第689話 一途でいて

分厚い毛皮に覆われた逞しい身体を抱き締める、足に巻き付く蛇の確かな筋力を感じる。くびれた腹部を撫でて、腰から後ろ足に手を下ろしていって、手が届かなくなったら毛並みに逆らって撫でながら戻る。


『カルコスとかと比べたらさ、アルって結構痩せてるよね』


『…………肉付きの良い女が好みだと?』


『……見て心配にならなきゃどっちでもいいけどさ』


病気だとか骨折だとか、そんな心配がないのなら他人の体型なんてどうでもいい。


『御心配無く、私は狼として完璧な体型だ』


『種族的な問題? そっか……ならいいんだ。出産とかそういうので体調悪くなっちゃってないかなって思ってさ』


『産んだ実感は無い』


それは僕のせいだし、アルに他意は無いだろうけど、そんな堂々と言わないで欲しい。


『……痛っ! ぁ、クラール起きた。アルどいて』


寝返りを繰り返して僕の髪に絡まったクラールが起きてもがいている。アルにどいてもらって上体を起こして髪を解いて──と順序よくいきたいのだが、服の中に頭を突っ込んだアルは中々動けないでいる。


『ま、待ってくれ、直ぐに……』


『落ち着いて、アル、ゆっくりでいいか──らぁっ!? 痛た……』


元々余裕のある服ではなかったので真っ直ぐに後ろに下がらなければならないところをアルは体を起こしてしまった。抜けないことに焦って首を振り、僕とクラールを道連れにバランスを崩してソファから落ちた。


『すっ、済まないヘル、大丈夫か? 背中を打って……あぁ、済まない、何故私はこんなふざけた真似を……』


『ん……クラールは?』


『あぁ、一緒に落ちたクッションの上だ』


枕替わりにしていた物だ、助かった。

まず床に寝てアルに服の中から頭を抜いてもらい、それから起き上がってクラールを救出。すっかり伸びてしまったシャツを整え、食事を準備する。


『そろそろ固形物を与えても大丈夫だろう』


『そうかなぁ……まぁ、アルが言うなら。栄養価とか大丈夫? 僕の血ってすごいんでしょ?』


『触れ合いを増やせば問題無い。それにこの大きさならそろそろ太る頃だろう。貴方の血は吸収効率が良過ぎる』


魔獣に関してはアルの方が詳しい。言う通りにして問題無いだろう。


『じゃあお父さんが手料理を……』


腹が減ったとぐずるクラールをアルに任せ、冷蔵庫に手を伸ばす。しかし、伸ばした僕の手によく似た手が冷蔵庫の扉を押さえる。


『……キッチンは僕の城、お兄ちゃん禁制』


『君と遊んでる場合じゃないんだよフェル、クラールにご飯作らないと』


『クラールちゃんに変なもの食べさせちゃダメでしょ、お兄ちゃんそこで待ってて』


『変なものって……流石にクラールのご飯でチャレンジ精神燃やしたりしないよ』


『…………分かった』


ようやく分かってくれたか。フェルの横を抜けて通り手を洗う──背後から後頭部を思い切り殴られて、意識を失った。



起きた時にはもうクラール用の離乳食とお試しの固形食は完成していて、アルに見守られながらがっついていた。


『起きたか、ヘル』


『……起きたかじゃないよ』


床に皿を置いて食べさせると逆立ちしてしまうクラールの腰を押さえて、浮いたり震えたりの後ろ足を楽しむ。


『貴方の分の夕食も直に完成する。私の分もな。クラールが食べ終わったら席に行こう』


『んー……』


料理阻止の為に殴打まで受けた僕に対しアルは普通に接してくる。納得いかない心地悪さを感じながら、その苛立ちをクラールで浄化する。



フェルに殴ったことへの文句を言いながら食事を終え、クラール用に牛乳を温めていると突然机の上に鞄が現れる。ひとりでに留め具が外れ、跳ねるように開き、内側の深淵から蝶を模した仮面を着けた男が現れた。


