第501話 紛らわしい神
表情こそあまり変わらなかったが、兄は嬉しそうにセネカに魔法をかけた。角と翼と羽が消え、セネカは派手な格好の不審人物になってしまった。
「セネカさん、その……書物の国の人はみんなもう少し大人しい服を着ているので」
臍と肩甲骨を晒さず、胸の谷間を強調せず、ガーターベルトを見せつけるような短いスカートを何とかしろ、そう言外に伝えた。
『そっ、そうだね。変身しておくよ……』
セネカは僕と同い年に見える少年になる。服装も微妙に変化したが、相変わらず背中はぱっくりと開いている。まぁそれはベルゼブブも同じだし、見えていないとはいえ翼があるのだから仕方ない。
とりあえず大図書館に行こうと意見は一致し、その前に何か食べたいと喚くベルゼブブの為にサンドイッチを買って噴水広場のベンチに座った。
『……微妙なお味ですね』
「後でお金返してよ、もうあんまりないんだから」
金を持ってそうな見た目をしておいて、地獄の帝王という立場にふんぞり返っておいて、ベルゼブブは財布を忘れたなんて言っていた。
ついでに買ったジュースを飲みつつ噴水を眺める。水飛沫は鬱陶しいが虹が見えることもあって噴水は好きだ。今日は残念ながら虹はない、だが、陽光を反射する水はそれだけで美しい。
落ち着いた気持ちで噴水を眺めていると、視界を遮る影が一つ。黒いローブを着た細身の青年だ。
『はっあーい! 久しぶりぃ! ナイ君だよぉーん!』
『……殺す!』
微妙な味と言いながらちまちま大事そうに食べていたサンドイッチを丸呑みし、ベルゼブブは戦闘態勢に入る。
「魔力は供給し続ける! ベルゼブブ、思いっきりやって!」
『えっ、何、嘘、そんなに!? そんなに嫌いなのアレ!? 待てよ、俺だって俺、おーれ!』
ローブを脱ぎ捨て、紫を基調とした装飾過多のパーカーを晒す。地に落ちる寸前にローブは消え、青年の髪の色が紫に、瞳が赤色に変わり、肌もどんどんと色を失っていった。黒いサンダルが紫色のヒールブーツに変わると、青年はビシッとポーズを決める。
『俺様俺様、ロキ様だぜ!』
『…………何様だろうと関係ありません。私の食事を邪魔するなんて万死に値します!』
『えっ嘘、野蛮だわー、引くわー、異界の野蛮さにロキ様ドン引きだわー』
『待ってくださいベルゼブブ様、この者は敵ではありません!』
アルがロキの前に仁王立つ。ベルゼブブは僕に一瞬視線を寄越し、腕を下げた。
『おっ、やっぱ狼は俺の味方ぁ~ん。んー可愛いな、もふもふしてやる!』
『……本当に敵ではないんだな?』
『俺様狼大好き!』
ロキの手がアルを撫で回している……
「ベルゼブブ」
『何ですか?』
「あれ、瀕死にして」
『はぁ!? なんで!? 待って待ってお姫様! 覚えてるよな、俺のこと忘れてないよな! あれって言うなよ俺様はロキ様! アスガルドきっての親切な神様!』
そういえばロキは僕のことを「姫」だとか呼んでいたな。軽口から始まった屈辱的なあだ名だ。彼には恩があるが、色々と腹が立つ。
「……ロキ」
『おぅよ、思い出したか?』
「…………アルに触らないでよ」
『え、それで怒ってんの姫さん。相っ変わらず変なやつ……』
変な奴だなんてロキには言われたくない。
傍に戻ってきたアルの毛並みを整える。ロキの撫で方は乱暴でぐしゃぐしゃになってしまっていた。その恨みも含め、再度睨む。
『つーかお姫さん髪と目何か違くね?』
『……なぁロキ、ヘルの事を姫呼ばわりするのはやめてもらえないか。ヘルはこれで男らしさに憧れている節があるのだ』
「これでって何」
アルとは「男らしさ」の定義から小一時間は話さなければならない。
『ヘルじゃ俺の娘と同じ名前なんだよなー、ややこしいじゃん。ならシャフトって呼ぶけど』
『棒っぽいですね。ところでロキさん』
『へいなんだねベルゼブブさん』
