過去全ての魔物使いを凌駕せよ

第500話 幾つかの手段

夢の世界から無事に帰還、兄弟仲も深まり、仲間も増えて近頃は幸せだ──そう手放して喜べたなら本当に幸福な頭をしている。


「……『黒』、大丈夫かなぁ」


起きてすぐ顔を洗い、ヘアピンとヘアゴムで髪型を整える。それなりに寝癖を直してからでないとやりにくく、今までより身支度に時間がかかる。


「アルー、行くよー」


ベッドの上、大きな影がもぞりと動いたのを確認し、部屋を出る。朝食ができる頃には起きてくるだろう。

僕はこのところ早めに起きて朝食の準備を手伝っている。何故か調理はさせてもらえないから配膳だけだけれど。


『お兄ちゃんおはよー』


『頭領はん今日も早いねぇ』


「おはよ、二人とも。今日は食器どれ?」


『フォークだけでいいよ』


半ば強制的に茨木も食事当番に任命した。それによって料理の幅が広がり、酒食の国ではあまり見ない箸で食べる物も作るようになり、配膳の難易度が上がった。


「……ヘル、ちょっといいか」


「ヴェーンさん、倒れたって聞いたけどこんな朝早く起きて大丈夫?」


「お前の血ぃ飲んだせいで腹痛いだけだ。俺は別に夜行性じゃねぇし」


ダンピールのくせに。心の中だけで呟き、配膳しながら話を聞く。


「そろそろ貯金やばいんだよ。お前らいい加減自分で飯代とか服代とか光熱費とか水道代とかガス代とか払えよ」


「あっ……ぁー……すいません」


「仕事なら紹介してやれるし、この国なら悪魔だろうが鬼だろうが稼げるぜ」


そういえばこのところ働いていない。この家にはヴェーン以外に働いている者が居ない。

僕は珍しくも全員が集まった朝食の時間、一人一つずつは職を持つように促した。


「……兄貴、魔法ってかっぱらいに使えるよな」


「はいアザゼルご飯抜き。犯罪は禁止」


わざわざ禁止しなければほぼ全員法を犯す、そんな気がする。


『我も働くのか? 嫌だぞ』


「カルコス達は厳しいかなぁ……ヴェーンさん?」


「サーカスとかショーとか出りゃいいじゃねぇか」


『……嫌だ』


獅子の雄は狩りをしないと聞くが、それは群れの話であってカルコスはこれまで自力で餌を狩っていたはずだ。その頃を思い出して欲しい。


「お前らは仕事決まってんだよな」


『うん、メルちゃんと一緒にレストランの給仕!』


『この国でお触り禁止の店探すのがあーんなに大変だなんて思わなかったわ』


メルとセネカはもう仕事を見つけたのか、僕は何も聞いていない。しかし来て数日で決めるなんて……外出も滅多にしない僕は何なんだ。


「鬼共、お前らにピッタリの仕事あんだけど」


『嫌や面倒臭い、茨木行き』


「酒飲みながら女の子の話し相手になるって仕事」


『やるわ、俺やるわ。茨木待っとき』


「ん、じゃあ後で連れてくから寝るなよ。両方来いよな」


仕事内容について気になることはあるが、まぁ僕に出来る仕事ではなさそうだ。仕事を斡旋するヴェーンの視界からそっと外れ、ベルゼブブの隣に移動した。


「……ねぇベルゼブブ、『黒』の名前取り返すのにいい方法ってないかな」


『…………クロって誰です?』


「だから、あの……僕と婚約してる、天使の……」


『はぁ? 先輩じゃなくてですか? 浮気者ですねぇ』


「……ふざけないでよ」


『ふざけてませんよ。私そんな方……知りま、いえ、知ってました、知ってたはずで…………あれ? おかしいですね、顔も出てきません。気のせいでしょうか……変なこと言わないでくださいよ』


ベルゼブブが『黒』を忘れている。自称天使に詳しいアザゼルが名前を忘れても、ベルゼブブは名前を覚えていたのに、今はもう存在すら忘れている。僕の記憶には彼女の顔も感触も残っている、まだ消えてはいないはずだ、だがもう時間が無い。


「おいヘル! お前は何やる? 隠れんなよ」


「…………ごめん、ちょっとしばらく仕事は無理。やること出来たから」


「はぁ? 言い訳じゃないだろうな……」


『僕の弟が嘘吐きって言いたいの』


僕に詰め寄るヴェーンの背後に兄が現れる。ヴェーンは驚いた後、呆れたとため息をつく。


「お前は……男娼とかやったら稼ぎそうだな」


『……一応理由聞くよ』


「まず、触手あるだろ? んで目が色っぽいだろ? 触手生えてるだろ? 見た目と声が女に受けそうだし、触手生えてるし、淫魔はカラフルな髪が多いから黒髪は話題になる。あと触手」


