第651話 本歌

食事も酒も一級品、味音痴の僕には勿体ない。そう思いつつも僕は宴に心躍っていた。ここにアルが居れば、皆が居れば、もっと楽しかっただろう。


「鬼様、お連れの仔犬様にこちらはどうでしょう。骨を抜いて崩した焼き魚です」


『ありがと。クラール、お魚だって』


『おしゃかなー?』


これなら僕が咀嚼したりスプーンで潰したりする面倒はない。気遣いに感謝し、また酒をあおる。ここには何をしに来たんだったか。


「鬼様、鬼様、ささ……もっとお飲みください」


両隣にぴったりと引っ付いた女達が酒を勧めてくる。そろそろ断った方がいいだろうか、これ以上飲んでは潰れてしまう。


『…………すいません、そろそろ……僕、ここに用事が』


用事があったはずだ。けれど、何も思い出せない。


「お食事はもういいのですか?」

「ならば食後にお湯割りでも」


『ん……』


断るつもりだったのに飲み干して、胡座の上に乗せたクラールが二つに見え始めた。


『……あの、もう……酒は』


「お酒のお代わりですか?」


勧められる酒を手で押し返すと、右隣の女が僕の手を押さえて左隣の女が口に器を押し付けてきた。顔を背けても押し付けられて、口を閉ざしても顔にひっくり返される。


『もう……いいってば!』


女の手を払う、空っぽの器が畳に転がる。くすくすと笑う声を両側から聞いて、視界が歪む。


『…………何? 動かない……?』


酔っ払うと真っ直ぐ歩けないだとか、しっかり立てないだとか、そういったものは聞くけれど、手足が全く動かないなんて症状聞いたこともない。始めは動いていた首も麻痺して、そのうちに眼球や舌さえも動きを止める。

僕の腕を持ち上げて落とし、僕が動けなくなったことを確認すると、女達は鐘を鳴らして足早に部屋を後にした。


『おとーたー……おしゃかな! おしゃかな! おとーたん!』


クラールが跳び回っているが撫でることも見つめることも出来ない。ばたばたと足音が聞こえて襖が開け放たれ、大勢の刀を持った男達が現れる。女が鳴らした鐘は彼らを呼ぶものだったのだろう。


「鬼一匹に犬の小妖一匹か」

「神便鬼毒酒を呑ませたんだろ? 余裕だな」


何を飲ませたって? 毒か? 身体が動かなくなったのはそれか? クラールは元気に動いている、クラールの分には入っていなかったのか……食事は予め用意されていたものだ、毒はおそらく妙に勧めてきたあの酒だ。勧められたからと言い訳して熱く蕩ける最高の酒に惹かれて──なんて馬鹿な真似を!


『おとーたぁ? おとぉ、たん! おとーた!』


クラールは状況を理解出来ていないだろう。目も見えていないのだ、父親の危機だなんて分からない、分かる必要もない。


「いっ、犬が化けた!?」

「違う! 別のヤツだ!」


体が動かなくても願うことは出来る。僕を庇うように立ちはだかる半透明の犬──カヤ、そしてその頭の上の小烏。


『御主人、サマ……嘑?』


『お任せください主君! この小烏と茅殿にかかれば雑兵共などけちょんけちょん! ささ、若君は主君のお膝にて隠れ鬼を……』


小烏の言葉は通じていないようで、クラールは増えた声に怯えて僕の足の上を動き回っている。


『ええい仕方ありません! 主君にも若君にも近付かさなければ良いだけの話です! さ、茅殿……やっちゃいましょう!』


カヤは頭の上に乗っていた小烏を振り落として咥え、前方の男に投げると僕の背後に忍び寄っていたらしい男に噛み付いた。喉笛でも噛みちぎったか頭から血を浴びる。ごとりと音を立てて首のない死体が倒れた。

投げられた小烏はといえば、首から血を噴き出した男の肩でわたわたと翼を羽ばたかせていた。そんな小烏を掴み取った別の男はその手の指を落とし、小烏も落とした。


『この小烏に切れない物はありません! さて茅殿、そろそろ回収してくださいまし。私自力では飛べませんゆえ』


刀に取り憑いた……刀が変異した? まぁとにかく刃物に関する妖怪だけあって、触れたものに切り傷を与える力があるようだ。カヤは僕を守るのに集中していて小烏を迎えに行く様子はない。

