第462話 移身石

晩餐会は終わりを迎え、僕は前を歩く兄の後を追って城に戻る道を歩いていた。裾には庇護欲を煽られる小さな手がある。


「ヘル君ヘル君、その子どうすんの?」


「僕が聞きたいですよ」


ナイは何故か僕に付いて来ている。やめて欲しい、帰って欲しい、更に欲張るなら死んで欲しい。


「暗殺未遂を起こしたとはいえ一国の王をいつまでも拘束しておけん、すぐに返すだろうからその時に一緒に返すつもりだが……」


「砂漠の国関連は任せた」


「父上……はぁ、分かりましたよ。じゃあ移身石お願いします」


「分かった分かった。だいぶ世話になったしな」


過去に僕が取り返した兜は今王が持っている。神具は国の基礎であり王族の宝であり、超が付くほど貴重な物なのだが──どうにも扱いが雑に思える。アルテミスの弓なんて僕が持っていた時期もあった。


『石誰に渡すの? ボク?』


「分かってるだろ……面倒臭いから話かけないでよ」


『面倒とか酷い、泣いちゃうにゃん』


「……ねぇ、本当さぁ、やめて。にゃんとか……ほんと、殴りそう……」


アポロン達の前で幼い子供に暴力を振るう訳にはいかない。晩餐会で首を絞めようとした? ナイフを首に突きつけた? 未遂だから大丈夫。


「そうそう、また占ってもらおうと思ってたんだ」


『トリりんを?』


「ああ、何か見えるか?」


『全部にゃるっとお見通し!』


「……ムカつく」


『やだぁヘル君怖ぁーい』


にゃーにゃーうるさい、猫でもないくせに。いや、名前の頭文字か、だとしたらそれはそれで腹が立つ。


『ずばり、雷霆の扱いには注意が必要。変なものを呼んでしまうかも……ラッキーアイテムは塩パン!』


話し方も声の調子も仕草も表情も、とにかく全て腹立たしい。ナイだということを忘れれば魅了されそうな外見をしているのも腹が立つ。


「塩パン……持ち歩いておくか」


「父上、占いなんてアテにするんですか」


「占い師というとエセが多いが、この方は本物だからな。お前が産まれる前も占ってもらったんだ、当たってたぞ」


「…………え? 産まれる前?」


驚愕の表情のままアポロンはナイを見つめる。八歳程度の見た目をしているくせに少なく見積って二十年以上は生きているのかと目が訴えている。


「内容なんだったの?」


「確か……妹との距離に注意が必要、諸共婚期が遠のくかも。ラッキーアイテムは弓。だったかな」


「当たってる……で、でも、まだ間に合う。誰か……ヘル! アンタ今度こそまともな男紹介しなさいよ」


「まともな人なんて知りません」


言い切ってしまって良かったのだろうか。そもそも人間の知り合いも少ないのだから仕方ない、紹介に頼らないで自分で探して欲しい。

そんな話をしているうちに僕達は城に到着した。そのまま王に連れられ地下室へ向かう、アポロンだけは兵士や他の貴族達と砂漠の国との関わり方を相談しに集団から離れた。


「採掘して加工せず放置している石がある。どうせ大して使わないからな、好きなだけ持っていけ」


『いいねいいね、あるだけ持っていって高値で売り捌こうよ』


「……君はアポロンさんと行くべきだったろ、今からでも行きなよ」


『やだよ、あのお兄さんも王様達も、ちっともからかいがいないもん』


僕に揶揄い甲斐があるというのか。僕ほどつまらない奴も珍しいだろうに。


「選ぶ時石に触りたいならこの手袋を着けてくれ」


「分かりました」


地下室に灯りが点る。部屋に並べられた木箱には灯りを受けて輝く黒い半透明の石が詰められていた。未加工だという原石は人の頭ほどの大きさがある。

輝き具合だとかの違いは僕には分からない、どの石も同じに見えてしまう。


「とりあえず、このくらいの大きさでネックレス作りたいんですけど……」


手で希望の大きさを示す。手のひらに包まれる程度だ。


「ネックレスにしては大き過ぎ、肩凝ったらどうするのよ」


「か、身体が大きいので……」


「大きいにしても限度があるでしょ。何? オークにでも求婚する気?」


渡す相手はアルだと言っていいものか。恋人だとか結婚寸前だとか思われているのに、その相手が魔獣なんて……


「まぁまぁいいじゃん。ねぇみたいに首も肩も弱くないんだって。ね、ヘル君。どうせなんか悪魔系でしょ?」


「え、人間じゃないの? まぁ……そうね、アンタに惚れる女なんか人間には居ないか」


好き勝手言ってくれる。僕だって人間に好かれることはある。そう、ちょうどこの国で──刺されたな、あれは除外しよう。


「それならこれはどうだ? 儀礼用の飾りとして作ろうとして加工して……結局使わずにいる物だ」


美しいカットが施された石が僕の手の上に乗る。灯りに翳すと石の中で光が乱反射し、キラキラと輝いた。


