第828話 神の力は崩壊を呼ぶ

目を開けると涙をポロポロと溢れさせている零と目が合い、胸倉を掴まれて振り回された。

記憶が混濁している、頭がぐらぐらしている、何か……体内に攻撃を受けたような。体の機能を損ねるような怪我だったのは意識を失っていたことから分かるが、傷の詳細は痛覚を消していたこともあって分からない。

常に透過していられたらこんなことにはならなかったが、常に力むのは難しいし透過中は何にも触れられない、現実的ではない。


「魔物使い君、お願い……りょーちゃんを助けて」


すすり泣く零を残し、盾を構えたヘルメスの横を抜け、幼稚に争う二柱の邪神の前に立つ。まず頭から篦鹿の角を生やし、黒く染めて腕にして、影から天使の槍を持てる限り引っ張り出す。以前、無数に飛来した陶器製の天使が馬鹿みたいに投げたおかげで出し惜しみしないで済む。


『新支配者……! 鬱陶しい、もっかい死んでろ!』


『透過!』


胸の辺りに球状の水が現れたがすり抜け、重力に引かれるまま砂浜に落ちた。クトゥルフは空間転移能力でも持っているのか? 僕はそれで体内を破壊されたのか。

クトゥルフの攻撃と同時に投げた槍は僕の手を離れると透過の効果を失い、ハスターごとクトゥルフの身体を貫いた。


『はっ……この程度……あれ? は? 抜けないっ……は? 骨引っかかって……』


人魚とはいえ上半身の骨格は人間と変わらない。骨の隙間に槍を通せば抜くのは困難だ。他者に取り憑いているクトゥルフと違い、ハスターは生き物らしさのない実体を持っている。触手や仮面や布に骨はない。ぶちぶちと触手をちぎり、びりびりと布を裂き、無数の槍から抜け出した。


『ハスター、平気?』


『大丈夫~……でもこいつ殺さないと気が済まないから大丈夫じゃないかも~』


温和な話し方に戻っている。よかった。

ハスターが槍をすり抜けずに自身を傷付けて抜け出したということは、実体化中に天使の槍を刺せば神だろうとすり抜けられないし、槍を動かせないということ。

なんて良い情報をくれるんだ、ハスター、彼は僕の友人ではなく親友であるべきだ。


『……さて、クトゥルフ、ツヅラさんから出ていってもらおうか』


『はぁ……? ははっ、あぁ、知らないんだ、分かんないんだ? ツヅラなんかもう居ないよ? この身体は僕のもの……』


ばぎばぎと嫌な音が聞こえてくる。きっと骨を砕いてでも槍の檻から抜け出そうとしているのだろう。


『返そうにも返せないんだよね~、僕追い出しても無駄だよ? だって、この身体~……魂ないもん』


『……は? ど、どういう意味だよ! ならツヅラさんは、ツヅラさんの魂は!?』


『さぁ? 僕は空っぽの体渡されただけだし』


ツヅラを攫ったのはナイだった。つまりナイがクトゥルフに肉体を提供するためにツヅラを攫い、魂を抜き取り、渡したということだ。

魂を抜くのはそう難しいことではない、胸の辺りに手を突っ込んで根気よくまさぐれば見つかる。その者の生きる意志が強いほどこの作業は難航するので、事前に会話で生きる意思を失わせた方がいい。


『それより、後ろの彼はいいのかな?』


振り返っても盾しか見えない──いや、盾が倒れた。盾の内側にヘルメスが乗り、盾は砂浜に沈んだ。


『ヘルメスさん……!?』


盾を倒してその上に倒れるなんて、ましてや緩やかな凹みを描いた盾の内側に血を溜めているなんて、考えるまでもなく非常事態だ。


『ヘルメスさん、どうしたんですかヘルメスさん! 神父様……何があったんですか?』


僕は槍の檻に閉じ込められて動けないクトゥルフを放ってヘルメスの元に走った。彼は目と鼻と口から血を流したようだ、顔が赤く染まっている。


「多分神具の使い過ぎだと思うけど……」


ずっと盾を構えていた影響か。

僕は慌ててカヤを呼び、僕達三人を僕の自宅に移動させた。もうナイの手中にハマったフリをして懐から一撃を狙おうなんて、家に帰ったら酒色の国が狙われるかもなんて、考えもしなかった。


『カヤ、にいさま連れてきて! その後はシェリーを港に届けてあげて!』


ワン、と元気のいい返事を聞き、目の前に落ちてきた兄が辺りを見回すのも待たずに胸倉を掴んだ。


『治して! にいさまこの人治して、先輩なんだ! 早く!』


状況が飲み込めていなさそうな顔をしていたが、怪我人を前に焦っている僕を見て察したのか、ヘルメスに治癒魔法をかけてくれた。


「ん……? あれ、ここは……」


すぐにヘルメスは目を開けた。


「痛てて……何があったんだっけ」


怪我の影響か記憶が混濁し、混乱しているヘルメスに事情を説明した。彼に何があったのかを完璧に理解している訳ではないし、吃ってばかりだったが、彼は分かったと言ってくれた。


