第502話 懐かしい悪魔達

大図書館の中はとても静かだ、自分の心音が聞こえてきそうな程に──いや、ロキのコツコツと響く足音が嫌に耳につく。


『……ところでさ、神様。僕達は普通の人間に見える魔法かけてあるはずだけど、なんで分かったの?』


『俺様には何でもお見通し……なんつって。見覚えのある狼が居たからな、軽く話せば誰が誰だか分かるし。それにお前、すぐ俺を対象外にしただろ? 助かったぜ』


『…………神様にも通用するなら安心だね。ね、ヘル。安心だろ? お兄ちゃん頼りになるよね』


適当に肯定の返事をし、館内を歩く。アスタロトももう少し詳しく教えてくれたら良かったのに。


『ヘルシャフト様、何でここに来たんです?』


「んー……何でかなぁ。アスタロトがこの国に求めるものがあるからって……」


『……アレはあまり信用しない方がいいと言ってるでしょう。何かあっても知りませんよ』


重宝していてもおかしくない能力なのに、何がそんなに気に入らないのだろう。


「何かあったら助けてよ」


『…………お兄ちゃんが居るでしょ?』


肩に手が置かれ、条件反射なのか身が強ばる。


「あ、ぅ、うん、頼りにしてるよ……」


面倒だ。やはり兄とベルゼブブは離しておいた方がいい。

空間転移の術や戦力面での問題だから仕方がないのだが、どうしてこう面倒な者ばかりを連れ来てしまったのだろう。鬼達は酒だなんだと別の意味で面倒だが、僕に精神的疲労は与えない。メルやセネカなんて服装が心臓に悪いけれど話していればむしろ癒される。

それなのに、特に精神衛生上良くない二人を連れている。ロキが二人を引き付けてくれたら嬉しいのだが……


『……ねぇ、ヘルシャフト君。悪魔の気配がするよ?』


くい、とセネカが僕の腕を引く。同い年の少年のような見た目は弟のように思えて癒される。


「多分知り合いです。どっち居るか分かります?」


『あっち、受け付けの方かな』


それならアガリアレプトの方だろう。マルコシアスとは気まずくなりそうだと思っていた、丁度いい。


「……あの、司書さん」


『はい、何か』


眼鏡の奥の灰色の瞳が僕を捉える。しかしそれ以上の反応はなく、彼女は僕が用事を言うのを待っている。認知湾曲の魔法を思い出し、兄に目配せする。


『…………おや、いつぞやの少年。お久しぶりです』


「あ、はい……お久しぶりです」


『なぁなぁ今日はあのパッツンちゃんいねーの?』


『貴方は……ストーカーでしたね、お帰りください』


「ロキ、邪魔……」


ロキを押しのけ、何かを探していると自分でも訳の分からない相談をした。彼が誰をストーキングしているのかは知らないし知りたくもない、そんなものに邪魔をされる訳にはいかない。


『……ねぇヘル、何もなさそうだし……ちょっと本見てきていい?』


「あ、うん。いいよ」


『ごめんね? どうしても気になってさ……何かあったら呼んでね』


『…………ヘルシャフト君、ボクもいいかな』


「はい、好きにしてください、多分安全ですから」


アガリアレプトが僅かに俯いて考え込んでいる間に兄とセネカが図書館を図書館として楽しみに行った。


『ベルゼブブ、君はいいの?』


「……料理本の写真が食べられるなら行くんですけどね」


そう言って悲しげなため息をつく。

視界の端にアガリアレプトが顔を上げるのが見えて、分かったのかと視線を戻す。


『少年、そういった質問はマルコシアスにすべきです』


「え……どうして?」


『私は秘密を暴くことは出来ますが、その方が自分でも理解していないことを見抜くことは出来ません。なのでここはマルコシアスに聞くべきです』


マルコシアスはどちらかというと戦闘が得意な悪魔で、アガリアレプトがそのサポートだと勝手に思っていたのだが、彼女も探し物が得意なのだろうか。


『呼び出しましたので、しばしお待ちを』


「呼び出した……? そ、そうですか、ありがとうございます……」


マルコシアスの姿を最後に見たのはルシフェルとの戦闘中だったか。その後グリモワールも回収していない、やはり気まずいな。

逃げ出してしまおうかなんて考えも浮かんでしまった頃、黒いスーツ姿の美女がこちらに向かって来ているのに気が付いた。切り揃えられた黒髪に切れ長の黒い瞳──間違いない、マルコシアスだ。