ベルゼブブは僕と違ってすっかり落ち着いている。悪魔にとって神性は大概敵だと思っていたが、彼女はナイ以外ならそこまで敵視はしないらしい。
『……貴方本当に神なんですか? 威厳がありませんよ』
『うっわー! おま、お前……それ! よく言われるー!』
『こういうノリだけで生きてそうな奴嫌いなんですよね』
膝を叩いて笑うロキを鬱陶しそうに見ながら、ベルゼブブは吐き捨てる。
『はっはは、ひっでぇ! 辛辣ぅー!』
何だろう、以前会った時と様子が違う。浮かれているような、調子に乗っているような、とにかく明るくて鬱陶しい。
「……何かいいことあった?」
『めっちゃいいことあった! 聞いてくれよ、あのな──』
「そう、良かったね。じゃあ僕達これから図書館行くから……」
『聞いてけ聞いてけ聞ーいーてーけぇー!』
「鬱陶しい」
声に出すつもりはなかったのに、つい心の声が漏れてしまった。
『神様に向かってなんて口のきき方だよ、神罰くらわすぞ』
「……どうぞ」
失言は僕の不手際だし、ロキに神罰なんて与えられる訳がない。そう思って軽く返事をし、図書館に向かうため踵を返す。踏み出した足をロキに掬われ、派手に転んだ。
『神罰、どう?』
ローブの魔法のおかげで痛みは全く無いが、腹は立つ。
『……ヘルに何してくれてんの』
『お、久しぶりじゃんクズ。お前も居たの、とっとと死ねばいいのにしぶといな』
『…………トールは?』
『知らねぇぞ? 俺がこっち来るより前にこっち来たはずだけど、こっちでは会ってないし』
トールは少し前にアスガルドに帰ったが、その時にはもうロキはこちらに来ていたと。
『……戻ってきたら殴ってもらう』
『やめろよ死んじゃう』
『おや兄君、気弱ですねぇ。自分が実行するという意志を持ってこそ目的は達成させるんですよ? おそらく目的は同じですし、一緒にやりません?』
『なんでみんな俺のこと嫌ってんの?』
どうして僕に聞いてくるのか、そう質問を返したい。僕は別に嫌ってはいないし、ベルゼブブもふざけているだけだろう。本気で嫌っているのはおそらく兄だけだ。
「……邪神だからじゃないですか」
『俺様邪神じゃねぇよ! 超善い神様だぜ!?』
「…………ロキが海岸作ったせいで海賊とかが攻めてくるようになった島があるんだけど……」
そうだ、植物の国のことを言っておいてやらなければ。
『んー、まぁ、何だ、その、ゴメン』
素直に謝った……? そんな馬鹿な。
『今度壁作っとく、許して?』
「あ……うん」
『なんだよその顔』
「…………邪神って言ってごめん」
『おぅ! 事実だからいいぜ!』
邪神じゃないと反論してきたのは何だったのか。ダメだ、ロキと話していても疲労が溜まるだけで何の意味も無い──いや、植物の国を元に戻す約束を取り付けられた、価値はあったのだ。
『まぁどっちかって言うと悪神だけど……ま、変わんねぇし。図書館行くんだって? 着いてっていいよな、暇なんだよ』
「何かあった時協力してくれるなら」
『暇だから何でもやるぜ!』
神や悪魔の言う「退屈」は人間よりも深い意味を持つ。人間からすれば永遠に近い時間を過ごす彼らにとって、退屈は常にある苦痛だ。
ずっと暇だなんて羨ましい限りだけれど──それはそれで辛いのだろうか。
「ロキはなんでこっち来たの?」
『あー……脱獄? 逃亡中だぜ』
ロキは酷い結果を招く悪戯を何かにつけて繰り返す。他の神々も辟易していただろう、多少行動を封じられても仕方ない。
『最近星動いてるしな、そろそろ面白いことになるかもってのが主な理由だ』
「星……? ふぅん……」
退屈を嫌い悪戯を好む。常に刺激を求め続ける類の性格は強い力を持ってはいけないとしみじみ思う。
僕はロキとの話を適当に切り上げ、大図書館の巨大な扉を開けた。
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