「……綺麗」


『いーぃーなぁー、ボクも欲しいー! ほーしーいー! ヘル君、欲しい!』


「…………硬いもの持ってる時にイラつかせないでよ」


『わぁ、何する気なのかな? 怖い怖い』


この石に紐を通して、アルの首にかけて──うん、似合う。僕はアルの姿を思い描き、そのすぐ後に「これにする」と言った。


「ネックレスなら金輪いるんじゃない? 鎖通すとこ」


「ティアドロップだし、尖ってるとこに穴空ければ?」


「そうだな、空けておくか。一旦返してくれ」


王は木箱の隙間に落ちていた錐を拾い、それで雫型の石の先端に立てた。石とは思えないほど素早く容易く、木よりも柔く穴が空いた。


「……ありがとうございます」


「移身石は触れた者を覚え、その者の魔力の状態によって輝き方や硬度や靱性を変える。魔力が強ければ丈夫になるんだ」


ベルゼブブに受けた説明と微妙に違うような──それもそうか、一国の王族に伝わる宝石の詳しい性質を悪魔が知っているはずもない。


「アンタじゃすぐ割れちゃうんじゃない?」


石を落とさないよう気を付けながら右手の手袋を外し、恐る恐る石に触れた。その途端、石は強い輝きを放つ。目が眩む閃光は数秒間続き、石の中心に吸い込まれるように消えた。


「……うわっ、何この色」


「虹色……? 嘘、アンタが?」


仄かに発光している石は虹色に輝いている。いや、もはや虹よりも多い色を放っている。


「……驚いたな。虹色なんて……何者だ?」


『新たなる支配者様だよ! ねぇヘル君?』


この色や輝きには覚えがある。いつも鏡で見ていた。

忌まわしく思ってきた妖しい輝き、寒気すら覚える美しい虹彩。瞳と全く同じ色だ。

僕は自分の眼があまり好きではない、けれどアルは僕の眼を気に入っていた。これならきっと喜んでくれる。


「支配者……か。せいぜい平和な世を作ってくれよ」


「僕は、そんな……」


『ボクは今より面白い世界がいいなぁー』


「硬いもの持ってる時に話しかけるのやめてってば」


『キミお兄さんに似てきたんじゃない?』


兄に似てきた? 違う、僕は身勝手に暴力を振るったりしない。僕は兄とは違う。僕が暴力的な気分になるのはナイに対してだけだ。


『もう用事ないよね? 帰ろ』


「もう帰るの? ゆっくりしていけばいいのに」


「あぁもう帰って帰って、次来る時は今度こそまともな男連れてきて」


姉弟で随分な違いだ。気の利いた別れの言葉を探していると兄に肩を掴まれ引き寄せられる。待ってと言う暇もなく光と浮遊感が五感を支配し、それが終わると僕はヴェーンの家のリビングに立っていた。


「……おう、帰ったか」


『や、ダンピール。君この間から居なかったって聞いたけど?』


「野暮用があってな。少し前に戻ったばかりだ」


ヴェーンはいつも以上に落ち着いている。常に顔色が悪いから分かりにくいけれど、体調が悪いような雰囲気もある。


「石は手に入ったのか?」


「ぁ、うん」


机の上には美しく編まれた紐や金具が置いてあった。僕から石を受け取ったヴェーンは先端の穴に金輪を通し、そこにまた紐を通した。


「長さはある程度調整出来るようにしてあるから」


「うん、ありがとう」


紐の先端には留め具が付いている。その反対には金輪がいくつか編み込まれている。

僕はそれを一番大きいところで留めて腕にかけ、シャツのボタンを外して首筋を露出させた。


「……あぁ、今要らねえや」


「え? あ、そう……? いつでも言ってね」


「ん。どうも」


体調が悪いのなら血を飲んだ方が良いと思うのだが──本人が言うなら仕方ない。

ヴェーンは道具を片付けると足早に部屋を去った。


『部屋行く?』


「……あ、うん。ヴェーンさんどうかしたのかな……」


『蝿さんが「私お邪魔じゃないですか」って言ってるけどどうする? それないと見えないよね?』


当然、兄は他者を気遣う言葉に応えない。ベルゼブブを「それ」呼ばわりする始末だ。


「んー……アルの顔見たいし、そのまま居てよ。晩餐会の時みたいに大人しくしてくれてたらいいから」


『分かったってさ』


また兄の手が肩に置かれ、浮遊感を味わって景色が変わる。僕の部屋だ。

ベッドの上で横たわっていた銀色が揺れる。黒い翼を広げてゆっくりと起き上がる。


『じゃ、お兄ちゃんはもう行くね』


背後で扉が閉まり、足音が遠ざかる。


『ヘル……? 帰ったのか?』


「アル、渡したい物があるんだ」


顔を振って欠伸をして、寝ぼけ眼で首を傾げる。

その仕草はとても可愛らしい。

僕は石を後ろ手に隠し、アルの隣に腰掛けた。

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