「迷惑かけたみたいだね、ごめんね。特に神父さん、すぐに取り返さないといけないのに……すぐ戻ろう」


『待って、君それ以上やったら死ぬよ』


呼び出したカヤを下がらせ、兄に詳しく説明するよう促す。


『神の力を扱ってるんだ、分かるよね? 魔力は人間にも存在するけど神力はまず存在しない、だから人体には非常に有害なんだよ。君はそういう血統みたいだけど、かなり薄まってる。近親婚でもするべきなんだよね、君達みたいなのは……ま、それはそれで別の不具合が出るけど』


「……魔物使い君のお兄さんは大袈裟だね、自分の体のことは分かってる。ギリギリでやめるよ」


『神力による害は蓄積されるものなんだよ、霊体や魂に。変質した霊体に……そうだね、被曝って言葉を使おうか? 自身の霊体に害を与えられるんだ、身体の崩壊は治癒で止められる程度じゃなくなってくるし、やり過ぎると魂まで崩れるから生まれ変わりすら出来なくなる』


そんな危険な状態なのか。それならヘルメスを連れていく訳にはいかない。


「…………大丈夫だよ、大袈裟なんだって」


『君も分かってるんだろ? 何、死にたいの?』


「……死にたい、わけじゃ……ないけどさぁ」


バツの悪そうな顔で僕と零を見て、兄に視線を戻す。


「………………いや、死にたいのかもね。人の役に立ちたいんだ、ううん、役に立てるって証明したい、良い奴だったって思われたい。だから人に尽くして死にたいんだ」


『……頭おかしいんじゃないの?』


兄には理解出来ない思考だろう、僕だってよく分からない。特定の者ならともかく、不特定の者に尽くしたいなんて……それが神具所持者の適性なのか。


「…………生まれてすぐ捨てられて、人目のつかない路地で死にかけたら、多少頭がおかしくなっても仕方ないだろ? 見返したい、死を惜しまれたい、英霊になりたい……別に悪いことじゃない、君に止める権利があるの?」


『ある。弟が悲しむ。僕の弟は優しい子だからね、少しでも関わった人が死ぬと悲しむんだ。さっきので分かるだろ? 死にかけた君を僕に助けて欲しいって泣きそうな顔で言ってきたんだ。僕の弟を泣かせる権利が君にあるの?』


死を止めようというのは兄らしくない良い行為だが、理由が身勝手だな。やっぱり兄は兄だ。


「そんな理由で俺を一線から引かせるの? 助けを求める人を無視して引きこもるなんて嫌だね、俺は人を助けて死ぬ。ずっと前から決めてたんだ、魔物使い君が泣いてくれるなら俺は嬉しいよ」


『あぁ、そう、じゃあ手足切り落として戦えなくしてあげる』


兄の後ろ髪が伸び、触手に変わり、先端が曲がって鎌のように鋭くなる。僕はヘルメスの腕を掴んでその触手を避けさせ、邸宅の奥へと走った。


「ちょっ、魔物使い君、何!? 危なかったからありがたいけど、こっちに逃げても意味ないんじゃ……」


内開きの扉を蹴り開け、部屋の中心に置かれているベッド目掛けてヘルメスを投げる。


「わぶっ! な、何……君そんなに乱暴だった?」


ベッドに寝ていた者が起き上がり、ヘルメスの肩を掴んだ。


「わっ……! だ、誰か寝てた。ごめんなさい、ちょっと投げられて……」


普段なら殴っても起きないくせにヘルメスをベッドに投げると起きるんだな。やはり起きられないのではなく起きたくないだけなのだ。


『……大きめの少年? こんな日の高いうちから……積極的だねぇ』


「ベルフェゴールさん……? いや、えっと……今仕事中で、ちょっと投げられただけで」


ベルフェゴールがヘルメスを後ろから抱き締める。僕はヘルメスの靴を脱がし、羽根飾りを奪った。杖と剣は零が持っていたはずだ。


「あっ! ちょっと魔物使い君! 返して!」


急いで羽根飾りを服に付け、靴を履いた。これで仮所持者が僕になったのでヘルメスは神具を呼び出すことも出来ない。


『ベルフェゴール、ヘルメスさん部屋から出さないで! ヘルメスさん、休んでてください!』


「は……? ちょっとマジで俺置いてく気!? ツヅラさんどうすんの!?」


『僕が責任持って取り返してきます! ヘルメスさんは……えっと、お、お楽しみください……』


寝間着のボタンを外しているベルフェゴールから目を逸らし、扉に向かう。鍵をかけられたらよかったのだが。


『ずっと寝てたから身体なまってるしぃ……ちょっと運動しよっか、大きめの少年』


「え……? えっ、ちょ……嘘……」


そっと扉を閉じ、黄金製の靴に靴擦れの気配を感じつつ、兄と零の元へ急いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る