「……あ、あの、久しぶり──」


とりあえず挨拶をしようとしたその時、視界を紫に奪われる。


『いやぁ久しぶりだね可愛いお嬢さん! 会いたくって会いたくって俺様としたことが一週間以上悪戯出来てねぇんだ、ほんっと……君には運命を感じる!』


ロキが僕の前に回り込みマルコシアスを口説いている……のか? 何だこれは、何が起こっている。


『……アーちゃん、用ってこの男のことかな?』


『違います』


マルコシアスはロキを押しのけ、受け付けに手をついてもたれかかる。腰をひねって振り向き、アガリアレプトと視線を交わす。


『だったら何かな?』


「……あ、あの、マルコシアス……様」


『この子かい? 君は……僕と取引したいのかな? まず名前を聞こうか』


僕は再び忘れていた認知湾曲の魔法を思い出し、兄を探し、兄は好みの本を探しに行ったのだと思い出し、フードを脱いだ。


『……ヘルシャフト君? ヘルシャフト君なのかい?』


「…………はい、お久しぶりです」


目を閉じ、軽くお辞儀をする。肩を掴んで引き寄せられ、頭を抱き締められ──顔に胸を押し付けられる。


『会いたかったよヘルシャフト君! 探すにも魔力が足りなくてね……元気そうでよかった』


スーツ越しにも分かる柔らかいものに鼻と口を塞がれ、何も答えられない。息苦しさに彼女を引き剥がそうとするとパっと離れ、今度は両の手のひらが僕の頬を包んだ。


『……あぁ、髪も眼も…………こんな、もうほとんど完成系じゃないかっ……!』


「か、完成……?」


『マルコシアス様! 落ち着いてください、ヘルが怯えています!』


怯えてはいない、戸惑っているだけだ。アルは僕を子供扱いし過ぎている。


『……アルギュロス? 生きていたのかい? いや……その魔力、何だい? 以前とは桁が違う……』


「アルは生き返らせたんです、本物の賢者の石で。前より強くなってくれたみたいなんです」


強くなったからといって、怪我もすぐに治るようになったからといって、無茶な戦い方はさせられない。いや、アルはもう戦わせない、アルが構える前に僕が殺す。この魔眼なら出来る。


『賢者の石って……耐久戦なら僕より強いんじゃないのかい』


『滅相も無い!』


『石化すればいいだけだけど……』


石化? 誰を? アルを?


『……っ!? ヘルシャフト君……?』


「なんですか?」


『…………君、ヘルシャフト君だよね』


「そうですけど……」


さっき顔を見せた時は僕だとすぐに気が付いたくせに、今更なんだ。確かに両眼とも色は変わってしまったし、髪もすっかり白くなってしまったけれど。

マルコシアスはじっと僕を見つめている。その目は警戒しているような、怯えているとすら思えるようなものだ。どうして僕をそんな目で見ているのだろう。


『……ヘルシャフト様、フードを脱いで認知湾曲魔法も弱まっているんですから、そんなに魔力出しちゃダメですよ、天使に見つかったらどうするんです』


ベルゼブブがそっと耳打ちする。


「え……出してた?」


『はい、たっぷり。殺気というか何というか……魔王って感じの』


「嘘……なんで、そんな……」


ただ会話しているだけで出力が瞬間的に向上するなんて、やはりまだ不安定らしい。まだ眼は治すべきではなかったのだろうか、また抉るなんて言い出さないだろうか。


『……あのね、ヘルシャフト君。僕は別にアルギュロスに何かする気はなくてさ、ただ純粋にどれくらい強くなったのかなーって話しただけで、本当に戦ったり石化させたりなんかしないからね?』


「分かってますよ?」


マルコシアスは強さ比べでの決闘をするような悪魔ではない。カルコスあたりならやるかもしれないけれど。


『ま、あんまり先輩には関わらない方がいいですね』


「え? なんで? アルを仲間外れにしないでよ」


『そういうんじゃないですよ』


『……ところで君、誰? 先輩って……あ! もしかしてアルギュロス再生ついでに新しい子作ったのかい?』


『あ、いえ、私は後から使い魔になりましたので、便宜上先輩と呼ばせて頂いている悪魔です。ベルゼブブと申します。お久しぶりですね、よろしくお願いします、マルコシアスさん』


そういえばセネカとベルゼブブには人間に見えるように魔法がかけられていた。人間体を知らず魔力で判断しているのなら、マルコシアスのこの反応も──目を見開いて顔を真っ青にしているのも──頷ける。

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