水底より甦りし邪神

第650話 信者探し

荷車を盗み、その上にツヅラの身体を使っているクトゥルフを乗せる。ツヅラは人に化けて二本の足で歩き回っていたが、クトゥルフは自身の体ではないからなのか化けようとしない。


『ふわわ……眠い…………ん〜もうちょっと寝る予定だったからなぁ〜……早い復活は、嬉し……け、ど…………』


井戸の水を汲み、盗んできた手拭いに染み込ませて魚である下半身に被せる。湿らせておく必要があるのかどうかは分からないが、あまり乾燥すると鱗がどうにかなってしまいそうで怖いのでこうしておく。その上から布団をいくつも被せて完全に隠す。これで荷物を運んでいるようにしか見えないだろう、人魚を狙う輩に狙われることはない。


『よっ……と、確か、海辺の集落なんだけど……どこだろ』


クトゥルフを崇める者、つまりは同志、門を超えた先で訪れた彼らの集落はどこにあるのだろう。海近くの町に降りてはみたが、ここではなさそうだ。人に聞くのが一番かと、片手でクラールを抱えて荷車を引いて歩く。


『…………聞くのが一番、ね』


僕に聞き込みが出来るとでも? 数十秒前の自分を嘲笑う。大通りに出たはいいが見た目と荷車のおかげで目立って仕方ない。話を聞くにはいい傾向だが、萎縮してしまう僕にとっては悪い傾向だ。


『……店、って結構いいかも』


繁盛している団子屋に目が向く。決して甘いものを食べたくなった訳ではなく、こういった店なら聞き込みも楽かと思っただけだ。


『…………んー! もちもち……香りもいい……!』


繁盛する訳だ。荷車に腰掛けて串に刺さった団子を頬張り、食感と香りを楽しむ。強い甘味ではないから味はよく分からない。


『わぅー……わんわん!』


『ん? どうしたの、クラール』


クラールは必死に吠えて、時折に僕の服を噛んで引っ張った。こんな町中で吠えられては困るとあやしてみるも、効果はない。


『お団子欲しいの?』


『わぅぅ!』


『んー……でも、いや、アルの子だもんね。普通の犬じゃないし……大丈夫、だよね?』


僕の言葉はクラールに通じないし、クラールの言葉は僕に通じない。クラールが人間の言葉を話すのは鳥が真似ているのと同じで、意味も分からず音を覚えているだけなのだ。アルなら同じ狼として意思疎通も可能だけれど、今はアルには会いたくない。アルはクラールを何度も喰った。アレが夢だとしても割り切れない、時間が欲しい。


