第463話 下賜

石をアルの視界から隠してベッドに腰掛けると、肩にアルの顎が乗る。くるると甘えた声を出して僕を翼で包んだ。


『遅かったな。欲しい物は手に入ったのか?』


「うん」


『そうか、なら今日からは私が待たせる事になるな』


頬に額や舌が触れる。


『で、何を買ったんだ? 一昨日も今日もこんな時間まで……一体何にそんなに執着しているんだ?』


アルの尾が胴に巻かれる。下げていた腕も巻き込んで、ぎっちりと拘束される。


『見せてくれるだろう?』


「……目、閉じて」


『目を……? 分かった』


アルは僕を真っ直ぐに見つめて首を傾げた後、そっと目を閉ざした。僕はネックレスをアルの首にかけ、留め具を調節し、頭を抱き締めて額にキスをした。


「……もういいよ」


『もういいと言われても、何も見えん』


アルは僕の身体を頭で押しのけ、自らの首にかけられた宝石を前足で器用に持ち上げた。


『…………これ、は』


「プレゼント」


『………………私に?』


「気に入った?」


『……貴方、が?』


炎や氷が揺れるように、突風が巻き起こっているように、様々な色が生まれては消え、まるでもう一つの世界のような宝石をアルはじっと見つめている。

決して一色になることのないその石はアルの毛色によく似合っていた。


『……貴方が、私に…………こんな物を』


僕はアルがもっと喜んでくれると思っていた。けれどその予想はハズレだ、アルの反応は鈍い、やはり宝石などには興味が無いのだろうか。


『…………美しいな。私の好きな色だ。貴方の瞳と同じ……』


「移身石って言ってね、最初に触った人の魔力と同じ色になるんだってさ」


『……それは少し違うな。移身石は最初に触れた者の魔力の状態を常に投影し続けるんだ』


尾に引っ張られ、僕の身体はベッドの中心に運ばれる。アルは頭で僕の胸を押し、優しく押し倒した。


『神降の国まで行っていたのか? あの国が出来る前、この石は永遠の愛を誓う物として有名で……まぁ採掘技術の発展していない時代の話だ、そうそう手に入る物でもないからただの御伽噺だったんだが』


視界が揺れる。ベルゼブブが僕の耳の上から移動したのだ。僕とアルの姿が次第に離れていく。ベルゼブブはベッドの天蓋を支える柱に止まり、僕とその上のアルを眺めている。

傍から見ると不思議な体勢だ。全身の力を抜いた細身の少年が大きな狼に乗られて──まるで狩られたようにも見える。


『……移身と言う名の由来だ。魔力の状態を常に映すから、この宝石はその人自身。贈るという事は自らの全てを渡すという事』


僕の頭が一口で入ってしまいそうなほど大きな口が僕の耳に寄る。牙が首筋に触れる。借り物の視界では僕が喰われれているように見える。


『…………ベルゼブブ様、申し訳ありませんが……その、そろそろまた席を外して頂いても?』


また視界が揺れる。トンという音とともに安定して、上端に翠の髪が見えた。


『ここからがイイとこなんでしょう? 全く仕方ありませんね。ヘルシャフト様、そろそろ視界切った方がいいですよ。それじゃ』


視界が反転し、扉に向かう。僕は目を強く閉じるよう意識して共有を切った。暗闇の中扉が閉じる音が聞こえて、アルの顔が頬の横に戻ってきた。


『……私はたった今貴方の全てを渡された。その認識で構わないな?』


「うん……? いいけど」


結局、宝石は喜んでもらえているのだろうか。冷静なままだからよく分からない。


「……宝石、嬉しくない?」


『…………嬉しいよ。嬉しくて堪らない。狂ってしまいそうだ、抑えるのが大変だよ。今すぐ貴方を喰らってしまいたい』


「嬉しい? 良かった。食べたいなら食べていいよ、好きにして」


『……本当に、良いのか?』


「いいよ?」


少し前、兄に「転んで手足を擦りむくことが多いから……」なんて方便を使って作ってもらった目隠しがある、あれには痛覚消失や欠損修復の魔法がかけられていたはずだ。確か枕の下に隠して──あった、これを巻いておけばアルに喰われても平気だ。

僕は手探りで目隠しを巻き、準備が出来たとアルに伝える。


『…………愛しているよ、ヘル。永遠に……貴方だけを』


暗闇の中確かなのは柔らかい感触と優しく甘い声。

僕はアルだけを感じていて、アルは僕だけを求めてくれている。それ以上の喜びはこの世に存在しない、今以上の時はこの先訪れない。

僕は今を噛み締めて、アルを抱き締めて、この時が永遠に続けと願って──自然と眠りに落ちていった。




朝……だろうか? 目隠しを取り、アルとベッドの隙間から這い出でる。分厚いカーテンを開くと中天から少し傾いた太陽が伺えた。


「あれ……? 目、見えてる」


赤いカーテン、黒と濃い茶色の壁紙、赤い絨毯、天蓋付きのベッドにその上で眠る愛しい仔。全て見えている。

鏡はないかと部屋を探し回っていると洗面台があったことを知る。


「…………治ってる」


目隠しに描かれた治癒魔法のせいだろうか。虹色の双眸が鏡の向こうからじっと見つめ返してくる。


「……左眼、いつの間に…………髪もほとんど白い。っていうかかなり伸びてる……」


項を隠す程度だった後ろ髪が肩甲骨のあたりまで来ている。顎の下を過ぎる程度だった右眼を隠す為の前髪も鎖骨のあたりまで来ている。この速度は異常だ、魔眼の影響だろうか。