『それはそれは、稼げそうだね。まぁ、やればの話だけど』


「やんねぇの?」


『やんないよ』


兄が仕事をしている姿はあまり想像出来ない。魔法の国では研究者で、その後は兵器の国で軍人として働いていたらしいけれど、どちらも見ていない。


「じゃあ何やんだよ」


『この国の仕事知らないんだよね』


「酒混ぜるか他人と寝るか、その他は珍しいし安いぜ。輸入関連なんかコネがねぇとやれねぇしな」


僕はヴェーンの気が兄に逸れたことを確信し、皿を流し台に運んでダイニングを出た。駆け寄るアルの頬を撫で、『黒』の名前を取り戻す方法を考える──が、何も浮かばない。


『少々お時間よろしいですね』


「うわっ!? ア、アスタロト……?」


目の前に執事風の男が突然現れ、恭しくお辞儀をする。


『……何か御用でしょうか』


『書物の国に行ってみてください』


「…………何が見えたの?」


『異界の邪神とそれに絡まれる悪魔、そして貴方の求めるものが手に入るかと』


邪神? ナイか? 書物の国の悪魔というとマルコシアスかアガリアレプトか……それ以外の者が来ているという可能性もある。求めるものとは『黒』の本名だろうか、今求めているのは『黒』の名と金……いや、仕事くらいだ。


「……危険は無い?」


『ふむ……邪神のお遊びに巻き込まれますが、身体的精神的ともに問題ありません。求めるものを手に入れる過程で少々精神を壊されるかもしれません……不確定事項です』


「分かった。連れて行った方がいい人とかいる?」


『特には』


「分かった、ありがとう。アル、にいさま呼んできて」


アスタロトは役目は終わったとばかりに姿を消す。彼の力はとても役に立つ、出来れば常駐して欲しいのだが──まぁ、彼にも色々とあるだろう、仕方ない。


『今から行くのか?』


「うん、ローブ着てくるからにいさまに座標とか教えておいて」


『むぅ……貴方が決めたなら、従おう』


以前僕を置き去りに皆が砂漠の国に行った時、全員が無事に帰ってきた、それはアスタロトの予言通りだった。アルが攫われたのを知らせてくれたこともあった。

アスタロト自身はともかく彼の力には信頼を置いている。


『ヘル、準備出来たよ。ほら、ちゃんと前閉める』


兄に貰ったローブには僕を守るためだけに多くの魔法陣が刺繍されている。これを着る度に愛情を実感出来る。


『ここの紐ちゃんと結ばないと完成しない魔法陣もあるからね』


兄は僕のローブの紐を結び、空間転移魔法を発動させる。浮遊感と光の洪水が治まると僕は見覚えのある場所に立っていた。


『で、ヘル。何しに来たの?』


「アスタロトが行ってみろって言ってたからさ。求めるものが手に入るんだって」


『ふぅん……何するの?』


今までの兄なら僕の答えに不機嫌になって殴りかかっていただろう。だが、兄は温和に首を傾げた。


「アスタロトは他に何も言ってなかったしなぁ……」


未来のことを知り過ぎるとその未来は変わってしまうと言っていた。未来を変えようと動かなくても、むしろ予言通り忠実に動いても未来は変わってしまうのだろうか、だとしたらどうして……僕が発想を飛ばして考え込み始めた丁度その時、兄の背後に無数の蝿が現れた。


『……よっ、と。置いてかないでくださいよ、薄情ですね』


「ベルゼブブ……え、来ちゃったの?」


『ボクも居るよー!』


「セネカさんまで……」


アスタロトは誰を連れて行けとも誰を連れて行くなとも言っていなかった。だから多少増えても大丈夫……のはず。


『おや兄君、苦虫たっぷり口に詰められたみたいなお顔してどうしたんですか』


『……君が来たらヘルに頼られなくなっちゃうだろ、帰ってよ……』


「にいさま! にいさまの方が色々出来るから! 今日は別に戦うことないし、ね?」


『…………いい子だね、ヘルは』


気を遣ったとバレてしまっただろうか。兄の機嫌を治す言葉を考えていると、時間を知らせる鐘が鳴る。相変わらずの音量で僕の鼓膜を揺さぶった。


『何今の……うるさい』


『この国の方は本に集中しちゃってこのくらい出さないと反応しないそうですよ』


涼しい顔をするベルゼブブの隣でセネカがうずくまっている。

触角と翅を消し、人間に化けているベルゼブブはともかく角も翼も隠せないセネカをこのまま歩かせていいのだろうか。本に集中していると言っても視線を上げることはあるだろう。


「ね、にいさま」


僕は兄の機嫌回復も狙いつつ、セネカに他者からは人間に見えるように魔法をかけて欲しいと頼んだ。

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