第791話 最強の戦神
網膜を焼く閃光、鼓膜を破る轟音──瞳に映る帯電する人影は柄の短い槌を持っていた。
『トール! 来てくれたか、持つべきものは親友だぜ!』
槌を担いだトールの姿にヘイムダルが僅かに後ずさる。しかしトールは僕達に目もくれず遠くで戦いを眺めていた兄の方に歩いていった。何かを話しているようだ、耳を澄ませてみよう。
『弟の……えぇと、上の方? が帰って来て欲しいと言っていた。着いてこい』
『だから弟はそこに居るって!』
『何だったか……何か、円形に街を作っている国だ、その国で弟、上の弟が待っている。いいから来い』
『いや、だから、後ろ見てってば』
円形に街を作っている国……神降の国のことか? まさか、兄が出ていった時、トールに捜索を頼んだ時からずっと兄を探していたのか? 隠匿の術がかかったローブを着ていたから見つけられず、脱いだ兄を今見つけて、今兄のローブを着ている僕は見つけられていないと?
『…………君の親友は君に興味がないようだね』
ヘイムダルは安心したようにため息をつき、その手に白い光を溜める。
『えっ、ちょまっ……ト、トールの筋肉バカ!』
突然何を言い出すんだと横を見ればロキの姿はなく、代わりに拳を振り抜いたトールが居た。ドンッという音に視線を横にズラせば地面を抉るようにロキが倒れていた。
『…………もう一回言ってみろ』
『……っててて、よぉトール、やっとこっち来たな、ちょっとやばいことになってて』
殴られたであろう頬を摩りながら起き上がろうとしたロキはトールに胸を踏まれ、地面に押さえつけられる。
『もう一回、言ってみろ』
『い、いや、ちょっと聞いて』
『言え』
『今ヘイムダルに冤罪かけられて』
『言えと言っている』
『聞けっつってんだよこっちはよぉ!』
他人の言葉を聞き流しがちなトールが悪口にはしっかり反応するのも、ロキや兄が慌てて誤魔化すのもよく見てきたが、まさかこういう怒り方をするとは。ヘイムダルが呆然としているのだが僕はどうすればいいのだろう。
『いや……相変わらず脳筋だね』
立ち尽くすヘイムダルを警戒しつつ兄が隣にやってきた。しかし兄はトールに胸倉を掴まれ、僕の隣から姿を消した。
『…………脳筋、と言ったか?』
『……の、脳のような筋肉! このたっぷり筋肉が全部脳のような聡明さ! っていう意味だよ神様!』
むちゃくちゃな言い訳だ。どう考えても「脳まで筋肉でできているようなバカ」という意味で言っただろう、兄のことだし。
『そうか』
しかし兄は離された。
『………………し、知ってるかトール! 俺が言ったバカっていうのは実は略語でばっ……ば、爆発的な賢さ……って、意味で』
『嘘つけ』
『なんで俺はダメなんだよ!』
性格だろうか、日頃の行いだろうか、いやそれらは兄も悪い。
『助かった……』
『ねぇロキが馬乗りで殴られまくってるんだけどどうしよう』
『僕もう関わりたくない』
それは僕も同意見だし、ヘイムダルも戦意喪失しているように見えるし、頭に浮かぶ選択肢に「家に帰る」が増えてしまった。
さて、どうするべきだろう。トールを止めるかロキに謝罪を提案するかヘイムダルに攻撃を仕掛けるか……家に帰るか。
『……ト、トール? えっと……居ないと思ったら君もこっちの世界に居たんだね。あまり迷惑をかけてはいけないよ。それで、ロキがね……』
意を決した様子でヘイムダルがトールに話しかける。やはりまだ帰る訳にはいかないようだ、早く帰りたいのだが。
『誰がバカだ』
『そんなこと言ってない!』
『冗談だ。ロキが何だ?』
冗談とは人を殴りながら真顔で言うものではないと思う。ヘイムダルの話を聞くためかトールが立ち上がったので、そっと地面にめり込んでいたロキを掘り起こす。
『ロキ、ロキ、大丈夫? 喋れる?』
もはや顔面骨折どころか脳まで潰れていそうな威力だったが、流石は神性というべきか見た目には分からない程度の損傷だ。
『あぁ……ごめん。もっかい逃げるから手伝ってくれ、ふらふらする……』
くだらない茶番劇を見せられた心情としては断りたいところだが、冤罪だとか子供を殺されただとか聞いているのでまだ良心が勝っている。
『分かった、にいさま、とりあえず人の居ないところ……魔法の国か兵器の国に……』
『どこへ行く気だ、帰るぞ』
脱げていたパーカーのフードを掴まれ、ロキが空間転移の魔法陣から出される。僕は慌ててローブのフードを脱ぎ、トールの腕を掴んだ。
『トールさん! 待ってください、ちょっと話を聞いてください』