両眼とも魔眼になってしまったのならもう片目を隠すような髪型ではダメだ。両眼を隠すか、両眼とも晒すかしなければ。


「…………とりあえずこのままでいいや」


洗顔の時だけに付けるヘアバンドを巻いたままにして、今度改めて髪を切るか髪留めを使うか決めよう。

それより着替えだとクローゼットを漁る。色彩の国で兄が買った物が多いようで、どれもこれも派手過ぎる。

ようやく地味で露出の少ない物を探し当て、それを持って洗面所に戻った。


「……血まみれじゃないか」


改めて服や身体を見れば赤黒い痕がこびり付いている。先に風呂に入った方が良さそうだ。服は捨てるべきだな。




髪と身体の汚れを落とし、ぺったりと顔や首に張り付く髪をタオルでまとめあげる。先に着替えてその後で髪を乾かそう。


『……ヘル? 起きていたのか』


「あ、アル。おはよ」


ちょうど着替え終わった時にアルが起きてきた。


『貴方、眼が戻って……』


「ん、あぁ、目隠しの治癒魔法で治っちゃったみたいでさ」


『……そうか。私がやり過ぎたから……』


「髪乾かしたら抉ってね。まだダメなんでしょ?」


『力を使おうと思わなければ暴走させる事も無いだろう? そう急がなくても良い。それとな、ヘル…………もう少し、自分の身体を大切にしてくれ』


自前の眼での視界を楽しませる為か、僕の眼を眺めたいのか、珍しくもアルは楽観的な事を言う。


『……貴方が目を失う直前、急速に色が抜けてな。どうだ、自分の視界で見るその髪は』


「んー……白い髪似合う?」


アルが似合うと言ってくれるなら隠したり染めたりはしないでおこう。そう考えて質問を返した。


『似合うよ』


半分ずつならまだマシだったが、生え際だけ黒いとなると少しみっともない。早く全て白くなって欲しい。


「伸びてきたし切ろうかなって思ってるんだけど、どうかな」


『切ってしまうのか?』


「アルが嫌なら切らないけど。僕は別にどっちでもいいし」


風呂や身支度が面倒で視界の邪魔、首が暑い、などの弊害はあるけれど、アルが長髪が好きならそんな弊害は塵と同列だ。


『髪には魔力が宿るものだ。そう易々と切るものではない』


「ふぅん……アルちょっと前すごい抜けてたけど。アルもう一人出来そうなくらい。あれどこに生えてるの?」


『…………それは体毛だ。私は髪の話をしている。何処に生えているかは見れば分かるだろう』


そういえばヴェーンに髪留めを頼んでいた。あれはもう出来ただろうか、昨日は体調が悪そうに見えたし、あまり催促はしたくないけれど──目が戻ると髪が邪魔だ。


『それよりヘル、昼食は?』


「んー、まだいいや。昨日いっぱい食べたし」


晩餐会の料理は豪華でついつい食べ過ぎてしまった。腹はまだ膨れていて、ものを食べる気にはならない。


「…………アル、首飾り似合ってるね」


『な、なんだ突然……』


「なんか昨日見た時より宝石綺麗になってる気がするけど、気のせいかな」


『……貴方の魔眼が戻ったからだろう』


普通、宝石というのは月や炎からの灯りを受けて輝くものだ。しかしこの石は自ら発光している。その光も僅かなものではあるが……眩しくはないだろうか。


『昨晩はしっかりと伝えられなかったが、本当に嬉しいよ、ヘル。貴方が私を想ってこれを手に入れてきてくれた事が何より愛しい』


手に入れる過程はかなり容易で、晩餐会で楽しんできたと言ったらその愛しさは萎むのだろうか。


「重かったり眩しかったりしない?」


『あぁ、平気だ』


「寝る時とかには外した方がいいよ」


アルは昨晩首飾りを身に付けたまま寝ていた。そのせいか首周りの毛に妙な流れがついてしまっている。


『貴方も付けたまま寝ているだろう』


「え? あぁ……これ? だってこれは形見だし」


『貴方と同じように私にとってこの石は大事な物なんだ』


「僕まだ生きてるよ……」


石ばかり見つめ僕の眼を見てくれなくなったら嫌だ。僕は少し嫉妬して、宝石を眺めるアルの頭を抱き締めた。

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