第715話 魔性を騙る天使
時は少し遡り、神封結界を発動する少し前。散開した仲間達の様子。
茨木は屋上の柵に荷電粒子砲に変形させた義肢を支えさせ、機会を伺っていた。クリューソスもまた機会を伺っている、広げた翼に光の粒を溜めて。セネカは血を使って遠距離攻撃をしようと、どうすれば遠距離攻撃が出来るかと一人混乱してメルの元に飛んだ。
『メルちゃーん……ぅわあ天使ぃ!』
『待って。落ち着いて、大丈夫よ』
メルの傍には天使が──魅了の術に嵌められたままのゼルクが控えていた。セネカは着地と同時に彼を蹴り飛ばしてしまったが、反撃はなかった。
『お友達で?』
『ええ、そうね。セネカ、男にならないでよ、面倒だから』
『ぁ……う、うん……』
セネカはゼルクを見た目だけで「乱暴な男」だと判断し──実際そうではあるのだが──恐怖症で身体が固まってしまわないように男になっておこうと思っていた。
『…………ね、ねぇ……遠くの敵を攻撃するなら、何がいいかな……』
『え? うーん……ゼルク?』
『そりゃ弓っすね。腕力次第で大砲越しっすよ』
『……ですって』
その後セネカはゼルクの助言を貰いつつ威力飛距離共に高くなるだろう弓と矢を成形した。命中率は腕次第と言われて緊張しながら構え、ウリエルを狙っていた。
ウリエルを狙う者が彼女とヘルを中心に円を描くように散らばったのに対し、ヴェーンを乗せたアルは更に遠くへと逃げていた。戦闘に参加出来ない悔しさを噛み殺して、自分が傷付いた時のヘルの様子を思い出して、我が子を守らなければと自身を鼓舞して──
「この辺でいいだろ、国出たら逆に危ないぜ」
無心で進んでいたアルはヴェーンの言葉に意識を現実に戻し、郊外の民家の屋根の上で止まった。バルコニーまで滑り降り、距離だけでなく背の高い建物も要因として見えなくなった伴侶を憂う。
『…………降りろ』
「あぁ、そうだな、悪い悪い」
アルの背から降りたヴェーンはバルコニーに置かれていた椅子に腰かけ、その前の机の上にクラールを乗せた。
『ゔぅぅ……』
「威嚇すんなよ、お前が暴れるから悪いんだぞ?」
クラールはヴェーンに抱かれていた時に強く押さえられて苦しかったことを訴えるため、牙を剥いて唸っている。まだまだ小さく微笑ましいものでもあるが、確かな獣性を見る者に覚えさせる表情だ。
『…………そろそろ飯の時間だからな、機嫌が悪いんだろう。生憎、今は何も無い、耐えろクラール』
「腹減ってんのか……ん、おい、アル? お前……どうしたんだ?」
隅で蹲り顔を歪めるアルを見てヴェーンは逃げる最中に怪我をしたのだと思い、すぐに血の匂いがしていないことに気付き、合成魔獣のアルが病気になんてかかる訳がないと混乱しつつ尋ねた。
『………………気にするな』
「いやいや気になるって、天使連中に何かされたんじゃないだろうな。お前に何かあったら俺がやばいんだよ」
アルに何かあればヘルによる最初にして最強の八つ当たりの矛先は自分になる、そう確信していた。
『……吐いてくる、直ぐに戻る』
「え、吐くってお前……やっぱ毒でも食らったんだろ。ってかあんま離れんなよ、他にも天使居るかもしれねぇのに……」
黒翼の端を掴んだヴェーンの手は黒蛇に叩かれる。
『……っ、ただの悪阻だ! この童貞が!』
「へっ、ぁ……悪かっ…………ど、童貞じゃねぇよ! って待って二匹目!? ちょっ……ぉ、おぉ……速……」
咄嗟に謝ろうとして、突然の罵倒に反論して、その前の発言に驚いて、バルコニーから飛び降りたアルが裏手に回る素早さに感嘆して──ヴェーンの感情は忙しい。
「はぁー……いや、マジかどうか分かんねぇけど…………クラール……? 弟か妹……らしいぞ」
再び椅子に座り、尾で叩かれた手の痕を見て顔を顰める。
「………………お前、綺麗な目してるよな……親両方再生能力持ってんだからさぁ……お前も、ある……よな?」
何も映さない透明の瞳を見ているうちにヴェーンの欲望は加速する。このところ家に何も連れ込むことが出来なくて、眼球蒐集と拷問の趣味を二つとも楽しめていなくて、欲求不満だった。
『……わぅっ!』
「あぁ……大人しく、大人しくしろよ、目もらうだけだから……すぐ済ませるから……」
暴れるクラールを押さえ付け、ヴェーンは後先考えずに懐から眼科剪刀を取り出す。クラールは何も見えないながら眼球用に曲線を描いた鋏の音と鉄の匂いに怯えて鳴き叫ぶ。次の瞬間、ヴェーンの意識は側頭部への打撃によって数秒間混濁した。
『……吐き気が酷いんだ、半吸血鬼を私に喰わせるなよ』
吹っ飛ばされたヴェーンは壁に身体を打ち付け、しばらくもがいた後起き上がり、我に返る。
「…………マジでごめん。いや、本当に……出来心っていうか」
『…………ヘルにはしっかりと報告させてもらう』
「待って死ぬ絶対殺される」
覚束無い足取りながらも慌ててテーブルの方へ駆け寄る。
「ほ、ほら……これやるから」
懐から密封された容器を取り出し、その中から赤いタブレットを──ヘルの血を固めた物を手の上に転がし、アルの鼻先に突き出す。
「普段魔物使いの血飲んでるんだろ? なぁ、クラール……ちゃん?」
『……ぅ? わぅっ! おとーた! おとーた? わぅ……?』