『……………………誰だ?』
『ヘルっ……ぁ、いや……上の弟です!』
『あぁ、迎えに来たのか。よかったな、エア。送らなくてもいいな?』
小さく跳んでトールの頭の後ろで手を組み、俯かせ、移ろう視線を僕に固定する。
『礼なら要らない』
『話を聞いて欲しいんです。ロキが……えっと、殺したって話は聞いたと思うんですけど、それ冤罪なんです。ロキは最近ずっとこっちに居て、そっちの世界で殺人が起きた時には居なかったはずなんです』
『もう喧嘩するなよ、兄弟仲良くな』
後頭部で組んだ手を簡単に解き、解いた手で僕の頭をポンポンと撫でた。
『耳栓でもしてるんですか!?』
『してない。ロキが冤罪だって話だろ? ヘイムダルから全部聞いてある。気持ちとしてはロキの味方をしてやりたいが、素行から考えて犯人である可能性は高い。お前が言うアスガルドとこちらの世界の移動だが、ロキは比較的自由だし時間の流れも違う。不可能とは言えない。証拠として弱いな。しかしその他の証拠も向こうの世界にはあるはずだから、今からそれを確認しに行く。ロキが無罪にしろ有罪にしろロキは一度こちらに来る必要があるし、そもそもこっちの世界に居続けてはいけないんだ』
『え……ぁ、はい、そうですね……?』
『そうですねじゃねぇよタブリス! さてはお前こいつよりバカだな!?』
可能性とか証拠とか必要とか、そんな言葉を使われるとは思っていなかった。理解が出来ない訳ではないが、トールが長々と話したことに驚いた僕はその内容を上手く理解できなかった。
『まぁつまり、不在証明が出来ないから証拠集めや裁判のためにとりあえず拘留するってことだろ?』
『なるほど』
『分かりやすいな、流石エア』
『分かってねぇだろお前ら……バカ怖いわー』
人が殴られる鈍い音は苦手だ、昔を思い出す。トールを宥めているヘイムダルを眺めつつ、暴力での解決はよくないなと心の中で何度も頷く。
『……証拠と言っても、説明したようにロキ自身が自分が犯人だと喧伝したんだよ?』
『…………そのロキが本物だって証拠はないじゃないですか』
『彼の他にあそこまで自由自在に姿を変えたりふわふわと移動したりする神は居ないよ』
犯人だと言って回る時に術を使ってロキである信憑性を高めた……と言うよりはロキが犯人だという方が可能性としては高い。
『それにバルドルに恨みがある者もロキを陥れる理由がある者も居ない』
『……こっちの世界と近付いてた時期のことでしょ? アスガルドの神様とは限らないんじゃないですか?』
ヘイムダルは不愉快そうに眉をひそめ、ため息をつく。
『…………ロキを庇いたいのは分かったよ』
『ヘイムダル! 待て! もうちょい聞けよ! なぁタブリス、なんか俺みたいな感じの神か悪魔かなんか心当たりあるんだろ?』
姿を変えて宙を歩く者? 居ないなんてことはないと思うけれど心当たりはない。
『……別に、ないかな』
『タブリスぅー!? 待って待って待ってあるよ! あるよな!? あるはずだよーく思い出せ』
『ないって……』
『あるってあるって俺みたいな奴ホントに居ない!?』
『居ないし居て欲しくない』
天使や悪魔がロキを陥れる理由はない訳だし、僕の知らない神性などの仕業だとするなら僕には検討もつかない。
『……じゃあ、とりあえず行こうか、ロキ』
『……あの、ヘイムダルさん、こっちでも調べられるだけ調べてみますから、また周期が来たら来てください。それまで……その、ロキは』
『…………善処するよ。それだけ言ってくれる友人が居る、それは人柄の証明になる』
『なら離せよ!』
『そこまでの証拠じゃない』
ロキは後ろ手に縄で縛られる。妙な見た目をしているその縄はきっとロキの子供だという者の腸なのだろう、仮に無罪が証明されたとしたらその子の死はどうなる? いや、有罪だったとしても殺されて然るべき理由にはならない。
『ヘイムダルさん、もう一つ』
『……なんだい?』
面倒臭そうな顔をしながらも魔法陣のようなものを描く手を止めてこちらを向く。
『……子を持つ者として、父親の拘束のためだけに子供を殺して内臓を取り出した残虐な行為を、僕は許しません』
『そう』
『……きっといつか報いを受ける』
『呪いのつもりかな? 無駄だよ』
視線を戻し、陣を描き切り、神々は彼らの世界に帰って行った。次に会う時には冤罪が晴れていることを願い、僕と兄は帰路に着いた。
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