『マンモン……? びっくりしたー……』


『はぁーい魔物使いくぅ~ん、良い知らせがあるわ?』


聞け、とでも言いたげな瞳が仮面の下に。上半身だけでも分かるがっしりとした男の体型から発せられる甲高く女性的を装った声は何度聞いても慣れない。


『…………なんですか?』


『魔物使い、てめぇは今から国王だ』


突然声が低く変わっただけでも驚くのに内容が吹っ飛び過ぎていて、僕は言葉を失った。


『娯楽の国は一応国王立てて俺の管理は経済とか裏とかそういうのなんだよな。でも酒色の国に人間はほぼ住んでねぇから王とか要らなくて、国としての運営はアシュメダイがやってたんだよ。で、居なくなってからは側仕えの賢めの淫魔共が頑張ってたり俺が手ぇ貸したりしてたんだが、そろそろキツい』


第一声は驚いただけで何も伝わってこなかったが、詳しく聞けば理解出来た。


『側仕え以外の淫魔や貴族共にはアシュメダイの失踪なんて知らせてねぇ、どえらいことになるからな。外に出たくねぇって言ってるって言い続けるのも限界なんだ、大事な話が──って奴待たせんのキツいんだよ』


『……僕が国王ってどういうこと?』


『娯楽の国で俺がやってるみたいに、他の国と同じように……つまり王権神授だ、悪魔だがな。アシュメダイはそれをしてなかったが、やっとやったって言おうってのが俺の策』


それをするにしてもアシュメダイは一度国民の前に出なければならないだろうし、余所者の僕では不満が出るだろう。有力貴族からは特に。僕はそんな心配事をめちゃくちゃな順序で話した。


『それは大丈夫だ。酒色の国に居るのは吸鬼、あとは呪いに侵された人間……分からないかしら? 魔物使い、でしょ?』


『……洗脳しろって?』


『やだ、人聞き悪いわね。国王になるんだから言い方には気をつけて。暗示、くらいでいいじゃない』


だから僕に国王を──と言ってきたのか。ただ王権を授けるだけなら、代替わりするだけなら誰でもいい。僕でなければならなかった理由があったのだ。


『…………分かった。何すればいいの?』


『明後日王権神授……いや、魔授? を発表する。広間で演説、国中に中継だ』


明後日、か。覚悟を決める時間には十分だが演説を考える時間には心もとないな。


『お兄ちゃん大丈夫なの? 王様なんて……僕なら逃げちゃうよ』


重圧は恐ろしい程にあるだろう、けれど──


『フェル、僕は魔物使い。この世界の魔性を支配する魔物の王なんだよ。この程度の規模の国の王くらいで動揺してらんない』


『……手、震えてるけど』


『…………牛乳、零しそうだから持ってってもらっていいかな、フェル……頼むよ』


格好付けようとしたが失敗した。僕の器なんてそんなものだ。


『国王になりゃ好きなこと出来るぜ? 見た目もアッチも最高の淫魔大量に集めて、取っかえ引っ変え一日中ヤリっぱなしでも構わねぇ。国王つっても飾りだしアシュメダイもそんな感じだった』


マンモンは仮面に隠されていない口を嫌らしく歪め、鞄から身を乗り出して僕を誘惑する。


『ボンキュッボンのかわい子ちゃんも、まな板スレンダーなクールビューティも、アシュメダイの趣味でいくらでも揃ってる。全員サキュバスだから男、インキュバスにもなれる……ソッチは興味無いか? まぁとにかく、絶対気に入る子が居る。それとヤるもよし椅子にするもよしサキュバス同士でヤらせて眺めるもよし掃除させるもよし……』


懐から何枚かの絵を……いや、これは写真とかいうやつだ。話に出た淫魔が映った写真を取り出し、順に僕に見せていく。どれも絶世の美女と呼ぶに相応しく、また多種多様、ついつい見入ってしまった。


『…………ぁ』


『ん? 好みか? 好みだな? 母性系巨乳セミロングおねーさんが好みなんだな?』


『えっ、ぁ、いや、そういうんじゃ……ただ、綺麗だなって』


嘘だ、好みだ、ドストライクだ。


『正直になれよ、好みのかわい子ちゃんなので今すぐにでも会ってヤリたいですって』


そこまでではない。


『……確かに、美しい女だな』


とっ、と肩に大きな頭が乗り、低い声が耳元で響く。


『ヘル、貴方が気に入ったのはどっちだ? 顔か? 身体か? どちらか片方なら持って来てやるぞ』


マンモンは無言で僕が持っていた写真を取り上げ、音もなく鞄の中に戻り鞄も消えた。

僕は早々に逃げたマンモンを恨みながら閉め出された部屋の前で土下座して夜を過ごした。

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