鼻を鳴らしたクラールは父親の血の匂いがしていると理解したものの、その父親が自分を抱いたり撫でたり声をかけたりしてくれないことに不安になる。
『おとーたん……? わぅ……』
『……クラール、ヘルは此処には居ないよ。けれどクラールの為に食事を置いて行ってくれたんだ、食べるな?』
「……ん? 何だよ、親父と俺の見分けも付かないのか?」
『黙れ。この子は目が見えないんだ、怯えさせてくれるな』
「へぇ……マジか、大変だなー…………なら、目、要らなく……ないですねはい大事です取ったりしませんよやだなははは」
机の上にタブレットを転がすとクラールはそれを音と匂いで探し当て、齧り付いた。
「犬って口長いからかしんないけどポロッポロ零すよな」
『……ふん、悪かったな、汚くて』
「そ、そこまで言ってないだろ……意外と面倒臭いなお前……」
さっぱりした性格だと思っていたのに……との呟きは心の中に、ヴェーンは机の上に散らばった赤い粉末を舐め取るクラールを特に何の感情もなく眺める。
『悪かったな粘着質で。狼だから仕方ないだろう』
「そこまで言ってねぇって……っていうか狼にねちっこいイメージないぞ俺」
『……どうだか』
「嫌な奴だなお前……よくこれに惚れたな。あいつやっぱ目と頭おかしいぞ……」
口の周りを赤く汚したクラールが完食宣言と「口拭いて」の吠え声を上げる。それと同時に静かで粘っこい口喧嘩も終わる。
『ここに居たんですか、探しましたよー』
そして、平穏な時間も終わる。
「誰だ?」
『……マスティマ様! どうかなされましたか?』
『天使との戦いは魔界を離れた私には難しいので……せめて奥方をお守りしようかと』
『そんな……お手数をおかけして申し訳ありません』
ヴェーンはアルの腰の低さにマスティマが相当上級な悪魔なのだろうと判断し、クラールを黙らせようと抱き上げ、赤子をあやすように軽く揺らす。
『…………それが人質ならあのガキも黙って嬲られるでしょうし、ねぇ?』
マスティマはアルの背を優しく撫で、持ち上がって揺れる蛇の頭を手に乗せ、そっとスカーフを解いた。
『マスティマ様……?』
アルはスカーフを解かれたことを認識しつつもサタンの側近であり自身の目にも悪魔だと映っている彼女を疑う訳もなく、ただ首を傾げた。
『必須悪辣十項、其の四……格殺!』
簡単な詠唱と共にマスティマの手足を実体化した魔力が覆う。使い古したグローブとブーツのように彼女の手に馴染む鉄よりも硬いそれはアルを蹴り飛ばすのに使われた。
「……はっ? お前、そいつは……っとぅわ危ねぇっ!」
ヴェーンの足を狙った蹴りは黒い霧を乱すだけに終わる。
『ダンピールのくせに霧になれるとは、厄介な奴ですね……なんて言うと思いました?』
手足を覆っていた魔力が剥がれ、今度は彼女の右手の中に集まり、ロザリオとなった。
『さぁ、灰に還りなさい!』
十字が無数に刻まれた鎖は霧に変わった吸血鬼をも捕える、はずだった。ヴェーンの首に巻かれた細い鎖は彼の首を貫通してマスティマの手に戻った。
『……へっ?』
間抜けな声を漏らしたマスティマは実体化したヴェーンの蹴りをまともに食らう。だが、ぐらつくことすらなくその足を掴む。
『今度こそっ……!』
掴んだまま足首にロザリオを巻くが、今度もやはり霧に変わって逃げられる。
「吸血鬼が何で十字架が苦手か知ってるか?」
『……神を裏切ったことへの罪悪感、そのくらい知ってますよ』
マスティマはアルの様子を横目で確認しつつ、ヴェーンに効く手を考える。
「…………俺は俺の神を見つけた、俺はあの人の……あの魔眼の信者だ。だからもうてめぇらの神には罪悪感なんざねぇんだよ、天使を足蹴にすんのもなぁっ!」
『こんなっ、蹴り……効く訳ないでしょうが!』
側頭部を狙った蹴りを止め、投げる。マスティマのその行動を利用して、ヴェーンはアルの元まで飛ばされ……途中で体の半分を霧に変えることでふわっと着地した。
「おい、アル、平気か!」
『…………何故、マスティマ様が……』
「十字架出しやがった、アイツ天使だろ」
『そんな馬鹿な……マスティマ様は、確かに……悪魔で』
アルの目にはまだマスティマが悪魔として映っている。ヴェーンはアルほどの魔力視を持たないため十字架を作り出したことで天使だと判断出来たが、感覚の鋭さが裏目に出てアルはまだマスティマを敵対視し切れずにいた。
「……ってか、お前……腹は大丈夫かよ」
『………………殻が破れたかも知れん』
「…………カラ?」
『今回は卵胎性のようでな……今の衝撃でその卵が破れて、中身が……零れていくような感覚が……』
「……零れてって……それ、かなりまずい……よな?」
『…………今でも危険だがこれ以上は確実に駄目だ。マスティマ様……いや、あの紛い物を倒して、どちらかの兄君を呼んできてはくれないか』
「は、ははっ……無茶言いやがるな……お前。そりゃ俺の神様の嫁に相応しいわ……」
ヴェーンは懐から密閉された容器を取り出し──ヘルの血を固めたタブレット残り五つ、全て丸呑みにした。
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