半分ほど倒し、残りの者達も後ずさるようになった頃、小烏の背後の襖から着物の色が違う男が現れ、刀を抜いた。振り向いた小烏は絶叫し、部屋の隅に走った。


『しっ、し、し……獅子ノ子様ぁ!? なっ、何故……何故こんな所に!』


「……この刀を知っているか、鳥の妖め。小さい頭の割に博識だな。だが、名前が違う……これは今は友切と言う!」


『ひぇえっ!? わっ、私はもう切る必要はありませんーっ! どうかお納めを!』


小烏は振り下ろされた刀を躱し、机の下を走ってカヤの足元に戻ってきた。カヤの迎えを待たずに始めからそうしていれば良かったのに……


『小烏……あれ、何。退魔の剣とか?』


『主君! 話せますか、もう回復してきましたか!?』


『いや……まだ』


『神便鬼毒酒は鬼に効くものです……主君、主君への効き目は通常の半分以下かと!』


効き目が半分以下だとしても量がまずかったのだろう。毒のせいかなかなか集中出来ず、上手く自由意志の力を使えない。言葉を発して指先を震わせるので精一杯だ。


「さぁ……再び刃を鬼の血で濡らせ、友切よ!」


机を蹴り飛ばして進む男を迎え撃つため、カヤが構える。だが、男は妙な動きをして部屋の端に控えた男を切った。


「なっ……何をしている!」

「気でも違ったか貴様!」


刃先が僅かに触れただけに見えた、服が数枚裂ける程度の振りに見えた。だが、切られた男は首の横から胸の下にかけて斜めの直線を描いて割れた。骨などなかったかのように、綺麗に切れた。


「……ち、違うっ! 違う、俺はこんな……!」


味方を切ってしまった男は反論しようとして、何かに腕を引っ張られるような動きをしてまた別の味方を切った。明らかに刃が届かない位置に居た者も切った。


『………………獅子ノ子様?』


小烏がそう呟くと男が持っていた刀が弾き飛ばされたかのようにひとりでに男の手を離れ、僕の足のすぐ前の畳に突き刺さった。にゃあんと鳴き声が聞こえて眼球を無理矢理動かせば、器用に鍔に乗った小さな薄橙の猫を見つけた。

男は悲鳴を上げて部屋を出て、部屋に生きている敵が居ないことを認識したカヤは僕に寄り添って消えた。


『……名は体を表す、と言うだろう?』


『猫が喋った……!』


猫はしなやかな動いて柄に前足をかけ、欠伸をする。


『友を切る、その役割を求められた……そうだろう私の写』


『へっ!? はっ、はい! その通りで御座います!』


この猫も小烏と同じように刀に取り憑いた妖怪なのだろうか。意地の悪い笑い方をする猫だ。


『例え真意が違えども言霊はそう働いた。友切なんて随分と演技の悪い名だ、片割れとも離れた、私の家はここではなかった……となれば、無礼なこの家は滅びが似合う。そうだろう私の写』


『仰る通りで御座います!』


『……そもそもだ、お前は私の友か? 違う、写だ。ただ切った訳でもない、私を写したくせに私より長かったから整えてやった。そうだろう私の写』


『そのとぅおぉーり! で御座いますぅ!』


『…………ねぇ猫さん、助けてもらっておいて何なんだけどさ、関係ない話はやめて……えっと、そうだ、クトゥルフ様を探しに…………そう、人魚、人魚どこに行ったか知らないかな』


小烏の声が段々と震えてきた。話を遮られた猫は不機嫌に唸って、前足を鍔に戻した。


『人魚など知るか』


『……そう。じゃあ、毒を早く抜く方法とかは』


『そんなもの知るか』


鍔に器用に寝転がり、黒いポンポン付きの尻尾を揺らす。姿は可愛らしいが態度は可愛くない。


『…………そう、分かった。じゃ、毒が抜けるまでここで待つしかないか……』


『犬に運ばせればいいだろう』


『……頭いいね君! カヤ、カヤ来て!』


『待て、知恵を貸した礼をしろ。鞘に戻せ、いやその前に手入れだ、まず血を払え、錆びてしまう』


動けない僕に対して無茶を言ってくれる。だが、恩があるので無視は出来ない。手は辛うじて動かせるから、カヤに持たせて血を拭うくらいは出来るだろう。

麻痺した体に自由意志の力を流し込んで無理矢理に動かすのはとてつもない苦痛だ。刀を鞘に納める頃には手が吊ってしまっていた。

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