第829話 何者にもなれるし何でも出来る
兄達の元に戻ると兄が床に魔法陣を浮かべていた、どうやら血のシミを洗浄しているようだ。床から剥がれ魔法陣へと吸い込まれていく血を興味津々といった様子で眺めるハスターに子供っぽさを感じつつ、神父服を脱いだ零から神具である杖と剣を受け取る。
『神父様、神父様も待っていますか? 今はただの人間ですし、クトゥルフのテレパシーは創造神と関わりが深いと変な効き目が出るみたいですし……』
「……零はもう神父じゃないよぉ。もう創造神を信仰してない、弟子も居ない、加護もない……零に神は必要ない、神なんて居ない」
神父が神を否定するなんて──いや、もう神父ではないんだったな。
「…………魔物使い君、戦友として君に協力してもらいたい。零に雪の魔力を注いで欲しいんだぁ……扱い方は分かってるから、一番戦いやすい」
『……そりゃ、僕が制御すれば日常生活に支障はありませんけど……力があるからって邪神に挑むのは』
「お願いだよ魔物使い君、りょーちゃんを取り返せなきゃ零に意味はないんだよぉ。兄弟で親友で、一番大事な人なんだよぉ」
『…………分かりました。でも、零さんは僕にとって大切な師です。ですから死なせる訳にはいきません、そんな戦い方はさせません』
零の胸に手を当て、雪の魔力を流し込むように意識する。気温は下がらなかったが零の手のひらの上に氷が現れた。
「制御しやすい……」
『当たり前だろ、ただの人間が操るなら神力より魔力の方がいいに決まってる』
『にいさま、クトゥルフのテレパシーを防ぐ方法ってないかな。ナイに解かれるかもしれないから魔法はなしで』
兄はしばらく考えた後、後ろ髪を引きちぎってスライム状の球体に変え、零に渡した。
『反射も防御も無理なら受け入れればいいんだよ、それに変わりに吸収させるから、頭にでも巻いてて。限界はあるから接触は控えめにね』
球体はぐにゃぐにゃと形を変え、零の手の中で細長い布に変わった。触れた感触まで綿織物と確信できる代物だ。
「……ありがとう」
『にいさま、何かあったらすぐ教えてね、こっちに来ないとも限らないから』
『分かってる、僕じゃ対処しきれないだろうしね。それじゃ、行ってらっしゃい……幸運を、愛しい弟』
手の甲に唇を触れさせ、どこか寂しそうな表情で僕に手を振る。僕は微笑んで手を振り返し、零の手を取り黄衣の端を掴み、カヤを呼んだ。
ナイの居場所は先程はカヤには分からなかったが、今度は一瞬で辿り着いた。間違いなく罠だ、数多居るナイの中からツヅラを攫ったナイをカヤに見つけ出させるよう仕向けていたのだ。罠と分かっていても乗らなければならない、逆に利用してやらなければ。
『ラー、ララ、ラー……ラー、ララ、ラー……ふふ、ふふふっ、皮肉だよねぇ、創造神への冒涜であるボクが神父で、創造神を裏切った神父を、教会で殺すんだから』
オルガンを弾く手を止め、歌をやめ、神父服に身を包んだナイが神の像の前に立つ。黒髪に黒目、黒い肌……最もよく見かける姿だ。
「ぷーちゃん、じゃ、ないんだよねぇ……」
『あぁ、キミの先生のボクじゃないよ。キミのことはよく知ってるけれどね』
「……りょーちゃんの魂を奪ったって、本当?」
ナイは鈍い青色の真球を手に乗せ、微笑んだ。
『これのこと?』
そして十字架を模した短剣をその真球に突き刺した。
『安心して、この程度じゃ壊れないし欠けもしない。ただ、激痛を味わってるだけ……死んだ方がマシなくらいのね』
水に刺しているように抵抗はない、魂は実体を持ってはいないのだ。だが、短剣で内部をかき混ぜるような動きは零の怒りを誘った。
「氷像にしてやるっ!」
『あはっ、こわーい……ふふ、あははっ!』
気温が一気に下がり、床や壁や天井に薄い氷の膜が張られ、美しかったステンドグラスが白く染まる。
『あっためるね~』
白い仮面が頭の上に乗り、黄衣が僕をぴっちりと包む。寒さを感じないようにしなくても大丈夫そうだ。
『相変わらず人間離れしてる……寿命短いだろうね、キミ』
零が一歩踏み出せばその足の周囲数十センチに無数の氷柱が生える。手を振れば冷たい風がナイを襲い、その嘘くさい神父服を凍らせた。
『おっと……舐めプ厳禁ってお達しだった』
ナイの周囲に立体的な魔法陣が浮かび、彼の周囲の氷が溶けた。同時にナイの手のひらに浮かんだ魔法陣から火球が放たれる。僕は素早く零の前に立って影からアイギスの盾を引っ張り出し、防いだ。
『零さん、僕が雨を降らしますから温度を下げていてください』
ナイの頭上に雨雲が浮かび、バケツを引っくり返したような雨が超局所的に降る。雲から落ちる雨粒は途中から氷に変わり、ナイを痛めつけるはずだ。