『……ぁー、ん』


詰まらせてはいけないので小さく噛み切って少し噛んだ後に与える。荷車の影に隠れていたが、そこのお前と声をかけられる。


「おい、こっちを向け!」


『……僕ですか? 何か……?』


クラールを地面に降ろし、見慣れない格好をした男達から隠す。


「……貴様、外つ国の者か?」


『とつくに……? よく分かりませんけど、旅行者です。知人に会いに来ました』


「……この荷物は?」


『布団です』


布団を重ねているようにしか見えないはずだ、何故布団を持ち運んでいるのかと聞かれると旅行者と言ってしまったので言い訳は難しいけれど。


「何故布団を……まぁいい。証明書を見せろ、港で判を貰ったろう? それだ」


判を貰っていないどころか持っていない。まずいな、不法入国がバレると面倒だ。逃げるのは容易だが聞き込みが出来なくなる。


『おとぉた!』


クラールの元気な声が聞こえて視線を下げればクラールは居ない。どうやら荷車の下を通って向かいに──男達の足元に行ってしまったようだ。


『おとーしゃん?』


男の足に前足を当てて、僕だと思っているのか可愛らしく首を傾げている。


「しゃ、喋る……犬。妖だ! 払い給え──」


『クラールっ!』


荷車を飛び越えてクラールを抱き締め、大通りの真ん中に転がる。


「妖を庇った……貴様、貴様も妖か! 妖に魅入られた人非ずか!」


『……お、おとーた…………あはは、僕ですよ。腹話術……です。これも、本物の犬じゃなくて……台詞に合わせて口が動く……物、で』


裏声を出してみてもクラールの可愛らしい声には似ない。男達も怪訝な顔をしている。どうにか言い訳出来ないかと焦っていると、荷車に積んだ布団が蠢いた。


『……暑い! ふわぁ……ぁ、眩し』


布団を跳ね飛ばし、上体を起こしたクトゥルフと振り返った男達の目が合う。


「にっ、に……人魚だ!」

「貴様っ、こんなモノを誰に売るつもりだ!」

「帝に献上せねば……」


男達は思い思いに喚く。クラールから意識が逸れたのはいいが、クトゥルフも同じくらいに大切な僕の神様だ。魚の下半身は作り物だと言おうか、大道芸人とでも──


「我が声を聞き入れ目覚め給え、我が式となりて我が手足になり給え……飛べ、鳥よ!」


『お? ぉ〜……』


男達の一人が懐から紙を取り出し、ふっと息を吹きかけてクトゥルフに飛ばす。紙は巨大な鳥となってクトゥルフを咥え飛んで行った。


『わ〜、たか〜い、はや〜い、すご〜い』


『クトゥルフ様っ!? やっ、やば……』


鳥はあっという間に見えなくなる。飛んで追いかけても意味は無いだろう。


「貴様、今……何と言った?」

「まさか、貴様っ……半魚人共の……」


男達は僕に向き直る。丁度いい、彼らにクトゥルフをどこへやったか聞いた方がいいだろう。


「あの魚連中の手先か! やはり妖だな、正体を……っ」


歩み出てきた男の頭を掴み、地面に投げ付ける。


『……クトゥルフ様、どこにやったんですか?』


力を入れ過ぎてしまったのか、足元に倒れた男はピクリとも動かない。死んではいないと思うけれど。


「鬼……だと。ぐ…………二大勢力は消えたと言うに、まだ湧くか!」


『次はあなたですか?』


鋭く伸びた爪を見せびらかすように手を突き出すと、刀を抜こうとした男の手が止まる。背後の男達と二、三相談すると、刀から手を離した。


「……人魚の元へ案内しよう。だからどうか、手を下げてくれないか」


『…………話の分かる人で良かったです』


手を下ろし、角を消し、爪を戻す。鬼の怪力のまま、鋭い爪のままでクラールを抱いていると傷付けてしまいそうで怖いのだ。

男達は懐から紙を取り出し、息を吹きかけて紙を巨大な鳥に変える。鳥は男達と僕を咥え、首を回して背に乗せると凄まじい速度で空を飛んだ。


『速っ……クラール、大丈夫?』


風を受けないように庇って、風の音に怯えて震える小さな身体を抱き締める。程なくして鳥は地に降り、元の紙へ戻る。その紙は何十年も経ったかのようにボロボロになっていた。


「ここで少し待ってくれるか。人魚は先に届けたから受け取った連中と話を付けなければ」


『僕も行きますよ、その方が早く済みますし』


「いっ、いやいやいや! 大丈夫! すぐ済ます!」

「ここでお待ちください、宴の用意も出来ていますから!」


数分前に着いただろうクトゥルフを連れてくるのよりも宴の用意をする方が時間がかかるだろう。そう思っていたのだが、通された部屋は完璧な宴の席だった。別の宴会が僕用になってしまったのだろうか、悪い事をしたな。


『……まぁ、クトゥルフ様も何か食べたいだろうし……ちゃん連れて来てくださいよ』


ここで押し問答をするよりも提案に乗った方が早いと、案内された席に座った。決してクラールに刺身を食べさせたいと思ったのではない、腹が減っていたのでもない、効率を考えたのだ。

真っ赤な刺身を一切れ口に含む。舌が痺れることもなく、口内に痛みが出ることもなく、魚ではない匂いがすることもなかった。再生しないように意識して三十分経っても身体に変化がなかったらクラールに食べさせよう。


「……あの、鬼……様?」


畳の上を音もなく忍び寄り、僕の顔を覗き込んで微笑む女。艶やかで美しい。


「お酒はいかがでしょう」


小さな器に透明の酒らしい液体が注がれる。酒が飲める年まで体が成長することはないが、不老不死の今酒を怖がる理由はない。酩酊への好奇心もそれなりにあるし、アルと共に飲もうと決めた。練習しておかなければ。


『……ありがとう』


受け取った酒を一気に飲み干す。顔が熱くなることもアルコールに吐き気を煽られることもない。味はよく分からないが香りはいい、水やお茶よりずっと美味しい。

僕は器を女に返して追加を要求した。

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