、黒髪の女性と金髪の少女が僕の前に現れたからだ。
「おお、起きたか。空から落ちてきたし、もう無理だろうと思っていたがな。しぶといものだな」
ずいぶんとハッキリとした物言いだった。黒髪の彼女は凜としており、彫像のように美しかった。先の赤毛の娘と比較するのもアレだけど、セクシーという意味で綺麗な女性。長い足は真っ直ぐに伸び、豊満なバスト。そこにいるだけで、フェロモンが漂ってきそう。
だが、彼女の視線はクール通り越して、冷たかった。路上で潰れたカエルを見るような。そんな目つき。
えっ、何コレ? 僕、何かやらかしたのかな?
「ああ、良かったです……。もう、目を覚まさないかと思いました……」
もう一人のカールした金髪の少女。多分、年齢は十五歳ぐらい。彼女は僕が目覚めて良かったと素直に思ってくれているらしい。
安堵の声には小さく消えそうだったが、慈愛には満ちていたように思う。少なくとも、この時は。彼女は嬉しそうな表情を隠そうともしなかった。少なくとも、この時は。
「ねえ、あなたって
ジネヴラは興奮気味に訊いてきた。目が輝いている。でも、彼女の言っている意味がわからない。落ち人って何だろう。方言なんだろうか? それともスラング?
「ジネヴラ、落ち人って何? 意味がわからないんだけど」
「知らないの? 空から落ちてくる人。そういう人は落ち人って呼ばれているのよ。だから、あなたが落ちてきたのを見た時、すごい、落ち人って本当に居たんだ。とか思っちゃって」
なんだそれ。輪をかけて意味がわからなくなった。空から落ちてきた? この僕が?
「ごめん。言葉を遮るようでわるいんだけど、この世界っていうのか、この国っていうのか。何から何までわからないんだけど」
「ジネヴラ、ちょっと待て。まずは自己紹介だ。私の名前はマルティナだ」
マルティナが前へ出てきて豊かなバストに手を置き自己紹介を始めた。
髪は漆のように黒く、軽くウェーブしており、何と表現したらいいのか、とにかく雰囲気がエロい。
女慣れしていない僕にとっては目のポイズン。本能がそうさせるのか、意識しないとマルティナの曲線に目が行ってしまう。
「私の自己紹介はそんなものだ。お前の名前は何だ?」
マルティナの声が、余計に彼女のセクシーさを引き立てる。
何なのこの人。アピール力ハンパないんですけど。背筋が泡立つ。ヤバい。この人から吸引力を感じる。目玉が彼女の身体に落下しそう。
「ぼ、僕の名前は
マルティナは
「アヅィダーウウイエア?」
言えてねえ。
僕の名前、言えてねえ。
「違う、ユウヤでいいよ」
「ウウイエア」
何か、全然変わってねえ。
日本人の名前は英語圏の人には言いにくいらしい。
「ユウヤって呼んで。You, yeahって感じ」
マルティナを指さした後、両手でサムズアップ。You, yeahのつもりだった。
沈黙がこの場を支配した。
やらかした感で身をよじりたくなっていると、マルティナはボソリと言った。
「ユウヤか、何かスケベそうな名前だな」
えー、何こいつ。初対面の相手に対して失礼すぎんだろ?
僕はそう思ったが、とりあえず我慢した。でも、少し顔が引きつっていたかも。確かに方言で「ユウヤ」という単語、もしくは言い回しが、ここの国というのか、世界というのか、卑猥なことを意味する可能性はある。
「そ、そうか。そういうつもりはないんだけれど」
敵意がないというのを示す為にも社交辞令は必要だろう。言葉を付け足すことにした。
「でも、まあ、初対面で挨拶はしないとね。初めまして、僕はユウヤ。皆に会えて嬉しいよ」
そして、僕はマルティナにニッコリ笑う。
どうも彼女には嫌われている気がした。態度がどうにも冷淡だ。自分がどういう所に居るのかサッパリだし、とりあえず良好な人間関係は築いておきたい。
無理をして笑顔を作る。こういうの苦手なんだよな。
「やっぱり、こいつスケベだ。間違いない」
ブツン。頭の奥で何かが切れた。
「ただの社交辞令じゃないか! ニッコリ笑ったらスケベなのかよ!」
「直感でそういう感じがするんだよ」
「意味がわからねえ。直感って何だよ。どうして会ってそうそう変態呼ばわりされなくちゃならないんだ」
「お前はスケベではなく、変態なのか。そうなんだな、この変態」
「くっ」
「気をつけろ、こいつ変態らしいぞ。顔つきも私たちと違うし、きっととんでもない変態に違いない」
突然の変態認定。僕の心は折れかけだ。どう言ったとしても、マルティナは僕が普通の人だとは認めてくれそうもない。
「だめよ、マルティナ。折角の落ち人なんだから。例え変態だとしても。ほら、何かすごい人なのかもしれないよ」
ジネヴラさん。僕が変態なのは確定なんですか。ああ、そうですか。
「あの……」
おずおずとデアドラが手を上げる。片手は口を隠し、恥ずかしそうにしている。
「どうしたの、デアドラ?」
ジネヴラがデアドラの方を振り返る。慎ましそうな少女は大人しい性格らしい。背も低く、年齢的にもジネヴラ、マルティナより幼ない。所作がどこか遠慮がちで、一生懸命そうなのは伝わってきた。人間として守ってやらなくてはいけないような気がする。頑張れと思わず応援したくなるような――
「私、変態はちょっと。遠慮したいっていうか……。どこかに行ってもらいたいというか……」
お前もか。
大人しそうだけれども、語尾は消えかけているけども、言いたいことは全部言えてると思うよ。頑張ったね。
これから君のこと応援しなくてもいいよね。
女性三人に囲まれているこの現状。悪くはないって思っている自分が居るのは確かだけれども。具体的に何かしようかなんて、全然思ってなかったよ。
ああ、ヤバそう。僕じゃない僕が出てきそう。落ち着かなくちゃ。
「もう変態でも何でもいいよ」
頭を掻きながらそう言った。涙が出そうだ。ガッカリして下を向く。シーツの白さが目に眩しい。どうしてこうなったのやら。途方に暮れるばかり。
「おい、認めたぞ。思った通りだ」
「まあ、何かすごい人かもしれないしさ」
「でも、私、変態は嫌かも……」
僕はどういう世界にやって来たというのだろうか?
確かジネヴラは言った。僕は落ちてきたと。落ち人だと。
fallenにerを付けて、落ちた人。つまり落ち人。
ただ、付け加えるなら、fallenには別の意味もある。日本語にすると「死んだ」、あるいは国や都市が「破壊された」「壊れた」。
まだ他にもある。「堕落した」「堕ちた」。
なるほどね。ネーミングセンスは悪くない。
確かに僕は
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