『防護っと。えっと……雷槍でいいかな?』
降り注ぐ小さな氷柱達は簡単に防がれ、ナイの周囲に無数の眩い魔法陣が浮かぶ。
『零さんもっとこっちに!』
零の手を引っ張って盾の真後ろに庇う。しかし雷の魔法共は盾を避けて僕の背後に回り込んできた。
咄嗟に零を庇い、全ての魔法を背に受ける。痛覚は消してあるが行動不能の損傷は免れないだろう、そう思っていたが僕の身体は皮膚の焦げすらなく無傷だった。
『出された時には焦ったけどその盾はちゃんと使えてないんだね、せっかくの無敵なのにもったいない』
ヘルメスのように神具の本領発揮が出来ていれば背後に回られることもなく──いや、回られても防げたのか? どっちでもいい、どうせ僕には扱えない。
「魔物使い君……? だ、大丈夫?」
『何故か平気です』
『……僕は平気じゃないよ~めちゃくちゃ痛いよ~』
『え……あっ、そ、そっか、ハスター……ありがとう』
僕に損傷がないのは当然だ、ハスターを着ているのだから──着ているってなんなんだよ、なんで着られるんだよこの邪神。
『ん……? あぁ、そうか……キミ、ハスターか。裏切り者め……随分楽しそうだね』
『防護結界なんか使われてたら何しても無駄だ……ハスター、零さんの方について。僕が力づくて結界を破るから、そこを凍らせて』
結界を破った勢いのまま殺しては巨大な顕現が現れてしまう。破壊目的の攻撃を加えてはツヅラの魂を盾にされるかもしれない。だからナイに向けるのはあくまでも雪の魔力だけだ。
『力づくぅ? ははっ、あはははっ! キミのお兄さん達ならまだしも、ボクの結界を力づくぅ!? あっははははは!』
ゲラゲラと笑っているナイの懐に飛び込む。ヘルメスから奪った黄金製の靴によって脚力がかなり強化されている、僕自身もまだ慣れないがナイの意表を突けた。
『やだこわーい、あははっ!』
訂正、突けてはいなかった。飛び込むと同時に振るった神具の剣は結界に容易く防がれた。だがここまでは計算通りだ、距離を取るフリをして真上に跳ぶ、念の為に靴の扱いに慣れていないから誤算の跳躍だと焦った表情を作っておく。
天井ギリギリで翼を広げて止まり、剣を天井に突き立てる。
『……何してんの?』
神具らしく切れ味は異常で、刀身の長さを超えて切断できた。
賽の目に切れ込みを入れて中心近くを蹴り、その勢いで瓦礫と共にナイの元に飛び込む。今度も瓦礫共々結界に防がれたが、問題ない。むしろ天井を落とす攻撃だと勘違いしたナイが勝ち誇った笑みを浮かべて油断しているので、好機だ。
もう空には月が浮かんでおり、天井に空けた穴から月の光が降り注いでいる。
『……
少々恥ずかしいが技名を叫んだ方がオファニエルの魂との同期がしやすく、技の威力が上がる。仕方ない。
『眩しっ! でも……それだけだね!』
打ち込んだ掌底は結界に防がれ、僕は単なる腹への蹴りで数メートル飛ばされた。落としかけた剣を影の中に収納し、ナイの結界にこびりつかせた凝縮した月の魔力に向けて叫ぶ。
『魔物使いの名の元に命じる、食い破れ!』
活性化した月の魔力は結界を構築する魔力を崩壊させていく。
『……しまった! そんな手が!』
『やった……! ハスター! 零さん!』
ハスターに抱えられた零がナイが結界を再構築するよりも先に彼に触れ、直接雪の魔力を流し込んで彼を凍らせる。
それが作戦だった。しかし──
「……え?」
零の手が触れたのは結界だった。
『ごめんねぇ、ボク、月の属性持ってるから』
ナイは零の手を掴み、投げ、壁に叩きつけた。続けて白い仮面を掴み、その手を剥がそうと伸びた触手を踏みつける。
『しまった……そんな手が。ボクの演技はどうだった? 月に吼えるこのボクが! 月をゲートに夢世界を管理するこのボクが! 月属性にしてやられると思った? ねぇ本気で思ってた!? ボクは神様なのに、魔力崩壊の性質を持つ月の魔力で倒せると思ったの!?』
『結界は……破れてっ……』
『そりゃそうさぁ! 人間に教えるために魔法は魔力で使えるように作ったから、魔法は魔力でも神力でも発動するし、ボクは魔力も扱える! ボクは何でも出来るのさ! 何故なら、ボクは、ニャルラトホテプだから!』
黄色い布の塊が投げつけられる。
『……っ、ハスター! ハスター、大丈夫だよね……?』
僕はそれを受け止め、布の中にあった触手を掴む。しかしその触手は僕の手を払い、僕の首に巻き付いた。
『……そして、黄衣の王はボクの顕現でもあるから』
白い仮面の奥から聞こえたのはナイの声だった。
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